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そして彼等は旅に出る  作者: 襟川竜
ヤークティ共和国編
6/15

第五章 魔王

その一 国王陛下


薄暗く長い廊下に足音が響く。

「……」

「……」

「……」

先程まであんなにも話をしていたというのに、今は沈黙が支配している。

ウンディーネさんとシルフは、握り拳ぐらいの大きさの光る玉となって、ふよふよと側を漂っている。

ハッキリ言って、鬼火や人魂みたいで不気味だ。

「…なぁ」

「ぅひゃあ!」

突然ディアが(しゃべ)った。俺は反射的に、変な悲鳴をあげていた。

「ななななななに!?」

「いや、あの、たいした事じゃないんだけどよ。…いつまで、(つか)んでるきだ?」

「なに、なにを?」

「手」

自分の手を見る。

その手はしっかりとディアの服を掴んでいた。

…無意識って、凄いね。

「掴んでいたら、ダメ?」

「いや、構わねぇけど…」


再び訪れる静寂。

足音だけが響く長い廊下。

どこまでも薄暗く、高い天井。

先の方なんて良く見えない。

なんだか、闇の中に引きずり込まれそうで怖い。


前方に何かが見えてきた。

近付くにつれ、扉だという事が分かる。たぶん、天井まで高く延びる壁の、半分くらいまではあるだろう。

見上げると首が痛くなるほど大きな扉だ。複雑な、それでいて美しいと感じる彫り込みのある扉だが、場所と雰囲気のせいか、不気味にしか思えない。

扉全体で『この奥に何かあります』と(うった)えているような感じがする。

「これ…」

「この先が、玉座の間です」

俺の呟きを聞き取って、シャルトゥーナ様が断言してくれた。

本当に一方通行だった。

俺達三人だけじゃ、かなり不安だ。

特に、俺が一番の足手まといだろう。

ディアは旅人だから戦いの経験はあるだろうし、シャルトゥーナ様にはウンディーネさんとシルフがついている。

俺はと言えば、ケンカの経験しかない。しかも相手は酔っぱらいだ。普通のケンカとは違う。

だめじゃん、俺。

出来るなら戦闘は避けたい。

「この先に、国王陛下が…」

ゴクリ、と(つば)を飲み込む。

鼓動(こどう)が早くなる。

ドキドキと鳴る心音がうるさいくらいだ。

「正確には魔王だけどな」

「うん。……えっ!?」

さらりと爆弾発言してくれたため、危なく聞き流すところだった。

「今更、何驚いてんだよ」

「いや、あの、生贄を集めたのは陛下なんじゃ…」

「人間の王が人間喰()ってどうすんだよ。生贄なんて要求すんのは、魔族関係者ぐらいだ」

「そうなの?」

「この地は魔統族の治める地域です。彼等は代々魔王を呼び出す一族です」

俺の問いに、今度はシャルトゥーナ様が答えてくれた。

「じゃあ、生贄を集めたのは、魔王を呼び出すためなの?」

「たぶん違うな。前に、えーと……リィリュンだっけ?その人が『召喚(しょうかん)()』を邪魔(じゃま)してるんだろ?」

「はい」

「だとしたら、『呼び出す為』じゃなくて『完全に具現(ぐげん)する為』だな」

「ぐげん?」

俺は右に首を(かし)げる。

「そ。リィリュンって人は封魔だろ?彼女に召喚を邪魔されたなら、いくら領域内とはいえ、完全な形では召喚されないはずだ」

「なんで?」

今度は左に傾げる。

「封魔一族はその名の通り、魔を封じる力を(ゆう)しています。魔王がこの地に影響を(およ)ぼさないようにと、彼女は命を()けてその力を封印したのです。残念ながら完全に封印するには(いた)りませんでしたが……」

