任務失敗
「今、なんと言った」
既に怒りで声が震えていたが、それは些細な事。次に来たのは飲んでいたであろうグラスが床に叩き付けられた音。
全て自分の予想だが、あながち間違ってはいない。報告した側はうすら笑う。
「いやー、あれは反則、っと」
言いながら向かって来た瓶を避ける。
パリンッ、と砕ける音と共に中身が零れ落ちる音が静かに聞こえてくる。自分から当たりに行く趣味などないと言わんばかりの態度に、投げた側の――ハーベルト国の王がさらに目をかっと見開く。
「拾った恩を忘れおって!!! 貴様にどれだけの金を掛けたと思ってるんだ!?」
「そう言われてもねぇ……」
ペロッと唇を舐め、ヘラヘラと笑みを崩さない。
狂気じみた目が射貫かれようとも、彼は怒られている自覚はあっても別の事を考えていた。
自身の力を上回ったあの魔法。
リグート国はエメラルドが採れる国として知っていたし、その宝石が風の力を持つ事も知っていた。
だからあの国には風の魔法を得意とする魔法師団で組まれている。
王族でも、騎士でも例外なく風の力が生まれやすい。
(だったらあの狼……何で銀だった)
ナークとの戦いの最中に割り込んできた人物と体の大きな狼。
普通と違うのはその毛並みが瞳と同じ銀色で染め上げられていた事と、銀の魔力を伴っていた事。
(魔獣を一撃で倒す、謎の狼……。ははっ、やっぱり面白いなぁ~)
珍しい色の狼にその魔力。
本当ならウィルスを眠らせた時点で帰る事が……持って帰れる事が出来たのだ。そうしなかったのは何故か。
それではつまらない、からだ。
(余計なものに手を出したから、助太刀を許した訳だし。落ち度はこっちなんだけどねぇ)
未だにグチグチと文句を言っているが、内容は聞いていない。
彼の中では既に終わった事として切り替えている。そうしている内に、イライラしたような視線と合って「それで?」と続きを促される。
「こっちが持って行った魔獣は葬られたし、仕掛けも破壊された。とりあえず帰りがてら、術者は殺して来たから足がつかないようにしたよ~」
「当たり前だ!!! それでも暗殺者か貴様はっ……」
「便利屋、の間違いじゃないかな」
「なんだと」
しれっと小声で言ったが、そもそも2人しかこの部屋には居ない。
報告しているのだから、距離もそれなりに近い。小声であろうと全て聞かれるのは当然なのだが、分かった上に言っている辺りどちらも性格は悪い。
「それでどうします? ウィルス姫、連れて来るの難しくなったんですけど」
「分かっている。そうでなくても、第2王子が面倒に動いているから手が出しずらい。だから、居ない隙にと思ったと言うのに……お前と言う奴は」
「えへへ~。ごめんね?」
「……。それでその姫がそうなのか」
「んー、十中八九かな。でも、当たりでしょ。ディーデット国で魔獣になった兵士を元に戻したんだからさ」
いたぶれなくて残念だね、と含む言い方をされるも、今はそれ等に気にする事はない。
問題は魔獣を倒せるだけの力を、リグート国が持っているという点。
南の国と条約を結んでしまったあの国は、隣国と合わせてそれだけの脅威になった。
「裏切る可能性はないか」
「無理ですね。だって……」
そこで彼は告げた南の国とウィルスの事。
彼女の母親がその国の者であり、国王とは兄妹。つまりはその王子達とウィルスは従兄妹関係にあたるのだと。
魔獣の軍勢を向けて侵攻した案は国王のもの。
潜入していた者からのタイミングで仕掛けたが、そこで思わぬ収穫を得られた。
ウィルス達がその国を訪れたのは彼女に付けられた魔封じの枷を外す事。あの国の周囲は、人身売買をする者の中にそういった珍しい物を取り扱った経緯がある。
ハーベルト国でもその枷はあるが、形が古い上に実物は既に破棄された後。何年も改良を加えなければ当然、効かなくなり捨てられる。しかも、通常の枷と同一に扱うにはこの国では重すぎた。
魔法を扱う者にはその魔力を吸い上げる特製のものであっても、使われなければただの重み。実用的でないと随分前に破棄され、研究もされなくなった。
「廃止したのは間違いだったか」
「いやいや。南はこっちと違って魔法使える連中多いでしょ? こっちはあんまりいないから無意味だって」
