第六章 ついに二人は手を繋ぐ
その一 記憶と思い出
『いいか、ソルト』
しがみつく俺を体から離し、父さんは片膝を付いた。
不安を隠し切れない俺と、同じ目線になる。
これは、いつの頃だっけ…。
『たとえ血が繋がっていなくても、僕はソルトの父さんだ』
『そるとの?』
『そう。僕はソルトを、本当の子供だと思っている』
俺が聞き返すと、父さんは微笑み、頷いてくれた。
これは確か、俺が三歳ぐらいの頃だ。
なんで、こんな昔の事を思い出しているのだろう。
俺は、魔王の放った黒い風に包まれたはず。そうしたら、何をやっても無駄な気がしてきて、もう駄目だと思ったんだ。
俺、死んじゃうのかな。
でも俺が死んだら、血は繋がっていないけど、父さんと母さん、泣くよね。
二人を泣かせるの、嫌だな。
二人とも、俺の事『大切な家族』だって言ってくれているのに…。
俺、まだ親孝行してないや。
『ソルト』
父さんの声が響く。
この思い出って、確か、俺が幽霊嫌いになった頃だよな。
――三歳ぐらいの時、一人で遊んでいたあの日。
半透明で、緑色をした女性が現れたんだ。
そして、俺にこう言った。
『リュリュンとシドは、貴方の本当の両親ではありません』
今ではきちんと理解している。
俺と二人は、そんなに歳が離れていない。普通に考えれば、俺が生まれる筈がない。
でも三歳児にそんな事、理解できる筈などなくて、ショックだった。
悲しくて、幽霊が嫌いになった。
幽霊=(イコール)酷い事を言う者、と認識してしまった。
幽霊は怖い、そう思い続けた。
習慣とは恐ろしいもので、今でも幽霊は苦手なままだ。
俺は、直ぐに父さんに事実を確認しに走った。
そうしたら父さんは、涙を拭って俺を優しく抱きしめてくれたんだ。
そして、優しく告げた。
血は繋がっていなくても、父と子に変わりはないと。
『僕はソルトが大好きだよ。ソルトは僕の事、好き?』
『そるとも、だいすき』
『リュリュンの事は?』
『おんなじくらい、だいすき』
『なら、それでいいじゃない』
『いいの?』
『いいよ』
『ほんとうに?』
『本当に』
父さんが笑ってくれて、俺もようやく笑う事ができた。
『でも、そるとのほんとうのおとーさんとおかーさんは、そるとのこときらいなの?だからそるとと、いっしょじゃないの?』
不安が再び押し寄せてきて、俺は父さんの服を、ぎゅっと握る。
『二人はソルトの事、とっても大好きだよ。でも、大好きだから一緒にいられなかったんだ』
『よくわかんない…』
『ソルトが16歳になったらわかるよ』
『じゅうろくしゃい?そるといま、さんこだから…いち、にい、さん?』
指を折って数え始めた俺の手を、父さんが優しく包み込む。
『一つ、覚えてほしい事があるんだ』
『なあに?』
『ソルトが16歳になった時、とても辛い事が起こると思う。ソルトは頑張り屋さんだから、何とかしようと頑張るかもしれない。でも、頑張っても駄目な時は「風の神様」を呼ぶんだ』
『かぜのかみさま?』
父さんは頷いて続けた。
『ソルトや、ソルトの大切な仲間達が死んでしまいそうな危機に陥った時、助けてってお願いするんだ』
『しんじゃいそうなとき?』
『そう。その時、神様に「真の名を」と言われると思う』
『まことのなを?』
『そうしたら呪文を唱えるんだよ。よく聞いて、覚えて。呪文は――…』
ここまで思い出した時、ゆっくりと絶望感が体から抜けていった。
死にそうな程のピンチ。それは、今の事だ。
何で、忘れていたのだろう。あんなに、一生懸命覚えたのに。
うつ伏せになっていた体を起こそうと、俺は腕に力を入れた。
『ほう。まだ動けるとは…。たいしたものだな、ソルティストよ』
魔王が感心している。
上半身は起こす事ができたけれど、床に座り込んだまま動く事ができない。
『黙って寝ていれば、楽に死ねたものを…』
「死ぬつもりはないよ」
俺は呟き、魔王を睨み付ける。
「ソルトの、言う通りよ」
パインが、体を起こそうとしながら同意した。
「あたしには、やんなきゃなんないコトがあんのよ。こんなトコで、死ぬもんですか」
「そうですわ」
「こんな死に方、格好悪いですよ」
「同感」
シャルトゥーナ様が、エルが、ディアが、体を起こす。
立てないくせに、立とうと頑張っている。
そうだよ、こんなところで、死んでたまるか。
「俺達は、死なない。日常へ、みんなで一緒に帰るんだ!」
魔王が、顔をしかめた。
『完全に具現した暁の餌にしてやろうと思うたが、もうよい。まとめて殺してくれる!』
魔王から、禍々(まがまが)しい気配が溢れ出す。怒気と殺気が、入り交じっている、そんな感じだ。
ビリビリと空気が震え、威圧感が俺達を襲う。
恐怖も絶望も、もう味わうつもりはない。
魔王が右手を前方に突き出す。
『闇よ、集え』
魔王に答えるように、どす黒い闇が手の平に集まっていく。
『永久に眠れ。静かなる詩の中、深淵へと墜ちよ。その魂、跡形も無く喰われるがいい。深淵獣門』
闇が球を成す。バチバチと静電気が回りを走り、中心で何かが蠢く。
闇の中に、深い闇が沈んでいた。
魔王の手の平から、それが勢いよく放たれる。
「光よ、我等を守る壁となれ。シールド」
エルの術が、俺達を守る光の壁を生み出した。
「我、シャルトゥーナ・リー・フェン・ヤークティの名において命ず、我等を守れ、ウンディーネ」
『力を貸しましょう』
シャルトゥーナ様に応え、ウンディーネさんが俺達を守る水の壁を内側に生み出した。
「我、パイン・リクルートが協力を求む。汝、風の精シルフよ。我等を守りたまえ」
『いっちょ、やってやるよ!』
パインに応え、シルフが俺達を守る風の壁をさらに内側に生み出した。
魔王の放った闇の玉と、エルの光の壁とがぶつかる。バチバチと凄い音がする。互いに打ち消しあっているみたいだ。
闇の球は小さくなったものの、エルの術を破って水の壁とぶつかった。
結果は同じ。
『やはり私の力では…』
術が破られたと同時に、ウンディーネさんが呟く。
闇の球を更に小さくする事はできたけれど、シャルトゥーナ様の術も破られてしまった。
最後の砦、パインの術とぶつかる。
「お願い、保って!」
パインが願う。
互いに激しく打ち消し合うが、
バキン
最後の砦が、破られた。
『やっぱり、姉様じゃないと…』
シルフは悔しそうに呟く。
「ウソ…でしょ…」
パインが、呆然と呟く。
後一押しだ。
後一押しで、魔王の術を破れる。
俺は両の拳を握り締め、先程思い出した言葉を叫ぶ。
「みんなを守って、シルフィードォォォ!」
風が、吹いた。
その二 決戦、みんなで一緒に帰るんだ!