「…つまり、リィリュンさんに封印された力を取り戻す為に、生贄を集めたって事?」

「そういうことだ」

シャルトゥーナ様とディアが、交互に説明してくれた。

なんとなく分かった。ような気がする。

けどさ、知らなかったとはいえ、この国ってかなり危険な状態だったって事だよね。

暑くもないのに、俺の背を冷たいものが伝う。

この扉の向こうには、封印されているとはいえ、恐ろしい存在がいる。

もしも魔王と戦う事になったら、俺達に勝ち目はあるのだろうか。

弱気な考えが頭をよぎる。

俺はぶんぶんと頭を振って考えを追い払う。この向こうにいるとは限らないんだ。

それに、リィリュンさんは父さんと母さんの大切な妹だって、二人とも口を(そろ)えて言っていた。

魔王は、リィリュンさんの(かたき)になるんだよな。出来ることなら仇をうちたい。

でも、勝ち目はない。

でもでも、出口ってここしかないんだよなぁ。

魔王とは、顔を合わせる事になるんだろうなぁ。

「いいかソルト。部屋に入ったら気付かれないように出口に向かえ」

「え?」

「シャルトゥーナちゃんは道案内を」

「わかっています」

「え?え?じゃあディアは?」

俺を(はさ)む様にして立つ二人の顔を、交互に見ながら聞く。

「俺は少しでも時間を(かせ)ぐ」

つまりそれは、ディアが一人で戦うという事になる。

「そんなのダメだよ!」

思った事がそのまま勢い良く口から飛び出した。

だって、相手は半分封印されているとはいえ、魔王なのだ。

どれ程の力を持っているかなんて、想像も予想も出来ないけど、ディア一人で戦っても勝てない事ぐらい、俺にだって分かる。

「そんな無茶、させられないよ」

俺の顔を見て、ディアはにこりと笑った。

そのまま俺の頭に右手をのせて()で始めた。

「わっ、ちょっとディア」

「大丈夫だって。まかせときな」

「でも…」

「ほら、行くぞ」

ディアは俺の言葉を(さえぎ)って断言する。

これを合図ととったのか、シャルトゥーナ様が扉に手を掛けた。


重そうに見えたが、扉は簡単に内側ヘと開いた。同時に煙のようなものがさらさらと流れ出てくる。空気より重たいのか、床に(たま)っている。

少しカビ臭い。

二人が中に入る。人魂…じゃなくて、精霊二人(二玉?)も中に入る。

よし。

怖くない、と言えば(うそ)になる。

けれど、出口がここしかない以上、入るしかない。

魔王がいない事を祈りつつ、中に入るために一歩踏み出した。


ぼふびたーん


静かな部屋に、煙の中に何かを勢い良く叩きつけるような音が響く。

「何だ!?」「何です!?」

すぐさま、ディアとシャルトゥーナ様の鋭い声がした。

「った~~」

俺は上体を起こす。頭の上から肩を伝って、煙が流れ落ちた。

う~鼻痛いぃ。

鼻を(さす)りつつ視線を感じて顔をあげると、二人がこちらを見ていた。

煙は床が見えなくなるほどに厚く、部屋全体に漂っている。


ハッキリさせよう。

足元が見えなかったのだ。

おかげで俺は、扉と部屋の段差につまずき、ズッコケるはめになった。

…ちなみに「ぼふ」は煙に勢い良く突っ込んだ音。「びたーん」は床にぶつかった音だ。

「…何やってんだよ、お前」

「だってぇ」

さすさす。

痛みが少し和らいできた。

煙が充満する部屋の中を見回すと、玉座と呼んでよさそうな豪華な造りのイスに、男性が座っているのが見えた。

目元が隠れる程に長い前髪と、うなじまで伸びた黒い髪は、輝きを失いごわついている。頬は()せこけ、目も(うつ)ろだ。例えるなら『死んだ魚の様な目』。

綺麗(きれい)な青い瞳は、光を失ったまま俺達を見る。

「扉を閉めますよ。気をつけて下さい」

「あ、はい」

張りのない声で言われ、俺は部屋の中に入った。

手を触れてもいないのに扉が閉まる。

身に付けられた王冠(おうかん)も衣服も、色褪(いろあ)せている。

この人が、国王陛下だろう。

「…おや、シャルトゥーナではないですか。何故(なぜ)此処(ここ)に?」

「儀式の生贄として」

陛下の問いに、シャルトゥーナ様は淡々と答えた。

感情がなくて、怖い。

あえて感情を殺しているのだろうか。

「…そうですか。最近は起きている時が短くて…。済みませんね」

「いえ…」

「ところで…」

陛下の頭が(わず)かに動き、俺を見た。

封魔(ふうま)のお嬢さん。貴女も、生贄に連れてこられたのですか?」

「あ、はい。…あの、俺は封魔じゃなくて女統族(じょとうぞく)なのですけど…」

言ってから気付いた。別に今、訂正(ていせい)する必要はないんじゃないのかな。つい条件反射みたいに訂正しちゃったよ。

しかも性別については訂正してないし。まあ、いいか。

俺の側に、シャルトゥーナ様とディアが近付いてくる。

ディアは陛下をじっと見つめている。

警戒しているみたいだ。

「女統…族?」

「はい。南部地区に住んでいるんです」

陛下が『女統族』という単語に反応したような気がした。

「…貴女は『ツェン・リュリュン』という女性を存じていますか?」

え?

何でその名前が?

「俺の…母さんですけど…」

戸惑(とまど)いつつも俺は答えた。

陛下の瞳が(おどろ)きに見開かれ、光が戻る。

「リュリュンのお子さん!?…お逃げなさい、今直ぐに!」

声に張りが戻る。

「え?あの…」

「シャルトゥーナ、彼女を早く逃がして!」

(あせ)りの(にじ)む声。

何だ?

まるで生き返ったみたいだ。もう目は死んでいない。

立ち上がりそうな雰囲気を出しているけど、立ち上がる事はない。

もしかしたら、立ち上がる事ができないのかもしれない。

「早く逃げなさい。私はもう二度と、あの子の大切な者を(うば)いたくない…!」

最後の部分は、自分に言い聞かせているようだった。

『あの人の大切な者』、それは多分、

「リィリュンさんの事ですね」

俺の問いを聞き、陛下は自身の手を見つめる。

「愛していた…。失いたくなどなかった…」

陛下の体が震えている。言ってはいけない事を言ってしまったみたいだ。

どうしよう、悪い事しちゃった。

「早く、お逃げなさい。私は…あの子の、リュリュンの……全てを許すあの笑顔を…二度と、見たくはない」

「ソルトさん、こちらへ」

「え?…うん」

陛下に気を取られていた俺の手を、シャルトゥーナ様が引く。

陛下は震える両手で顔を(おお)った。

俺達が来た扉の反対側に、別の扉がある。あれが、この部屋の出口なのだろう。

シャルトゥーナ様が俺の手を引いて、陛下の前を通り過ぎる。後ろにディアが続いた。

「早く、城の外へ…。私の中の魔王が、目覚める前に、早く…!」

切望する陛下の声を背に受け、俺達は出口に向かう。

シャルトゥーナ様の手が、扉に触れかけた時だった。


何処(どこ)に行くのかね?』


陛下が、呼び止めた。



その二 魔王、降臨(こうりん)


