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氏真の野望  作者: 羽市
天文二十二年(1553年)
9/13

8 千知与

 色々と悩んだのですが、今回オリジナル武将が登場します。

 史実キャラだけで話を展開しようと考えたのですが、1550年代で石田三成のような、有能な秘書官で能吏的な人物が思い浮かばなかったためです。

 極力史実キャラだけで、歴史小説の形にこだわりたいと考えていますので、お付き合い頂ければ幸いです。


 オリジナル武将は出てもあと一人か二人(忍者とか)だと思いますので、ご容赦頂ければと思います。

 駿河から京に使者が昇った。

 正使は三浦正俊、副使は氏真である。

 彼等の役目は、朝廷と将軍への献金であった。

 駿河から船を使い、伊勢に上陸すると、近江を抜け京に入った。

 朝廷に銭千貫文を献上しところで、正俊は途方に暮れた。

「まさか、当の将軍家が京におらぬとは……」

 将軍足利義輝は、畿内での支配者三好長慶と対立し京を追われ、近江に出奔していた。

「将軍家が力を持っているとは思わなかったが、まさか家臣に追い出されるとはな。武家の棟梁が笑わせる」

 氏真が失笑した。

 時の将軍、足利義輝は剣術に優れ、剛毅な人物である。それ故に、三好長慶の傀儡であることに絶えられずに長慶と対立し、京を追い出される事態を招いていた。

「将軍家は近江の朽木谷にご滞在されているとのこと。我等も朽木谷に向かわなければなりません」

 実直な正俊は、主君である義元の命を果たすことしか考えていなかった。

「爺。朽木谷に行くなど、時間と金の無駄だ。既に将軍家は時代から取り残されている」

 そう言うと氏真は、

「爺は一足先に駿河へ帰れ。そして父上に事の詳細を伝えよ」

「若君はどうなさるのです?」

「折角の機会だ。堺へ行く。そこで爺、将軍に献上する予定だった千貫文を俺に寄越せ。将軍家に渡すより有意義に使ってやる」

 将軍家に献上する金を自分のために使うと言い放つ氏真。

 儂と寿桂尼様がお育ていたしたのに、どうしてこのような不遜なお方になられたのか?

 傅役として氏真を育てた正俊は、氏真の将軍への敬意のない発言に、思わず溜息を吐いた。

「爺、何か考え違いをしていないか? 俺とて権威や伝統の大切さは分かっているぞ」

「ならば、何故、将軍家に対してそのようなご無礼な発言をなさるのです?」

「将軍家というのは、帝から治世を任された者のことだ。だから、その役目を果たしていない将軍家など存在意義はない。

 そして将軍家が役目を果たせぬなら、当家が将軍家に変わって日の本を治めるべきだと俺は思っているのだ」

 氏真の放言に、常識人の正俊は目眩がした。


 結局、氏真は正俊から将軍家に献上する予定の銭を奪い取り駿河に帰すと、山本勘助や滝川一益など十数名の供を連れて堺に入った。

 この時代の堺は、商人達の自治都市であり、自衛するための兵力まで備えており、いかなる大名の権威も通じない独立都市である。

 道行く人は活気に溢れ、およそ扱っていない商品はなく、南蛮人が普通に出歩いているような町に一行は圧倒された。

「流石は噂に違わぬ盛況ぶりですな。して、堺には何の用があるのです?」

「うむ。一つ考えていたことがあってな。今井宗久(いまい そうきゅう)に会いに行く」

「今井殿は堺を代表する豪商。そう簡単にお会いできますか?」

 勘助が首を捻る。

「案ずるな。既に駿河の友野屋から紹介状を貰っておる」

「……とすると、若殿は最初から堺に来るおつもりだったので?」

「京で公家や将軍に会うより、堺で商人と会った方が、今後のためには余程良いからな。ここか、流石に大きな屋敷だな」

 氏真は今井宗久の屋敷に着くと、駿河の商人である友野屋の紹介所を渡し、自らの正体を明かした上で、宗久に会いたいと告げた。

 

「これはこれは。駿河から遠路はるばるお疲れでしょう、今川様」

「いや、駿河と堺は案外と近いことが分かった。今後ともお付き合い願いたいな」

 今井宗久は三十台の半ば、物腰は柔らかく、顔には常に微笑を浮かべていた。だが、この人の良い笑顔を浮かべながら、扱っている商品の中には鉄砲を始め、多数の軍需物資がある。