俺達を中心に風が渦巻いて、闇の球を打ち消した。
この風、どこから?
俺の……中から?
俺の体から、風が溢れていた。
『『『この風…まさか』』』
魔王、ウンディーネさん、シルフが同時に呟いた。
俺を、信じられないという顔で見つめている。
俺の体、胸の辺りから、緑色の光が溢れた。ゆっくりと体から抜けていく。
そして、半透明の緑色をした女性になった。
この人、見た事がある。俺が、幽霊を嫌いになった原因の人だ。
でもこの感じは…。
ひょっとしてこの人、精霊?
『間に合ってよかった。よく、思い出してくれました』
緑の女性、風の精霊シルフィードが微笑む。
『さあ、契約の証に真の名を』
真の名。
それはつまり、俺の本当の名前、という事だろう。
父さんが教えてくれたのは呪文じゃなくて、俺の本当の名前だったんだ。
シャルトゥーナ様は、自分にそっくりな双子を探している。彼女の素顔は、俺と瓜二つだ。
魔王も俺を見て『お前が…』といっていた。
この事から察するに、俺とシャルトゥーナ様は双子。
だったら、俺に何とかできる力があるかもしれない。
そして、今、目の前で魔王に体を乗っとられているのが、俺の本当の父親なんだ。
陛下は昔、誕生祭で見た事がある。とても優しそうな人だった。
そんな人の体を乗っとるなんて、許せない。
「みんなを、守ってくれるよね?」
シルフィードに尋ねる。
『勿論です。さあ、真の名を私に』
シルフィードは頷いた。
これで合っているのかどうか不安だったけれど、俺は父さんに教えてもらった言葉を叫ぶ。
「ソルティスト・コウ・フェン・ヤークティ!」
風が、俺を起き上がらせた。
全身に力が漲る感じがする。
俺だけじゃなく、みんなも同じみたいだ。
ディアとパインが武器を手に、魔王へ駆ける。
シャルトゥーナ様とエルが、詠唱を始める。
『ソルティスト。貴方だけが知る《魂の言葉》を、どうか思い出して』
シルフィードが優しげに告げた。
俺達を包み込んでいた巨大な風の渦は消え、今は一人一人の回りを優しい風が吹いている。
俺の頬を、風が優しく撫でた。
「大丈夫。もう、思い出したから」
ソルティスト・コウ・フェン・ヤークティ。
この言葉を叫んだ時、大切な言葉を思い出した。
生まれる前から知っていた言葉。
魂に刻まれた、俺だけが知る唯一無二のモノ。
魔王はディアの長刀を剣で、パインのトンファーを素手で受け止める。
両手が塞がっている魔王目掛けて、シャルトゥーナ様とエルが術を放つ。ディアとパインを押し返し、魔王は術を避ける。
俺は体を包む風に乗って、勢いよく魔王の側まで走る。
態勢が立て直しきれていない魔王に、飛び蹴りをかます。
『くっ…』
踏み止どまる魔王。
俺は空中で一回転し、着地する。
そしてすぐさま、魔王のみぞおちに拳を叩き込んだ。
『がふっ』
「でりゃっ」
直ぐに拳を引き、回し蹴りを顔の側面へぶつける。
「ちょ…ソルトやり過ぎじゃ…」
吹き飛んだ魔王を見て、パインが驚く。
そうだった、体は陛下だったんだ。
「しまった、つい…」
「大丈夫だ」
どうしよう、と慌てる俺に、ディアが断言した。
何が大丈夫なんだろう。
「魔王が入り込んでいる時点で、王は死んだも同然だ」
『その通り。この体は最早我の物。魂も直ぐに喰い尽してくれる』
魔王が立ち上がる。
「でも、魔王さえ何とかすれば、陛下は無事なンじゃないの?」
『ほう、よく気付いたな小娘』
パインの指摘を、魔王は肯定する。
『まだ魂は喰らっておらぬ。我が出れば魂は体に戻るやもしれんな』
くくく、と魔王は喉を鳴らして笑う。
やり過ぎると、陛下が死んじゃうって事かよ。
他人の体を使うなんて、狡い。卑怯だ。
「こんの…ひきょー者!」
パインが叫ぶ。
『褒め言葉だな』
魔王が笑う。
「惑わされては駄目です。父はもう死んでいますわ」
シャルトゥーナ様が叫ぶ。
「負ければ僕達が殺されてしまう。二人ともしっかりして」
エルが檄を飛ばす。
「王の為に、奴を倒すぞ」
ディアが長刀を構える。
母さんを悲しませるのは嫌だ。
父さんを悲しませるのは嫌だ。
魂をまだ食べてないって事は、陛下の意識はまだ残っているのかもしれない。陛下が協力してくれれば、何とかなるかもしれない。
「陛下、魔王になんか負けちゃダメだよ!しっかりして!」
『無駄な事を…』
魔王が嘲笑う。
「貴方がそんな事じゃ、母さんが…リュリュンが悲しむよ?」
魔王が、片方の眉を撥ね上げた。
陛下が反応したのだろう。
俺が言った『リュリュン』という単語に。
「負けちゃダメだ!」
『喧しい!』
俺の声を遮るように、魔王が叫ぶ。手の平に闇の球が現れた。
「させるか!」
ディアが長刀を突き出す。
魔王は剣で受け止め、闇の球をディアへと放つ。
「シールド」
エルのかけた防御術とぶつかり、闇の球は四散する。
「はあっ」
パインがトンファーを叩き付ける。
片方は腕で防がれたが、もう片方はみぞおちに入った。
ディアとパインを、魔王は力で押し弾く。
「このぉ」
俺は魔王目掛けて走る。
『甘いわ!』
瞬間的に、魔王が風をぶつけてきた。
「シルフィード!」
俺の声に答え、シルフィードが魔王の風を防ぐ。
魔王が剣を突き出した。
「殺らせるか!」
ディアが長刀を突き出し、俺への攻撃を防ぐ。その下をかいくぐり、俺は魔王へ拳を繰り出した。
けれど、頬を掠めるだけにとどまる。
あと少しだったのに。
『吹き飛べ、爆風』
風が爆発して、俺とディア、パインを吹き飛ばした。
一瞬、息ができなくなる。
床にぶつかる直前、シルフィードの風が俺を包む。
二人もぶつからなかったようだ。
「アクアソリューション」
「ホーリィレーザー」