「そこに金を掛ける位なら奴隷を増やしたり、暗殺者を増やした方がよっぽどマシだ」
「でしょでしょ。魔法を使う暗殺者ってあんまりいないし」
「その希少なお前を使って、何も成果を上げられないとはな」
「あははー。結局はそこに行きつくんですねー。完璧な人間じゃないんだから、失敗もしますって」
反省の色はなく、楽し気に自分の失敗を語る。
自分が失敗したんだから他はどうやっても、無駄だと安易に言っている可能性もあるがそんな難しい事はしない。
彼は明確で事実を告げているだけなのだから。
「もういい。用があればまた連絡する。ゼストの所にでも遊びに行ってろ」
「はいはい、そうしまーす♪」
さっきまで居たのに、風に消えたのように居なくなる。
気配も存在感も、そこにいなかったように……。
実力は確かなのに終始楽し気にしている性格と反省がない。学習するよりも自分の欲求に素直。あれが牙を向いたらこの国は終わりを告げる。
今は人の皮を被った暗殺者としているが、それがなくなった時。本当の化け物になるのだろうかと……ふと思った瞬間だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごめんねー。連れて来れなくて」
「出来ればだから構わない。そもそも期待していない」
「うっ、地味に酷いなぁ」
悲し気に目を伏せるもゼストは「気持ち悪い」と言って終わらせる。
王に報告して来た事は彼にも伝えた。ただ王に言っていない事がある、と言うよりは言うなと命令を受けただけだ。
「それで? どうだったんだ、実際に会ってみて」
「ん? あー、君のお気に入りさん。小さくて可愛いねって思ってて、あと髪の色が珍しいよね。儚げなのに芯が強い印象を受けたよ」
「魔獣を一撃で退けるか。ますます手が付けられなくなったなリグート国は」
「いつも以上に守りは固くなるね」
「……誰かさんの所為だがな。だが潜入は出来たんだろ」
「へへっ、仕込んできたから当分は平気かな」
それを聞きゼストは笑みを深めた。
ウィルスを狙えば当然、守りは固くなるし警戒もされる。だからその間に別の所を攻めようと考える。
「そちらも動くのには丁度良いんだろ。改良は進んでいるのか?」
そう問いかけられた側は仮面を被り、大きく頷いた。
全身を黒フートで覆い、月明りが部屋の照明代わりにしているのが余計に不気味さを生んでいた。
「そちらのお陰で曇りでもある程度の動きが出来るようになりました。ついこの間、魔女共を襲撃したばかり。当分、動けないでしょう」
「ねーねー。君達、夜しか動けないのって不便だよね。何で太陽の光が嫌いなの?」
「太陽の光は我々を殺した白銀の魔法の光と被る。そうでなくても、太陽の下に出るだけで皮膚が焼ける」
「ふーん。改良するのは太陽の下でも動けるようになんだよね。……私の身体をあげるって言ったらどうする?」
「なに……?」
仮面の人物は真意を探る様に見た。
猫目のような男性は変わらずの笑顔を向けている。一応の理由を聞けば「殺し合いが出来るなら、化け物でも良いかなって」と平然と言ったのだ。
「だってさ、対峙した狼。ズルいんだよ? 影の魔法も無視して攻撃してくるし、銀の光を纏って嫌なんだもん」
「……銀、だと」
「その白銀の魔法、君等にとって嫌なものなんでしょ? 克服できるかは分からないけど、人間のまま魔獣の力を使えたら助かるんじゃない」
色々と。
そう告げて来る目は真剣で、さっきまでおどけていたのが嘘のように同一人物かと疑った位に。
だけどこの申し出はこの者にとっては都合が良い。魔獣に変化した時点で太陽の下に出れないのなら、確かに人間のまま出られるなら活動はもっと広がる。
「だが良いのか? 失敗すればお前と言う自我はなくなるか、ショック死の可能性もある。それこそ、お前の言う殺し合いが出来なくなる」
「そうなったら君が壊して良いよ。ついであの国王、そろそろ死んで良いかなって思うんだけど」
「好きにしろ」
そう告げたのはゼストだ。
試すだけ試せば良いと言う態度を貫きワインを飲み干す。
この日、ただの人間の暗殺者が化け物へと変化した。獣のような咆哮は喜びを表す様に国中へと響き渡った。




