第199話:兄の思惑
ーアーク視点ー
お母様が亡くなって、数日後の事。
思ったよりも自分の心がすっとなる。お母様と居る時にも感じたことで、少しだけ今の自分に戸惑う。でも、いつまでも悲しんでいたらお兄様達に申し訳がない。
それはダメだと思って、気合を入れるようにパンパンと頬を叩く。
そう言えば、今日はまだシグールお兄様にまだ会ってないな。確か朝から式の準備とかするんだっけ?
「……また、寂しくなっちゃうかな」
思わずポツリと言った本音に、慌てて頭を振る。ダメだ、そんな事では呆れられてしまうっ。いつもならひっそりと遊びに来るはずのジル。
何でか知らないけど、彼はよく僕の事を追い掛け回す。
そして、よく乗りかかって来るんだ。
こ、怖いんだぞ。僕から見て体が大きいし、何でか下に見られているような感じで……すっごく悔しい。いや、大分悔しいんだけども。
「なんだよ、いつもならこっちの迷惑も関係なく突撃してくるのに……。何で、今日はまだ見てないんだか」
別にそれがないからって寂しいとかそんなことは……ない。ない筈だ。
自分で着替えたりするのも大分慣れて来た。ちょっとだけでも成長しているかなと思いつつ、今日もシグールお兄様が来るのを楽しみにしていた。
「失礼いたします、アーク様」
「あれ……レイ、さん?」
何度もノックをしてくれたのに、僕は気付かないままだったらしい。
思わず謝れば、彼女はとても申し訳なさそうに頭を下げて来た。
「アーク様にお伝えしなければ、いけない事があります」
「なん、でしょうか」
「今日から少々、お休みを頂きます。……大丈夫です、貴方は強い人です」
そう言って頭を撫でてくれたレイさん。
その手つきがお母様を思い出して、泣きそうになる……。お兄様2人は強い人だから、弱い自分を見せる訳にはいかない。
だから、僕は元気よく「ゆっくりしてね」と告げた。
どの位で戻るのかと思って聞いてみた。
だけど、その時の彼女の表情は酷く悲し気に歪められた。
「そう、ですね……。恐らくはもう戻れないかと」
「え、お別れなの? この事、シグールお兄様は知っているの?」
行かないで欲しいと思い、服の裾をギュっと握った。
なんだか、酷く不安な気持ちになった。
このまま……居なくなってしまうような、そんな予感。
「私はそのシグール様をお助けするんです」
「え、助け……。お兄様、どこか具合が悪くなったんですか?」
こんなにも質問を続けている自分が、おかしく見える。
でも、これは僕が感じた不安が表に現れただけだ。それにお兄様が具合が悪いのなら、どんな症状なのかと聞こうとした。
なのに……。
彼女はそっと僕の手を握る。そしてゆっくりと話されていく。
「大丈夫です。私の代わりには妹のクレハがいます。アーク様、どうかお元気で」
「……うん、元気でね」
名残惜しそうに離れていく僕の手。きっと酷い顔をしているのは自覚しているし、呆れられてしまう。そうしたら彼女は静かに笑い、お母様がしてくれたように優しく抱きしめてくれた。
「最後まで共に入れない、私の事を……どうかお許しください。でも、クレハならきっと大丈夫……きっと」
そう言って部屋を出ていくレイさん。
別れは突然だと言うけれど、僕はこの時知らなかったんだ。
お母様を亡くして悲しいのに、彼女にも……もう、これきり会えないんだと何故だか直感した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ーシグール視点ー
「ジル……もういい。もう、いいから……!!!」
いつもアークを押し倒している体が、更に一際大きくなる。
私を背負っても平気な位に成長し、王宮からどんどんと離れていく。けど、どんなに離れていてもこの失血量だといずれ私は……。
今も、言葉を発するのにも苦しい。
兄の事よりも、父が私を殺そうとした行動も。私は諦めたんだ。
そんな私に、生きている価値は……。
「グウウウゥ……」
ゆっくりと減速し、ジルの足が完全に止まる。かと思っていたら、唸る様にして相手を睨んでいた。何だと思って見ていると、つい先ほどまで私の隣にいた魔獣だ。
それが1つだけじゃない。
ゾロゾロと集まってくる……。その数に思わず目を見開いた。
(一体……父は何を目指す気でいるんだ)
魔獣達が段々と距離を縮めて来る。
包囲されている上に、見えてくるのは地平線に広がる砂漠。隠れられる場所もない。ジルが対応しようとするけど、あとどれくらいの魔力が残っているのかが問題だ。
そこに割り込んできたのは、黒い刃。
それらが魔獣達を両断し、姿を保っていられないのかボロボロと崩れていく。
「……ゼスト」
「この、まま……逃げろっ……!!!」