 つまりは死の商人だ。

「やはり今川様も鉄砲が用入りでございますかな? それとも茶器でしょうか?」

「いや、人が欲しい」

「……人ですか。生憎と当家では人身売買は扱っておりませんが」

 今井宗久は「当家では」と言った。つまり堺には人身売買を扱う商人もいるわけである。今更だが、この戦国時代には『人権』などないことを思い知らされる。

「いや、奴隷ではなく、南蛮に詳しい者が欲しいのだ」

「今川様も南蛮の教えに興味をお持ちなのですか?」

 氏真は苦笑した。

「当家は父上が元僧侶で、執政の雪斎も僧侶なのだぞ。南蛮の教えなど持ち込んだら命がない。俺が欲しいのは、南蛮の知識を持っているが、南蛮の教えを布教させることには興味が無い者だ」

「それは難しい注文ですな。南蛮に詳しい者は、大抵デウスの教えを広めるのを使命と思っておりますからな」

「ただとはいわん。その情報に、銭千貫文を出そう」

「……品物ではなく、情報に千貫文を支払うとおっしゃるのですか」

 この今川氏真という若者は大気なのか、それともただの阿呆なのか。いずれにせよ今川の嫡男に恩を売っておいて損はあるまい。

 商売用の笑顔を崩すことなく宗久は判断すると、

「松永久秀様のご一族、松永千知与と申す若者が、南蛮の知識に詳しいです。堺にもよくいらしており、南蛮の宣教師と度々話をしておりますが、デウスの教義には興味が無い御仁です」

「松永久秀……、三好の家老だな。ふむ、よい情報を教えて頂いた。感謝するぞ、宗久」

 そう言うと、氏真は将軍に献上する筈の銭千貫文を宗久に放り投げた。


 氏真は京へ戻ると、三好長慶と対面した。

 幸いなことに、氏真の今川家の嫡男という身分が、三好長慶をして、氏真を賓客とした。

 将軍義輝を追放し、形の上では不忠者である長慶は、地方の有力大名とはなるべく友好な関係を築きたかったのである。

「京は長年の戦火で荒れていますが、見物すべき寺院などはまだまだ沢山あります。今川家のご嫡男ともなれば、公家との付き合いも欠かせないでしょう。全ては、この久秀にお任せあれ」

 長慶から氏真の接待役に任じられた松永久秀は、四十代半ばの、頬に刀傷がある男だった。その整った顔立ちからは、若い頃の美しい青年の姿を彷彿とさせたが、目の奥底に野心と欲望が見え隠れしているように思われるのは偏見だろうか?

 久秀の接待は豪を極めたもので、氏真は毎晩のように酒と馳走を味わった。

 馳走には生きたもの、即ち女も含まれていた。

 氏真はそうした馳走を遠慮なく味わい、酒と食と女に溺れつつ、

(成る程。こうして相手を堕落させて、自分の意のままにするのが久秀の手口か。所詮は悪党、大名の器ではない)

 そう久秀を評価した。

 氏真は聖人君子ではない。寧ろ俗物と言ってよい青年である。酒はあまり好まないが、女は人並み以上に好む。

 今までも朝比奈泰朝や由比正純、鵜殿長照といった悪友達と身分を隠して駿河の街へ出向いては遊女を買っていたし、堺でも高額な遊女を買っていた。

 であるので、久秀の接待に冷笑しつつも、それはそれとして楽しんでいた。

「若君! 一体何をしているのです! 遊興に耽る暇があるのなら、さっさと駿河に帰るべきです!」

「硬いことを言うな、勘助。京の女は味が良いし、何より金は全て三好持ちだ。そちも好きな女と遊べばよかろう」

 この御方は名君の素質をお持ちだが、同時に暗君の素質もお持ちである。

 勘助はそう嘆いたが、氏真の乱交を諫めるのは勘助だけで、他の家臣達は主君に習って女と酒に溺れていた。


 氏真が久秀の馳走を味わって十日目のことである。

 毎夜違った女と同衾していた氏真の元へ、一人の少年が朝の食事を持って来た。

 その人物が少年と分かったのは服装による。もし少年が女性用の着物を着ていたら、美しい少女だと思っただろう。

 小柄で、眉の辺りで髪を切り揃え、(まげ)を結んでいない。

「お食事をお持ち致しました」

 少年が持ってきた食事は、これまで氏真が食べたことのないもの、即ち牛鍋であった。

 この時代、人々は鳥や猪などは食するが、肉食は一般的ではない。豚や牛を食するのは者は南蛮人ぐらいなものだ。

「今川様は南蛮物がお好きだと聞きましたので、南蛮人が食する牛の肉でございます。それとこちらは葡萄酒と申しまして、南蛮人が飲む酒でございます。我が国の酒と違い、口当たりが柔らかいので、酒が苦手な今川様のお口に合うかと」