いや、陛下の声だけど、陛下じゃない。

後ろから気配がする。

どす黒い、嫌な気配だ。

はっとして振り向くと、陛下が両手を退(しりぞ)けて、ゆっくりと首を動かした。

青い瞳が、(あや)しく輝く。

顔には笑みが張り付いている。

嘲笑(あざわら)うかのような、嫌な笑み。

ディアの、長刀(なぎなた)を握る手に力がはいる。

シャルトゥーナ様が、俺の前に出た。

『15年ぶりだ。ゆっくりしていけばよい』

「お断りします。私達は先を急いでいますの。失礼致しますわ」

『そう焦らずともよいではないか。彼女達共々、ゆっくりしていけばよい』

彼女達?

陛下が部屋の奥を振り返る。俺達も奥へと視線を投げた。

何だ?奥に何かある。

大きな箱?

玉座の(かげ)になっていて見えにくいけれど、奥に箱のような四角い物体がある。

あれって…鉄格子?

四角い箱は、まるで(おり)のようだ。

中に何か…。

目を凝らす。すぐにわかった。

中に、人がいた。それも三人。

「ティファーヌ様…レティア、コルレッタ!」

四方が鉄格子で出来た箱の中に、三人が倒れている。

『安心したまえ。眠っているだけだ。大事な生贄だからな』

くっくっくっ、と喉を鳴らして陛下は笑う。

「随分と早いお目覚めだな、魔王陛下」

ディアが陛下を――陛下の中にいる魔王を睨み付ける。

『くくく…。そう睨み付けるでない、ディアヴォレット』

「…彼女達を返せ」

『そうはゆかぬ。(われ)が具現する為に、必要不可欠なのでな』

睨み付けるディアを楽しげに見つめ、魔王は喉を鳴らして笑う。

心の底から楽しんでいるのが分かる。

怖い。体が、震えている。

「ソルトさん、大丈夫ですか?」

俺の手をシャルトゥーナ様が優しく握る。

あ、震えが、止まった。

誰かの温もりが伝わると、恐怖は和らぐものなんだ。

「大丈夫です」

心配させない様に『大丈夫』なんて言ったけど、怖さはまだ残っている。

「今のうちに外へ…」

シャルトゥーナ様が小声で(うなが)す。

確かに今は、逃げ出すチャンスかもしれない。魔王の関心はディアに注がれている。

今も二人で何やら話をしている。

「でも、ディアが…」

「大丈夫です。すぐに助けに戻りますから」

小声でやり取りをしながら、俺達は(すき)(うかが)う。

シャルトゥーナ様の手が、扉に触れかけた時だ。

『ゆっくりして行けと言っただろう』

バチィィ

「うわっ」

「きゃあ」

扉の表面に、バチバチと稲妻(いなずま)がはしる。

何だ?指先が(しび)れる。

「いつの間に結界が…」

シャルトゥーナ様が呟く。

これが、結界ってやつなのか。

「随分と用心深いじゃねぇか」

『くくく…。逃げられては困るのでな。……ああ、そんなに睨むな。今直ぐに殺す訳ではないのだ』

俺に視線を向け、魔王は笑う。

睨むなって言われても睨み付けたくなるさ。『今直ぐに殺す訳じゃない』って事は、結局のところ『殺す』って事じゃないか。

人を見下して…俺達を何だと思っているんだ。

『今、()が配下が残りの二名を(むか)えに行っているのでな。二人が来るまで話をしようぞ』

残りの二人って、エルとパインの事だ。

二人だけでも無事に逃げてくれ。

「話す事は何もないよ。三人を今すぐ放せ」

俺は恐怖心を隠す様に、魔王に向かって言う。

『女統族の娘よ、我と話す機会などそうそうあるものではないぞ』

「一度足りともあってほしくなかったよ」

『そう言うな。リィリュンの事を知りたくはないか?』

「え?」

リィリュンさんの事だって!?

知りたいに決まっている。

小さい頃に母さんが何度も聞かせてくれた。自慢の妹だって言っていた。

でも母さんは行方不明だっていっていたよな。もう亡くなっている事を、知っていたのだろうか。

知らないのなら、俺が教えたい。

それに、俺もリィリュンさんの事は知りたい。母さんが誇る妹の話だ。興味を持たないはずがない。

『その顔は「興味がある」という顔だな。くくっ、教えてやろう。何故(なぜ)我が封じられたのか、な』

「封じられた、理由?」

『そう。今から17年前、我はこの男を(うつわ)に選んだ。少しずつ準備を進め、一年後の今日、我は具現する為の儀式を始めた。だが、それをあの女に気付かれてしまったのだ』

あの女ってのは、リィリュンさんの事だろう。

16年前というと、俺が生まれる一年前か。

いや、ここまでの時間経過から見て、俺が生まれた年か。

『子を産んだばかりだというのに、あれは封魔の力を使い、我の具現を(はば)んだのだ。国全土に張られていた結界を強化し、術を益々(ますます)使えぬ様にした』

何だって?

