第97話:別れ
ーウィルス視点ー
朝、アッシュが倒れてからかなりの時間が経っている。今は落ち着いており、紅茶を飲んで談笑していた。そこに飛び込んできたのはリベリーさん。
ナーク君が突然倒れたんだと聞いて血の気が引いた。
「大丈夫です。今、呼吸を落ち着いていますし、暫くすれば起きてきますよ」
自分もそうだった、と言い恥ずかしそうに頬をかくアッシュ。ほっとして胸を撫で下ろし、椅子に座る。どっとした疲れは安心からなのか、心配し過ぎだからなのか分からない。
慣れない事をしたからなのだろうか?
「姫さん。悪いんだが、ナークを頼めるか?」
レントの所に行くと言ったリベリーさんに「お願いします」と言う。すぐに姿を消したリベリーさんに、アッシュは驚いたように目を見開く。
「彼、は……」
「リベリーさん。頼りになる人です」
そう言ったらアッシュは悲しげに目を伏せ「そう、でしたか……」と苦しげに言いナーク君の事を見る。ぴとっと、彼の手はナーク君の額に触れている。今は落ち着いているが、さっきまで熱を出して苦し気にうなされている様子だったんだ。
カーラスは手がひんやりとして気持ちが良いから、氷枕の代わりになるかも知れない。
私が熱で倒れたりした時によく額に手を当ててくれた事がある。あの時、本当に気持ちがよくていつまでも「いて……?」と言っていたのを思い出す。
………うん、我ながら恥ずかしいお願いをしたと思う。
でも、カーラスはそれを笑って「良いですよ、姫様」と言ってずっと傍に居てくれた。
(誰かが傍に居てくれると言うのは安心できる。……寂しくても近くに誰かが、自分の信頼出来る人が居ると分かるのは嬉しいものね)
それからアッシュは使っていた部屋を出て行ったんだ。何でもナーク君に合う薬を作ってくれると言う。アッシュ自身はもう平気なのかと聞いたら彼は笑顔で「大丈夫です」と言った。
その時の顔は昔のカーラスの笑顔と被った。だから思わず反応が遅れたんだ。
そんな戸惑った反応をしている内に、彼はすぐに準備に取り掛かる様に出て行ってしまった。
「………」
記憶を取り戻したのだろうか。
そう聞ければ良かったんだけど、ナーク君が途端に苦し気に呻くから思わずそちらに視線を向けてしまった。
「うくぅ……。がう………ち、がう……」
熱にうなされて怖い夢を見ているのだろうか。
彼の手を取りぎゅっと握った。握り返さなくても良い、傍に居るからと私は強く握りしめた。
ぐっ、とナーク君の手が応えるようにして握り返してくれた。少しだけ表情が和らいだ。
汗を拭う間、ナーク君はずっと手を握り返したままだ。それでもいい。反応が返ってくるのは私としては嬉しい。
ただ。
時々、やめろと言う彼の声が気になった。夢の中でも何かと戦っているのかと不安になった。
「ナーク君、大丈夫?」
うなされている彼には聞こえないのかも知れない。でも……言わずにはいられなかった。こんなにも苦しそうに、夢の中でも何かと戦っている彼が心配で凄く怖かった。
「……い。……こ、わい………」
「っ……」
それは、私の中で初めて聞いたナーク君の言葉。
怖い、とはっきりと彼は言った。
そんなに不安にさせる何かを、彼は夢で見せられているのだろうか。だから、こんなにも苦しそうに熱にうなされている。
「ナーク君……」
そっと、寝ている彼のベッドに潜り込む。
ピタリと彼の事を抱きしめる。いつもぎゅうぎゅうに抱きしめるけど、今日は軽くにする。
病人と言うのもあるけれど、今日の彼は小さな子供みたいに何かに恐れて逃げている。
あやすように、ちゃんと傍に居るよと分かるようにと彼の背中を叩く。
ポンポン。優しく、起こさないように、痛くないようにと叩く。そうしていたらうっすらと目を開けるナーク君の瞳が私に気付く。
「主………」
「ナーク君、大丈夫?」
それから彼は私の事を抱きしめ返した。
その時の彼は本当に様子がおかしかった。離れたくない、壊したくないという気持ちが伝わる様に強く抱きしめて来たんだ。
そうして、ポツリと小さくだけど私の耳にははっきりと聞こえたんだ。
大好き……と。
「うん。私もだよ♪」
嘘でもなく本当の言葉を言った。
ナーク君はそれから嬉しそうに笑って小さく「ありがとう」とお礼を言って来た。それからナデナデと頭を撫でているとコホン、とワザとらしく咳ばらいをする声。
自然とサァーと、血の気が引くみたいになった。
ぎこちなく振り返ると……アッシュが気まずそうにしながらも、しかしその目が何をしているのか? と言う風に聞こえ、おずおずとベッドの中から出る。
「今、安定剤を飲ませました。幻覚を見ていた可能性もありますから、それ等に対して耐性を付けられるようにしました」
「………はい」
ちょこん、とアッシュの隣に座りながらも顔は上げられない。
声色的に……怒っているような感じに思えたからだ。
そう。私が小さい時に色々と遊び回って、怪我をした時に軽く叱るようなそんな感じの視線とプレッシャー。
「ウィルス様も寝て下さい。私と彼の事を診ていたんですから、体に疲れが溜まっているでしょうしね」
「ううん。大丈夫だよ」
「………」
何故かジト目で見られてしまった。
本当に大丈夫だと訴えていると、ポスンと私が寝させられた。
(ん……?)