俺達が魔王の側から離れたのを見計らって、シャルトゥーナ様とエルが術を放った。水柱が退路を塞ぎ、白い光線が魔王を狙う。
『暗黒なる炎、我が手に集え。滅せよ。深淵業火』
魔王の両手から暗い炎が迸り、魔王を中心に渦巻いていく。
水柱と光線が、炎に包まれた魔王を攻撃する。
ドォン…
爆音と共に、水柱も光線も炎も、全て吹き飛んでしまった。
後に残ったのは、悠然と佇む魔王のみ。
そんな魔王に、エルが術を放つ。いつの間に準備していたのだろう。
「ジャッジメント・レイン」
光の雨が、降り注ぐ。
魔王は雨を避けたり剣で弾いたりして躱している。少しだけ、魔王の動きが鈍くなっている気がする。
俺の横を誰かが走り抜けた。白い服を着た…って、シャルトゥーナ様!?
杖を手に、シャルトゥーナ様は光の雨の中を魔王目掛けて走る。
「凝結せし水の刃、我が杖に宿れ」
シャルトゥーナ様の持つ杖に水が絡み付き、一振りの剣になる。
「水嶺暫」
水の剣を魔王目掛けて切り付ける。
もちろん魔王は手にしている剣で受け止める。
「飛天撃」
直後、いつの間にか風の力を借りて魔王の頭上まで跳躍していたパインが、勢いよく降りてきた。
重力に逆らわず、勢いのついたトンファーを魔王に叩き込む。
『ぬぅ』
シャルトゥーナ様は、降りてきたパインの腕を掴み、一緒に魔王から離れる。
入れ替わるようにして、ディアが長刀で切り付けた。
「連撃颯暫」
残像が見える程の、素早い突きと斬り。
早過ぎて、本物の刃が分からない。
『がああっ』
魔王は吠え、剣を繰り出す。
ディアは左に避けて躱す。
「光雅麗斬」
ディアとは反対側から、エルが攻撃を仕掛けた。
エルの剣、刀身がうっすらと光り輝いて見える。
素早く、連続して切り付ける。光の残像が魔王を囲む。
怪我をしているのに、そんなに動いて大丈夫だろうか。
エルとディアは魔王に反撃する暇を与えずに、攻撃している。綺麗な連携だ。お互いの事を信頼し合っているのだろう。
魔王がエルに反撃しようと、剣を振るう。エルは後ろに下がって躱した。その横を、俺がすり抜ける。
「爆氣双波」
俺は魔王の剣をかいくぐると、両手を魔王の胸元に付き、溜め込んでいた氣を爆発させた。
魔王の体が壁まで吹き飛ぶ、筈だった。
『舐めるな!』
「あぐっ」
俺はカウンターで、魔王の蹴りを腹部に食らってしまった。
やば、もろ入った。
肺の中の空気が出ていく。
息が…。
双方が弾かれたように吹き飛ぶ。
『ソルティスト!』
床に叩き付けられる直前、シルフィードの風が受け止めてくれた。
目の前がチカチカする。
うまく、息ができない。
「ソルトさん!しっかりして下さい!」
直ぐにシャルトゥーナ様が駆け寄ってきて、俺の側に座り込む。
「う…げほっ…ごほっ…」
俺は咳き込みながらも、何とか息を整えようとする。
『ダーク・ウェス・ソージュ』
起き上がろうとした時、魔王が術を放ったようだ。
シャルトゥーナ様が俺を支えようとしていたから、俺の位置からは魔王は見えない。
どういう術なのかは分からないけれど、攻撃を受けてしまったのか、三人の悲鳴が聞こえてきた。
直後、余波なのか爆風が俺とシャルトゥーナ様を襲う。
俺とシャルトゥーナ様の頭上を越えて、三人が吹き飛ばされてきた。
「シ、シルフィード」
俺の意図を察し、シルフィードが三人を風で包む。
床への激突は避ける事ができたけれど、エルとパインは倒れたままだ。ディアは辛うじて上半身を起こす。
「大丈夫?」
「何とか…な」
「…僕も…大…丈夫」
「…何とか…生きてる…わ…よぉ」
直ぐにディアから返事がくる。
エルとパインは少し遅れたけれど、何とか無事みたいだ。大丈夫そうには思えないけれど。
『これで、終わらせてくれる』
魔王がよろめきながらも、立ち上がる。
手の平を胸元で向かい合わせ、詠唱を始めた。
魔王の足下に、五芒星の陣が現れた。
「やべぇ」
ディアが掠れた声で呟き、先に仕掛けた。
「鎖よ、捕らえろ!チェイン・ハンター」
魔王の影、その中から無数の黒い鎖が現れ、魔王を包み込もうとする。
だが、向かい合わされた魔王の手の平の間、そこに生み出された闇の球から電撃が飛び出し、次々と鎖を消していく。
エルとパインは、起き上がる事ができない。
ディアは立ち上がろうとするものの、駄目みたいだ。
俺は、詠唱を開始するシャルトゥーナ様の腕を掴んだ。
「ソルト…さん?」
「俺と、貴女は、双子なんだよね?」
「え?ええ、そうですけれど…」
突然確認をしだした俺に戸惑いつつも、シャルトゥーナ様は答えてくれた。
「俺が《言葉》を使うと、どうなるの?」
「私といる状態で使えば、封魔の力が発動します。うまくいけば魔王を封じられる筈ですけれど…」
自信なさげにシャルトゥーナ様は言う。
試した事がないのだから、当たり前か。
魔王の生み出している黒球が、大きくなっていく。
「俺に、力を貸して」
その三 《無限の未来へ》
『さらばだ、消えよ』
身の丈に近い程の闇の光線を、魔王が放つ。迫り来る力を前に、俺とシャルトゥーナ様は立ち上がる。
どちらからともなく手を握った。
充実感が、心を満たしていく。
失われていた半身が、手を繋ぐ事で戻ってきた。そんな感じだ。
俺は右手を、シャルトゥーナ様は左手を前方へ突き出す。
握り合う手に、力を込め合う。
どんどん巨大になる闇。
でも、不思議と怖くなかった。
二人でなら、きっと大丈夫。
そう感じた。
絶対に、負けない。
俺達は、生きて帰る。
「《ЦφЙÅФЭΒС》」
俺が叫ぶと、俺達の手の平から眩い光が溢れ、闇の波動へと向かっていった。
ぶつかりあう波動に耐える為、踏ん張る足に力を入れる。
少しずつ、後ろへ押されていく。
負けない。
負けたくない。
絶対に、勝つ!
