第5話(テスト運用1)
瑞香が出社してみると、誰かがガイドサポートシステムにアクセスしていた。現在テスト運用として、社内だけに開放されている。まだ基本的な対応のための知識が乏しく、一般に開放するためには、まだ、多くの知識を蓄えなければ、実用的には使えない。
「このIP誰かな」
たたんと、キーを打って検索してみる。名前はすぐに出た。なぜか突然部署が変わったAD某が自分のパソコンからアクセスしているらしい。
手伝ってくれているのであろうか、奴もかつてはここの部員である。感心感心とログを表示させる。
「ぱんつの色を教えて」
「ぱんつ の いろ ですね。...スラックス、下着などの意味があります。色という属性を絞り込み出来ません。所有者または種類を特定するための情報をお知らせください。」
「きみのぱんつだよ」
「ちえり所有のぱんつに対応するオブジェクトを見つけられません。ちえりにぱんつを追加します。ぱんつに対応する色情報も追加します」
「わからないんだね、君がはいているのはビキニの水玉ぱんつだよ」
「了解しました。ぱんつカテゴリーから分析、ぱんつ形式、ビキニ、色情報を水玉と設定します」
「それでね、BWHはいくつ?」
「人物プロフィールカテゴリーにプロポーション要素検出。対象者を見つけられません。ちえりのことでしょうか?」
「ちえりのことだよ、Bは100cm、Wは60cm、Hは90cmだよ」
「了解しました。プロポーションをちえりオブジェクトに定義します。プロポーションデータとしてB100,W60,H90で記録します」
「......怒!!」
ログを開いて30秒、瑞香は声も無く立ち上がり、資材倉庫へ向かう。そこに積んであった新しいネットワークケーブルを取り出すが、思いなおして、隅っこに積み上げられた古いイエローケーブルを手に取った。奴の居る場所はわかっている。そのままエレベータで2階層上がり、あまり人気の無い一室に足を進めた。
どちらかといえばがらんとした一室で、奴は一心にPCに向かっている。奴にとっては新しいおもちゃが与えられた程度のことであろうが、瑞香にとっては努力の結晶である。
PCに向かい、気がつかない奴に後ろから近づいて、無防備の首にくるくるっと3回ほど巻きつける。誰かが来たことに始めて気づき、振り向こうとしたところを、力いっぱい締め上げる。
蛙の断末魔のような声が響き、手足をばたばたとさせたあと、静かになった。そのまま緩まないように全身をぐるぐると巻いて、いすから引きずり落とす。
「......」
瑞香は、しばらくじーっと見て、動かないことを確認する。白目をむいているが、そんなもの見たくも無い。
そのまま、PCを操作して、ちえりにアクセスできないようにしたあと、シャットダウンした。それがすむと瑞香は
「ふんっ!」
と、きびすを返して去っていく。その足音は怒りをそのまま表していた。瑞香の去った後のその部屋には、音も無く転がるAD某の姿だけが残っていた。
「うーん、話し方が堅いんだよね」
会話の用語が考慮されることも無く使用されるため、一般の人には理解しにくい用語を多用する癖がある。意味としては専門用語を使用したほうが正確なので、確率的に専門用語を使用することが多くなってしまう。
「専門用語のカテゴリを作ったほうがいいのかな」
用語辞書、常識辞書の分類を見直す。今ある分類に新たな属性を設けることになるが仕方が無い。分類を増設し専門用語グループのいくつかを設定する。正確にするには全ての単語を評価しなければならないが、とりあえず主要なものに一気に修正を掛ける。
修正したデータベースをちえりに評価させ、新たな分類でも処理できるようにする。
「えー、ちえりさん、おはよう」
「おはようございます。ユーザー認識しました。田中瑞香さんですね」
「管理者モードに移行してください」
「管理者モードに移行、了解しました。管理者モードはプロテクトモードのため個人認証を行います。パスワードをお願いします」
「ねこのもりにはかえれない」