ヤークティで術が使えないのは、リィリュンさんが結界を張ったからなのか?

『だが、流石(さすが)に城が建つ我が領域には、完全に張る事ができなんだ。我は16年という年月をかけ、ようやっと器を手に入れたのだ』

くくく…、と喉で笑い魔王は告げる。

何で詳しく教えてくれるんだ?

何か狙いでもあるのだろうか。

それとも、ただエルとパインを待っているだけなのか。

「…リィリュンさんはどうしたんだ」

『くくく…。察しは付いているだろう。我が引き裂いてやった。我を封じようなどとしなけば、(なが)らえたであろうにな』

ふつふつと、怒りが込み上げてくる。

本当に、人の命を何だと思っているのだろう。

『だが、一つ厄介な事をしてくれた』

今まで笑みを浮かべていた魔王が、苦虫を噛潰(かみつぶ)した様な顔になった。

「厄介な事?」

『《言葉》を隠したのだよ、我に対抗する為の、最後の手段としてな。《力》は我の器にできるが《言葉》は不要だ。我が消すのを恐れたのだろう。唯一の手掛かり、シャルトゥーナにも結界を張りおって、我には《言葉》の居場所が分からぬのだよ』

『言葉』っていうのはシャルトゥーナ様の双子だよな。その人がいれば、魔王に勝てるのか。

けど、その人はここにいない。

魔王の顔に再び笑みが浮かぶ。

『だが《言葉》は見つからなかった様だな。…さて、役者が揃った様だ』

そんな魔王の台詞と共に、魔王の左右斜め後ろに四人の人物が現れた。

扉から入って来た訳ではない。音も無く、突然現れたのだ。

黒装束に身を包んだ人物が二人。

右側にいる人物には見覚えがある。

城下地区で俺とパインを襲った黒マント(以下黒マントA)だ。

「ちょっと、放しなさいよ!」

その黒マントAに腕を掴まれているのは、茶髪の女性。

「パイン!」

「ソルト!?シャルトゥーナ姫に、ディアまで…」

俺の声に反応して、パインが顔をこちらに向ける。

少し怪我をしているみたいだけれど、大した事はないみたいだ。

左に控えている黒マント(以下黒マントB)が肩に担ぎ上げていた人物を床に下ろす。

金髪の少年、エルだ。

「…!」

ディアが、息を飲んだ。

床に下ろされたエルは、力無く倒れ込む。

反応が無い。

(かろ)うじて息はしているみたいだけど、危険な状態なのだろう。

『ふむ。この状態で、よく耐えられるものだ』

魔王がエルに近付く。黒マントBが(ひざ)をつき、(こうべ)を垂れた。

黒マントBを一瞥(いちべつ)し、魔王がエルに手を伸ばす。

「そいつに触るな!」

ディアが何かを投げ付けた。魔王に届く前に、黒マントBによってはたき落される。

小型のナイフだ。

『くくく…。なるほど、元凶はこれか』

ディアを一瞥し、魔王はしゃがみ込むと、エルの髪を無造作に掴む。髪を持ち上げ、エルの顔を覗き込んでいるみたいだ。

俺の場所からは、エルの顔は見えない。

でも、白い肌に赤い血が付いているのは見えた。

エルの血か、敵の血か。

「手を放せ、ベルゼフ!」

ディアが叫ぶ。長刀を構え、魔王に向かって走り出した。

『叫ばずとも今返してやる』

魔王は向かって来るディアに、エルを投げ付けた。

「うわっ……とと」

ディアは長刀を放り出し、何とかエルを抱き留め、その場に方膝を付く。

俺は急いでディアに駆け寄った。しゃがみ込んでエルを見る。

エルの額からは血が出ているが、大した量じゃないから大丈夫だろう。

問題なのは、腹部の出血だ。青い服が血を吸って、どす黒く変色している。

かなり危険な状態だ。

「おい、エル!」

「…ぅ」

ディアの腕の中で、ゆっくりとエルが目を開けた。

焦点がなかなか合わないみたいだ。

「…ディ……ア」

声が小さい。息も荒い。苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。

「どいて、ソルトさん」

「あ、うん」

シャルトゥーナ様が、エルの傷口に手をかざす。

(きよ)く流るる水よ、その力にて傷を(いや)せ。アクア・ヒーリング」

青い光が、エルの傷口に集まる。

これって、治癒術(ちゆじゅつ)

なんで術が使えるのだろう。

治療(ちりょう)の必要は無い(はず)だ。どうせそれは始末するのだから』

「なん…だと?ふざけるなよ」

ディアの声が、怒りに震えている。

「悪いけど、殺される気はないよ」

俺はその場に立ち上がり、魔王を睨み付ける。

このまま殺されるなんて御免(ごめん)だ。やれるだけの事はやらなくちゃ。

ただ黙って殺される時を待つなんて、冗談じゃない。

まずは捕まっているパインを助けないと。


『さあ、(うたげ)の始まりだ』

魔王は両手を広げ、高らかに宣言した。



その三 死闘(しとう)