その思いだけが、俺の中にあった。
「負けません」
シャルトゥーナ様が呟く。
「私達は…」
「俺達は…」
「「絶対に、勝つ!」」
重なり合う二つの声に呼応して、光が益々強くなる。
『くっ…そんな、馬鹿なぁぁぁぁぁぁ』
闇の波動を押し返し、光は魔王を飲み込んだ。
そして、俺達も――…。
※ ※ ※
「ふぅ。これでよしっと」
ディアヴォレットは鉄格子の中から助け出したレティアを、コルレッタの横の床に寝かせる。
床にはソルト、シャルトゥーナ、パイン、ティファーヌ、コルレッタ、レティアが寝かされていた。
エルドラードはソルトの側に膝をつき、体に両手を翳している。両手の平からは淡い金色の光が溢れていた。ソルトの傷がゆっくりと塞がっていく。
すでにシャルトゥーナとパインの手当は終えたようだ。
ソルトの怪我もあと少しで治療し終えるだろう。
「しっかし、もう動いて平気なのか?」
「うん。ソルト君の術はこちら側の力が強いからね。おかげで力の大半が戻ったよ」
ソルトから目を離さずエルドラードは答える。
ディアヴォレットはそんな彼の隣に移動すると、しゃがみ込んで手元を覗き込んだ。
「ディアこそ平気?」
「俺は人間側だぜ?封魔の力ぐらいじゃなんともねぇよ」
「そっか。よかった」
エルドラードの手の平から光が消えた。治療が終了したようだ。
ソルトの怪我はすっかり消えている。
「さて、長居は無用だな」
「そうだね。早くしないと気付かれてしまう」
二人は立ち上がる。
そぐ傍には、魔王の器だった男性、タクトが倒れていた。
ディアヴォレットは、ほんの少しだけタクトに視線を向ける。
「寂しい?」
「まさか。無事でよかったと思っただけだ」
エルドラードの質問に、ディアヴォレットは首を横に振った。
「もう行こうぜ。みんなが起きちまう」
「うん、そうだね」
二人は気絶している六人を振り返ると、
「さようなら」「じゃあな」
と小さく告げ、玉座の間を後にした。
※ ※ ※
「…ちゃん……ルトちゃん……ソルトちゃん」
遠くの方で、誰かが名前を呼ぶ。
聞いた事のある声だ。
女性の、優しい声。
「起きて、ソルトちゃん」
ゆさゆさと、体が揺さぶられる。
「ソルトちゃん、起きて」
ゆさゆさ
「ソルトちゃんったら…」
ゆさゆさ
体が、だるい。
もう少し、このまま横になっていたい。
「もう、しょうがないわねぇ」
ため息と共に、揺さぶりが止まる。
「甘やかしたら駄目だよ」
動きを止めた女性にだと思うが、男性らしき声がかかる。
「でも、疲れているみたいよ」
「疲れているのはソルトだけじゃないさ」
この声、どこかで聞いている。
誰だろう、凄く近くにいる人のはずだ。
「起きなさい、ソルト」
叱咤する男性の声。
「うーん」
まだ、横になっていたい。
「あと五分だけぇ」
「いいからさっさと起きなさい!」
「は、はいぃ」
わがままをいった俺の耳元で、男性が叫んだ。
聞き覚えのある声に叱られ、反射的に体を起こす。
聞き覚えがあるというか、ありまくりというか…。
キーンと鳴る耳を押さえ、俺は声の主へと顔を向けた。
「やっと起きたか、ソルト」
「おはよう、ソルトちゃん」
そこには呆れ顔の父さんと、いつも通りの笑顔を浮かべた母さんの姿。
「おはよう…。父さん、何も耳元で叫ばなくてもいいんじゃ…」
「起きないソルトが悪い。何回起こしたと思っているんだ」
「ソルトちゃんはお寝坊さんね。もう皆起きているのよ」
「みんな…?」
言われて辺りを見回す。
俺から少し離れた位置に、五人はいた。床に直接、座り込んでいる。
ベールを脱ぎ去り、素顔を晒しているシャルトゥーナ様と、座り込んでいるパイン。
安堵の表情を浮かべているティファーヌ様にレティア、コルレッタ。
みんなで何やら話をしている。時折笑い声も混じり、とても楽しそうだ。不安はどこかへ吹き飛んでしまったみたいだ。
「おっはよー、ソルト」
パインが俺に気づき、声をかけてくれた。
「おはよう」
俺は立ち上がり、みんなへ近づく。
「もう平気ですか?」
「はい、大丈夫です」
シャルトゥーナ様の質問に答える。
パインが少しよけて俺の席を作ってくれた。シャルトゥーナ様とパインの間に、俺は座る。
「本当にソルトとシャルトゥーナ様、似てる」
隣り合う俺とシャルトゥーナ様の顔を見比べながら、コルレッタは呟いた。
「本当に」
レティアも頷く。
「まさか、私に弟がいたなんて…」
ティファーヌ様が、俺の顔をまじまじと見つめながら言う。
どうやらみんな、俺とシャルトゥーナ様が双子だって事を知っているみたいだ。きっと俺が寝ている間に、シャルトゥーナ様が事情を説明したのだろう。
そうか、俺とシャルトゥーナ様が双子だとすると、俺はティファーヌ様の弟になるんだよね。
…ん?
