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氏真の野望  作者: 羽市
天文十四年(1545年)
4/13

3 間者

 天文五年、今川義元は兄氏輝の死後、異母兄である玄広恵探(げんこう えたん)と家督を巡り争い、『花倉の乱』という駿河を二分する内乱に勝利して、今川家九代の当主に就いた。

 翌天文六年には武田家から正室を迎え、武田家と婚姻同盟を結んだ。この同盟により駿河の北は安定したものの、駿河の東、武田と敵対関係にあった相模の北条は激怒し、友好国から一転、今川を敵国として駿河に侵攻した。 北条が富士川から東の今川領(いわゆる河東の地である)を占領し、以後今川と北条は対立を続けていた。

 天文十四年、すなわち今年であるが、今川家は失った河東を回復するため、武田や山内上杉に北条の背後を突かせると同時に、河東に軍を進めた。

 軍の指揮を取るのは義元自身であり、義元には確固たる勝算があった。

 

「龍王丸。そなた、夜叉丸を僧にすることに反対だそうだな」

 河東への出陣を控えたある日、義元は龍王丸を呼び寄せた。雪斎から龍王丸が弟の出家に反対していると聞いたからである。

「今川家は代々家督を巡り争いが起きておる。儂の時もそうだし、父上もそうだ。だからこそ、嫡子以外の男子は出家させるのが家の安定へ繋がると考えている。

 が、そちに違う存念があるというならば申してみよ」

 義元は龍王丸の教育を、傅役である三浦正俊に一任していた。義元が息子に対して行うことは、時たまこうした問いを投げかけて、息子の器量がどの程度のものか測ることだけである。

 義元の思惑に気づいているのかどうか、龍王丸は突然父親に呼び出されたにも関わらず、緊張した様子もない。

「家督争いには有益な点もあります。争いに勝利することにより、新たな当主は自らの力を周囲に示すことが出来ます。敵対した豪族から所領を取り上げ、信頼できる人物や直接の領土にすることで、国内の安定にも繋がります。

 それに兄弟だからといって、必ずしも争うとは限りません。甲斐の武田家や近畿の三好家などは、兄弟が力を合わせ、勢力を拡大しています。

 信頼できる兄弟なら腹心として、信頼できない兄弟なら当主の力を示す為の道具として、どちらにせよ僧より武将の方が使い道があるというものです」

 そこまで言うと龍王丸はやや皮肉気な表情を見せた。

「私は八歳で、夜叉丸はまだ三歳です。どちらが時期今川家の当主に相応しいか、判断するのに最低でも十年はかかりましょう。急いで夜叉丸を出家させて、選択肢を減らすこともないかと思いますが」

 因みに、義元には四人の子供がいる。

 長男の龍王丸が八歳。

 長女の朱雀が七歳。

 次男の夜叉丸が三歳。

 次女の御影が一歳

 いずれもまだ幼児であり、先のことなど決まってはいない。

 果たして龍王丸の言葉は義元に感銘を与えることが出来たのか。

 政治家気質で感情を面に出さない義元の表情からは、判断することは出来なかった。

「……そちの考えはわかった。夜叉丸のことは考慮しておく」

 そう言うと、義元は龍王丸を下がらせた。 


「若君。義元公は何を申されましたか?」

 龍王丸が自室に戻ると、心配していたのか山本勘助が勢いよく尋ねてきた。

「夜叉丸のことだ。父上は僧籍に入れたがっていたが、俺はまだ早いと反対した。それだけのことだ」

「何故、義元公のご意見に反対なされるのです? 夜叉丸様がこのまま成長すれば、若君に代わり当主の座を奪うやもしれませんぞ」

 勘助は義元を『御館様』と呼ばない。彼の主君はあくまで龍王丸であり、義元ではないからだ。

「弟一人を御せないで、三国を御せるものか。それに夜叉丸が将来、源義経か足利直義のように兄の不足を補う優秀な武将になるやもしれん」

「二人とも最後は兄に反旗を翻していますが……」

 勘助の言葉に龍王丸は笑うと、

「そんなことより、勘助。そちにやってもらいたい仕事がある」

「はっ。何でございましょうか?」

「武田、上杉、北条。優れた大名家は、優れた諜報能力を備えているものだ。そこで、俺もいち早く情報を知ることができる間者達がほしい」

「当家には既に雪斎様がその任に付いておりますが」

「老師はあくまで父上の軍師よ。俺は俺自身の手足がほしい。よって、勘助。そなたの手で間者を作り上げろ」

 八歳にして諜報の重要性を認識しているとは。

 やはり自分が選んだ主君なだけはある。

 勘助はそう感心しつつも、その計画の問題点を指摘しなければならなかった。

「若殿。間者を作り上げるには金と人が必要です。特に金は欠かせません。人を雇うにも、情報を得るにも、全ては金次第。そして今、若殿が自由に出来る金では、某のほかに二、三名程度しか雇えません。これでは、多数の間者を雇うなど夢のまた夢。元服し、義元公から所領を頂き、金に余裕が出来てからの方が現実的ではありませんか?」

