きっかけ
はっとして起き上がる。
また、気分の悪い夢を見た……。とても現実味が帯びて、なのに自分が自分でないようなそんな気分。
ぐっしょりと濡れた自分の体。またうなされていたのかと考え、すぐにシャワーを浴びる。
「………誰かを、刺した……のか」
生まれてから誰かを刺した、と言う事はない。
そんな感覚、自分は覚えていない。だが、と記憶を失う前ならどうなのか。
「私は……私、なのか?」
意味のない自問。
答えられるのは、自分だけ。
記憶を失う前の自分と失った自分。
ディーデット国に、ルベルト王子に拾われてから既に5年ほど。
未だに記憶の戻らない自分。
最初はイライラとしていた。何故? 自分が何処の誰なのか、何で失ったのか。
しかし、魔法を扱える事を知り研究に没頭していく内に、思い出さなくても良いのかも、と思う自分がいる。
この国は大らかで親身になる人が多い。
そう、思っていた。彼女が来るまでは。
「あの方だけは……裏切っては、いけない……」
何故だか、そう思った。
拾ってくれた恩もあるのに、それよりも自分が優先にしているのは彼女の事だけだった。
「ウィルス様………。何故、こう……呼べないのだろうか」
アッシュは酷い顔をした自分の顔を見る。
酷く、疲れ切った表情……。そう言えば、昨日は薬の調合も含めてかなり遅くまで働いていたなと思い研究科に向かうのを遅らせようと思った。
第3魔法師団は研究熱心に動く者達が集まるからか、働く時間は特に決められていない。好きな時間に入り好きな時間に帰る。
一度、研究が始めると、いつの間にか翌日なんて言うのはよくある。
ルベルト王子にはそこを注意され、何度仕事を中断させられたか。
「ふふっ。ホント、退屈しない所ですね」
幾分か、気が楽になった。
今、行けば気分はスッキリ出来ているかも知れない。そうだ、と1つ思い出したことがある。
アーサー師団長から貰ったハーブティー。
気分も落ち着くし、女性はこういったものを好むと聞いている。贈り物と言う訳では無いが、これを渡せば彼女はまた笑顔で応えてくれるだろう。
そう思ったアッシュの足取りは、いつもよりも軽いものになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は、やけに城の中が騒がしいなと思った。
行き交う騎士、伝達係の者、城で働く人達は自分を除いて妙に顔が険しい。
(何が……)
戸惑った様子でそれらを見ていたアッシュ。
急いで仕事場まで行き、いつものように「おはようございます」と挨拶をしようとした。
ピリッとした空気を感じて発さずに入れば、自分に気付いた様子のウィルスと目が合う。
いつも綺麗な笑顔を見せる。
癒されるような笑顔が、今日は悲しみに瞳を揺らしていた。
「アッシュ……アッシュ!!!」
自分の仮の名を呼ぶ、彼女の声は引き裂かれるような痛みを覚える。ただ、今日はそれだけではないと直感した。
「ルベルト、お兄様が……お兄様が……」
まるで自分の事のように、自分以上に痛そうに訴える。城の人達の険しさと関係があるのだと思い、アッシュはウィルスと同じ目線になる。
しゃがみ込み、何があったのかを彼女の口から聞いた。
「ルベルト、様が……」
何者かに襲われ、今も行方不明だと知らされた。
ここに来るまでに険しかった人達の表情を思い出す。第2王子の所在を少しでも掴もうと躍起になる。
内部の犯行、または裏家業の人間の手によりものかは分からないが……ルベルトが襲われた事で王族の警備もいつもより厳重になると言う。
「……貴方、も、制限されるのですか?」
「そう、かも知れない……。アッシュも気を付けて?」
ズキリ、と胸に言い表せない痛みが走る。
思わず胸を押さえると「アッシュ……?」と気遣う声色。触れた手は少し震えている。
聞けばルベルトと別れるギリギリまで話していたと言う。その後、部屋まで送って貰ったのだと。
「襲われたのは……その後、みたいで……」
ポタ、ポタ、とウィルスの目には涙が流れ出ている。
拭っても拭っても、溢れてくるそれらは留まらない。
そっと、アッシュは彼女の頬に触れる。
涙を抜く仕草にウィルスはされるがままだ。そうして落ち着いた頃、アーサーに声を掛けられる。
「アッシュ。今日はもう仕事はなしだ。……君も結構酷い顔してる」
「わかり、ました……」
「ウィルス様。貴方も今日は部屋で休んだ方が良いですよ」
「……はい」
そうして2人は部屋から出される。
そう言えば、とアッシュはレント達の姿がない事に気付く。いつもなら誰かしら付いていると、不思議に思っているとウィルスが答えてきた。
