朝
目の前に僕の母さんがいる。
「泣かないで。やっくんが泣いちゃうと私も泣いちゃうよ。だから、どんなに辛くても、どんなに悲しくても楽しそうにして。そして、みんなを笑顔にするような人になって・・・」
そして母さんは何処かに向かっていった。
「待ってよ母さん・・・どこに行くの?なんでまた俺のところから離れるの?お願いだから戻ってきてよ」
「戻ってきてっ―」
橘八尋が急に上体を起こした時、ゴツと低い音がした。
目の前には八尋の妹、橘楓花が頭を抱えていた。
「どうしたんだ。まさか、俺の頭突きを喰らうというアニメでも滅多にないことをやってしまったのか」
「うぅぅ、お兄ちゃんはなんでそんなに平気なの?」
「寝てたから?それよりもなんで楓花がこの部屋にいるんだ?」
「そうだった。お腹が空いたから起こしに来たんだよ」
楓花は満面の笑みで答える。
「わかった」
そして、すぐに朝ご飯を作り始めた。
家族は、母が数年前に他界、父は海外で働いていて、年の離れた兄が東京で暮らしている。つまり、家には八尋と楓花しかおらず、基本的な家事は全て八尋が行っている。
「それで、どんな夢を見たの?」
「俺が女の子に振られる夢だよ」
「お兄ちゃん、私に嘘をついても無駄だよ。どうせお母さんのことでしょ」
見事に嘘がばれ、八尋はすぐに話を変えた。
「ほれ、朝ご飯だぞ」
「はーい」
そして、二人は朝ご飯を食べ始めた。
「それで、彼女はできた?」
八尋は思いっきりむせた。
「俺の心をそんなにえぐりたいのか」
「お兄ちゃんは外見はそこそこいいのに他がねぇ」
「結局えぐるのかよ」
「本当のことだもん。そんなお兄ちゃんを許容できるのは私ぐらいだよ」
反論したいが、できない。
「お兄ちゃんがよければ私が彼女になってあげてもいいよ」
「そうならないように祈っててくれ」
そして、八尋は何事もなかったかのように食器を片付けた。
楓花は朝練があると言い、八尋は一人で食器を洗っていた。
すると、インターホンが鳴った。
八尋はめんどくさがりながらも玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは隣の家に住んでいる神楽坂陽葵がいた。
「おはよう、八尋」
「・・・・」
八尋は即座にドアを閉めた。
「ちょっと、なんで閉めるのよ。幼馴染なんだから一緒に学校に行こうとしていたのに」
すると、突然ドアが開いた。
「いいか、俺はあの時の犯人と仲良くするつもりはない」
「あの時は本当に面白かっ―っ申し訳なかったと思っているよ」
「やっぱり面白がってたか」
「そんなこと思ってないわよ。それよりもまだそんなことを恨んでいるとか馬鹿じゃないの。だから彼女なんてできないのよ」
(確かに)、と八尋は思ってしまった。それでもあの出来事は許せない。
「はぁ、今日はろくなことがない」
そして、八尋はすぐにドアを閉めた。
「はぁ、まだあのことを因縁に持ってるのかぁ。さすがにあれはやりすぎだったかな」
陽葵は去年、自分がやったことを思い出す。
その時、八尋は彼女が欲しいと聞いて、悪戯を仕掛けた。それは偽のラブレターを八尋の下駄箱に入れて外で何時間も待たせるものだ。計画は無事に成功した。だが、八尋にとってそれは心に傷を残すものだったということにその時は気づかなかったのだ。それ以来、八尋は一方的に陽葵を避けていた。
「今日は諦めるか」
陽葵は学校に向かった。