何故、アッシュの顔が真上に見えるのだろうか?
部屋の天井が見えるのを見て、自分がアッシュの膝の上に寝させられている事に気付く。
今更ながらソファーだったと気付き、どうしようと視線を泳がせる。でも、アッシュは絶対に寝かせる気満々と言う風に見え……既に負けた感じがある。
「あの………」
「はい。なんでしょうか」
言いながら、アッシュは何故だかあやす様な手付きで頭を撫でてきた。キョトンとしている間にも、彼は変わらないスピードで撫でて来る。
「………」
えっと、これはどう返したら……。
うーんと考えていると段々と瞼が重たくなってきた。うぅ、どうしよう。アッシュの思惑にハマってしまう気がする。
「疲れているんですから休んで下さい。倒れてしまうと心配する人達が居るのでしょ?」
「アッ……シュ……」
「カーラスと、呼んでください」
えっ、と驚いた。
瞼に手を置かれてしまったら、そのまま寝てしまいそうな感じ。でも、今、寝たらダメだとなんとか耐える。
「2人で居る時にでも呼んで下さい。力になりたいのです」
「ち、から、に……?」
瞼を重くしないようになると、今度は口がちゃんと動いているのかが怪しくなってくる。言葉を気にしていたら瞼が。瞼を気にしていたら言葉が上手く出て来なくなってきたんだ。
「大丈夫です……私は傍にいます」
「カー……ラ……ス」
思わず出た言葉。何故だかクスリと笑われて「なんですか、姫様」と懐かしいと感じた。そんな気持ちのままいつの間にか眠りについてしまったんだ。
「私は……貴方を裏切りませんからご安心を」
優しく髪を撫でる手付きはバルム国でよくカーラスにやって貰ったもの。なかなか寝れなかった時、カーラスから撫でで貰うと凄く安心出来たんだ。
不安に駆られたのに、快眠作用があるのではと思う程ぐっすりと眠った記憶がある。
そんな、懐かしい記憶と共に私はぐっすりと眠ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ーレント視点ー
ナークが倒れて数時間が経った。
あれから私達は城の周辺を調べるだけでなく、王都へと情報を探りに行った。
「おーい、弟君」
リベリーが私の隣に降り立ち「ちょっと良いか?」と聞いてきた。エリンスはラーグレスと行動をしており、夕方に城で落ち合う約束をしてきた。
ナークが起きた事。今は、ウィルスとアッシュとでいると聞き、ほっとした。
彼が血を見ただけで倒れた事が引っ掛かると話せばリベリーも同意見だと頷く。
「そうそう。姐さんとスティングの居場所分かったぜ」
「本当!?」
思わず掴み掛かった。
ウィルスの護衛として付いてきた2人。ナークがウィルスの傍に居たのに2人の姿はなかった。別の場所へ飛ばされたのなら、連絡はくれる筈。
何か理由があるのだろうか……。
「魔女達の隠れ家に居るんだとよ。さっきギルダーツ王子から聞いたから間違いない。拠点が多いから、移動しまくってるって話だ」
「……合流するのには危険、だね」
魔獣がこの国に来たのが偶然か作為的かは分からないが、1度来たと言う事は2度目もあると言う事。リグート国で起きなかったのは、魔獣にさせられたのがナーク1人だったと言う事。
リベリーも私と同じ意見。そして、彼は魔獣の憑依か材料にさせられている人間をどうにかするべきでは? と言って来た。
「姫さんがここで結界を修復する為に魔法の訓練をしているのは分かる。だが、ここで閉じこもってたら魔獣の数は増えていく一方だ。下手すれば日陰の内にちょこちょこ襲う、なんてのもあり得るぞ」
「…………」
彼の言っている意味は分かる。
私達がここにいるのは、ウィルスがこの国の結界を修復する為だけにいる。この国から動けない以上、外から来る魔獣の数は増えていく可能性はある。前は10体程だが、次に来るときは倍になっている。
もしくは国を囲んで来る事もあり得る。
では、ルベルト王子を襲った者の目的はなんだ?
ギルダーツ王子は何か証拠になりそうな物を見付けた可能性があると言った。つまり、憑依された人間の身元が分かるようなものを見付けて襲われた。
だから、襲われた場所は破壊された。
証拠があっても瓦礫と紛れるように……。
「ボクが行く」
そこにナークが私達の会話に入ってくる。
後ろからウィルスとアッシュの姿が見えてくる。思わず「良いの?」と私が確認の意味で聞いたら彼は頷いた後に理由を告げた。
「お願い、行かせて欲しいの。探るのはボクが行く。主にも……ちゃんとお別れを言ったから」
真剣そのもの目に、何を言ってもダメかと思い溜め息を吐く。
追いかけてきたウィルスを見ると「行かせて、欲しいんだ……」と今にも泣きそうな声に、私はどう言えば良いか分からない。
ナークはそこで、震えそうな声で私達に告げた。
何故、ウィルスの傍に離れないといけないのか。自分が今、離れないといけないのか……。
聞かされた内容に私達は驚かされるばかりだった。




