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氏真の野望  作者: 羽市
天文二十二年(1553年)
10/13

9 下準備

 

「世の中は所詮金よ。そうは思わぬか、勘助?」

「はい。金がなければ兵も雇えず、情報を入らず。何も出来ませぬ」

「うむ。そして三万石の土地から産み出す金など、たかが知れているな」

 二人は二俣城の一室で、うんうんと唸っていた。

 二俣城は天竜川と二俣川との合流点にあり、水運に恵まれた土地である。更に北に進めば信濃へ、南に進めば東海道へ出る交通の要所でもあった。

 三万石の土地から出る米を六万石に増やし、税収を上げ、軍備を整える。

 それが当面の氏真の方針だが、肝心の税収を上げる方法が思い浮かばず、氏真と勘助は頭を悩ませていた。

「どうなされますか? ひとまずは開墾に力を入れ、石高を上げるしか道はないと思いますが」

「確かに遠江の地は耕作に適しておる。熱心に土地を耕せば、その分見返りも多かろう。

 勘助、例の件はどうなっておる?」

「は。農家の次男・三男を中心に五百名ほど集まりました。耕す畑を貸し与え、戦の際は兵士となる。また、戦で功を上げれば、褒美として耕している畑をそのまま与える。家の田畑を継げない農家の次男三男にとっては、夢のような話ですな」

「所詮は半農半士だがな。本来は戦に専念できる常備兵が欲しいが、先立つ金がない。まだ時期尚早か」

「はい。ですが、この施策により来年の収穫量は五千石ほど増えると思われます。まずは十分では?」

 勘助がそう言うと同時に、襖の向こうから、

松永直(まつなが なお)、お召しにより参上致しました」

 と声がした。

「直か。入れ」

 氏真の声に、襖を開けて入ってきたのは松永千知与であった。

 千知与を連れ帰った氏真は、彼を元服させ、『松永直』と名乗らせると、家臣の一員に加えた。

 この時代、名前が一字というのは珍しいが、中性的な千知与には『直』という、男にも女にも取れる名前が合っていると氏真が面白がって命名したのだ。

 当の千知与は、自身の名前に興味がないのか、特に不平を言うこともなく、『直』という名前を受け入れていた。

「今、勘助と税収について話し合っていたところだ。直、そちに何か考えはあるか?」

 勿論、氏真も商業政策については色々と考えがある。

 関所を廃止して街道を整備し、人の流れを増やし、楽市楽座で商業を活発化させて税収を増やす。

 だがこれは大名のやることであり、一城主に過ぎない氏真の手には余る政策だ。

「米は国の基本です。開墾に手をつけるのはよいことでしょう」

 直は続ける。

「食糧に関しては、豚や牛を管理し、畜産に手をつけるのも一つの方法です。肉を沢山食べれば身体も大きくなりますので、兵士達には肉を食わせましょう。また牛は馬と同じく、物を運ぶこともできますし、木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いではありませんが、戦場で用いることもできます。

 また、金を得るには米を作るだけではありません。確かに若殿の権限では座や市に手を出せませんし、街道の整備もできません。ですが、既にある交易路を利用し、堺の商人達に木材を売ることは可能です。遠江は勿論、同盟国の武田と結び、信濃の材木を卸すことで、金は稼げましょう」

「信濃の材木は評判がよいからな。よし、直、畜産と材木の交易はそなたが仕切れ」

「お待ち下さい。まずは駿河の了解を得てから事を進めるべきかと存じます」

 勘助の言葉に氏真は顔をしかめた。

 先日京に上った際、氏真が将軍家に献上するはずの金を私的に使ったことを知った駿河の重臣達の間では、 

「将軍家に献上する金銀を流用なさるとは……。若殿はまさか尾張のうつけと同類ではないのか?」と囁かれているらしい。

 尤も当主たる義元と摂政の雪斎が特に批判めいたことを口にしなかったため、重臣達の声は次第に小さくなっていったのだが。

「気が向かないが仕方あるまい。まあ、我が国では父上と雪斎を納得させれば何事も出来るのだ。他国ではこうはいかないだろうな」

 

