2.常連さんと風鈴草の花言葉
「なるほど...それは確かに不思議ですね...。」
コーヒーを淹れる間、私がここまできた経緯を話すと、店長さんは少し考え込んだように呟いた。
サイフォンが音を立て、液体を上に押し上げる。圧力の作用で〜と聞いたことがあるが、それでもなんだか不思議な現象だな、と私は思う。
サイフォンをじっと見つめながら店長さんは口を開く。
「率直に申し上げると、ここがどこなのか、僕にもわかりません。」
「...え?」
私は思わず顔を上げて店長さんの方を見る。
店長さんは慣れた手つきで上の蓋を取り外し、数回円を描くようにかき混ぜ、もう一度蓋をする。
「なぜわからないのかを説明するには、このカフェの説明をする必要があります。」
落ち着いたトーンで店長さんは続ける。
「どこかの街にあり、どこにでもあるカフェ、それが風鈴草なのです。どこにあるのか、それは訪れる人によって変わる。この街がどこなのか、あなたにわからないのなら僕にそれを知り得る術はありません。」
私は首を傾げながら尋ねる。
「じゃあ、どうして、私はこの場所がわからないんでしょう?」
「それこそ、僕にわかるはずがありません。だいたいは自分の住んでいた街からここに辿り着く人が多いんですけど。」
店長さんは、私に微笑みかける。
「住んでいたどころかきたこともないです。こんな真っ白な街...。」
「だから、僕にも不思議なんです。」
そう言って店長さんは、サイフォンの火を切って、もう一度蓋をとりかき混ぜる。
「はっきりしていることは、ここが『最期の場所』でもある、ということです。」
「最期の...場所?」
全くわけがわからず私はさらに首を傾げる。
「あなたは風鈴草の花言葉を知っていますか?」
「いえ、知らないです。」
「『後悔』なんです。ここは後悔を抱えた人たちが、最後に辿り着く場所。」
「後悔...。」
サイフォンの上部から勢いよくコーヒーが下に降りてくる。
私は少し考えてから口を開く。
「それってつまり...私は、死んじゃったんですか...?」
「『最期の場所』ですからそういった方も多くご来店されるのも事実です。ですが、あなたは違うと思いますよ。」
「...どういうことですか?」
「じゃあ逆に訊きます。あなたは、何を後悔しているんですか?」
「...。」
答えられない。わからない。
「だから、違うんです。それに、一応このカフェにも常連さんだっていますから。」
上から下へ。コーヒーの雫ピチョンと音を立てて落ちる。
「コーヒー3杯分、あと少しかかるのでお待ちください。」
店長さんは優しく私に言う。
「3杯...?」
私が不思議に思ったその時。入り口のベルがチリンとなる。
「いらっしゃいませ。そろそろくる頃だと思っていましたよ。」
店長さんが落ち着いたトーンで声をかける。
新しいお客さんはニヤリと笑って、
「相変わらずなんでもお見通しかよ〜。」
と、軽い口調で言った。
「相変わらず神出鬼没ですね、テンコくん。」
と店長さんもニコニコしながら返す。
私は思わず「あっ...」と、言いそうになる。そこには、私がこの街で初めて見かけた人が立っていた。あのときは後姿しか見えなったが、その人のすらりとした立ち姿はモデルのようでもあった。
「この人が先程言ってた常連さんです。」
店長さんが私に言う。
「あ、どーも。君が今日のお客さん?俺、テンコくんです。よろしくね〜〜。」
その人は、にこやかに笑って言う。
「あ、私、瑞菜って言います!テンコくんさん、よろしくお願いします!」
と私も慌てて返す。するとテンコくんは嬉しそうに目を細めた。
「テンコくんだけでいいよ〜。あと、君面白い街に住んでたんだね。全部真っ白!」
「そうなんですよ。私もよくわからないんですけどね!」
「...え?」
2人して首を傾げ合う。
また、サイフォンからピチョンと雫が落ちた。