負けない心
何度も自分の死を味わった。
何度も、何度も味わおうともすぐになかったように傷は治り、痛みがなくなった。しかしそれは同時に儀式の失敗を意味していた。
「っ……」
バタリと倒れるのを何処か他人事のように思いながら、しかしネルはまた負けたのだと思い知らされた。そこに近付いてくる足音。
ミリアだ。
彼女は変わらずの冷たい表情をしたまま、倒れるネルに言葉を紡ぐ。
「……これで130回。途中で投げ出してからの避け方が雑。魔力の練り方がお粗末すぎて上手く魔法として発動していない。やる気あるの?」
「……」
初めは炎の軌道を読もうとした。次いで魔力探知でミリアの動きを常に追いかけてきた。結果、どちらも処理が間に合わないままやられた。
繰り返しても繰り返しても、結果は変わらない。
(経験が、違い過ぎる……)
彼女が冒険者として各地を旅してきている時点で場数が違う。魔力操作が自分のよりも上手いのも当たり前。
それが、こんなにも凄いと思わせる。
同時に悔しい気持ちが出てくる。奥歯をギリッと噛みしめながらも、ネルは起き上がる。
何度も倒れようと、挫けそうになっても。目的を果たす為、目の前に対峙している人を……安心させる為に。
「もう、一回……」
「止めな。何度やっても無駄だ。ここまで付き合ったけど――」
「いやだ!!!」
今までこんなに大声を出せるのかとネルは思った。
しかし、今はそんな変化に驚いている暇はない。
彼女自身、ネルの変化には少なからず驚いているのだ。
(自分を責め続けていたあのネルが……人の為に、なんてね)
ネルの魔法の暴発を止めたのは他でもないミリアだ。
事情を聞き、既に彼女が魔獣に対して憎しみを向けて他を犠牲にしてきているのを感じた。
それは過去、何も出来なくて悔しい気持ちを抱いていた自分自身と被る。
心がすり減り、魔法を使うのにも障害が出たのならそれは危険のサイン。
『大きすぎる力は……人が持つには器が小さすぎる。それでも、魔法を扱える者達は少なからず器は大きい方だ』
大ババ様がよく言っていた。
人に扱う事が出来る魔法は、人に合った力で作用し循環している。それを無理に幅を利かせ、制御から離れれば、その力は暴れ回り傷付ける。
自分の意思であろうと、なかろうと。
『何処にも行く当てがないなら、隠れ里に来る?』
自然とそんな言葉が出ていた。そんなミリアの言葉にネルは初めて顔を上げた。
あの時のネル達は当時7、8歳位の小さな子供。それが数年も経てば、いつの間にか人の為に……自分の為に笑顔を振るえる良い子になったと、母親のような気持ちで起き上がったネルを見つめる。
(母親、か……)
思わず自分のお腹に手を当てた。
さっきまで自分のお腹には確かに命が宿っていた。しかし、この空間に飛ばされた時にはそれが無くなった。
魔力も封じられ、落ち続けて来たものではなく、ネル達と会った時の……もしくはそれ以上の魔力を自身で感じ取れていた。空間に飛ばされた時点で分かってはいた。
しかし、ここに来て実感を得られるとは思わなかった。
母親としての情。
我が子を大事に思う気持ちを……。
「私は……ミリア姉さんと姫様の、為に……負ける訳には、いかないのっ」
自身の武器である大鎌を杖代わりにして起き上がる。
どんなに怪我が治り、全てが無くなっていても疲労は失われない。この儀式は受ける側の体力が無くなるか、対峙した魔女が認めると言う形でなければ解かれる事はない。
「私とウィルス様の為……ね」
そんなにボロボロな状態で、勝てるのかと睨み付ける。
それでも退くと言う選択はない。彼女はここまでするのには訳があった。
同じ魔女の人達でしか、自分の力を理解出来ないと思っていた。ニーグレスとレインも、魔法を扱えても身体強化という補助系の魔法。それをネルに向けて、強化したネルの体と魔力で今まで魔物を相手にしてきた。
魔獣ともそこそこ戦えて来たし、生き残ってきた。
それを支えてくれたのは他でもないニーグレスとレインの2人だ。
3人なら、なんとかなる。出来るんだと思った矢先、大ババ様からリグート国と呼ばれる大国に行く事になった。
聞けば魔獣を倒せる光の魔法を扱う人間がいる、という。
調べる為に王都に潜伏し、表向きは薬屋として働いて来た。そこに飛び込んできた白い毛並みの綺麗な猫。
その猫がミリアが逃がしたバルム国のお姫様だとは知らなかった。
「初めて、なんだ……助けたいって、思ったのは……!!!」
それで自分の心の余裕のなさを思い知った。
今までのネルは住んでいた村を焼き、蹂躙した魔獣を許せずにいた。自分自身の力の無さに、自分の所為でニーグレスやレインにまで辛い思いをさせていたのだと。
(姫様はっ……あの人は、自分が辛くとも表情にも出さずに……)
こんなにも温かくなれたのは、生まれ育った村で暮らして以来。出て行かざる負えなかった時に、自分で自分を責めた時に心を失ったのだと思っていた。
それを、再び思い出させたのは紛れもなくウィルスの存在を見てから。同じように働いて、自分と同じように笑う人がとてもではないが一国のお姫様だなんて……信じられなかった。
あんな笑顔が、自分にも出来るのかと……。ポツリと小さい声で言ったにも関わらず、ウィルスはネルに向き合いこう言い放った。
『笑う方が可愛いよ♪』
それを聞いて顔を赤くした時。大ババ様から『ほぅ。珍しい……姫様、もっと褒めてやってくれ』という注文を聞き、恐ろしいと心の底から思った。
感謝していた筈なのに、この時から大ババ様には敵意を向けた瞬間でもあった訳だが。
そんな思いが、ちょっとした前まで起きていた日常。
(だから――)
ウィルスに感謝しているからこそ、ネルは立ち上がる。
ミリアを姉と慕ったからこそ、彼女にはもう休んでも良いよと言いたい。自分達に任せて欲しいのだと、伝えないと意味はない。
(負けられない!!!)