 今川義元は何事も腹心の太原雪斎と考え、二人で決める。

 駿河遠江を大過なく治め、三河を支配下に置き、今川仮名目録という法を整備した実績が、義元を国人に担がれている他国の領主とは違う独裁者に押し上げていた。

 今川家は家柄と実力を備えた大名である。

 足利将軍家の親族であり、継承権を持つ吉良家。その吉良家の分家が今川家である。

「将軍家は、足利が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」

 そういった俗説が流布する程の名家であった。

 また、多くの名家が戦国の嵐により滅び衰える中、守護大名から戦国大名への転身にも成功していた。

 領国は駿河、遠江、三河、尾張の一部に及び、土地は豊かで農業に適しており、東海道という交通の要所と整備された港により商業も盛んである。更に金山を有しており、その力は実質百万石。三万の兵を動員できる、国内でも有数の大大名であった。

 そして現在、この今川家を動かす人物は二人いる。

 一人は氏真の父、今川義元。もう一人は義元の軍師、太原雪斎である。

 義元は戦や人事、法を決める際は重臣達の声を聞くために評定を開くが、それは形式的なものでしかない。

 義元は評定を開く前に雪斎に意見を求め、話し合う。そして二人で決めたことを評定で諮るが、その決定が覆ることは殆どない。

 二俣城で行う施策について義元の許可を得ようと駿府館に赴いた氏真は、そのまま館の一室に案内され、何故かその事前の話し合いの場に顔を出すこととなった。

「氏真よ。以前、そちは北条とも盟約を結ぶべきと説いておったな」

「はい」

 義元の声に氏真は頷く。

「雪斎もそちと同じく、北条と結ぶべきだと説いておる。そこで、今川・武田・北条の三国で盟約を結ぶべく、雪斎に説かせた」

 義元が口を閉じると、変わって雪斎が口を開いた。 

「我々と北条は仲違いしております。ですので、武田殿から北条に、三国同盟について打診していただいたところ、北条もこの話には前向きとのこと」

「武田も北条も敵が多いからな。それぞれ背後を固めたいという思惑は一致しておる。昨年、朱雀が武田義信に輿入れした。そこで次はそちの出番だ」

「若殿の正室を北条から迎え、北条の嫡男と武田の娘を婚姻させます。さすれば、三国の嫡男が婚姻で結ばれ、強固な同盟となりましょう」

「はあ……」

 氏真は気の抜けたような返事を返した。

 武田・北条との三国同盟は、氏真が以前から義元に述べていた事柄である。その際、義元はその実現性について懐疑的であった。それがこうも呆気なく進んでいるとは。

 雪斎の手腕が卓越しているのか、それとも何か他の理由があるのか……。

 氏真の脳裏に一瞬、遙か昔の記憶が掠める。

 確かイベントやサプライズがどうとかこうとか……。

「そちも来年には北条の娘を正室に迎えることとなる。それまでに身辺を整理しておけ」

 義元の声に、氏真は顔を上げた。

「そちが泰朝や長照、正純等と身分を隠して遊女を買っている話は聞き及んでおる」

 義元の声は冷ややかだ。

 義元は性欲に乏しく、病没した氏真の母であり武田晴信の姉である正室の他には、側室が二人いるだけである。

 また僧侶上がりだが、衆道にも興味を示すことはなかった。

 その義元の目に、息子の女遊びはどう映っているのか。

 息子の内心の動揺を知ってか知らずか、義元は冷たい表情のまま言葉を続ける。

「そちが駿河や京で女を買うのは勝手だ。側室を持つのも好きにしろ。だが、正室は北条の娘であることを忘れるな。所詮大名の婚姻は外交にすぎんのだ」

 義元の冷えた声に、氏真は「承知しました」と頭を下げた。

「ところで父上。二俣で行おうと考えている施策について、ご許可を頂きたいのですが」

 そう言うと氏真は、城で勘助や直と競技した施策を説明した。

 雪斎は時折「ほう」と声を発したが、義元は特に感心した様子もなく表情も変わらない。

 やがて氏真が説明を終えると、義元が口を開いた。

「その方法で、そちが散財した千貫文以上の利益をもたらすことができるのか?」

「必ずや」

 絶対の自信がある訳ではないが、氏真はそう答えるしかなかった。

「そちは将軍家への献金は無駄だと申したそうだな」

「……はい」

「だが、権威というのは役に立つ。仮に将軍家が当家を尾張の守護に任じれば、それだけで尾張侵攻の大義名分となる。

 そちは将軍家を力なきものと斬り捨てたが、捨てた以上、将軍家が与える権威よりも高い益を当家にもたらせ。よいな」

「……承知いたしました」

 氏真は平伏した。


 義元の部屋から退出すると、氏真は大きく息を吐いた。

 思えば義元は、息子である氏真に親愛の情を見せたことが一度もない。今川家にとって役に立つ人間かどうか、それだけの価値観で義元は氏真を見定めている。

 だからだろう、義元に呼び出されると、まるで自分が茶器や武具のように鑑定されているような気になってくる。

 そして今川家に益をもたらさなければ、自分はどうなるのか?

