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あやしい少年

 生い茂る若葉に呑まれそうになりながらも僅かに残っている桜の花が、弱々しい外灯の光に照らされている。


 お日様の下で見る新緑はとてもきれいで好きなのだけれど、花見シーズンを過ぎた夕暮れ時の公園は、木々の枝から葉がすっかり姿を消してしまう冬の夕暮れに負けず劣らず寂しいと思う。


 ついこの前までの賑わいとの落差のせいで、余計にそう感じるのかもしれない。


 そんなことを考えながら、公園の小道を、わたしは足早に歩いていた。


 敷地内に森を有する広い公園の外をぐるりと迂回より公園を突っ切る方が早く家に帰れるから、小学生のころから毎日、池沿いのこの小道を通るのが習慣になっている。

 肩からずり落ちそうな鞄の肩紐をかけなおしながら、学校でもらった一枚の用紙のことを思い出して、わたしはため息をついた。


『進路希望調査票』


 みんな、わたしが高校に進学すると思ってる。

 さゆり伯母さんも、当然進学するものだと考えてるのがわかる。

 そして、高校は卒業しておいたほうがいいということも、もちろんわかっている。


 でも、わたしは迷っていた。


 両親を失って、お母さんの妹であるさゆり伯母さん夫婦にひきとられて五年。

 伯母さん夫婦はわたしを自分の子どもたちと同じように育ててくれた、とても優しい人たちだ。


 だからこそ、これ以上迷惑はかけられない。


 それに、わたしはどうしても高校に進学したいとは思えずにいた。

 けれど就職という選択もまた、できずにいた。


 不意に、お腹がきりきりと痛み始める。


 いつものことだから、いちいち足を止めたりなんてしない。耐えられない痛みじゃない。


 大丈夫。


 そっとお腹を制服の上から押さえて、少し前かがみになりながら、うつむきがちに足を前へと運ぶ。


「おい!」


 突然、大きな声が公園に響いた。


 わたしは驚いて立ち止まり、顔を上げてあたりを見渡したけれど、どこにも人の姿は見当たらない。


 わたしが呼び止められたんじゃないのかな……?


 もう一度視線をめぐらせると、「あんただよ、あんた」という声が頭上から降ってきた。

 

 あんたって、わたし?


 見上げると、大きな桜の木から小道の上に張り出した枝のつけ根のほうに、男の子が座っていた。

 幹に背を預け、片膝を立てた状態でこちらを見ている。


 薄暗がりの中、その顔はよく見えない。その声にも、聞き覚えはなかった。


 ふたりのあいだを風が吹き抜け、彼の髪をさらりと揺らす。

 枝に残っていたわずかな桜の花びらが、幾枚か風に運ばれて薄暮に消えた。


「だ……誰?」


 わたしは擦れた声で問いかけた。

 けれど少年はそれに答えず、高さ数メートルはある枝の上から、体重を感じさせない軽さでふわりと宙に身を躍らせた。

 彼が羽織っているシャツが、空気をはらんでふくらむ。


 少年は驚きに目をみはるわたしの前に、華麗に着地した。

 同じ地面の上に立つと、少年は随分と長身なことがわかる。


 歳は十代半ばくらいに見える。

 右手に火のついていないオイルライターを持っていて、それを手の中で器用にくるくると回しながら、ちょっと困ったような表情でわたしを見下ろしている。


「あの、な、なにか用ですか?」


 わたしは警戒しながら、数歩後ろに下がった。

「あんたさ」


 少年の声に、なにを言われるのかと身構える。


「はっ、はいっ!」

「あのさ、大丈夫なのか?」

「……え?」


 予想外の言葉に、わたしは一瞬なにを訊かれたのかわからず、反射的に疑問符を投げ返していた。


「だからさ、大丈夫なのかって訊いてんの。なんかすっげー具合悪そうだからさ」  


 少年がもどかしそうに頭を掻きながら言う。 


「具合……?」

「そう」

「わたしの?」

「だからそうだって。おれの調子が悪そうに見えるか?」


 問われてわたしはぶんぶんと首を横に振った。

 この少年は、とても元気そうだ。


「だろ? だからあんたのことだよ。調子悪いなら、少し休んだら?」  


 思ってもみなかった展開に、わたしは目の前に立つ見知らぬ少年をまじまじと見つめてしまう。

 つまり、この少年はただの通りすがりであるわたしの体調が悪いことに気づいて、心配してくれたとてもいい人……ってこと?


「あ、ありがとう。でも、家まで近いから、大丈夫」

「近いっつったって、まだ少し距離が――」


 少年が不意に言葉を切った。


「うちを知ってるんですか?」


 少年はばつが悪そうに黙りこんでしまい、わたしの問いには答えない。


 この人、いったい何者なの……? もしかしてストーカー、とか?


 ひやりと冷たいものが背筋を伝う。


 蛍光灯が切れかけているのか、外灯がチカチカと点滅を始めた。


 人気のない公園。切れそうな外灯。月はまだ昇っていない。


 逃げたほうがいい。


 そう思うのに、わたしは少年と対峙したまま動けなかった。

 少年がなにか言ってくれるんじゃないかと、怪しい人じゃないと思わせてくれるんじゃないかと、そんな期待が胸のどこかにあったのかもしれない。


 まるで時が止まっているようだった。 


 不意に、カエルが池に飛び込んだのか、チャポンという音が、すっかり暗くなった公園にいやに大きく響き渡った。


 その音に、はっとわたしは我に返る。


 そうだ、逃げないと。


 少年の視線が微かに揺れた。

 その瞬間、わたしは踵を返して、駆け出していた。


「あっ、ちょっと!」


 背後から声が聞こえたけれど、追ってくる足音はなかった。

 それでもわたしは公園を抜けるまで、速度を落とさなかった。

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