「簡単に殺されてたまるか!」

俺は勢いよく走り黒マントAに(こぶし)を繰り出す。黒マントAは余裕でこれを(かわ)そうとする。

けれどこれはフェイント。俺は拳を繰り出さずに、黒マントAが避けた先に狙いをつけ足払いをかける。

だけど躱されてしまった。

俺の攻撃は読まれていたらしい。

「ていっ!」

だが、パインが攻撃してくる事は予想していなかったようだ。

パインが顔面への裏拳を叩き込む。

黒マントAは寸前(すんぜん)で躱したが、その(すき)にパインは脱出する。

「貴様等…」

黒マントAが、手の平を俺とパインに向ける。

「ダークフレア」


ボボボッ


「うわわ」

「ひょええ」

その手の平から、黒い玉が放たれる。

俺とパインは慌てて避けながら、シャルトゥーナ様とディアの元へ戻る。

今の技、炎みたいに熱かった。当たったらヤケドじゃ済まないかも。

「ウソでしょ!?ヤークティで、何で術が使えるのよ!」

パインが驚いている。もちろん俺もだ。

ヤークティでは術を使う事ができないのに、一体どうなっているんだ。

『娘共を捕えよ。金の者は殺して構わん』

魔王の号令に黒マント達が近付いてくる。

「んな事させるかよ」

ディアが長刀の切っ先を魔王に向ける。

封暫聖魔(ふうざんせいま)七星(ななせ)、か…』

何だ?

長刀を見る魔王の目が、優しくなった?

けどそれも一瞬で冷酷(れいこく)な瞳に戻る。

たぶん俺の見間違いだろう。

「ソルトさん、パインさん、エルさんを連れて逃げてください」

シャルトゥーナ様がティアラの近くから小さな棒を取り出す。

その棒は一瞬で杖へと姿を変えた。先端に蒼い宝石が付いた、素朴な物だ。

「逃がさん」

黒マント達が走ってくる。それぞれが剣を構えた。

「うっそぉ」

パインの前にシャルトゥーナ様が、俺の前にディアが、背を向けて立つ。

二人が黒マント達の剣を長刀と杖の()で受け止める。

「お退()きなさい。アクアソリューション」

シャルトゥーナ様の掛け声と共に、黒マントBの足下から水が勢いよく吹き上げた。水の術だ。

どうして使えるんだ?

「どうなってんの?何で術が使えんのよ」

パインの問いに答えたのは魔王だった。

()が城は我が領域。封魔の力なぞ意味を成さぬ。それだけの事よ』

「はあ?」

「そっか、そういう事か」

パインは納得できていなかったけど、俺には何となく分かった。

ヤークティ共和国全土には、リィリュンさんの結界が張られている。そのせいで術が使えなくなっているんだ。

でも、城には張る事ができなかった。

「どういう事よ、ソルト」

「結論だけ言うと、城の中では術が使えるって事だ」

俺の答えを肯定するように、黒マントAが先程の黒い炎を放った。

俺とパインは、魔術が倒れているエルにあたらないようにするので精一杯だ。出血は止まり傷口も塞がっているみたいだけど、顔色は悪いままで目も開けない。

「はあっ」

ディアが長刀を魔王に突き出す。魔王は手にした剣で受け止めた。

金属のぶつかる音が響く。

魔王の剣は刀身が黒く、禍々(まがまが)しい気を放っている。あんな物が近くにあったら、絶対に悪夢にうなされる事だろう。

魔王が(やいば)を返し長刀を受け流す。そのままディアへ切り付ける。

ディアは紙一重で躱し、長刀の柄の部分を魔王の鼻先へ繰り出した。

この攻撃を読んでいたのか、魔王は余裕で躱し距離をとる。

ディアもこうなる事は予測済みだったのか、長刀を構え直した。

「アクアソリューション」

シャルトゥーナ様の声が聞こえる。少し遅れて魔王の足下から水が勢い良く吹き上げた。水の術を使ったみたいだ。

直ぐに黒マントBがシャルトゥーナ様へ駆け出した。

(とが)った爪が伸びる。指をぴたりと閉じれば、腕から鋭い爪の先までが一振りの剣の様だ。

走る勢いをそのままに、シャルトゥーナ様へと繰り出した。

当然シャルトゥーナ様は避ける。


ドゴォ


先程までシャルトゥーナ様がいた所に穴が開いた。

嘘でしょ!?

床に穴が開くなんて。

しかも爪は折れるどころか傷一つ付いていない。

どうなっているんだよ、あの爪は!