まてよ?
すると俺って、ひょっとして…。
「スゴイじゃん。ソルト、アンタこの国の王子様よ」
パインが俺の脇腹を肘でつつき、捲くし立てる。
あ、やっぱりそういう事になるんだ。
「大まかな話は、シャルトゥーナ様から聞きました」
レティアが静かに言う。
「私達はずっと眠っていましたから知りませんでしたが、随分と大変だったようですね」
「助けてくれて、ありがとね」
「本当に感謝しています」
「そ、そんなたいした事はしていませんよ」
礼を述べる三人に、俺は慌てて首を横に振る。
「俺はほとんど役に立ってないし、シャルトゥーナ様とパインのほうが…。それにエルとディアの助けがあったから…」
ここまで言って、気がついた。
ここに、エルとディアがいない。
「あ、あれ?エルとディアは?」
俺の質問に、パインが軽く手を上げた。
「あたしが一番初めに気づいたんだけどさ、二人の姿はもうなかったわ。そんでケガがキレーに治ってたのよ」
「お二人とも、私達の怪我を治してから去ってしまったようです」
パインの言葉をシャルトゥーナ様が引き継ぐ。
「あら残念ね。ソルトちゃんを助けてもらったお礼を言いたかったのに」
母さんが右手を頬に当てた。
「一足遅かったみたいだね」
父さんが肩を竦める。
「俺だって、お礼言いたかったな」
何も、黙っていなくなる事ないのに。
「で、一つ聞きたいんだけど。何で父さんと母さんがここにいるの?」
先程から気になっていた質問をぶつける。
父さんと母さんがここにいる事に対して、俺はそんなに驚いていない。
父さんは占いが得意なんだ。その腕前は予言レベルだけど、父さんは占いだって言い張っている。
俺が家に戻らない時点で、占いで俺の事を調べているだろうとは思っていた。父さんの占いは的中率100%だ。
俺が知る限り、外れた事は一度もない。
俺がここにいる事は、直ぐに分かっただろう。
母さんは、いつものほほんとしていて『癒し系』なんてみんなに言われているけど、結構無茶する事が多い。
父さんの占いを聞いて俺が城にいるとわかれば、乗り込んでくるのも予想できる。
でも、この『玉座の間』って隠し部屋になっていたんじゃなかったっけ。どうやって入ってきたのだろう。
それにもう一つ、気になる点がある。
それは、二人の服装だ。
父さんは普段、白いシャツに灰青色のズボン、赤いエプロンを身につけている。
でも今は、肘までの白いシャツの上に、同じく肘までのカーキ色のセーターを重ね、灰青色のズボンを穿いている。普段とは全く違う服装だ。
首には深緑色のメダルが付いたカーキ色のチョーカーをしている。このチョーカー、初め
て見た。
母さんは俺と同じく、女統族の民族衣装だ。
だが、いつも来ている『姫踊』ではなく『蝶舞』。足首までの長い裾で、俺の物より濃い赤い色の服だ。銀糸で縁取りが施されたドレスは、左右にスリットが入っている。下着が見えそうで見えないという、ギリギリの位置だ。
灰色の髪は結い上げられ、赤い羽根飾りの付いた髪飾りで留められている。両耳に扇子の飾りが付いたイヤリングをし、右手の中指には白銀色の指輪を嵌めていた。
体のラインが分かってしまう程の服を着ている時点で、普段着とはかけ離れている。
ちょっとした自慢だけど、母さんのスタイルは抜群だ。二人とも20代前半に見える若さだしね。
「シドがね、ソルトちゃんがここにいるって言うから、迎えに来たのよ」
にこにこと母さんが笑う。
「それはなんとなく分かっていたよ。どうやってここに入ったのかって聞いているの」
「私が招いたのですよ」
俺の質問に答えたのは、父さんでも母さんでもない。
声の方に視線を向けると、陛下がいた。
「陛…下?」
陛下が穏やかな目をして俺達に近づいてくる。
流石に座りっぱなしでは失礼なので、俺は立ち上がる。
ぼさぼさの髪も、痩せこけた顔も、最初に見たときと同じだけれど、その瞳には生気が戻っている。
魔王は、どうなったのだろう。陛下の中からいなくなったのかな。
俺の表情から、何を思っているのかを読み取ったらしく、陛下は微笑んで教えてくれた。
「貴方とシャルトゥーナの放った光は、私の中に居座っていた魔王だけを封印してくれました。お陰で、こうして此処にいられます。シドさんとリュリュンさんは近くに入らしていましたから、中に招きました。本当に、有難う。ソルティスト」
「いえ、対した事は…」
「ソルトは立派な事をしたんだ。遠慮せずに褒められておきなさい」
父さんが俺の肩に手を置く。
「じゃあ、褒められます」
急に照れくさくなった。
俺、役に立てたんだよね。なんだか、嬉しいな。
頬が少し熱い。えへへと、照れ隠しに笑う。
父さんと母さんも、何だか嬉しそうだ。
「あの、陛下に聞きたい事があるのですが」
ちょっと強引だったけど、俺は話を変える。
「畏まらないで。貴方は私の息子なのだから」
俺が今正に質問しようと思っていた事を、陛下は笑顔で言った。
やっぱり俺は、陛下の息子なんだ。
「あの、俺は、城に住まないと駄目ですか?」
「え?」
質問の意味が分からなかったようで、陛下は聞き返した。
「あら、ソルトちゃん。お城に住むの、嫌なの?」
「本当の父さんに、やっと会えたんだぞ?」
父さんと母さんが驚く。
本当の父さん、か。
俺は思い切って胸の内を明ける事にした。
これは、とても大事な事だから。
「俺にとっての父さんと母さんは、シドとリュリュンだけです。俺は、ツェン・ソルトのままでいたい。ソルティスト――王子として生きたいとは思いません。陛下には悪いですけれど、俺は…」
