第4話 (システム構成)
研究室に隣接している実験室の隅に、検収を終えたばかりの真新しいサーバ機が、4台搬入されている。同僚の中村と田中瑞香は黙々とサーバ機のセッティングを続けている。サーバ機は新しいが、実験室の床を這いずり回るように配線を行い、調整をしていたため瑞香の白衣は灰色に汚れた。ほんのわずかに乗せた化粧に、灰色の埃が乗って、ピンク色の頬がくすんで見える。
「よし、こんなものかな」
中村は全てのコンピュータと通信機器がグリーンのランプを点灯させているのを確認する。満足そうにひとしきり見渡した後、瑞香を見て、おや、という顔をする。少し考えてから、ディスプレイに向かう瑞香に声をかけた。
「田中さん」
「はい、うまくいきました?」
「あ、うん、全部上がったみたいだね、あ、いや、それより、えーっと、埃だらけだから、少し埃を落としてきたほうがいいかも」
「へっ?」
瑞香は今気づいたかのように両手を見る。それから、白衣を見て埃だらけなのを確認する。
「ありゃあ、ほんとだ」
気の抜けたような声で、立ち上がった。
「すみません、ちょっと手を洗ってきますね」
汚れているのは手だけではない。中村にとっては顔を何とかして欲しい。女性が顔を真っ黒にしているのに気づいていないのはちょっと寂しい。中村は走り去る瑞香にさりげなく声をかける。
「鏡で確認してね」
「はいー」
そのまま遠ざかる瑞香、中村はそのままコンピュータの調整を続けた。今現在5台のコンピュータが手持ちの機材である。
元からあったミニスパコンNS-30型、これはNTL社と清水電子で共同開発されたデータ処理用コンピュータである。基本設計と製作はNTL社であるが、データ処理エンジンとして清水電子のデータプロセッサが搭載されている。以前に共同開発したときに残った機材である。データ処理専用機としての使い方ならば、まだまだ強力だといえる。
新たに追加されたのが、大量のデータを保持するデータベースサーバ、ユーザーとのやり取りをするコミュニケーションサーバ、ユーザーの論理や状況を分析するシミュレーションサーバ、などである。ちなみに一台は予備である。
これらのコンピュータは光高速通信網(UII:Ultra Information Interface)で接続される。
中村は、起動したコンピュータの自己診断結果を見回って、適切な修正を施していった。しばらくその作業に没頭した後、ふと、瑞香がまだ帰ってこないことに気づく。
「遅いな、先にやっちゃっていいのかな」
女性のことだから、いろいろ時間がかかることもあろう。特に深く考えることも無く、やるべきことを淡々と済ませていく。
そのころ瑞香は...
「ふえーん、化粧品持ってくるの忘れてたあ、出て行けないよお」
きれいな肌をしているとは思うが、完全なすっぴんというのは何かプライドが許さないらしかった。
「じゃ、プロセス上げよう」
「はい」
「データサーバ起動、サーバプログラム起動開始」
データベースを担当する大容量のストレージを持つコンピュータの電源を入れた。複数のストレージが少しずつの時間を置いて順に回転音を上げ始める。起動シーケンスが進み、通信ランプが点滅して、ハードウェアが正常であることを確認すると、データベースプログラムが起動を始める。
「インフォメーションサーバ起動中、シミュレーションサーバもブート」
「UIIは?」
「動いているはずです」
サーバー間を繋ぐ高速光通信網UIIはそれぞれのコンピュータの起動を知り、準備が出来たところから順に通信路を確立させる。確立できた通信路のコンディションランプが赤から緑へ順に変わっていく。
「了解、...OK、インフォメーションサーバがデータサーバをアクセスした」
「見えましたね、シミュレーションのほうはまだわからないか...全部上げましょう」
「ほい、了解、田中さんに任せます」
瑞香は、サポートコンピュータ群が稼動したことを確認する。瑞香は、メインコンピュータであるミニスパコンのキーボードにやさしく手を滑らせた。
「よし、いくよ」
コマンドを入力されたミニスパコンは、あらかじめ設定されたさまざまなプロセスを起動させる。ひとつひとつ、それぞれのプロセスが、主記憶装置の中に居場所を確保し、順に命が吹き込まれていく。
3台のサポートコンピュータ群はメインコンピュータのプロセスの起動に歩調を合わせ、通信の確立を告げた。
「メインコンピュータ起動終了、全プロセス上がったみたい」
「データベースOK、インフォメーションOK,シミュレーションもOK、」
中村がサポートコンピュータ群の稼動を確認する。メインコンピュータは擬似人格を生成するための基本エレメントデータをデータベースから読み込み始める。基本エレメントに新たなデータを加え、大量の拡張エレメントが生成され始めた。が、そううまくはいかない。
「あれ?」
生成されたはずだが...止まった。
予定では、各種の基本データから拡張エレメントを生成し、同時に不適切なエレメントが削除され、しばらくはそれが続くはず。しかし現実には一定数のエレメントに達すると、そこで動きが止まってしまった。始めにはメインコンピュータがフル回転し、それがしばらく続くはずなのだが、処理量を示すグラフは、すとんとゼロに近いところまで落ちる。
「止まった?」
「うん」
瑞香は、ディスプレイを見つめながら静かに答える。まあ、試作段階で一発で動くようなことはめったに無い。
「どこで止まったのかなー」
データの流れを追っていく。
データが途切れているプロセスを調べ、修正しては再起動を繰り返す。瑞香がI/Oの仕様決定を厳密にしていないことにより、意外と多くの部分で通信の不整合が見つかった。プログラムそのものは部分のデバックによりそれなりに動くものになっているが、まとめて動かすときにトラブルとなる。ものによっては小手先の修正ではどうにもならない場合があり、大幅なプログラムの修正が必要になるが、中村は中村で、自分の仕事を抱えているため、無制限に頼ることは出来ない。そのため結局、瑞香が黙々とデバッグを行うことになる。
「うう、疲れたよう」
三日後、顔色青白く、煮詰まった瑞香の姿がここにあった。修正して一通り回るようになったまでは良かったが、今度は、構文を解析して状況を認識するところで問題が発生した。ユーザーの置かれた状況を推測する部分が思ったとおりに推測してくれない。
「うう、そろそろ能力限界レベル」
システムをデバッグするにはシステムの構造を理解しなければならない。そのため脳内にシステムのイメージを描く必要があるが、複雑度が増してくると、イメージを描く作業そのものが苦痛になっていく。必死で脳内にイメージを描くが、食事やお手洗いで席を離れるたびに、イメージが薄れていく。そのため、また思考を戻すのが苦痛になるのである。
「一難去ってまた一難...」
ここまで煮詰まると、自分が何をやっているのかなんて気にならなくなる。ぶつぶつと何かをつぶやきながら、それでも何とか進めていくしかない。
「ですまああーち、ですまーちと...えーっと今何時じゃろ」
時計を見るとすっかり深夜の時間帯。明日に回して家に帰っても良いのだが、やっと頭が回るようになってから中断するのはもったいない。結局、そのままプログラムの書き直しを続ける。
次の日、同僚が床に転がっている瑞香を見つけた。その寝顔は穏やかであった。付けっぱなしのディスプレイにはシステムの入力画面が表示されたままになっている。その表示には...
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