黄色の花弁
暖かな春の訪れは、哀しみさえも和やかに染めてくれるようでした。
青色を和らげようとした緑色は、穏やかな気分にさせたふりをして、混ざって醜い色を残すだけに終わりました。
けれどそうして残った中に、ふわりと舞い降り広がった黄色は、ぽつりと落ちた今までの二色とは違ったものです。
混ざり合うことはなく、上から重ねて塗られることで、春らしい黄緑色という新たな色を生み出しているのでした。
醜く濁ってしまわない、色の混ざりをするのでした。
春の花弁の色の中、描かれる世界はとても美しくありました。
そして愛らしく、キュートであり続けました。
まるで愛らしくあることが、黄色であることだとでも言うように、これまでの二色の上に色付き染まりました。
哀しみだけでなく、和らいでいるのはそのキャンパスの濁った色も同じこと。
中身だって外見だって、美しく彩り、柔らかな春に染めるのです。
花弁が落ちます。舞い降ります。
春の訪れを告げるように、春の訪れをアピールするように、ひらりひらりと舞い降りています。
自分が主役であると主張するように、ひらり、ひらりひらひら……
混ざりこそしないにしても、それまでの色を活かすことは決してありません。
別の素材からなる色だったから、ぶつからなかっただけのことです。
けれどそれは今だから。
種類の少ない今だからそうあるだけのことです。
これから起こってしまう、もう手遅れが確定するときが近付きつつある悲劇のことを、避けられなくなりつつあるその悲劇のことを、まだだれも気付いていないのでした。
気付かないまま、タイムリミットは迫ってきているのです。
時間は刻々と過ぎていっています。
急がないと、濁りきってからでは、取り返しがつかなくなってからでは、もう遅いのです。
春の暖かで和やかな日差しは、それを隠して嘲笑うようでした。