振り下ろした大鎌の刃がミリアを捕える前に炎が阻む。
それらを切り裂き、姉と慕い自分達に色々なものを教えてくれた彼女に刃を振り下ろす。
「はああああっ!!!」
軋む体も、痛みも堪えネルは自分自身に音の魔法をかける。
ニーグレスとレインが、自分にしてくれたように。強化の魔法を他人に掛けられるなら、ネルの魔法も自分自身に掛けられるかも知れない。
彼女の、今思い付き咄嗟に行った魔法。
音速と言う速さでミリアの眼前に姿を現した。
(甘い)
咄嗟に出来た魔法をネルが使い自分の前に一瞬で姿を表わそうとも驚く事をしなかった。刃が振り下ろされても、既に魔法障壁を張っていたミリアには届かない。
バチリ、と。
電撃が走ったようにぶつかるのは、魔法同士の衝突。拮抗していればそのままだが、もちろん力が一定でないのなら――。
「!!!」
それらを突き破ってネルに紅蓮の炎が竜巻となって襲い掛かる。
「がふっ……。ぐっ、うがっ……」
巻き上げられたネルの体はとても軽い。そのまま垂直に落ちてゴロゴロと転がっていく。
痛みが走ったのは最初だけだ。それでも、痛みは確実に彼女の脳に蓄積される。
(流石に……もう立てないでしょ)
これ以上、ネルの体が痛みに慣れると今度は脳にも後遺症が出るかも知れない。儀式はこれ1度きりだけではない。時間と場所が固定できれば、満月が出る度に実行すればいい。
ミリアはそう思い、ネルにもう止めるように言おうとした。
その瞬間――。
「っ!!!」
来たのは衝撃。
そして、眼前には刃を振り下ろしていたネルの姿。それで……ミリアは初めて自分が斬られたのだと理解した。
「っ、うああああああっ!!!」
その時のネルは涙を流していた。
本当なら慕っていた人物を斬りたくはない。例え別空間に飛ばされたとしても、家族のように慕ってきた人を斬りたくはない。
優しさがネルに生まれていた。そんな変化を嬉しく思ったミリアは自然と笑い彼女を抱きしめた。
「成長したね、ネル。……今の貴方なら、私の魔法を使っても平気そうだ」
ミリアの魔力が抱きしめたネルへと流れていくのを感じる。それで、儀式が成功したのだと分かった。
「うわああああああん!!!!」
恐らくは初めて大声で泣いた。声が枯れてしまうのかと思う位に泣き続け、彼女達は元の場所へと帰って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何故、こうなったのだろうかとリーガルは自分の行動を思い返した。
様子のおかしいミリアの後をつけ、途中で姿が見えなくなった。自分の体力の無さに嘆きつつ、気付いたら王都の外に出ていた。
今日ぐらい野宿していい。
その準備は整えていたからと、背負っている荷物を持ち少し離れた場所に大森林があったのを思い出す。歩いてもそんなに遠くない。
だが取り押さえられ、無様に地面に顔をこすりつけられた。夜盗かと思ったが聞き覚えのある声に(何故……)と思わずにはいられない。
「ジーク、もう手を離して。リーガルが可哀想だよ」
「すみません、つい……」
思わずついで人を取り押さえるのか、と言いたくなったが口には出さない。気付けば彼の周りには護衛のバラカンスとクレール。魔法師団師団長のレーナスと副師団長のラーファル。
果てまで兄のバーナンに、スティングとリベリー。思わずいつもウィルスの傍に居るであろう人物達が居て……思わず開いた口が塞がらなかった。
(えっ、なにこれ……)
何でこんなに人が集まっているのか、リーガルには理解出来なかった。
しかし、そんな彼を無視してレントは楽し気に告げる。
「隠し事をしたお嫁さん達には……きつ~いお仕置きが必要だと思わない?」
ゾクリ、とリーガルは本能的に寒気を感じた。
笑顔1つでこんなにも、迫力があり人を従わせてしまうのか……。
思わず「そう、ですね……」と同意したリーガルに満足気なレントは、彼を連れて大森林の中へと入る。
実に楽しそうなレントとは違い、リーガルはダラダラとみっともなく汗を流すと言うだらしない姿を晒していた。