「これは美味そうだ。しかし俺が南蛮物が好きだと、そなたはどこで知った?」

「堺の今井宗久殿から聞き及びました」

「ほう……。では、そなたが松永千知与か?」

「はい。松永千知与でございます。以後お見知りおきを」

 そう言うと、千知与は微笑を浮かべた。

 千知与は何とも言えない色気を漂わせており、男色の気がない氏真も思わず道を誤りそうになる。

「まだ元服してないようだが、幾つになる」

「十四でございます」

 若い。自分より二つ年下だ。

 氏真は言葉を続ける。

「千知与は普段から牛肉を食すのか?」

「はい。肉だけではなく、牛の乳も飲んでおります」

「牛の乳を飲むと牛になるという話があるが?」

「それは迷信でございます。そもそも牛の肉や乳は大変に栄養があり、古来より食されていたものでした。この国に仏教が広まると共に、その風習が廃れただけでございます」

「ふむ」

「更に言えば、釈迦は肉食を禁じておりません。時代が進むにつれ、僧達が勝手に肉食禁止という風習を作っただけのこと」

「千知与は仏教が嫌いなのか?」

「仏教というより宗教を嫌っております。仏教もデウスの教えも、今では教える側にとって都合のいい、人々を操る道具にしか過ぎません」

「だが、そちは南蛮人と親しいではないか?」

「南蛮人が持っている、この国にない知識に興味があるだけです。それに彼等はデウスの教えを広めるため、遠い祖国から何年もかけて航海をし我が国にやって来ます。その勇気と情熱には敬意を表します。尤も、あくまで敬意であり、私が彼等の教えに帰依することはありませんが」

 千知与は十四という少年であるにも関わらず、既に自分の物差しを持っており、物事を判断していた。

 これは面白い少年だ。

 千知与に興味を持った(決して少女のような美貌にではなく、内面にである)氏真は、千知与に色々と質問を投げかけた。

 デウスと仏教の教え、堺で高値で取引されている代物のこと、各地の大名の情勢、治水の方法、鉄砲の生産等々。

 投げかけた質問に淀みなく答える千知与に、いよいよ氏真はこの少年が欲しくてたまらなくなっていた。

「そなたは久秀の一族なのか?」

「いえ。私の家は河内の武士であったようです。幼い頃、戦で家は滅び、人買い商人に飼われておりました。その私を殿が買い上げた次第です」

「では久秀に恩があるということか?」

「いえ。殿が私を買ったのは、寵童を好む大名に贈り物として使う為です。ですので、別に恩は感じておりません」

 確かに千知与の美貌なら、衆道の気がなくとも色香に迷うだろう。浮かべる表情といい、顔の造りといい、少年と少女の魅力が入り混じっている。

「そなたを寵童にしか使わないとは、久秀の底が知れるな」

 氏真はそう言うと、千知与を見つめる。

「千知与。そなたはその歳にして、既に一国の行政を担うだけの知恵がある。どうだ、久秀など捨てて俺に仕えぬか?」

「今川様にですか?」

「そうだ。そなたの見識は久秀のような悪党には勿体ない。我が家を利用し、天下にその才で大きな絵を描いてみないか?」

「……中々に魅力的なお誘いですが、私を引き抜くということは、松永久秀、ひいては三好家を敵にまわすということです。

今川家にとっては損な取り引きではございませんか?」

「なに。三好や松永はいずれ滅ぶ家だ。奴等を敵にまわしたところで、どうということはない」

 そう言い切った氏真の顔を、千知与は驚いて見つめた。

 氏真の表情からは虚勢を感じない。どうやら氏真は本気で三好家を大した相手ではないと思っているようだ。今や足利将軍家に代わり畿内の支配者である三好家を。

 今川氏真は余程自分に自信があるのか、それとも何も考えていない阿呆なのか。

 しばしの沈黙の後、千知与はまるで嫁入りする娘のように、頬を染めながら頭を下げた。

「このまま見ず知らずの大名の寵童になるよりは、今川様にお仕えした方が面白いかもしれません。分かりました、松永千知与はこれより今川氏真様にお仕え致します」

「よし。ならばこのような屋敷に長居は無用。さっさと駿河に帰るぞ」

 言うが早く、氏真は酒と女を捨てて、その日のうちに久秀に何も言わずに屋敷から姿を消した。無論、千知与を一緒に連れて。


 後にこの一件を知った久秀は激怒し、氏真に憎悪を燃やすこととなるが、それはまた別の話である。

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