第35話:半人前の魔女
サワリ、サワリと風が自身の髪を揺らす。
濃い緑色の髪を両サイドに結んだ、オレンジ色の瞳を持った10代の少女。蒼いローブを身に纏い、黒いワンピースを着て彼女は湖の上を歩いた。その中心部にて足を止める。他には誰もいない。
月夜が照らし出され、ユラユラと波が静かに作られて波紋を作り出す。
「我が道を示せ、名はネル」
トンッ、とその場でジャンプをすれば道が開かれるように水が割れていきやがて地面が見えて来る。夜である事と月の明かりしか周りを照らしていない事から、深さも分からず広がるのは闇だけ。
躊躇する事無く彼女はそのまま静かに降りていく。割れていた筈の水が意思を持つ様にして元に戻っていき、少女を飲み込んだ後にはいつもの湖がその場に残るだけだった。
「帰ったか」
周りが真っ暗でも頭上から水が零れて来ない。それもその筈だ。魔法により湖を扉のように扱っているのだから家の玄関先に降りたに過ぎない。
「帰りました。ババ様」
ポゥ、とババ様と呼ばれる者は照明代わりにと炎を作り松明のように広げていく。彼女の前に現れたのは身長が150センチ程の腰の曲がった老婆だ。彼女と同じように青いローブを全身に羽織り、木で作られた杖を持ち既に足取りがおぼつかない。
「……どうだった」
「はい。既に魔獣が人に憑依する術を身に付け、人間社会に溶け込んでいると言う報告は事実かと」
「そうか……」
「被害も出ている。……5年前、バルム国を襲いそこから研究が進んでいる」
悔しそうに顔を歪め、ギリッと自身の拳を握りしめる。紅蓮の魔女が居たからすぐに向かわせたが……その時には既に終わっていたと言う。しかし、彼女はその後の消息は分からず定期連絡もない。
「なら、ミリアが掛けたと言う呪いの魔力を追うしかないか」
「……ミリア姉さん。何で連絡してこないの」
「理由があるにしろ、もう生きていないとみるしかないな」
「そんなっ……」
「魔獣は我々を狙っている。魔女である我等と魔獣を浄化する光の力を狙っているんだ。隠れながらでいるが連中の活動時間は夜だ。朝と昼はこちらの領分」
まず光の魔法を探す。と、ババ様はそう言い帰って来たネムを休ませる為に奥へと歩いていく。小走りに行けば、松明の火は後を追うようにして灯りが消えていく。
「ほれ、茶でも飲め」
「ありがとう、ババ様」
出された木のコップには紫色の液体がたっぷりと入っている。色的にマズそうなそれを、ネルは気にした様子もなく普通に飲み始めた。
ババ様と呼ばれるこの老婆は、薬に精通しており表向きは薬売りとして各地を転々としている。光の力を持つ者を見付け魔獣よりも先に保護し、戦力を整える為だ。
光の力とは、魔法の一種。
特徴として魔獣にのみに効くとされている希望の力。しかし、それを扱える人物に決まった法則はない。男であった時もある。女の時もあり、時には生まれて間もない子供など時代により様々。
また魔女と呼ばれる彼等、彼女達も同様に、生まれも育ちも違うが、一様に高い魔力を持って生まれた。まだ魔法が広く認知される前に起きた為に、忌み子と言われてきた。
今でも魔女は悪さをする代表格であるのも魔獣が生まれ、魔女が生み出したものとまで言われているからだ。
忌み子の集まりの中で、彼女達に理解を示したのもまた光の力を持った者だ。彼等、または彼女達は魔法を扱う時に髪が白銀へと変わる。魔法を行使した時にだけ示したが故、この力を持つ者も忌み嫌われた。
時代が変わろうとも、魔法の発展が進んでも魔女達にとって安息の地はなかった。
「ないなら……場所がないなら、自分達で作ろう。安息の地を……自分達で作り守って行こう」
こうして魔女達だけの地を作り、高い魔力で外から遮断し見えないように作った。入り口を幾つも作り、合い言葉を設定し入れるように作り上げた。
「バルム国は初代の魔女が妃となった事で、高い魔力を有する者達が多かった。今まで、我々に秘密裏に支援してきたが……」
「魔獣の所為で……!!」
ネルは憎しみに瞳を濃くした。
