初恋
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愚図ついた梅雨の季節を抜けたのか外の空気は心地よく、遠くの空にはもこもこと大きな入道雲が出来ている。高校生活で二度目の夏だ。空気を入れ替えるために開けた窓を閉め、顔を洗うために洗面所へ向かうと、台所の方から、子気味のよい包丁の音が聞こえてくる。
「おはよう。眠そうだな。さてはお前昨日の夜抜いたな?」
にやけ顔でくだらないことを言っているのは幼馴染の小田茂だ。当たり前のような顔で台所に立っている。
「抜いてねぇよ。てかなんで家にいるんだよ」
「おばさん、今日仕事早くいかないといけなかったらしいから今日の朝ご飯頼まれたんだよ」
母さんのやついつの間に連絡先を交換したんだろう。家庭の事情で普段から料理をしている小田は手際よく朝ご飯を作っている。
「なあ、なんか多くないか?」
そこには二人分にしては少し多いくらいの朝ご飯が並んでいた。
「ああ、せっかくだから夏樹も呼んで三人で食べようと思ってな。夏樹のおばさんにも連絡しといた」
「そういうことか」
「おお、そういうことだから、夏樹のやつを呼んできてくれ」
俺と茂と広瀬夏樹は小学校に入る前からの幼馴染というやつだ。家から家までの距離ほとんどない。ご近所付き合いというものがめっきり減ってしまった昨今ではあるが、俺、小田夏樹の三人は同い年ということもあり、自然と小さい頃から遊ぶことが多く、家族ぐるみで仲が良かった。夏樹の家に着き、インターホンを鳴らすと、夏樹のおばさんが出た。どうやら夏樹はまだ寝ているらしく、起こしてやってほしいとのことだ。
小さいころから小田と夏樹に家に遊びに行くことはよくあったけれど、彼女の部屋に入るのは初めてだった。
「起きろよ。朝だぞ」
いったい何の夢を見ているのか、幸せそうな顔をして眠り続けている。このままにして置いたらいつまでも寝続けそうな勢いだ。腕には、いつだったかの誕生日に小田と一緒にプレゼントしたぬいぐるみを抱えている。たしか、夏樹が好きだったアニメに出てくるキャラだったか。大福みたいな形をしたそれを夏樹から引きはがそうとすると、結構な力で腕をつかまれベットの中に引きずり込まれた。とっさのことでうまく抵抗することが出来なかった。腕の中に入ってきたのがぬいぐるみではないことに気が付いたのか、夏樹は眠たそうに薄く目を開け、瞬きを2,3回繰り返した。
「何してんの?」
「こっちのセリフだよ」
17歳にもなるのに夏樹の声色には思春期特有の男女間に見られる恥じらいなどなく、ただただなぜこうなっているのかという疑問だけがあった。顔と顔がくっつきそうなほど近くにいるのに、全く動じていないように見える。こっちは心臓が張り裂けそうだった。
夏樹をただの幼馴染として見ることが出来なくなったのはいつ頃だったろうか。夏樹のことをもっと知りたい。夏樹にもっと自分を知ってもらいたい。夏樹に優しくされたい。夏樹に優しくしてあげたい。夏樹に触れられたい。夏樹に触れてみたい。ふとした瞬間に夏樹のことを考えている自分がいた。
夏樹を連れて家に戻ると、三人分の朝ご飯が完成していた。焼き魚に納豆、白米に味噌汁民宿の朝ご飯のようだった。共働きの吉田家ではよくあるトースト一枚が机の上においてあるという殺伐とした感じはなく、あったかい雰囲気がそこにはあった。
「おはよう。朝ご飯おいしそうだね。茂が作ったの?」
「おうよ、女子ウケを狙うためにはやっぱり料理ができないとな」
嘘だと思った。茂は嘘をよくつく。相手に気を使わせないための嘘だ。茂が料理上手なのは一人で茂たちを育てているおばさんの力になるために小さいころから家事をしているからということを俺も夏樹も知っている。
「いいね、茂は女の子のことを考えているときが一番輝いているよ」
「そんなに褒めるなって」
「茂、褒められてないぞ、だいたい料理なんていつ披露するんだよ、家に呼ばないとまず料理なんて出せないだろ」