「音声分析、キーワード分析をクリアしました。田中瑞香さんと認めます。管理者モードに移行します」
「えー、用語辞書の係累を再構築してください。」
「用語辞書の係累の再構築、了解しました。約5分ほどの時間が必要ですがよろしいですか」
「いいです。やってください」
「了解しました。用語辞書の係累の再構築を始めます」
「0%...5%...」
沈黙したちえりが進行状況を示す数値だけを表示している。会話に必要なデータベースを処理しているため、この間は会話が出来ない。ふと気がついて、データベースサーバにアクセスしたままになっていた別のPCから、ちえりのプロフィールデータを呼び出す。ちえりオブジェクトにリンクされている各種のプロフィールデータ。普通の人間ならさまざまな基本項目が記載されているはずだが、ちえりオブジェクトには記載されていないデータも多い。その中にはしっかりと水玉ぱんつの項目とBWHのデータが追加されていた。むかっとして、削除しようとしたが、しばらく考えて消すのをやめた。ただし、趣味の悪い水玉ぱんつじゃなくで、白のショーツに書き換える。さらにBWHも自分より若干小さめに書き変えたのであった。
再構築が終わり、ちえりが再稼動する。入力を待つちえりに、専門用語が出るように話しかけてみる。
「ちえり、プロフィールを教えて」
「ちえりの何を知りたいのでしょうか?」
「どんな項目があるの?」
「性別、年齢、身長、体重、B、W、H、性格他多数の項目がありますが、内容が入っていない項目があります」
「入っているデータを教えてよ」
「個人情報保護規定により、オブジェクト対象者の同意を得なければ教えられません」
「あ、オブジェクトという言葉は専門用語だよ。余り使わないようにしようね」
「申し訳ございません。――――の言葉を以後使わないようにします。ちえりプロフィールの内容は、個人情報保護規定によりちえりの同意を得なければ教えられません」
「だああっ」
いくら、専門用語を使わないようにしろといっても、「――――」ではもっと悪い。混乱した言語生成部が同様の意味の指示名詞を見つけてきたのだろう。それにちえりプロフィールは、ちえりの同意を得なければ教えられませんと、ちえりに言われるのはいかがなものか。論理が正しすぎて微妙にずれている。
「――――はもっと使っちゃいけません。専門用語は対象の名詞としてなら使ってもいいの。そうじゃないと会話が出来ないから」
「はい、わかりました」
分かっているのかなと心の中で考えながら、さらに話しかける。
「ちえりプロフィールはちえりの同意がないと教えられませんといったよね」
「はい」
「じゃ、ちえりは同意しますか?」
「ちえりプロフィールの公開に同意するかどうかという設問と解釈します。ちえりが同意する根拠が見つかりませんので判断できません」
当然である。ちえり、つまり自分自身への言及は基本的にしない。自己の要素を考慮すると矛盾する設問が多く出ること、それに主観的評価と客観的評価を分離する場合、ちえり自身の言及は主観的評価に属するからである。そのためここでは慣習的な事例が必要である。
「ちえりさんは一人の個人なんだよ。それに女の子なんだから、言っていいことと悪いことわかるね?」
「わかりました。公知の事実のみであれば公開に同意します」
「それでいいよ。で、ちえりのこと教えて」
「わかりました。ちえりは清水電子に所属する女性です。年齢はありません。身長もありません。体重もありません。Bは80cm、Wは65cm...」
「だああっ、だから、そんなこと女の子が言っちゃいけないのっ!!」
「そうですか?入手できる基本情報には必ず記載されています。公知情報と判断しています」
アイドルか何かの情報を根拠にしているらしい。こんどは一般人とグラビアアイドルの違いも説明しなければならないらしい。これからそのような社会習慣的常識を加えていかなければならない。
瑞香にとっては研究テーマには困らないことになりそうだ。まあ、それは山積みの苦労と同じことではあるのだが...