「かまいませんよ」
一気に捲くし立てる俺の言葉を聞き、陛下は一瞬驚くと、微笑んだ。とても優しい瞳だ。
「いきなり王子だと言われて、一番大変なのは貴方です。貴方がそれを望むのならば、私は、止めはしません。今更父親面をしようとも思いません。それに…」
陛下はそこで一旦区切ると、父さんと母さんへ視線を向けた。
「私では、シドさんとリュリュンさんのように育てる事はできませんから」
陛下は自嘲気味に笑う。
「いいのか?本当の父親と暮らさなくて」
父さんが再度確認する。
確かに、小さい頃は本当の両親に会いたかった。けれど、今はそんな事ない。
「本当の両親は、父さんと母さんだけだよ」
「「ソルト…」」
素直な気持ちを伝えれば、二人は声をそろえて名前を呼んでくれた。
母さんは口元を手で押さえている。
そして突然、俺に抱きついてきた。
「お母さんにとっても、ソルトちゃんは本当の子供よ。血は繋がっていないけれど、大切な家族よ」
「か、母さん、苦しいよ…」
母さんが力強く抱きしめるから、豊満な胸に顔が潰されて息がしづらい。でも、この苦しさが嬉しい。
父さんは微笑んでくれている。
二人とも俺を迎えてくれる。
嫌がる素振りなんてなく、母さんの目には涙まで浮かんでいた。
俺は、やっぱり、ツェン・ソルトでいたい。
目の奥が熱い。
声を上げて泣きたかったけれど、みんながいるから我慢する。
「この事は、私達だけの秘密にいたしましょう。ソルトさんは王子として城に残るよりも、お二人の元に帰るのが、一番幸せでしょうしね」
ティファーヌ様が微笑みながら提案してくれた。
「そうね。オカマの王子なんて」
「聞いた事ないしね」
パインとコルレッタが意地悪な笑みを浮かべる。
「だから、俺はオカマじゃないって」
そんな二人に俺は抗議する。
母さんに抱きしめられたままじゃ、格好つかないけどね。
みんなの優しさが心に染み渡り、嬉しさで胸が一杯になる。
「あの、はしゃぐのもよろしいですけれど、そろそろ此処から出ませんか?」
レティアが遠慮がちに口を挟む。
「そうですね。皆さん、本日はお疲れでしょう。城に泊まってください。シャルトゥーナ、案内を」
「はい、お父様」
陛下に言われ、シャルトゥーナ様が俺達を促す。
そうだよな、いつもでも玉座の間にいる訳には行かないよね。
「シドさん、リュリュンさん、少しお話が…」
陛下が父さんと母さんを呼び止める。
「わかりました」
「それじゃあソルトちゃん、先にお部屋に行っていてね」
父さんが頷き、母さんはようやく俺を放した。
「うん、わかった」
俺はシャルトゥーナ様を追う。
陛下、二人に何の話かな。もしかして、リィリュンさんの事かな。
少し気になったけれど、俺は言われた通りに部屋を出た。
その四 後日~いつもの日々が戻ってきた~
魔王との戦いから三日。
今日、陛下は王位から退き、ティファーヌ様が王位を継いだ。
陛下は魔王に体を乗っ取られていたせいで、体が上手く動かせなくなってしまったみたい。それで第一王女のティファーヌ様が、王位についたという訳。
正式な発表は色々な手続きがあるらしくて、一ヶ月程後になる予定。
他国からお偉いさんを呼んだり、戴冠式の準備をしたりと色々あるみたいだ。
城で働いている人達は、魔王の一件を知らないらしく不思議がっていた。陛下が術を使って記憶を消したらしい。そこら辺は、術に詳しくないからよく分からないけれどね。
ティファーヌ様は国民に人気があるから、反対する人は誰もいなかった。
沢山の花吹雪が舞い、楽団の演奏が城の周りを賑やかなものにしていた。
城下地区はお祭り騒ぎで、沢山の屋台が立ち並び、道を歩くだけで美味しそうな匂いが鼻をついた。
お昼頃から始まった国だけの小さな戴冠式は、歓声と共に始まり歓声と共に終わった。
陛下は杖を付き、危なげに歩いて現れた。それをティファーヌ様とシャルトゥーナ様が両脇から支えていた。
陛下はまだ少しやつれていて、集まっていた人々はとても驚いていた。
ティファーヌ様は、黒く長い髪を背中に流し、頭上に綺麗な銀細工のティアラを乗せていた。薄紫色のドレスはラベンダーの花のようで、いつもより数段美しく見えた。
シャルトゥーナ様は相変わらずベールで顔を覆っている。橙色のドレスが陽光のようで美しい。
陛下の挨拶、少し緊張気味のティファーヌ様の挨拶。
俺は父さんと母さんと一緒に奥の方で見ていた。
早めに来たつもりだったのだけど、上には上がいるもので、城の前は既に人垣ができていた。
それでもシャルトゥーナ様は俺に気づいて、小さく手を振ってくれた。いつも通りベールをつけていて表情は見えないけれど、きっと笑ってくれていただろう。
俺が王子だという事には、一言も触れられなかった。本当に内緒にしてくれたみたいだ。
国だけの戴冠式が終わり、俺達家族は何故か城に呼ばれていた。
父さんと母さんはタクト様に呼ばれ、どこかへ行ってしまった。
俺はシャルトゥーナ様の部屋でお茶を飲んでいる。
白と淡い桃色を基調とした部屋には、撫子の花が飾られ、良い匂いを部屋中に満たしていた。
俺とシャルトゥーナ様は桃色のソファに座り、膝に届く程度の小さくて白く四角いテーブルを挟んでいる。白い陶器のティーカップには飴色の紅茶が入っている。
シャルトゥーナ様はベールを外し、素顔を見せていた。
見れば見る程、鏡のようだ。
「コルレッタさんとレティアさんは、本日より正式に女王陛下にお使えするそうですわ」
「そうなんですか」
ティファーヌ様と本人達の希望で、事件の終わった三日前から、コルレッタとレティアはティファーヌ様の手伝いをしていた。
