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こちらは『集荷チェッカー、リリィ』シリーズの最終回です。
(『集荷チェッカー、リリィ』→『リリィ・カーマイルの恋旅行』の順に時系列)
配達通信局の集荷課には三人の職員と一匹のドラゴンがいる。
「リリィ、ちょっとこのタグを読んでくれないか。達筆過ぎて俺には無理だ」
同僚魔法使いのロイ・スタンドラが小包を持ってくる。その隣からひょいと顔を出し、
「カーマイルさーん、さっきの263番ってチェック済みだっけ? どこまで回したか分かんなくなっちゃった」
フェントンが頭を掻きつつ尋ねてきた。
ピュルイ! ピュルイ!
鳴きながらひしっと足元にしがみついてきたのはドラゴンの子供のピュルイだ。
「順・番」
リリィの言葉に、動かぬピュルイ、フェントン、その後にロイが一列に並ぶ。
「――全くもう、食いしん坊さんは少しも待てないのね」
ぐりぐりと頭を撫でてやると、グキュウゥと嬉しげにピュルイの喉が鳴った。
リリィ・カーマイルがドラゴンの赤子を育てるようになってから一年が経つ。
通信局にて配達荷物を透視する魔法使い、通称『集荷チェッカー』は現在リリィを含めて三人で構成されている。そのこじんまりとした規模と雰囲気のおかげで勤務先にもこの甘えん坊のピュルイを連れてくることができていた。
「今日でお別れだなんて寂しいなぁー」
ガツガツと蒸し魚を食べるピュルイを眺めながらフェントンが呟く。
「これだけ懐かれてしまうとなあ。本当の親の元へ戻りたがらないんじゃないか?」
リリィが解読したタグの横に補足タグ(通信局内で通じる暗号番号で住所を記載する)を付けていたフェントンが、手を止めてリリィを見上げた。
リリィは金縁眼鏡を外して眉間を抑えていた。集中力の持続が必要な仕事だが、今日はいつにも増して消耗が激しい。
「まだ赤ちゃんだから大丈夫。すぐに私の事なんて忘れるわよ」
「へえ~、赤ちゃんってそんなものなの?」
「そうだなあ、『忘れることで成長する』なんていうくらいだし」
一児の父であるロイは我が子を思い出しているのだろう、思い返すような表情になった。
「そういやカーマイルさん、明日は特殊護衛隊員の彼氏さんも一緒なの?」
「ええ。足場の悪い山だし、一応敵意は無いとはいえドラゴンが相手だから。
ほら、この件に関しては前例が無いということで要報告案件でしょ、明日は仕事として付いてくれるのよ」
「いいなあ、彼、ドラゴンと戦ったんでしょ。俺、一度でいいからそういうカッコイイ場面を生で見てみたいんだよね」
「あら、じゃあ一緒に付いてくる?」
「いいの!?」
「たーだーし、担当外で付いてくるからには自分の身は自分で守ってもらうわよ。
彼、とってもお茶目さんだからきっとあなたにファイア・ブレスを浴びせてくれるわ」
「……え、遠慮しときます」
ピュウッ!
食べ終わり舌舐めずりをしていたピュルイが甘え声で掛け寄ってきた。
成犬ほどになったその身体がごろりと床に転がり腹を見せる。『撫でて』という合図だ。
「よーしよしよしよし!」
「今日はいっぱい撫でてやろうな!」
ロイとフェントンが思い切り摩る度、曇天の雷に似たご機嫌な音が集荷課中に響き渡った。
リリィはもう一度眉間を押さえると、金縁眼鏡をかけ直した。
高い空はすっきりと晴れていて気持ちがいい。絶好の行楽日和だ。
里親契約の終わる今日、リリィは赤のドラゴンの住む洞窟へと向かうべくピュルイを先頭に山道を歩いていた。
(ちょっとだけ意地悪だったかしら?)