彼女は魔獣に両親を、暮らしていた村人達を亡くし同時に高い魔力を持った者でもあった。忌み子と言われたが、時代が進む中でそれらの言葉を使うのは恵まれた国だけだ。
貧しい村や町でそのような事は言われなかった。むしろ、奇跡の子として周りから期待されたのだ。
だからネルは魔獣を許しはしない。その魔獣に対抗出来るとされる光の力の保護も、今の彼女達にとって最優先で行われているのも理解している。
「ミリア姉さんは、バルム国に向かった以降の行方が分からない。……ねぇ、ババ様。光の力は既に覚醒しているのは本当なの?」
「それは間違いない。つい1ヶ月程くらい前に、ネルも感じただろう?」
コクリ、と頷く。
ちょうどその頃、光の柱が夜空を貫いた。その時に感じた自分が持つ魔力とは、違う異質さと暖かい光の力。
ババ様が言うには子の力を持つ魔力は、自分達とはかなり異質だから分かるのだと。しかし、逆に言えばその力を使ったという事は、魔獣と接触したのと同義になる。
「だか、情報を集めようにもあの方角はリグート国付近だ。あの国は隣国と友好国だ。下手に入りすぎればディルランド国にも、我々の存在がバレてしまう」
「っ……。まさか両国に良いように使い回されているのか」
「リグート国に魔獣が出たと言う噂はあながち間違っていない、か」
「ババ様!!! 酷使される前に奪還するべきだ。私達なら守り切れるぞ」
「……。」
彼女は考える。
各地を転々とし、人づての噂や話ではリグート国の王子の婚約者はバルム国の姫だと言う事。ディルランド国も容認しているらしい事から、5年前の生き残りである事は確定だ。
なら、覚醒したのを自覚していない?
両国とも、魔獣を倒した所を見ていない、のか…。
「ババ様!!」
バン!!、とネルは机を叩く。彼女は魔獣を憎むあまり、周りが見えていない。だが、今、彼女しか動ける者がいないのも事実。
重い溜息を吐き、彼女は告げる。自分の同伴の元、リグート国へと薬屋として情報を収拾する、と。
「分かった。準備してくる」
普通なら何処かに出掛けると言うだけで喜ぶものが、魔獣を殺す事に執念を燃やしている。15歳というこの世界では成人にみなされる年齢だが、ネルは身長がババ様と同じくらい小さい。
小さい身長だが、魔女の中でもスピードが早い。代わりに魔法を使うのに時間が掛かりすぎるのが難点だ。
どんなに優れた力も魔法も扱う者が未熟では上手くいかない。魔法を扱えたなら、きちんと制御を理解しなければ自分も、自分以外も傷つく。
だから、ネルは半人前なのだ。
1人前の魔女となるには、知識も基準も今の彼女では全てが経験不足なのだ。
「はぁ……。どうしたものか」
保護すると言うが、ネルはその力を利用する気でいる。
魔獣を全て消すために…。
「気分転換に、なればいいが……彼等にも話しておき、協力出来る範囲はしてもらうか」
「すまない、ババ様。俺等が不甲斐ないばかりに……」
そう言って現れたのは20歳前半くらいの男性だ。彼は頭に包帯が巻かれ、手足も同様にグルグル巻きにされている。辛うじて目を開く事が出来たが、日常生活にも支障をきたす大怪我だ。
「治療に専念しろ。……ディーデット国に連絡をいれておくか」
そんな不安なまま、ババ様とネルはリグート国へと向かった。情報を得るために、魔獣に対抗する為に。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ーレント視点ー
「ウィルスが、熱を……?」
猫の遊び場を彼女に紹介して2週間。ラーファルからそんな報告を受けた。おかしいな、今朝はピンピンしてたのに…。
「今までの疲れかな。ほら、誰かさんは構うし」
「婚約者を構って何が悪いの」
「限度を知れって言ってるの。毎日、毎食飽きもせずに食べさせあったり……」
「私は飽きない。ウィルスの可愛さが毎日分かるもの。変化を付ける為にナークにも頼んでるから……。うん、飽きはないね」
「………姫猫ちゃん。とんでもない人を好きになったな」
なんか遠い目をされた。
しまいには溜息を吐かれた…。え、そんなにおかしい?