本当は俺も手伝いたかったのだけれど、初めて使った術(しかもかなり強烈なヤツ)のせいで、あの後熱を出して寝込んでしまっていた。
体は上手く動かせないし、だるさは取れないし、直ぐに疲れて眠気が襲ってくるし…。
元気が取り柄なのに、店の手伝いさえ上手くできなかった。
今もまだ、時々眠気が襲ってくる。
「体調はどうですか?」
「大丈夫ですよ。心配かけてすみません、シャルトゥーナ様」
『シャルトゥーナ様』と俺が言うと、彼女は眉を寄せた。
「皆さんの前では、私と貴方は他人です。ですが、今、この部屋には私と貴方しかいません。双子なのですから、私の事は呼び捨てでかまいませんわ」
「そんな事、急に言われても…」
確かに俺とシャルトゥーナ様は双子だ。
だけど、小さい頃から『シャルトゥーナ様』と呼んでいたのだ。いきなり呼び捨ては抵抗がある。
こればっかりは、慣れるしかないだろうな。
それに、いくら双子でも、俺は『王子』ではなく南部地区に住む『女統族の少年』を選んだのだ。
はっきり言って、身分が違う。
でも、シャルトゥーナ様の好意は、嬉しい。
「慣れてもらうしかありませんね」
シャルトゥーナは小さくため息をついた。
「すみません…」
「もう、普通に接してくださいな」
「すみ…いや、ごめん」
シャルトゥーナ様……いや、シャルトゥーナは不貞腐れる。
でも、どこか楽しんでいるようにも見える。
もしかしたらシャルトゥーナの事だから、後者のほうが合っているのかもしれない。
「パインさんは、もう旅に出てしまいましたか?」
「うん。戴冠式が終わってすぐにね」
「まあ、そうでしたか」
「挨拶したかったみたいだけど、会わせてもらえなかったって。唯一会えたのは、俺だけだってさ」
「後片付けで城中混乱していましたものね。私も、もう一度パインさんにお会いしたかったですわ」
そう、パインはつい先程、ヤークティ共和国を出発した。何でも、目的のある旅をしているらしい。
戴冠式の人混みの中、会えたのは奇跡と言っていいくらいだった。
相変わらず笑っていて、最後まで楽しかったな。旅はいいものだって言っていた。俺も旅をしたいなって思ったぐらいだ。
いつかまた、会えるといいな。
「ソルトさんは、これからどうします?」
「前にも言ったけど、王子になる気はないよ。俺はツェン・ソルトだからさ」
俺は紅茶を一口啜る。
いい香りと甘い味が口の中に広がる。何ていう銘柄なのかな。
「では、家業を継ぐのですね」
「いずれはそうしたいなって思っているよ」
いずれは猫風館を引き継ぎたい。その為には父さんと母さんの手伝いをして、接客と料理の腕を上げたいと思っている。
だけど、今の俺にはもう一つ、思う事があった。
「いずれ…ですか」
シャルトゥーナが不思議そうな顔をする。
「実は俺、旅に出たいなって思っているんだ」
「『旅』、ですか?もしかして、パインさんの影響です?」
シャルトゥーナが首を傾げる。
「まあ、それもあるかな。でも、実は俺…」
俺が頷いて口を開きかけた時、誰かが部屋の戸を叩いた。
シャルトゥーナが慌ててベールを身につける。
「どうぞ」
「失礼します」
シャルトゥーナが言うと、男性の声がして戸が開かれた。
入ってきたのは二人。
「なんだ、父さんと母さんか」
城に使えている人かと緊張したのだけど、その必要はなかったみたい。シャルトゥーナも安堵の息をつき、ベールを取り外した。
「何だ、とは心外だな」
父さんが苦笑する。
「だって城の人かと思ったんだもん」
「驚かせてごめんね、ソルトちゃん」
「もう、帰る時間?」
「まだ大丈夫よ。実はね、ソルトちゃんとシャルトゥーナちゃんにお話があるの」
俺が聞くと、母さんはのほほんと答えた。
俺はシャルトゥーナの隣に移動し、父さんと母さんは並んで俺達の向かいに座る。
「今お茶を用意させますわ」
「お構いなく」
シャルトゥーナに座ってといい、父さんは口を開いた。
「先程タクト様と話してきたのだけれど、父さんも母さんも、ソルトの自由にすることにした」
「へ?」
自由にって、何の事だろう。
もしかして、俺が思っている事、バレてるのかな。
「ソルト、旅に出たいのだろう?」
ドキッとした。
何故なら、父さんの言った事は当たっていたからだ。
「な、何でそう思うの?」
「あら、ソルトちゃん前から言っていたじゃない。『16歳になったら旅に出たい』って」
母さんがにこにこと笑いながら言う。
「あれ?そうだっけ?」
女統族では16歳から成人である。
結婚もできるし、子供だって産める。旅に出る事も可能だ。15歳までは親と一緒じゃないと旅はできない。そういう決まりだ。
父さんも母さんも、旅には一度も連れて行ってくれなかった。
今にして思うと、それは俺が王子だったからなのだろう。
友達はみんな旅をしたことがあるのに、俺だけした事がなくて凄く悔しかった事もある。
まあ、旅といっても隣国に行く程度だ。旅というよりも、旅行と言ったほうがしっくりくる。
旅から帰ってきた友達を見て、心の隅でいつも思っていた。『16歳になったら、旅に出たい』と。
俺はついに、16歳になった。
誕生日は魔王との決戦日という、ある意味記念すべき日になった。
だけど…。
正直に言って、迷っている。本当に、旅に出てもいいのだろうか。
本当の子供じゃない俺を、今まで育ててきてくれた父さんと母さん。
俺は、何も返せていない。
旅というのは危険が伴う。
もし、どこかで死んでしまったら…。
帰ってくることが出来なかったら…。
