1.カフェ 風鈴草
道に、迷っていた。
正確には、道どころかここがどこなのか、自分がどうしてここにいるのか、どこに行こうとしているのすらわからなくなっていた。
学校に行こうと家を出て、歩いているうちに全く違う場所に来ていた。人気が無く、ここがどこなのかを聞くこともできない。帰り方も、わからない。そんな状況を想像してみてほしい。
簡単に言うと、私は途方に暮れている。
これからどうすればいいのかわからない。
ただ途方に暮れて、天を仰ぐ。雲に覆われた空は灰色で、今にも雨が降り出しそうに見えた。
「急がないと。」
不意にそう思った私は、せめてどこか入る場所を探そうと歩きはじめる。不思議なことに、白い建物に囲まれたこの街は、人気がないどころか入れるお店すら見つからない。ただ、白い箱がたくさん置いてあるみたいだ
空っぽの街を、何もわからない空っぽの私が歩いて行く。
しばらく彷徨い歩いていると、ようやく少し前に人が歩いているのを見つけた。やった、とでも言いたい気持ちで、私はその人に近寄ろうとすると、その人は不意に曲がり、路地裏へと消えていった。その人が消えた路地をそおっと覗く。
少し、暗くて狭い。正直な話、不気味だ。でも、ようやく見つけた人影を、逃すわけには行かない。
奥へと進む。どこにつながっているかはわからない。けれど、奥に見える光を頼りに、私は歩いていった。
路地裏を抜けると、相変わらず白い建物が続いていた。でもその中に1つだけ、違う建物を見つける。茶色く年季の入った外観と、同じく茶色で木製の重々しい扉。思わず扉の前に近寄る。扉の前には「カフェ 風鈴草 open」と書かれた札がかかっていた。
私は恐る恐る、扉を開けた。札と一緒にかかっていた小さなベルがチリンと音を立てる。
「いらっしゃいませ。」
優しく落ち着いた声が聞こえて、私はホッと胸をなでおろし、中に足を踏み入れる。
カフェの中は人が入ってる様子がなく、私は首をかしげる。さっき見た人はどこにいったのだろうか...。まあ、ここに入ったとは限らないもんな、と私は勝手に納得する。
カウンターの一番奥に腰を下ろした私の前には声と同じく優しげな目、そしてサラサラした黒い髪と白い肌の男性が立っていた。
私は思わず目をそらして尋ねる。
「あの...ここは?」
「ここは、カフェ 風鈴草です。そして私はここのマスターです。」
マスターを名乗る男性の物腰柔らかな言葉遣いに私は安心して、この場所のことを聞くことにする。マスターさんとは呼びにくいので店長さんだな、と私は1人合点する。
「あの、店長さん。私迷ってるうちにここにたどり着いて...。この町のことも全然わからなくて。」
「なるほど...。それは大変だ。僕でよろしければお手伝いしますよ。お話、聞かせてください。」
「本当ですか!」
なんて親切な人なんだろうと私は目を輝かせる。
穏やかに店長さんは私に微笑みかける。
「オススメはブレンドコーヒーです。いかがですか?」
「そうですね...。私コーヒー飲めないので紅茶、お願いできますか?」
「オススメは、ブレンドコーヒーです。いかがですか?」
笑顔のまま同じ言葉を繰り返す店長さんの迫力に圧倒される。案外強引な人なのかもしれない。
「じゃ、じゃあコーヒーをお願いします...。」
と、私はおずおずと注文したのだった。