フェントンに言った台詞を思い出しながら、リリィはふふっと笑みを漏らした。自分と同じく魔力の高い彼ならば、きっとあのファイア・ブレスを浴びてもすぐに幻影だと気付くのに違いない。
「どうした?」
後ろを歩いていたヴァルダス・デッガーダが声をかけてきた。肩を揺らす姿に気付いたのだろう、聡く真面目な彼は仕事中のちょっとした変化を見逃さない。
王宮の直属部隊に属すヴァルダスは、リリィがドラゴンの元へと向かった一年前にも特殊護衛隊員として付いてきてくれた若者だ。その時の出会いがきっかけとなり、今では恋人としてもリリィの傍に付いてくれる。
「あ、ううん。何でもないの」
ピュルイと最後のひとときをヴァルダスと二人で過ごしたい。
そう願っていたためあんな言い方になってしまったのだと、幼稚な胸の内を明かすのは恥ずかしい。
(フェントンには今度お弁当でも作ってきてあげよう)
独身貴族を謳歌するフェントンだが『たまには手作りの味が食べたいよー』と嘆くことがある。そろそろロイのように暖かい家庭が羨ましくなってきたのだろう。
開けた場所で休憩をとりつつピュルイに最後の餌を与える。
ガツガツと夢中でかぶりつく姿は、生まれたばかりの頃に比べて随分と大きくなった。食べる量もぐんと多くなり、かなり頻繁に与えなければならない。
「どちらにしろ、もう共に暮らすのは無理なのよね……」
今はまだ成犬程度だが、この先もどんどん大きくなっていくだろう。できるだけ人目を避けながら通勤していた日々も、見た目がまだ愛らしいから出来ていたことだ。いかにもドラゴンらしく巨大化してしまえば見る人に恐怖を与えてしまう。
「もうすっかり家族の一員だったからな。寂しいものだ」
ぼそりと呟いたヴァルダスの言葉にリリィの胸がずきりと痛む。指につけた二つの指輪に自然と手が触れていた。
がらんとしていたリリィの家には、彼女と黒猫のギィだけが住んでいた。
そこに賑やかなピュルイが加わり、想いが通じた旅行の後からはヴァルダスが遊びに来るようになった。
二人と二匹で過ごす夜や休日は、とても楽しくて。笑いが絶えなくて。
恋人が帰った後の寂しさをリリィはピュルイを抱きしめていることで耐えていた。雷鳴にも似た喉の音は、彼女にとっての癒しだった。
そんな一年が、今日で終わる。
休憩を終え立ち上がろうとして、リリィは足元にあった小さな窪みに足を滑らせた。
手を伸ばそうとした恋人に「大丈夫」と笑ってみせる。
ピリッとした足首の痛みは気のせいだ。
「行きましょう」
リリィは歩き出した。その途端、腰に腕が回されたかと思うといきなり視界が高くなった。ヴァルダスがリリィを抱き上げ、そのまま険しい道を登り始めたのだ。
「やっ、何をしているのヴァルダス、下ろして!」
「足首を痛めたのだろう」
「大丈夫よ、ほんの少し捻っただけなの。ねえ下ろしてったら!」
懸命に頼んでもヴァルダスは聞き入れてくれない。ピュルイは何かの遊びとでも思っているのか、ピュルピュルと楽しげな声をあげながら飛び跳ねている。
「――俺が何のために来ているか思い出せ、リリィ」
成人女性を抱えたまま山道を登る彼の声に乱れは無い。
「特殊護衛隊員は同行者の安全を確保するのが仕事だ。
君は守られるべき人だ。俺に身を委ねてくれ」
暫く思案した後俯くと、リリィはおずおずと銀色の鎧に顔を預けた。
彼の前では年上ぶるなんて無意味だと知っている。
だけどもう、これ以上甘やかしてほしくない。頼るのが当たり前になりたくない。
ピュルイのように、いつか別れる日がくるかもしれないのなら。
「――私、いいお母さんになれたかしら?」
答えの代わりに手を取られると、そっと手の甲に口付けられた。
 