「細かいことはいいんだよ、なんだってできないよりできるほうがいいだろ」
屈託のない笑顔で茂は笑う。
「まあそうだな」
「そういえば、克洋が昨日夏樹で抜いたらしいぜ」
「かつひろぉー、どんな想像で抜いたの?この、むっつりスケベ」
小田の悪ノリに夏樹が乗っかって楽しそうにニヤニヤ笑っている。明らかにセクハラ発言だが、夏樹が不快に感じてないのであれば問題ないのだろうか。セクハラかどうかは言われた側の受け止め方次第らしいし。
「だから、抜いてねぇって、夏樹はもっと恥じらいを持てよ。朝のこともそうだけど」
「ちなみに、オレは夏樹で抜いたことあるぜ、ってか、朝のことってなんだ?」
さすが、茂だ、気持ちいいぐらいさわやかな表情で、気持ちの悪いことを言ってのける。
「しょうがないよね、私が魅力的すぎるだけなんだもんね」
話を聞いていない夏樹は、薄い胸を張って誇らしげな表情だ。魅力的という言葉の意味を知っているのだろうか。でも、まあ夏樹が幸せそうに笑うとこっちまで幸せになる気がするからいいか。
「もういいよ、お前はそのままで」
「なあ、朝のことってなんだよ?」
茂がしきりに朝のことを気にしていたけれど、何があったかは、言ってやらなかった。朝からくだらないことを言った腹いせだ。他意はない。のらりくらりと小田の質問をかわしながら、朝ご飯を平らげ、学校へと向かった。
「吉田ってさ、花火大会行く?」
午前の授業を終え、そう聞いてきたのはクラスメイトの高橋香澄だった。彼女とは、委員会が同じで、何度か頼まれた仕事を一緒にこなした仲だった。以来、朝会うと挨拶をし、他愛のない会話をする顔見知りだ。
「ああ、多分、小田と夏樹の三人で行くと思う」
毎年、7月の中旬に行われる花火大会は、川沿いで行われ、立ち並ぶ出店と多くの人で町が賑やかになる。小学生の時から、三人で花火大会に行くのが恒例になっていた。
「そっか、あたしも行くと思うから、見かけたら声かけてよね」
彼女は、人当りのよい笑顔を浮かべ友人の中へと帰っていった。こういう時の「声をかけてね」というのは、単なる社交辞令的な話なのか、本当に声をかけたほうがいいのか迷ってしまう。
「で、克洋はオレたちと行くからって断ったのか?」
「ああ、いつもそうしてるからな」
「まずいですね、夏樹さん、こいつ何もわかってませんね」
「まずいですね、茂さん、これが噂の鈍感系ってやつですかな」
放課後、高橋さんから聞いた話を茂と夏樹にすると、彼らは俺にかわいそうなものを見る目を向けた。
「なんで、高橋さん一緒に行く?って言えないんだよ。せっかく誘ってくれてんのに」
「なんでそうなるんだよ。一緒に行こうなんて言われなかったぞ」
全くわかってないとでも言いたげに、小田は大きくため息をついた。
「お前はそうやって気づかないうちに出会いを逃していくんだろうな。今からでも遅くない高橋さんを誘え。そしてお前は高橋さんとラブコメをしてこい。そして死ね」
小田の声にはかなりの黒々とした怨念めいた感情が籠っていた。目が三角になっている。
「なんで死なないといけないんだよ。俺は最初から三人で行くつもりだったよ。夏樹は他の誰かと行く約束してるのか?」
茂は聞くまでもなく予定はないだろうから夏樹にだけ聞いておく。
「してないよ」
「じゃあ決まりだな、今年の花火大会も三人で行こう」
「オレの予定は聞かないのかよ」
「いいね、私、浴衣着ていこうかな、克洋は浴衣もってたっけ?」
「持ってないな」
「ねえ、オレの予定は、聞かないの?」
「じゃあ、一緒に買いに行こうか?」
「次の週末が花火大会だからな、浴衣はパスで」
「ねえ、オレの予定………」
この後、ヤケになった小田が高橋さんを花火大会に誘い「あたし、友達と行くから」と断られていた。小田は何がしたかったのだろう。そんな茂を見る夏樹は少し不機嫌に見えた。
夏樹を目で追うようになってから夏樹もまた茂のことを目で追っていることに気が付いた。最初はそれが何なのかわからなかったけれど、茂が女の子と話していると不安そうな表情をしたり、茂を思いつめたように見つめてみたりと、「夏樹は茂に恋をしているのだ」と形にしてみるとしっくりきた。