 弟はいまだ元服しておらず、正室には北条家の娘を迎える氏真の嫡男の座は安泰に見える。

 だが、義元という人物は、自分が今川家に益をもたらせなければ、平然と廃嫡するに違いない。

 少なくとも氏真は、義元が親子の情を持っているとは信じていない。

 義元に認められるには、結果を残し続けなければならないのだ。

「実の親と会って気疲れするとはな……。御影に癒されよう」

 そう呟くと、氏真は祖母である寿桂尼の部屋へと向かった。

 氏真が四人弟妹の長男であることは以前に述べた。

 氏真は今年で十六歳。母親は武田晴信の姉である。

 長女の朱雀は十五歳。氏真と母が同じで、昨年従兄である武田義信に嫁いだ。

 次男の夜叉丸は側室の子である。まだ十一歳なので、武芸が得意か、それとも学問に興味があるのか未だに分からないが健康に成長している。

 次女の御影も側室の子であり、歳は九。子供ではあるが、氏真にとっては可愛くて仕方ない妹だ。

 夜叉丸と御影の養育は祖母である寿桂尼に任されている。

 氏真は寿桂尼の屋敷を尋ねると、祖母に御影の様子を聞いた。

「今は昼寝をしておりますよ。寝顔を覗いていきますか?」

 祖母の言葉に氏真は頷くと、御影が寝ている部屋へ静かに入った。

 御影は安らかに寝息を立てていた。

 その寝顔を見ていると、自然と氏真の心は癒される。

 姉である朱雀は甲斐に輿入れしたが、御影は何としても手元に置いておきたい。もし嫁がせるのなら、例え今川が滅んでも生き残り、一生御影を守れるような男に嫁がせたい。

 そう思いつつ、氏真はしばらくの間御影の寝顔を見続けた後、音を立てずに部屋を出ると、祖母の元へ向かった。

「生憎と夜叉丸は稽古のため留守ですよ」

「構いません。弟など放っておいても勝手に育つものです。今日は御影の寝顔を観られただけで満足です」

 寿桂尼の言葉に氏真は身も蓋もない言葉を返す。

「そなたは本当に妹が好きですねえ。朱雀とも毎月のように文をやり取りしているのでしょう?」

「はい。どうやら義信殿は朱雀を大事にしているようです」

 朱雀本人からの文だけでなく、朱雀に付き添っている侍女や兵達の手紙にも、義信が朱雀を大事に扱っている様子が書かれており、氏真は一先ず安心していた。

「尤も、武田が朱雀を泣かせるならば、駿河の兵という兵を率いて、甲斐を攻め滅ぼしますが」

「そなたが言うと冗談には聞こえませんね。ところで、妹が嫁に行ったのです。そなたも身を固めてもよいのではありませんか?」

「……先程、父上から『大名の婚姻は外交である』との言葉を頂きました。私の縁談は私の自由にはなりません」

「正室なら義元の言うとおりかもしれませんが、側室なら話は別でしょう? 私も早く孫の顔が見たいのですよ」

 何気ない祖母の言葉だが、やましい行いに心当たりのある氏真は内心で肩を竦めた。

 果たして祖母は、氏真の大名の嫡男らしからぬ行いを知った上で、きとんと身を固めろと忠告しているのだろうか?

「努力致します、御祖母様」

 穏和な笑みを浮かべた祖母に真意を聞くわけにいかず、氏真は神妙な表情で頷いた。 

 久々に刊行されたアルスラーン戦記の14巻と荒川弘が書いた漫画版アルスラーン戦記を読んで、アルスラーン型のお人好しの善良君主を主人公にすればよかったかなあと少し後悔。

 今の氏真じゃ、どう考えてもラジェンドラだもんなあ……。

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