「アクアエッジ」

水の刃が黒マントBを襲う。

「子供騙しだ」

黒マントBは爪で水の刃を四散させた。


ディアと魔王。

シャルトゥーナ様と黒マントB。

互いに攻撃を仕掛け、躱し、隙を伺っている。

二人とも、戦い慣れている。


で、俺とパインはどうしているかというと…。

「うわあああ」

黒マントAが放つ黒い炎を、俺はジャンプして躱す。

「きゃあああ」

逆にパインはしゃがんで躱した。

「ええい、ちょこまかと動きよって…」

俺とパインは黒マントAと交戦中。

というか、攻撃を避けているだけ。

俺は術を使う相手との戦闘経験なんてない。

懐に飛び込めれば何とかなるかもしれないけれど…。

「ダークフレア、ダークフレア、ダークフレアァ」


バシュ、ボシュ、ドシュ


「うわっ、ひえっ、ひょわっ」

こう乱れ撃ち状態では、近付こうにも近付けない。

数撃ちゃ当たるってもんじゃないよ。

「パ、パインは術使えないの?」

「使えるけど、これじゃ集中できないわよ」

俺もパインも逃げ回るしかない。このままじゃ体力が持たないよ。

俺は逃げ回りながらエルの方を見た。(ひど)い怪我を負っていたエルは、(いま)だ意識が戻っていない。

攻撃が当たらない様に壁に寄り掛けているけれど、手足は投げ出されたままだ。

ウンディーネさんとシルフに、守ってくれるように頼んだから大丈夫だと思うけれど…。

「うわっ」

エルに気をとられていたせいか、俺は足を(もつ)れさせて転んでしまった。

「いったたた…」

「ソルト!」

体を起こす俺の名をパインが叫ぶ。かなり切羽詰(せっぱつ)まっているみたいだ。

やばいかも。

嫌な予感がして、急いで顔を上げた。

炎が、目前に(せま)っていた。

俺は咄嗟(とっさ)に目を(つむ)り、顔を両腕で庇う。

「シールド」

熱い炎が俺を包む…と思ったのだけど、中々そうならない。

恐る恐る目を開けると、俺の目の前にうっすらと白い光が壁を作っていた。炎はこの壁で遮られたみたいだ。

「た、助かったぁ」

俺は安堵の息を吐く。

「大丈夫?ソルト君」

俺の側にふらふらとエルが近付いてきた。

「エルが助けてくれたんだね。ありがとう」

「ソルト、大丈夫?」

パインが駆け寄ってきて、今にも倒れそうなエルを支えた。

エルの顔色はかなり悪い。俺の為に、無理をさせてしまったようだ。

「俺は大丈夫だよ」

「良かった。エル、ムチャしないでよ」

「すみません」

()だ生きていたのか、忌々(いまいま)しい」

黒マントAはエルを見て舌打ちする。

でも、直ぐに余裕の笑みを浮かべた。

「死に損ないが。直ぐに殺してやる」

俺は立ち上がり、エルを庇って前に出る。

パインはエルを庇う様に支え、後ろに下がる。

「確かに…」

エルが口を開いた。

弱々しいその声には、なぜか余裕が感じられた。

俺もパインも黒マントAも、エルに視線を向けた。

「確かに僕は死に損ないです。けれど、接近戦の得意そうなソルト君。少し戦い慣れているパインさん。そして術で援護ができる僕。三対一なら、貴方に勝ちますよ」

顔色がかなり悪いとはいえ、エルは余裕の笑みを浮かべた。

確かに三対一なら勝てるかもしれない。

戦い慣れていないとはいえ、懐にさえ飛び込めれば負けるつもりはない。

「オッケー、その戦法でいくわよ。エル、援護よろしく」

トンファーを構え、パインが走る。

「無駄だ。ダークフレア」

黒マントAがパインに黒い炎を放つ。

けれど、パインは避けない。炎目掛けて一直線に突っ込んだ。

「シールド」

炎とパインがぶつかる直前、エルの術がパインを炎から守った。

「たあっ」

炎の中を突っ切ったパインは、黒マントAにトンファーを叩き付ける。

しかし、隠し持っていた短剣で受け止められてしまった。

「このぉ」

黒マントAの注意がパインに向いた一瞬を付いて、俺は奴の背中に飛び蹴りをかました。

俺が、ただ黙って見ていると思ったら大間違いだ。

俺の姿を認め、パインは直ぐに避けている。俺も蹴りをかまして直ぐに距離をとる。

「ホーリィレーザー」

黒マントAが体勢を立て直す前に、白い光線が襲いかかった。

エルは攻撃術も使えるみたいだ。

「ガァァァァ」

今のはかなり効いたみたいだ。でもまだ立っている。

もう一度近付こうとした俺より先に、パインが動いた。

「輝ける白銀(はくぎん)の結晶、飛びたて!氷鳥(フリズライヤー)!」

パキパキという音と共に、空中に白銀に輝く鉱物(こうぶつ)の様な結晶体が現れた。それは直ぐに鳥へと姿を変える。

「いけぇ!」

パインの声を合図に、結晶体の鳥は勢い良く黒マントAへ降下して行く。そして、そのまま胴を(つらぬ)いた。

「がああああ」

胴を突き破った鳥は直ぐに(きびす)を返し、再び向かっていく。

「ダークフレア」

黒マントAが放った黒い炎が、結晶の鳥を焼き尽くす。

その直後、俺の助走をつけた跳び蹴りが、黒マントAを壁まで吹き飛ばした。

だから、ただ黙って見ている俺じゃないんだって。

「魔王…様…申し…訳…」

それだけ呟くと、黒マントAは動かなくなった。

その姿が人から獣へと変わる。黒い体毛に覆われた、虎に近い獣だ。

「何よ、正体は魔物ってワケ?」

パインが呟く。

魔物…。

確かに虎は黒くないし、牙もこんなに尖っていない。