あっという間に平日が過ぎ去り、花火大会当日となっていた。待ち合わせ場所は、俺の家ということになっていたので、外出ができる準備すると、リビングで茂と夏樹が来るのを待っていた。集合時間の10分前にインターホンを鳴らすことなく入ってきたのは、茂だった。どんな服装で行くかは聞いてなかったけど、てっきり、 Tシャツ、短パンのガキ大将スタイルとかで来ると思っていた。しかし、茂は、紺色に落ち着いた刺繍の入った甚平に下駄と風情があった。馬子が衣裳をしっかりと着こんでいた。
「どうよこれ、爺ちゃんの甚平借りてきたんだけど、なんか変なにおいとかしねえ?」
「しねえよ、似合ってるよその甚平、爺ちゃんに感謝だな」
「そうだな、克洋の分も持ってきたぞ」
小田は後ろ手に持っていたそれを嬉しそうに突き出した。一人だけ、普段着になることを気にしてくれたのか、小田は俺の分の甚平まで用意してくれていた。黒色に変わった模様の入ったそれは、持ってみると意外と軽く、着てみると風通しがよかった。
「似合ってる、似合ってる、いつもの5割増しぐらいにイケてるよ。お前に愛しい妹をくれてやろう」
小田が親指を立て、サムズアップしている。ちなみに、小田の兄弟は全員男だ。時刻は花火大会が始まる、30分前を指していた。
「そういや、夏樹はもう少し時間かかるみたいなこと言ってたぞ」
小田は自分の家の冷蔵庫のように家の冷蔵庫を開け、麦茶を飲んでいる。
「そうか、夏樹の家によって来たのか?」
「ああ、なんかバタバタしてたから、玄関から聞いたらもう少しかかるって言ってた。安心しろ、まだ夏樹の浴衣は見ていない」
特に何の心配もしていないのだが。茂は煎餅をぼりぼり食べながらテレビを見ている。良くも悪くもいつも通りの茂に油断してしまっていた。
「克洋さ、夏樹のこと好きだろ」
あまりにも唐突だった。疑問形ではなく、決めつけのように感じるほど強い断定だった。茂はこっちを見ることもなく、テレビを見ながら煎餅を食べている。もう少し気を張っていれば適当にはぐらかすこともできたのかもしれない。
「ああ」
思っていたよりも自然に声に出た。そういえば、茂は周りのことをよく見れるやつだった。誰かの変化にすぐ気づきそれに寄り添ってやれる素敵な奴だった。
「やっぱりか、そんな気がしてたんだ。でも、残念だけど、オレはそれを応援してやることが出来ない」
いつも、誰に対しても協力的な茂が協力できないといった意味は明白だった。つまり、そういうことだ。
「最初は、自分が身を引こうと思ったんだよ。夏樹と克洋はオレにとって大切な人だし、克洋になら夏樹を任せられるってな。でも、違った。克洋と喧嘩になったとしても、夏樹に正直な気持ちを伝えようってそう思ったんだ。オレはそれくらい本気だ」
いつになく、真剣は表情でそう言ってから、いつものように茂は笑った。「お前はどうなんだ」と言われているような気がした。ほどなくして、玄関の扉が開く音がした。カラカラと鳴る下駄の音は浮足立っているように感じた。
「お待たせ、ごめんね遅くなっちゃって、どう、似合ってる?」
白を基調にした色とりどりの花がちりばめられた浴衣は、言うまでもなく似合っていた。自信満々の表情、普段はしていない化粧、きれいにまとめられた髪に見とれてしまっていた。
「見違えたぞ、夏樹もやればできるんだな」
精一杯の強がりだった。意識していないと夏樹への感情があふれてしまいそうになる。
「なにそれ、リアクション薄くない?」
期待していた反応と違ったのか少しむすっとした表情でにじり寄ってくる。頭一つ分は小さい背丈から見上げるようにじっと目を見てくる。いつでも触れてしまえる距離に耐えることが出来ず、目を逸らした。
「はい、照れた」
満足気な夏樹であるが、恥ずかしかったのか顔が少し赤くなっている。いや、これはただの自分に対して恥じらいを持ってほしい、異性として意識されたいという気持ちがあるが故の希望的観測だろう。