「ウィルスの感覚を普通に戻すんでしょ? ラーファル。貴方が言った事だよ」
「あー、はいはい。確かに言ったけど……予想外すぎ」
「ウィルス様に関してだけは、これが通常運転なので気を付けて下さい。ラーファル様」
ジークの言い方が刺々しいな。バラカンスまで頷くなんて酷くないか。むっとして睨んでいるとナークが私の背後に現れて耳打ちをしてきた。
「えっ……」
「ボクは主に言われただけ。あとは王子に任せる……じゃ」
リベリーと同様にすぐに姿を消す。いつも思うけどあの2人っていつも何処から聞いてり、見聞きしているんだろう……。
「どうしましたか、レント」
「……ごめん。今日はもう戻らない」
「えっ、ちょっ」
「待てレント!!!」
バラカンスの呼ぶ声もジークの怒鳴り声も無視して私は執務室から出て行く。唯一、ラーファルだけは見送ってくれたから察してくれたんだと思う。
ナークに言われて来たのは自分達の寝室だ。いつも使っている大きなベットを隅に移動し、1人用のベットに安定した寝息が聞こえて来る。
(ウィルス……)
ナークによれば薬師のラークからの薬では効果がないと言う事。霊薬の類や希少価値の高い薬草でも効果があまりないと言う。今は、果物を食べて少し落ち着いたのだと聞き思わず笑みが深くなる。
彼女の寝言で私の名前を呼んだそうだ。ナークはそれでこちらに知らせてきたのだと理解する。
「……どんなに効果のある薬草より食べ物の方が効果があるって……飽きないよ、まったく」
ラークが聞いたら泣くだろうなと思いつつも、彼女の元へと急ぐ。顔に手を当てれば今朝とは違い、かなり熱いのが分かる。今朝までは普通だったのに、もうすぐ夕方だけど……と考えていると「きも、ち、いい……」と手の冷たさに微笑む彼女。
「平気だよ。仕事は……明日、続きをするからもう行かない。ずっと傍に居るからね、ウィルス」
その後は私の手の冷たさが良いのか離してくれない様子。元々、仕事に戻る気は無いからいいかと思っていると声が響いて来た。
ーそば、に……いてー
ーお父、様………お母……様……ー
「………。そう言えばあの時以来だよね。ウィルスが泣いたのは」
思えばあれ以来、彼女は泣いていない。
私の前ではなるべく笑顔でいようとしているのかと思い、弱音でも何でも言って欲しいと思った。彼女の手の平と自分の手の平とを合わせれば、淡く輝く刻印。
そこから彼女の心の声がどんどん聞こえてきた。
ーレント、そばに……いてー
ーもっと、傍にいたい……よー
「あぁ、もうっ……色々、不意打ち過ぎ」
普段は見せないでろう自分の顔が赤いのがなんとなくわかる。普段、言葉に言わないのにこう心の内で言われるとキツイ。……私にしか分からないから他の人に言っても信じてくれない。
ラーファルは理解しているし、刻印を教えた張本人だ。
その力と効果も分かっている。知らないフリをしている上にウィルスに「心で思った事はなるべく声に出した方が良いよ」と、こっちの楽しみを削りに来たんだ。
「平気だよ。傍にいるし、絶対に離れないから」
声が聞こえたのか、フワリと笑うからまた不意打ちで真っ赤になる。
何でもないように振る舞えるかと心配になりながらも、次の日には元気でいてくれることを願いながら彼女の傍を離れずに1日を過ごした。




