第四章 真実は心の中に…
その一 人は誰でも猫を被る?
「シャルトゥーナ様を放せぇ!」
走りながら叫んだので、喉が少し痛い。
「キィイ」
相変わらず嫌な声(音か?)を発しながら、鏡魔は走る。
鏡魔を追って入った鏡は、薄暗い通路へと続いていた。
一定間隔で松明がともされているが、天井が高いためか全体を照らしきれていない。壁は紫色に見えるし、松明の炎は赤ではなく緑だ。
おかげで前を行くはずの鏡魔の姿が、闇に紛れてしまって見えない。
廊下が直線なのが唯一の救いだ。
「いつまで担いでいるのよ!」
声が響く。
間を置かずに、
ガツン
何かを殴る音。
「ギッ…」
鏡魔の声。
ガシャン
何かが割れる音。
すたん
誰かが着地する音。
近付くにつれ見えてくる。
闇の中でもわかる白いドレスとベール。蒼く透き通る石の付いた、等身大の杖。足元に散らばる、キラキラとした粉。
何が起きたのか、なんて聞くまでもない。天井が高すぎて音が響く廊下だ。シャルトゥーナ様以外に、鏡魔を倒せた者などいない。
「あ、あの…」
俺が声をかけると、
「なんで来たの?」
物凄く低い声で質問された。
「う、あ、えと…だ、だってシャルトゥーナ様が捕まったのは俺のせいで…」
声がだんだんと小さくなり、語尾が切れる。
だって物凄く『不機嫌オーラ』出しているんだよ?
はっきりいって、鏡魔より怖い。
ベールで顔が見えない分、余計に怖い。
…きっと睨んでいるんだろうなぁ。今までと全然態度が違うのだけど…。
180度反対だよう。
「ソルトー。シャルトゥーナちゃーん」
嫌な空気が漂い始めた所に、俺達二人の名前を呼ぶ声と、バタバタと走る足音が響く。
この声は…。
「良かった、二人とも無事みたいだな」
「ディア!」
暗闇の中から現れたのはディアだ。心配して後を追って来てくれたらしい。
手には、レティアに貸したはずの長刀を持っている。
「他の人達は?」
質問したのはシャルトゥーナ様だ。
不機嫌オーラを出したまま、低い声で問う。
「先に出口に向かわせた。エルがいるから大丈夫だとは思うけど。…どうしたんだよ、シャルトゥーナちゃん。機嫌悪そうだな?」
「ソルトのせい」
「そ、そう…」
はぐらかす事もなく即答する。
何?この変りよう。もしかして彼女、物凄い猫かぶり?
さすがのディアも、それ以上聞けなかった。こっそりと俺に耳打ちする。
「お前、何したのさ?」
「えと…」
「来るなって言ったのに来たのです」
どうやら聞こえていたらしい。
「だ、だって、目の前で拐われたんだよ?普通助けに行くよ!それに俺のせ…」
「うるさい!」
俺の台詞を遮って、シャルトゥーナ様は怒鳴る。
思わずうつ向いてしまった。
「お、おい。そんな言い方…」
「ディアくんは黙っていて」
「……はい」
ディアはそれきり黙りこんでしまった。
シャルトゥーナ様が俺に向きなおる。
「私が怒っている理由、知りたい?」
こくり、と首を縦に振る。
シャルトゥーナ様の手が伸びる。
叩かれる。
俺はとっさに目を瞑った。
が、予想した衝撃はいつまで経ってもやってこない。
「…ぷ」
え?
あれ?
恐る恐る目を開ける。
目の前では、シャルトゥーナ様が笑いたいのを我慢していた。
もう、不機嫌オーラは出ていない。
「私があなたに危害を加えるわけが無いじゃない」
とても優しい口調。さっきまでの怒りは、どこへいったのだろう。
「え?え?」
「これ以上、巻き込みたくなかっただけ。…ごめんなさいね」
俺をこれ以上巻き込まないために来るなと言ってくれた。その気持が嬉しかった。
…かなり怖かったけれど。
もしかして俺、遊ばれた?