「おおーっ、いいじゃん夏樹、浴衣にあってるよ」
トイレから出てきた茂が夏樹を見つけ、そう声をかけた。あんなやり取りがあった後でも、普段通りの茂だった。
「そうそう、そういうリアクションを待ってた」
夏樹も嬉しそうに笑っている。
「てかあれだな、なんかエロい」
「あははっ、茂そんなに褒めるなって」
エロいって言われるのは嬉しいのか。夏樹は基本的に何を考えているのかわからない。俺が言ったらゲスくなってしまう言葉でも茂が言うとそうはならない。ひとえに茂の人格がなせる業だ。
「克洋、普段着で行くって言ってたけど結局、甚平にしたんだね」
「ああ、茂が持ってきてくれたからな」
「どうよ、オレと克洋の甚平どっちがいい?」
「うーん、克洋のが好きかな」
「あちゃー、やっぱり黒だったかー」
「いや、顔が」
「顔がかよ」
何が面白かったのか、夏樹は口を大きく開けて楽しそうに笑っていた。甚平がどちらが似合っているかという話じゃなかったか。話を尻目に夏樹の「好き」という言葉に敏感になってしまう。
三人で家を出て人通りのおおいほうへ進んでいくと川沿いに屋台が立ち並んでいるのが見えてきた。会場が近づくにつれて人のにおいと屋台の油のにおいが混じった独特なにおいがしていた。もう間もなく、花火の打ち上げ開始ということもあり、川沿いは多くの人でごった返していた。一度人込みに巻き込まれると逸れてしまいそうだ。あんまりにも人が多いから、夏樹を真ん中にして三人で手をつなぐことになった。夏樹の手は、骨ばった自分の手とは違い、柔らかく、しっとりしていて何より小さかった。
「なんか懐かしいね、小さいときもこうやって三人手をつないでお祭り行ったよね」
「そうだったな、あんときはまだ夏樹が一番身長高かったのにな」
「そうだった、そうだった。姉と弟だと思われたもんな、あれは屈辱だった」
その時のことを思い出しているのか茂は悔しそうに唇をかんでいる。
「懐かしいね、あの頃のまま、ずっとこのままでいられたらいいのにな」
何気ない一言だった。「心配しなくても、ずっとこのままだ」とは言うことが出来なかった。夏樹のことが好きだと気が付いてしまったときから、後戻りはできないところまで来てしまっていた。三人でただただ黙って歩いた。気まずさが入り混じった嫌な沈黙だった。
「ちょっとのど乾いたから飲み物買ってくるわ」
俺が選択したのはこの場から逃げるという最悪手だった。一刻も早くこの場から逃げたいという気持ちを優先させてしまい、今日は、三人とも携帯をもってないことに気が付いたのは、二人と逸れた後だった。
「失敗した」この人の多さでは、連絡を取り合いながらでも合流することが大変なのに何も手がかりがないとなると状況は絶望的だった。少し行儀は悪いが、縁石に腰掛け、先ほど買ったお茶のペットボトルのキャップをいじっていると、隣に誰かが腰掛けてきた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね、吉田」
まさか、隣に座ったのが知り合いだとは思わなかった。声をかけられた方を見るとそこにいたのは花火大会に行くかどうか聞いてきた高橋さんだった。
「こんばんは、高橋も友達と逸れたのか?」
「も、ってことは吉田は広瀬さんたちと逸れたの」
「ああ、高橋は違うのか?」
「あたしは、吉田が寂しそうに座ってるのを見つけたから」
確かに、周りがカップルや友人、家族ずれで歩いているなか、一人で縁石に腰掛けているのは客観的に見てかなり寂しいやつに見えたかもしれない。
「友達の方はいいのか?待たせてるんじゃないのか」
「いいの、いいの、あたしはちゃんと携帯もってるから」
小さな手提げの中から携帯をとしだした。
「それよりもどうよ、あたしの浴衣」
その質問をされるのは、今日で二回目だ。赤色を基調とした派手な浴衣は派手な高橋さんには似合っていた。
「似合ってるんじゃないかな」
「そう、かわいいかな」
