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心のしくみ  作者: ADJ
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第3話(研究計画と方針)

 「うわあ、寝すぎたあ」

 昨日の審査の疲れもあってか、朝方に一度目を覚ました後、もう一度ぐっすりと眠り込んでしまったため、時計の針は血の気の引くような時刻を指している。研究部門はフレックス制のため、遅刻という概念はないが、昨日の作業分担をお願いするための同僚との約束の時間には、もう余裕がない。

 朝食なんて論外、少しは身奇麗にしておきたいが、その余裕すらほとんどない。ぱたぱたと走り回りながら、どうせ白衣を着ればわからないと、放り出してあった、昨日のシャツに袖を通す。

 今からお願いする作業分担の相手は同僚の知識工学の専門家である。他にも何人かに応援を頼まなければならない。田中瑞香自身はデータマイニングが専門であり、大量データのデータ構造の構築や大量データから必要な情報を取り出すシステムを作成することが仕事である。そのため、ガイドサポートシステムの、大量のデータからユーザーに必要な情報を発見して提供する部分については、それほど問題ではない。しかし、ユーザーとのやり取りにおいて、状況を推測し、分析し、判断する。その過程について応援を得る必要があった。

 

 「うわ、遅れた、遅れた」

 猛烈な勢いで国産大衆車を操り会社に飛び込んだ瑞香は、少々待たせてしまった同僚の高橋を見つけると、すまなさそうな顔で大きく頭を下げる。

 「すみません、遅れて申し訳ありません」

 研究室の共同卓に大量の資料を積み上げ、手持ち無沙汰なのか、そのファイルのひとつに目を通していた高橋は、瑞香をみつけると、小さく頭を下げた。

 「おはようございます。田中さん、そんなにあわてなくても良かったのに」

 「恐縮です、こちらからお願いしておきながら申し訳ないです」

 「いやいや、余り気にしなくていいって」

 「は、はい、ありがとうございます」

 高橋は瑞香より5年ほど年上の研究者である。ここに来る前は何かビックプロジェクトにかかわっていたらしいが、穏やかな人柄の実力者である。なにより恐ろしいのは穏やかで、絶対に喧嘩にしないという点にある。

 学会などの発表で発表者がとんでもないミスをしているのに気づかないときがある。普通であればきつい意見が飛び、それに対してきつい議論の応酬をするのが常であるが、彼は距離を置いたところから質問をはじめ、修正したものを発表者の意見とし、聴衆者全員が納得のできる結論にまとめあげてしまうのである。そして、そのことを発表者は後で気がつくことになる。彼の言葉によれば、“恩師が喧嘩っ早い人だったのでフォローする癖がついた”らしい。もっとも、瑞香の上司に当る相沢研究室長に言わせると、“人間が出来すぎ”だそうである。

 「それじゃ、始めましょうか」

 高橋は積み上げた資料の中からひとつのファイルを取り出す。瑞香の審査発表から足りなさそうなものをピックアップしておいたらしいが、それが莫大な量なので、瑞香は頭を抱える。

 「このコモンセンスデータベースなんですけど、...」

 「常識辞書ですね」

 瑞香が答える。人と受け答えをするシステムなので、人の世界の常識という知識が無ければまともな会話は出来ない。すでにいくつかの常識辞書はオープンソースという形で公開されている。有志によって常に整備、拡張され続けているものもある。瑞香はこのデータベースを限定的ながら、そのまま使用するつもりだったが、高橋によると、そのデータベースを拡張する必要があるという。高橋は穏やかながら、どこにそんな体力があるのかと聞きたくなるほど緻密かつ広範囲にわたる問題点とその対処法について説明していく。

 データ構造とか、項目に対する議論が続く。やがて、議論に疲れきって、朝食抜きで力尽きそうになりながら、やっとの思いで切り上げたときには、社食のランチなど、もはや存在すらしていなかった。

 

 数人の同僚に協力を打診して、根回しをする。彼らには彼らの研究テーマがあるので、出来るだけ負担が少ない方向に考慮する。近くのコンビニで調達してきたサンドイッチとスナック菓子をつまみながら、システムの構成を考え、メモを取った。

 言語理解、データ収集、データマイニング、感情分析、環境認識、大雑把に分類すると、この程度の項目をクリアしなければならない。これらを柱として、システムを構築していくのである。

 「むー、むー」

 PCのディスプレイではどうにもならないと考えたのか、大量の文書が瑞香の机の前に積み上げられている。いくつかの書類をにらんではうなり声を上げる。ブースにあるプリンタはその間にも書類を印刷し続けており、やがて紙が無くなったのか小さく警告音を発した。

 それに瑞香は気づかないほど考え続けている。その背後に静かに男の影が現れる。しばらく待ったが、瑞香が気づかないので男は小さく声をかけた。

 「あ、あの」

 「ひゃあああっ」

 部屋いっぱいに響き渡るような甲高い叫び声。声をかけた男のほうが驚いて2〜3歩あとずさる。

 「どきどきどき」

 目と口をまん丸に見開いたまま、驚かせた相手を見つめた。一瞬思考が真っ白になった後、徐々に認識機能が働きだし、声をかけたものが何者かを判断できるようになる。

 「あ、あ、すみません、中村さん」

 「い、いえ、こっちこそ、ごめん、驚かせてしまったね」

 中村が苦笑しながら、頭を下げる、ほかの研究員がいっせいにこっちをみているため、瑞香もぺこぺこと周りと中村に頭を下げた。

 (セクハラ?)(中村がなにかやったか?)(奴にはそんな度胸無かろう)(じゃいつものことか?)(そうだね)

 どこからともなく、ひそひそ声が聞こえる。この程度のことでわざわざ説明するのもばかばかしい。それになにかトラブルをやらかすのは瑞香のいつもの習慣であり、知らん顔していれば問題はない。

 中村は瑞香と同期で、プロダクションシステムやGAを扱う専門である。その中村が瑞香にメモリメディアを差し出した。

 「こ、これを」

 「はい?」

 差し出されたものに心当たりが無い。頭をひねりながらメディアを受け取る。

 「これは、何のデータですか?」

 受け取ったもののどうすればいいかわからないため、パソコンに差し込みながら聞いてみる。

 「さっき言ったワードサーチのプログラムだけど、ざっと試作品作ってみたんで」

 「は?」

 瑞香には彼の言っていることはよく理解できた。たしかにお願いしたのは文章理解のためのプログラムだから。

 ただ別の意味で理解できない。彼にそれを頼んだのはついさっきだったはず。一時間もたっていない。

 「げっ、もう出来ちゃったの?」

 「少しやってたんで、ざっとだけどね」

 瑞香はメディアからソースプログラムをコピーして、リストを表示させる。小一時間で作ったとは想像できないほどの緻密なプログラムリストが現れる。

 「目的と合わなければ言ってね、修正するから」

 といったにしては、えらく緻密で、トラブルに対する対応処理もしっかり書かれている。むしろこれをそのまま使わせてもらって、他の部分を整合させたほうがよさそうだ。

 「すっごいねー、あ、ありがとうございます。助かります」

 瑞香は笑顔で感謝を述べた。そして、その裏ではある計算が働いていた。

 (奴を獲れば、この開発は非常に有利になる)

 そういえば、中村のプログラム作成能力について、研究室内でうわさになっていたのを思い出していた。

 そんな人材を瑞香のプロジェクトに引き込めば、勝利の確立は飛躍的に上がるであろう。瑞香は中村を取り込むための方策を考え始めていた。中村はそのことをまだ知る由も無い。合掌。


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