「レント達は、ギルダーツ様と……現場にいるの」
「そうでしたか」
では部屋に送りますね、とぎこちなく笑顔を返す。ウィルスも同じように笑顔を返す。
ドクンッ、とアッシュの頭の中で何かが流れてくる。
それは若い自分が誰かと話している。
今では考えられない程、その笑顔には敬愛を含み大切にしている誰か。
「カーラス。また氷を出して。キラキラ光るの好きなの」
酷く懐かしい、声。
自分と思われるの人物は手のひらから氷を生み出す。
丸い氷は太陽に反射して、キラキラと宝石のように輝いている。ピキッ、ピキッとヒビが入れば形を成して小さな騎士が出来上がる。
ギギギ、とぎこちなく動く氷の騎士。
目の前の少女に手渡した瞬間。嘘のように背筋を伸ばし、キリッと礼をする。
「わぁーー。かわいい♪」
ちょん、ちょんと指でつつく。
その騎士は照れたように、プイッと顔を逸らす。渡された彼女は飽きもせずにずっと触っている。
それを見て、喜んでいる自分。
守らないといけない、笑顔。
知っている、この感覚を。
知っている、声とはっきりしてきた顔立ち。
好きだと言った氷に負けない位に、彼女の笑顔もまた輝いている。
今までぼんやりとしていたのに、段々と見えてくるようになった。
「凄いね、カーラス!!!」
明るく笑いかけるのは……濃い紫色の瞳に、薄いピンク色の髪をした──。
「うっ……!!!」
頭の痛みが酷くなる。
あまりの痛さに膝を折る。ズキン、ズキンと自分の体を強烈な痛みが走り抜けていく。
「アッシュ…!! アッシュ、しっかりして!!!」
呼ばれる名前に疑問が浮かんでくる。
(……がう。……ち、がう。……私は、私は……!!!)
そう、呼んで欲しくはない……。
プツンと彼の意識はそこで途切れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「酷いな……」
エリンスがそう言うのも無理はない。
襲われたとされる現場は原形すらなかったからだ。
ルベルトが襲われたとされる場所は憑依された人がいた。未だに目が覚めず手がかりがない時に、大きな音と共に部屋ごと壊れたのだ。
魔物が街を蹂躙した後は酷い有様だ。
壁は突き破られ、中の物はぐちゃぐちゃな状態。
ルベルトが襲われた場所はそれに赤黒い染みが多かった。
血液なのは調べていた第3魔法師団の者達からの報告で分かっていた。が、問題なのはその量だった。
元の床の色以上に、赤い染みが覆う。赤い絨毯と呼ぶには、吐き気のするような光景だが1人分の血の量にしては多いと判断出来た。
「複数の者だな。少なくともルベルト王子以外に誰が居たって事だろ」
「魔獣に憑依された人達が居た部屋だと聞いたよ。もし、憑依された人達が再び魔獣になったのなら」
「レント」
思わずエリンスはレントの肩を引き寄せる。
その目には「止めろ」と言う感じで訴えていた。しかし、ギルダーツが「続けて構わない」と、再度レントの意見を聞く姿勢になる。
「……可能性はある、と言いたかったんだ。」
「ルベルトが俺に念話で連絡をしようとしていたんだ」
ポツリ、とギルダーツが言った言葉にレント達は耳を傾け同時の周囲を見る。居るのはレント、エリンス、ラーグレス。入口付近にはリベリー、ナークがおり2人は同時に頷いた。
自分達だけ、と言う合図。
ギルダーツにもそれが伝わっていたのだろう。
レント達に昨日の出来事を伝えたのだ。
ルベルトはここで何かを見付け、自分に知らせようとしていた事。
その時に「氷」と言う単語を言っていた事も含めて伝えた。
内部の人間が自分達の事も含めて見張っているのであれば、今は城の人間を信じるのも危うい。誰が見ているのか、誰が主犯で動いているのかが分かれば対策は幾らか出来る。
「氷………」
ラーグレスはそこから考え込み唸っている。
その時、バタンと何かが倒れる音が聞こえた。慌てて聞こえた方に目を向ければ、リベリーが必死で「ナーク!!!」と叫んでいるのが見えた。
「おい!? どうしたんだ、急に!!!!」
ナークは自分の胸を抑え込み、必死で息を吸おうとしていた。でも、上手く口が動かせず過呼吸にも似た症状に、ギルダーツは指示を飛ばす。
「あの、女……絶対に、許さない………!!!!!」
思わず何で……とナークは思った。
自分の頭の中で響く声は聞いた事がある声だったからだ。
ウィルスを一方的に敵視し、自分の隣にレント王子がいるのが当然だと言う態度。
リナール・ウェラ・リグート。
金髪の髪が特徴の、ウィルスを痛めつけた令嬢。何で、ここで彼女の声が聞こえてくるのか……。
疑問に思うようにナークの意識は沈んでいった。