丁寧に巻かれた髪をいじりながらもう片方の手ではパタパタと顔を仰いでいる。高橋さんはそれ以降、そっぽを向いてしまった。沈黙を破ったのは、俺でも高橋さんでもなく、花火打ち上げのカウントダウンだった。3、2、1の後に打ちあがった花火は夜空に大きな花を咲かせた。毎年見ているものだけれど、やっぱり、いいものだと笑みがこぼれる。打ちあがっては消え、消えては打ちあがる花火に目を奪われていると横から視線を感じた。
「吉田はさ、広瀬さんのどこを好きになったの?」
横を見ると高橋さんが意を決したような張り詰めた表情でこちらを見ていた。花火の揚がる音が遠くに感じる。
「誰かから聞いた?」
「聞いてない、女の勘ってやつ」
高橋さんはウインクをして恥ずかしそうに顔を赤らめている。慣れてないならしなければいいのに。
「すごいな、女の勘」
「んで、どこが好きになったの?」
高橋さんは、顔をずいっと近づけてくる。分かってやっているのだろうか。
「実は、わからないんだ、わからないけど、夏樹のことが好きになってた」
「納得できない、ちゃんと説明して」
高橋さんはそこにこだわった。あと、顔をが近い。なぜ、説明しないといけないのか、怒られそうだったから言葉にはしなかった。
「テレビを見てるときとかにさ、食べ物とか出てきて、コレ夏樹が好きそうだなとか、そういえばこの前この場所に行ってみたいって言ってたなとか、気が付いたら夏樹のことばっかり考えてるんだよ。んでその考えてるときっていうのは、嫌いじゃないっていうか。こういう感情になるのは夏樹だけなんだ」
すごく恥ずかしくて、気持ちの悪いことを言っている気がする。
「なにそれ、めちゃくちゃ惚れてんじゃん」
「ああ、俺は夏樹のことが好きなんだ」
「吉田にそこまで言われるなんて広瀬さん羨ましいね」
「そんなことないだろ、高橋は結構男子から人気あるぞ、みんなかわいいって言ってるし」
クラスで高橋さんのことを好きな男子が数人いることを俺は知っている。
「ふーん、じゃあ、吉田もあたしのことかわいいと思ってるんだ?」
「まあそうだな、高橋はかわいいし、性格もいいとおもうぞ」
「でも、広瀬さんのことが好き」
「そうだな、俺は夏樹のことが好きだ。てか、何度も言わせんな」
「かわいくて性格のいいあたしじゃなくて、広瀬さんなんだ?」
「からかわないでくれ、高橋、何度も言うけど俺はなつ―」
「あたしは、吉田のことが好き」
それほど大きい声ではなかったのに、高橋さんの凛とした声ははっきりと届いた。目を逸らせなかった。高橋さんも目を逸らさなかった。
「ごめん、気持ちはうれしいんだけど、やっぱり」
「広瀬さんが好きなんだよね?でも、あたしの気持ちも知っておいてほしいなって思って。ダメだってわかっていても、気持ちだけは伝えておきたかったんだよね」
高橋さんは、目を細めて恥ずかしそうにクシャっと笑った。
「ともかくこれで一歩前進、広瀬さんは強敵だけど、吉田の気持ちを聞いてもっとあんたのことが好きになったよ」
一体、どこに俺を好きになる要素があったのだろう、考えてもわからなかった。高橋さんは「これ、貰ってくねっ」と言いながら、さっき買った飲みかけのお茶を俺からひったくっていった。大事そうにペットボトルを握っているのが印象的だった。
高橋さんと別れてからしばらく、茂と夏樹のことを探したけれど二人は見つからなかった。結局その日は合うこともなく、家に帰った。次に二人にあったのは、次の日の学校だった。
「克洋、勝手にいなくなちゃうんだもんな、結構探し回ったんだぜ、なのにお前、高橋さんとイチャイチャしてたらしいじゃん」
「イチャイチャしてねーよ、なんで高橋さんと会ったこと知ってるんだ?」
「花火の終わりの方になって高橋さん達のグループを見つけたんだよ、その時に克洋と話をしたことを聞いた」
「他には、何か聞いてないか?」
「他にはって?まさかお前高橋さんと何かあったか?」
不思議そうな表情で茂がこっちを見ている。墓穴を掘ったなこれは。
「いや、何でもない、何も聞いてないならいいんだ」
「お前が良くても俺が気になるんだが、教えてくれよ親友だろ?」