そう言って振り下ろされる刃。私に届く前にジルが守る様にして動き、再び魔力を身に纏う。
見えない壁に阻まれているのは、魔力で作り出したジルの力。逃げろと言いながら、襲い掛かるという不可思議な行動。
けど、私はゼストの瞳を見て気付いた。
彼は元から黒い瞳なのに、今は赤く染まり掛けている。
その間にも、彼は苦し気に息を吐きながら私を殺そうと動く。
「もうすぐ、俺の自我は飲み込まれるっ……。そうなったら、お前を手にかける」
「ま、さか……私よりも、もっと前に……」
別人になったような雰囲気。なのに、兄の雰囲気にも感じることがある。
兄は……あの魔獣に体を乗っ取られているのではないか。
自分の意識以外に、あの得体の知れないものが入っているのだとすれば……。行動と言葉がかみ合わないのも、彼が私を助けようと動いているのなら――。
「父がおかしくなった、のは……雇った暗殺者がいるからだ。あれは……危険、だ!!!」
今まで阻んでいた壁に、亀裂が入る。ジルは私を守る為に力を使っているが、それを攻撃用に回すだけの余裕がない。このまま押し切られると思った時、背後から近づく影に目を見張った。
「やめ――」
「邪魔だ!!!」
静かに近付いた影は、女性だ。
私の世話係をしてきた、レイ……。彼女は、反撃をしてきたゼストに切られる。そのまま首を落とそうとする自然な動作。それにゾッと感じた私は、どうにか引っ張り出した事で回避する。
その隙をついて、ジルは私達を抱えて飛びのく。
犬が行う跳躍を超えているのは、付与した魔力のお陰。こんな使い方も出来るんだと思いながら、苦し気に息を吐いたレイを抱える。
「どう、して……。私、なんかを庇って」
「もうし、訳ありま……せんっ。時間、稼ぎにも……なら、な……」
「しゃべる、な。レイ、こんなバカなこと……」
私よりもアークを優先すればいいのに。
彼女は姉妹と合わせて、戦闘が出来るが……あくまでも軽くだ。剣術を主体としている兵士や、私達王族が身に着けている技術と比べるとあまりにも弱い。
いや、彼女はきっと理解していたんだ。私を逃がす為に、少しでも時間を稼ごうとした。自分が死ぬ事も含んでの行動だと分かり、そんな事をする必要はないと叫んでいた。
「いい、のです……。私がしたくて、やったこと……ですから」
笑顔で答えるのに、段々と体温が冷えていく。
夕方近くになり視界も悪くなる。ゼストが追って来る様子も、魔獣達が来る様子もない。一先ずは逃げられたのかと、ふっと体から緊張が抜けていく。
「レイ……?」
ふと彼女に声をかける。けど、呼びかけにも答えず体温が冷たい事が……彼女が死んでいると言う証拠。ジルも感じ取ったのか悲し気に鳴いている。体温を温めようとしているのか、ひっそりと寄り添うようにしてピタリとくっつける。
「うそ、だ。そんな……嘘だあああああっ!!!」
奪われなくてもいい命。その引き金を引いてしまったのは、私なんだと自分を責め続けた。
家族を奪った奴が憎い。
何も出来なかった自分が、憎い。
気付けなかった自分が……悔しくて、憎い。
そんなドロリとした感情が、私の中に渦巻き続け――魔獣として姿に変えていくのも時間の問題だ。私も刺されたんだと思い出した頃には、既に倒れていてそこに駆け寄ってくれた人物がいた。
それがドール。後に武器商人として動き、ハーベルト国を色々と調べている人だと分かった。
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「結局、彼の所でお世話にはなったんだけど……。魔獣に変化する前に姿を消したんだ。自分の体が一部、魔獣化したしね」
「……」
私の失敗談を話し終えると、ウィルス姫達は驚いたように聞き入っていた。
自分でもなんで、こんな話をしてしまったのか分からない。多分、カーラスがおかしな事を言ったからだ。
魔法を扱える私を、大事にしない。その理由が分からないんだって。
「あの、あの……!!!」
「うわあっ」
そう思っていたら、突然。ウィルス姫が詰め寄って来た。私の身体を揺さぶるなんて、何が起きたんだと慌てた。でも、彼女は未だに唇が震え表情がかなり強張っている。何かおかしな事を言っただろうかと思い、落ち着くように言うと信じられない事を言った。
「わ、私……アーク君と、会った事……あるかも知れないん、です」
「……え」
彼女のその言葉に、今度は私の方が衝撃を受けた。
頭を殴られたような感覚。どうして彼女とアークが会っていたのか。そんな事を思っていると、今まで黙っていたナークが口を開いた。
自分達がアークと会ったのは、リグート国であること。その後、何があったのかを彼は詳しく話してくれた。