「遊ばれてやんの」
「う…」
ディアにまでからかわれてしまった。
「で、これからどうする?」
「入ってきた鏡から出ればいいんじゃないの?」
話を変えるように出されたディアの質問に、俺は答える。
入口と出口は大抵一緒だと思うのだが。
「無理です。一方通行ですから」
「ふーん。って『一方通行』!?」
シャルトゥーナ様は当然とばかりに、さらっと言った。
危うく聞き逃すところだったんですけど。
「だから俺言ったろ?『その鏡は一方通行だ』って」
「ええ!?いつ?」
「お前が鏡に突っ込む前」
あわてて俺は記憶を探る。
そういわれれば、鏡魔を追って鏡に入ろうとした時、ディアが何か言っていたような…。
「で、この廊下はドコに続いてるんだ?」
「『玉座の間』です」
混乱する俺を無視して、二人は冷静に今の状況を確かめ始めた。
「玉座の間、ねぇ。…つまり、そこにいるわけだ」
「はい」
何が、というのは聞くまでもない。
いるのはきっと国王陛下だ。俺達をさらった、張本人。
『シャルトゥーナぁ』
この場にそぐわない子供の声が響く。
廊下の奥から緑色の発光体が近付いてきた。
「な、何?」
「あれは…」
徐々に近付くにつれ、発光体の形がはっきりしてくる。
それは緑色をした少年だった。
「ななななな」
「あらシルフ」
全体的に緑色をした半透明の少年なんて、見たことも聞いたこともない。まして、空を飛んでいるなんて。
俺は少年を見つめたまま、口をパクパクとさせる。
こんな薄暗くて、寒くて、暗くて、石造りの壁で、炎が赤じゃなくて緑で、えーと……とにかく、こんな不気味な所に出るとしたら、やっぱり…。
「ユ、ユ、ユーレー!?」
『な、ボクをユーレイなんて低俗な奴と一緒にするな!』
叫ぶように言った俺に、少年が怒鳴る。
「なんだソルト。お前、幽霊怖いのか?」
『違うって言ってるだろ!』
やりとりを見て、ディアがからかってくる。
「だだだだって、こんなに不気味な所に出るなんて、ユーレーしかいないじゃん!」
情けないかもしれないが、ディアの言う通り、俺は幽霊(というか、心霊現象)が物凄く苦手だ。
三歳ぐらいの時、体の透けた緑色の女性を見たのが原因だ。
何かを話したのだが、内容は忘れてしまった。ただ、凄く悲しくて嫌な事だったのは覚えている。
それ以来、幽霊は悲しくて嫌な事を話に来る存在だと認識してしまっている。
そんな事はないと、頭では分かっているのだ。
が、実際見てしまうと、どうも拒否反応を起こしてしまうらしい。
たぶん、怖がる俺を面白がって父さんと母さんが話した怪談話の数々が、今も記憶に残っている事もあると思う。
無理やり聞かされた話の中に、こういう場面があったような気がしなくもない。
いや、気のせい。気のせいにきまっている。
「よしよし、大丈夫だ。怖くないぞ、あの幽霊」
ディアが優しく頭を撫でてくれた。
無意識のうちに、しがみついていたらしい。
「大丈夫ですよ。ほら、泣かないで」
シャルトゥーナ様が目元を拭ってくれた。
半泣きにもなっているらしい。
『オマエら……もう怒ったぞ!』
少年が叫ぶと同時に風が吹いた。
この辺り一帯に、暴風警報を出したくなるほどの強風だ。息が出来ないくらい強い。
「うわーん。しんれーげんしょー」
目をぎゅっと瞑り、二人に力一杯抱きつく。
緑色だし、透けているし、浮いているし、風操るし、やっぱり幽霊決定だよぉ。
『おやめなさい、シルフ』
高らかに響く女性の声が聞こえたような気がした。耳元で風がなっているので、断言は出来ないが。
ゆっくりと風が収まっていく。
『シルフが乱暴してしまってごめんなさい』
優しい声。
澄んだ水のような、不思議な声だ。
『もう大丈夫ですよ』
優しく頭を撫でてくれているのは、きっと声の主だ。
俺はおそるおそる目を開けた。
いたのは水色の女性だ。幽霊少年と同じで体が透けている。
ドレスのようなものを着ているようにも見えるが、どこからが服なのかは分からない。
「あ、あの…」
おそるおそる声をかける。
『なんでしょう』
「あなたも、幽霊ですか?」
『だから、ボクた…』
少年が何か言いかけたが、女性は手でそれを制した。
『私も、こちらにいるシルフも、幽霊ではありません』
「じゃあ…」
『私達は精霊です』
「せい…れい?」
『はい。説明致しましょう。とりあえず、お二方から離れたらいかがですか?』
言われて今の状態を確認する。
二人に力一杯抱き付いたままだった。
その二 風と水の守護者達
『私の名はウンディーネ。水を司る精霊です』
俺が二人から離れると、水色の女性は話始めた。
立ち話もなんだからと、俺、シャルトゥーナ様、ディアの三人は、不気味な廊下に座って聞くことになった。歩きながらでは陛下に聞かれる可能性がある、というのも理由のひとつだ。玉座の間はここから近いらしい。
ウンディーネさんは、シャルトゥーナ様の背に手を当てながら話し始めた。
『こちらはシルフ。風を司る精霊です』
「じゃあ、本当に幽霊じゃ…」
『ありません。そもそも幽霊と呼ばれる存在は、魂が形をとったものですから、根元が違います』
「じゃあ、精霊が何でこんな所にいるのですか?」
『私は彼女を守護するものです』
ちらり、とシャルトゥーナ様に視線を向ける。
しゅご、というのは守るという意味の守護だろうか。
「へぇ。てことはシャルトゥーナちゃん、二つの精霊と契約してんだ」
けいやく?
ディアがシャルトゥーナ様に質問する。
「いいえ、私が契約しているのはウンディーネだけ。シルフは違うわ」
「じゃあ何でシルフがここに?」
「今は私が代理者なの」
だいりしゃ?
「ああ、なるほど」
なにが、なるほど?