都合のいい言葉で聞き出そうとしてくる。こうなると茂はめんどくさい。
「いや、なんか、高橋さんに告られた」
いつものように面白いおもちゃを見つけた子供のように嬉しそうな表情をするかと思ったけどそうではなかった。
「で、なんて答えたの?」
「夏樹が好きだから、ごめんって」
「そうか、よかった、もし、お前が高橋さんをキープするようなことを言っていたら、俺はお前を殴ってやらなければいけないところだった」
茂の声色からは真剣さがにじみ出ていた。
「茂の方は?夏樹となんも無かったのか?」
「」
何となく、何かをしそうな雰囲気があったから、あまり驚かなかった。そうなんじゃないかという予感がしていた。
「夏樹はなんて?」
「うれしいけど、気持ちには答えられないってさ」
「きっと、気持ちにこたえたらこれまでの三人ではいられなくなる。」夏樹は茂にそう言ったそうだ。夏樹は俺のことを考えて茂の気持ちにこたえなかったのだろうか。それとも本当に「ずっとこのまま」を望んでいるのだろうか。夏樹なりのやさしさにひどく傷つけられた気がした。夏樹と茂の幸せの犠牲の上に成り立つ「このまま」なんて望んでいなかった。俺はただ好きな人に幸せであってほしい、それだけだった。
「ちょっと夏樹のところまで行ってくる」
茂にそう言い残すと、夏樹を探して校舎を走り出していた。夏樹は優しいやつだ。俺を差し置いて自分が幸せになることに罪悪感があるのかもしれない。茂の告白がうれしかったんじゃないのか。だったらなんで、自分の気持ちを伝えなかったのか、自分の気持ちに忠実であるべきじゃないのか。たとえ、三人の関係が変わってしまっても。夏樹を探して走っているのに夏樹にかけてやる言葉が全くまとまっていなかった。気が付くと見覚えのある後姿が階段を上っていくのが見えた。何人かの女子生徒と一緒だったが、この際関係なかった。
「夏樹ちょっとこい」
後ろから近寄りそのまま腕をつかんで走り出したもんだから、夏樹は目を丸くして驚いていた。
「克洋、どうしたの、ちょっと怖いんだけど、落ち着きなって」
落ち着いてなんていられなかった。
「夏樹、なんで茂の告白断った?」
夏樹は、俯いて答えない。
「嬉しかったんじゃなかったのか?」
夏樹は俯いたまま答えない。
「俺に気を使ったのか?」
夏樹は、泣いていた。ちがう、夏樹にこんな顔をさせたかったんじゃない。
「怖かったの、三人の関係が変わってしまうのが」
こんなに悲しそうに泣いている夏樹を見るのは初めてだった。
「茂のこと好きなんだろ?」
本当は違うって言ってほしかった。
「好き、私、茂のことが好きなの」
絞り出すような声でそう言った。その言葉だけで十分だった。
「ちゃんと自分の気持ちを茂に伝えてやれ。俺はお前に後悔してほしくないんだよ。自分の気持ちを押し殺してまで三人の関係を続ける必要はない。心配しなくても俺たちは大丈夫だ」
自分が好きになった相手には幸せになってほしい。一緒に幸せになれるのであればそれは本当に素晴らしいことだけれど、そうはならないようだ。そのチャンスが夏樹と茂にはある。俺には少し縁がなかっただけだ。
「克洋、ありがとね、私ちょっと用事思い出したからちょっと行ってくる」
「おう、行ってこいそれでこそ、俺の好きになった夏樹だ」
夏樹の表情には、もう迷いはなかった。最後の最後、夏樹から「茂が好き」と言われるまで、少しだけ「克洋が好き」と言われることを期待していた自分がいた。そんなことはなかったけれど、期待していた結果とは程遠いものだったけれど、後悔はなかった。
「見事に砕けたね、吉田」
そんな、慈愛であふれた目で見ないでほしかった。
「高橋、失恋って案外悪いもんじゃないな」
夏樹を、自分以外の誰かを打算抜きで本当に思いやれた気がした。そんな純粋な自分がいたことを初めて知った。それだけで十分だと思った。
「あたしの恋はまだ終わってないんだけど」
「吉田と違って諦め悪いんだ」と言って高橋さんは笑った。
貴重な時間を割いていただきありがとうございました。