俺、魔物って初めて見た。あ、でも鏡魔と戦っているか。


「二人共、怪我はない?」

エルがふらふらと近付いてくる。

「俺は平気」

「あたしも無事よ」

「よかった…」

「で、シャルトゥーナ様とディアは?」

黒マントA(今は獣だけど)を倒した事で余裕の出た俺は、二人の方へ視線を向けた。

ディアは魔王と激しい攻防を繰り広げている。幾ら魔王がちゃんと召喚されていないとはいえ、互角に戦うなんて凄いや。

シャルトゥーナ様は黒マントBの鋭い爪攻撃を躱しつつ、水の術で応戦している。

「シャルトゥーナ姫って、病弱キャラじゃなかったっけ?」

パインが驚いている。

「嘘だったみたいだよ」

「何よそれ、どゆこと?」

当然ながらパインは説明を要求した。

『そんな事してる場合じゃないだろ!』

今まですっかり忘れ去られていたシルフが、パインの前に飛び出した。

「きゃっ。な、何なのよ」

「風の精霊らしいよ」

「『風の精霊』!?このがきんちょが!?」

パインらしい反応に、シルフは腹を立てる。

『ボクは「がきんちょ」じゃない!シルフの(くらい)を持ってるんだぞ!』

「うっそ!マジで!?」

パインが物凄く驚く。『シルフの位』って事は、結構偉いのかな。

でも今はこんな事をしている場合じゃない。

「そんな事はどうでもいいから…」

『どうでもよくない!』

すかさずシルフが反論するが、これはもう無視だ。

今はシャルトゥーナ様を助ける事を考えなくちゃ。

「パイン、さっきのなんとかって術、もう一度できる?」

「結晶術は上位術だから、何度もできるものじゃ…」

俺の問いに驚いて、エルが口を挟む。

だが、最後まで言わせず、パインが軽い口調で遮った。

「できるわよ。あたしって、けっこーやるんだから」

そしてウインク一つ。

「じゃあお願い。あいつの注意を少しでいいから逸らしたいんだ」

「オッケー」

俺が黒マントBを指すと、直ぐにパインは詠唱を始めた。

「輝ける白銀の結晶、飛び立て!氷鳥(フリズライヤー)!」

鉱物の鳥が現れ、黒マントBに向かって飛んでいく。

「邪魔!」

黒マントBの長く鋭い爪が、簡単に鳥を砕いた。

その隙にシャルトゥーナ様は距離を取り、詠唱を開始する。

「清くたゆたう水の乙女よ。我、シャルトゥーナ・リー・フェン・ヤークティの名において命ず。いでよ、ウンディーネ!」

いつの間に移動したのか、シャルトゥーナ様の背後にウンディーネさんがいた。

『水よ』

ウンディーネさんが手を振ると、大量の水が吹き上げ大きな水柱(みずばしら)を五本も作り上げた。

黒マントBを囲むように吹き上がった水が、一斉(いっせい)に襲いかかる。かなりの水圧だ。

水が消えた後には、片膝(かたひざ)を付く黒マントBの姿。

あの水圧に耐えるなんて…。

ところで、あの水はどこからきて、どこへいったのだろうか。

ずぶ()れの黒マントBが何かをするよりも早く、パインが術を仕掛けた。

「風をも切り裂く孤高(ここう)(むち)(いかずち)(まと)いていざ振るわん。サンダー・ウィップ」

掲げられたパインの右手の中に、一本の鞭が現れた。

バチバチと全体に電気が走っている。

「くらいなさい!」

その見るからに(しび)れそうな鞭を、黒マントBに打ち付けた。

「ガアアアア」

黒マントBはずぶ濡れ、そこへ電気鞭攻撃。水は電気をよく通す。つまり、大ダメージだ。

ビクビクと体を痙攣(けいれん)させ、黒マントBはその場に倒れた。

その姿が黒マントAと同じ獣に変わる。こいつも、魔物だったんだ。

「あたしってば、やるじゃない」

自画自賛してパインは胸を張る。

「結晶術を連発できるなんて、凄いです」

そんなパインをエルが褒める。

「助かりましたわ、パインさん」

シャルトゥーナ様が、お礼を述べながら歩いてくる。

黒マント(今は獣だけど)AもBも倒したし、後は魔王だけだ。

倒れているBに視線を向け、もう一度Aを見る。そのまま俺は目を丸くした。

「グガアアア」

倒れていた筈のAが物凄い勢いで走ってきたのだ。

しかも、パイン目掛けて。

「危ない、パイン」

「へ?…きゃあ!」

振り向き、目を丸くするパイン。

俺はパインを突き飛ばし、飛び掛かってきたAの下に潜り込む。

下から突き上げて拳を叩き込み、(ひる)んだところを回し蹴りで吹き飛ばす。

「グガッ」

床に叩き付けられたAは体を痙攣させ動かなくなったと思ったら、砂になってしまった。

今度こそ倒したかな。

Bにもう一度視線を向けると、こちらも砂になっていた。今度こそ本当に倒したみたいだ。魔物って、倒すと砂になるんだね。初めて知ったよ。

「あいたたたた…」

「あ、大丈夫だった?パイン」

振り向くと、パインは床に座り込み鼻を擦っていた。

「助かったわ。けど、鼻打った…」

「あ…ごめん」

見るとパインの鼻がほんのりと赤くなっている。俺が突き飛ばした時、顔面から床にぶち当たったみたい。

「後は魔王だけですね」

シャルトゥーナ様は、俺とパインのやり取りをさらりと無視して、シリアス声を出す。

「ディア一人では危険だよ」

エルもそれに習う。

「この際、慰謝料(いしゃりょう)は後で請求するとして…」

「慰謝料!?」

「まずはディアを助けるわよ」