「それでは遅いのだ」

 今川が織田に勝つ方法はいくつもある。信長の奇襲を予測し対策をとること、義元自身は後方に控えて尾張へ侵攻すること、太原雪斎が生きている内に織田を滅ぼすことなど。

 だが、それらの案は、いずれも龍王丸が元服し、今川家の方針に意見を唱えられるようなってからの手段でしかない。

 今、龍王丸が出来ることは、織田の力を削ぐこと。即ち、将来織田信長の部下として功を上げる武将を、信長が用いるより先に今川で召し抱えてしまうことだ。

 丁度、目の前の山本勘助を武田信玄に仕える前に召し抱えたように。

「金については既に算段がある。人は浅間大社の富士信忠(ふじ のぶただ)から借りればよい。浅間大社は神官だけでなく、山伏の類も持ち合わせている。奴等を間者にし、三河・尾張・美濃・伊勢を中心に情報を集めるのだ。どこで戦が起ころうとしているのか、百姓の暮らしはどうか、有為な人材は眠っていないか。それらの情報を集めるのだ。それが将来、今川の危機を救うこととなるだろう」


 勘助に金の当てはある、と見得を切った龍王丸だが所詮は八歳の子供。龍王丸自身が金を稼ぐすべはない。

 ならば手段は一つしか無い。

 龍王丸は自室を出ると、駿府館の離れに立てられた屋敷を訪ねた。

「あら、どうしたのですが、龍王丸。」

 屋敷の主は嬉しげな声で龍王丸を迎え入れた。

「はい。本日は御祖母様にお願いがあって参りました」

 龍王丸が御祖母様と呼んだ女性こそ、後世『女戦国大名』と呼ばれることになる寿桂尼(じゅけいに)であった。

 寿桂尼は元々京の公家の娘であり、義元の父、今川氏親の正室となった。その後、氏親が病で倒れると、氏親を補佐し政に携わった。さらに氏親が死去し、実子氏輝が今川家を継ぐと幼少の我が子の後見人としてそのまま政を担った。寿桂尼が政を担った間、今川家は他国に侵されることなく、民百姓に犠牲をしいることもなかった。

 戦国時代に女が国を治め、それが成功したという希有な例である。

 幸いというべきか、病弱だった兄氏輝の跡を継いだ義元には太原雪斎という名補佐役が付いており、寿桂尼は政から離れ、今は五人の孫に囲まれながら隠居生活を送っていた。

「そうですか。龍王丸の頼みなら聞かないわけにはいきませんね。なんですか、また書籍でも欲しいのですか?」

「いえ、欲しいのはお金です」

 八歳の子供とは思えない龍王丸の言葉に寿桂尼は目を丸めたが、龍王丸が自身の間者が欲しいという話を聞くと、

「おやまあ。普通、そなたぐらいの年が欲しいものは武具であったり馬であったりするでしょうに」

 可笑しそうに笑った。

「それで、私にお金をねだりにきたのですか?」

「いいえ。流石にそれでは男子として恥ずかしいので、御祖母様には保証人になって欲しいのです」

「保証人ですか?」

「はい。御祖母様が保証人になっていただければ城下の商人も金を貸してくれるでしょう。それを元手に間者を雇います。彼等には間者として諸国を回り情報を集めますが、同時に駿河の名産を諸国に売る行商も行います。さすれば、利益から商人への借金を返せましょう」

「……そなたは、本当に面白いことを考えるのですね」

 寿桂尼は目を細めて笑った。

 可愛い孫の為である。寿桂尼は自身の蓄えから龍王丸に資金を貸してもよかったのだが、孫の言う男の意地を尊重し、保証人になることを承諾した。

「そなたの考えは八歳の子供のものとは思えないし、何より武士らしくありません。ですが、それが私には好ましい。

 龍王丸や、そなたは今川の家を継いだら、この駿河をどのような国にしたいと思いますか?」

「武士が偉ぶらず、民百姓が笑って暮らせる国を作りたいと思います」

「そうですか。私は若い頃、何度か北条早雲様にお会いしたことがありますが、あの方もそのようなことを仰っておりました。

 龍王丸、そなたは民に慕われ、民を守る国主になるのですよ。間違っても自身の快楽に溺れ、国を滅ぼすような暗君にならないように」

「はい、御祖母様」

 史実の氏算と同じ道は歩みません。

 龍王丸はそう心の中でそう言葉を返した。

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