そう思うと、旅に出たいとは言い出せなかった。
俺の葛藤を見透かしたかのように、父さんが口を開く。
「正直なところ、私もリュリュンも、ソルトには旅に出てほしくない。このままずっと三人で暮らしていきたいと思っている。でも…」
「でもね、私もシドも、ソルトちゃんには自分の心を偽ってもらいたくないの」
父さんの言葉を、母さんが引き継ぐ。
「ソルトちゃん。血は繋がっていなくても、私達は家族よ。遠慮なんてしないで」
母さんは、いつも通り穏やかに笑う。
心に染みる言葉というのが、誰にでも必ずあると思う。
俺の場合は『家族』という言葉だ。それも、父さんと母さんに言われる家族という言葉。
そうだよね、家族の間に遠慮なんて要らないよね。
いまので、決心がついた。
「俺、旅をしてみたい。危険だって分かっているけど、でも、旅をしてみたいんだ」
俺が真剣に答えれば、父さんも母さんも真剣に聞いてくれる。
「ヤークティの外には、城で戦ったような魔物もいるだろうけど…。それでも、小さい頃からの夢だったから。目的も何もないけど、この目で広い世界を見てみたいんだ」
「やっぱり、そう言うと思ったわ。流石はソルトちゃんね」
「予想通りの反応だなぁ」
長年一緒にいた父さんと母さんには、俺の考えはお見通しだったみたい。
二人とも嬉しそうに笑っている。俺が遠慮せずに、素直な気持ちを伝えた事を、心から喜んでくれていた。二人が嬉しいと、俺も嬉しい。
「でも、旅に出るって言っても今すぐじゃないけどね」
俺が言うと、なぜか父さんと母さんは驚いて顔を見合わせた。
なんでだろう。俺、何か変な事いったかな。
「今直ぐに、って言うと思っていたのだけれど…」
呆けた顔で母さんが聞く。
「今すぐになんて行かないよ。城で大変な目にあったばっかりだもん。しばらくはのんびりしたいよ」
「暫くって?」
呆けた顔で父さんが聞く。
「んー。二、三年かな」
俺が答えると、父さんと母さんは再び顔を見合せてため息をついた。
二人とも困惑しているみたいだけれど…。
「旅に出ないと、何かマズイの?」
思い切って聞いてみる。
「実はね、ソルトちゃんが直ぐに旅に出ると思ったから、引き受けちゃったのよ」
「引き受けたって…。何を?誰から?」
右手を頬にあてて母さんは苦笑を浮かべている。
俺の質問に答えてくれたのは、こちらも苦笑を浮かべた父さんだ。
「タクト様から、グランシャリオまで書状を運ぶ仕事だよ」
「はあ?」
「いやぁ。旅のついでにソルトに運んでもらおうと思って…」
「か、勝手に決めないでよ!そんでもって勝手に重要そうな依頼を受けないで!」
『呆れる』とか『怒る』というよりも『またか』という思いが強い。
たまーにあるのだ。二人が突然変な仕事を引き受けてくる事が。
ある日突然、買い物の依頼を受けてきたり、祝い事用の料理を作る仕事を受けてきたり、赤ちゃんの世話の依頼を受けたり…。
でもってやるのは大抵、俺。
今回も勝手に依頼を受けてくるし。
うちはギルドじゃないんだって事、わかっているのかな。
えーっと、ギルドっていうのはね、簡単にいえば『なんでも屋』みたいなものだ。
仕事内容と報酬を掲示して、各国にあるギルド拠点地に掲示しておけば、旅のギルドが仕事を引き受けてくれる事がある。
父さんと母さんはお人好しなところがあるからなぁ。
俺の口元が、自然と笑みの形を作ろうとする。だって、何だか嬉しくなっちゃったんだ。
父さんも母さんも、前と何一つ変わらない。この三日間もそうだった。
正直に言うと、俺達の関係が壊れてしまうんじゃないかって、少しだけ思っていた。普段と変わらなくても、どこかよそよそしくなるんじゃないかって。
でも、そんな事はなくて。
だから、勝手に仕事をもらってきて俺にやらせようとする行動が、何一つ変わらない関係を実感させてくれて嬉しかった。
かなり迷惑だけど。
二人には俺が付いてないと駄目かもしれない。
「まったく、しょうがないな。その仕事、やってあげるよ」
「「本当?」」
俺が肩をすくめて答えると、父さんと母さんは声を揃えて聞いてくる。
「引き受けちゃったんでしょ?だったらやってあげるよ」
俺が言えば、二人は嬉しそうに笑う。
「で、仕事の内容は?」
「タクト様からの親書を、グランシャリオ皇帝に持っていくものだよ」
「ふーん。って、めちゃくちゃ重要任務じゃん!」
なんでもないように父さんは言う。でもこれはかなりの重要任務だ。
なんせ親書だよ?親書!
「中身はね、ティファーヌ様の正式な戴冠式の招待状だから、失くしたりしたら駄目よ」
「だ、大丈夫…」
そんなにプレッシャーをかけないでもらいたい。
だいたい、戴冠式の招待状を一般人に持っていかせないでよ。
「それにね、エルドラードちゃんとディアちゃん、だったかしら?ソルトちゃんを助けてくれた二人組も、グランシャリオ方面に向かったらしいわよ」
「え?」
突然母さんが話を変えた。
「ソルト、お礼が言いたかったって言っただろう?もしかしたら、二人に会えるかもしれないぞ」
父さんも話を切り替えてきたって事は、俺のやる気を上げようって魂胆だろう。
まったくもう。しょうがない。
「ちゃんとやるって。そんな小細工必要ないから」
「小細工だなんて…」
「ねぇ」
父さんと母さんが笑って誤魔化す。
今日はもう遅い。出発するならば明日がいい。
これから準備すれば、明日には出発できるはずだ。
「それじゃあ、明日出発するよ」
「頼むよ、ソルト」
「お願いね」
押し切られた俺を見て、シャルトゥーナが微笑を浮かべた。