さらっと爆弾発言をして、パインは立ち上がる。俺の抗議は聞き流したみたい。

確かに今はディアを助けるのが先だよな。


ディアの方へ視線を向けた、その時だ。

「うわあっ」

ディアが俺達の所へ吹き飛ばされてきた。

背中から床へぶち当たる。

「ディア!」

直ぐさまエルが駆け寄った。

「やろ…」

ディアはエルの手を借り、何とか上半身を起こす。

ディアの額からは血が出ていた。

『二匹は()られたか。まあいい。我が(じか)に手を下してやろう』

魔王が突き出した右手の平に、黒い(もや)の様なものが集まっていく。

寒気がした。背筋が凍るようだ。

あれは、嫌だ。当たったらまずい。

本能的に危険を感じた。

それは俺だけじゃなく、パインも同じみたいで「冗談じゃないわよ…」と掠れた声で呟いた。

『恐怖に落ちろ』

魔王の手から(もや)が放たれる。

「ウンディーネ!」

『ええ』

シャルトゥーナ様の声に、焦りが含まれた。

「アクア・シールド」

「シールド」

シャルトゥーナ様がウンディーネさんの力を借りて、防御壁を張る。エルもディアに支えられながら張った。

俺達全員を二重の壁が守るかたちだ。

直ぐに(もや)とぶつかる。二重に張られた壁越しに伝わってくる、恐怖感。

体が震えた。

ぶつかり合う音が響く。

『やはり、私の力では抑えきれません。シルフィードなら、あるいは…』

「ウンディーネ、お願い、もう少しだけ…」

「駄目だ、()たない」

力の差がありすぎたみたい。

三人のがんばりも(むな)しく、硝子(がらす)の割れる様な音と共に、防御壁が砕けた。

黒い(もや)が、体を包む。

全身を包み込む恐怖感。

体が硬直(こうちょく)し、冷や汗が流れる。

血の気が引き、体が冷えていく。

心臓を鷲掴(わしづか)みにされたかのようだ。

細胞の一つ一つが悲鳴を上げているような気がする。

俺は目を見開き、口を開け、声にならない悲鳴を上げていた。

一瞬の出来事だった筈だ。

でも、余りの恐怖感に、時間の感覚は狂っていた。

気がついた時には床に倒れ、涙が溢れていた。

何だ、今のは。

もう(もや)には包まれていない。

なのに起き上がりたくても、上手く起き上がれない。

辛うじて首が動かせた。

見回すと、シャルトゥーナ様も、パインも、エルも倒れていた。

ディアだけが唯一、片膝を付いて起きている。

けれど、長刀を杖代わりにしていないと駄目みたいだ。

「ふざけるな、今のは卑怯(ひきょう)だろ!人間相手に使うものじゃ…」

『一つ教えてやろう、ディアヴォレット。人間など、所詮(しょせん)我等の悦楽(えつらく)を満たす()にすぎん』

魔王が喉を鳴らして笑う。その言葉、許せない。

「ふざけるな…」

声を絞り出す。

腕に力を込めて、上半身を起こした。

『ほう。今のを受けて、まだ起き上がれるとは…。封魔の分際で大したものだ』

魔王が感心している。

俺は何とか立ち上がろうと、足に力を込めた。

「ソルト…お前…」

ディアが目を丸くして、俺を見ている。

「人間はおもちゃじゃない。ましてや、お前を満足させる為にいるんじゃない」

魔王の目が、細められた。

怖いけれど、人間をおもちゃみたいにいう魔王が、許せなかった。

ふらふらと立ち上がりながら続ける。

「俺達は、絶対に負けない。皆で一緒に帰るんだ。お前の思い通りになんて、なってたまるか!」

『貴様一人で何ができる。もう一度、恐怖に沈め』

魔王が再び黒い(もや)を放った。(もや)というよりは黒い風だ。俺目掛けて吹いてくる。

今の俺じゃ、避けられない。

「止めろ、ベルゼフ!」

ディアが叫んだ。

「ソルトさん!」

風に包まれる直前、シャルトゥーナ様が俺に体当たりをして、そのまま床に押し倒した。

背中に衝撃が走り、上に乗ったシャルトゥーナ様の全体重が、俺を押し潰す。

一瞬、息が詰まった。

「大丈夫ですか?ソルトさん」

直ぐにシャルトゥーナ様が体を離した。俺に覆い被さる様な格好。

その時だ。


カシャン


シャルトゥーナ様が付けていたティアラが、床に落ちた。

ティアラで止めていた、頭部全体を覆っていたベールが落ちる。

目の前に現れたシャルトゥーナ様の素顔を、俺は目を丸くして凝視した。

驚きで、思考が止まる。


水晶のような、綺麗な水色の髪。

澄んだ青い左目と、綺麗な緑の右目。


鏡を、見ているかのようだった。

俺と同じ顔が、そこにある。


違うのは性別、左右の目の色、髪型、服装。

でも、鏡に映る俺の顔と、全く同じだ。


『そうか…そいつが《言葉の継承者》か』

魔王が呟く。


言葉の継承者って、シャルトゥーナ様の双子の事だよね。

それって、俺の事?

そんな…だって、そんな筈は…。


『探し出す手間が省けた。ここで消えるがいい』

魔王の笑い声をどこか遠くに聞きながら、俺は目の前の瞳から視線を外す事ができなかった。

「巻き込んで…ごめんなさい」

悲しげに揺れる瞳で、シャルトゥーナ様が俺に謝る。

俺は、どうしたらいいのだろう。


『絶望に落ちろ』

「ソルト!シャルトゥーナ!」

魔王とディアの声が響く。


ハッとした時にはもう遅い。

俺達は、魔王が放った黒い風に包まれていた。

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