俺には何の事かさっぱりだ。
『契約や代理者についてはその内お話しします。私は彼女の守護者ですから、気配を追って此処まで参りました』
「あの、ウンディーネさん」
『なんでしょう』
びしっ、と右手を上げる。ウンディーネさんは優しく微笑んだまま答える。
なんだか学校にいるみたいだな、と思いながら俺は質問した。
「あなたがここにいる理由は分かりましたけど、シルフは何でここにいるのですか?」
『いて悪い?というか何でボクは呼び捨てなんだよ!』
『シルフには私とは別に大事な役目があるのです』
シルフの抗議の声は無視された。
「役目?」
『はい。彼女の《片割れ》であり、《言葉の継承者》を探しているのです』
「かたわれ?」
「…《言葉の継承者》と《片割れ》か。なるほどな」
「なにが?どういうこと?」
俺にはさっぱり分からなかったが、ディアには分かったらしい。重要な単語が出た事だけは分かったけど。
無言を通しているシャルトゥーナ様の代わりに、ディアが説明を始める。
「簡単に説明するぜ。片割れ、ってのは『二つ在るモノの内の一つ』ってことだ」
「えーと…」
「身近なもので言えば、イヤリングなんかがそうだな」
「そっか。二つで一つだ」
ポン、と手を叩いて納得する。
「シャルトゥーナちゃんの片割れってことは、ずばり彼女は双子の一人ってことだ」
「ええ!?そんな話、聞いた事無いよ?」
「知っているのは五人しかいませんもの」
シャルトゥーナ様が答えてくれたが、あまり嬉しそうではない。
「でも、双子なら簡単に見付かるんじゃないの?」
『……シャルトゥーナはボク達に素顔を見せない。探しようがないよ』
シルフはふてくされたように言う。
「え?シルフはともかく、ウンディーネさんも見た事ないのですか?」
『な…。「ともかく」だって!?』
俺に一々文句をいうシルフはこの際無視だ。
『はい』
ウンディーネさんは、何とも言えない表情を浮かべて頷く。
つまり、シャルトゥーナ様が『病弱で汚れた空気を吸わないためにベールを被っている』というのは嘘で『素顔を晒さない為にベールを被っている』という事になるな。
「あの、聞いちゃいけない事なのは分かっていますけど、聞いていいですか?」
「はい、なんでしょう?」
俺はシャルトゥーナ様に向き直り、質問する。
シャルトゥーナ様は了承してくれた。
が、物凄く聞きづらい。
顔を隠しているのは事情があるからで、俺なんかが聞いていい事ではない。わかってはいる。
けれど、そこに何かヒントになりそうな『重要な何か』が隠されている様な気がする。何、とは断言できないけどさ。
俺は覚悟を決めて問う。
「…どうして顔を隠す必要があるのですか?」
「……ある人を、守るためです」
「ある人?」
「《片割れ》だろ?」
「はい」
「なるほど。そういう事か」
俺の質問とシャルトゥーナ様の答え。確信が見え隠れするディアの質問に、肯定の頷き。
これだけで、これだけの事で、ディアには事情が飲み込めたらしい。
聞いた話と、今の質問で分かったのは、シャルトゥーナ様がベールを被っているのは自分と同じか、似ている顔を持つ双子の一人を守るため。
なら、シルフを使ってその人を探しているのも、その人を守るため、という事になる。
「でも、ヤークティは広いですよ?簡単には見付からないんじゃ…」
そう、ヤークティ共和国はとても広い。
国は円形になるように高い塀でぐるりと囲まれているし、国内は五つの地区に分かれているし、様々な民族が住んでいるし…。
この国の広さは世界の五本の指に入ってしまうのだ。
はっきり言おう。国土は世界第五位なのだ。
自慢がてらに言えば、地産地消力は第二位。
物価の安さ、第一位。
住みたい都市、第三位。
人気観光地、第三位。
食い倒れツアーで行きたい都市、第一位。
いいとこだよ、ヤークティは。一度来てみることをオススメします。
「そうでもないさ」
ディアがきっぱりと断言した。
俺は慌てて思考を戻す。
そうだ、広いから人探しは大変じゃないか、という話をしていたのだった。
「なんで?」
「最初にお前に会った時、俺はお前の髪色を珍しいって言ったろ?」
「うん。ふうまの特徴だ、って言っていたよね」
「そうだ。水晶の様な水色の髪なんて、遠くから見ても一発で分かるだろ」
「うん」
「《言葉の継承者》…さっきシルフはそいつを探しているって言ってたろ?言葉を受け継ぐのも、封魔の特徴みたいなものだ」
「じゃあ、言葉を受け継いだ人と双子だということは、シャルトゥーナ様は…」
「そう、彼女は…」
「封魔族です」
俺とディアはシャルトゥーナ様に視線を向ける。シャルトゥーナ様は隠すこともなく、誤魔化すわけでもなく、断言した。
ディアってば、あれだけの会話でここまで推理するなんて凄いや。
確に俺と同じような髪の色だったら目立つから大変かも。
でも、そうなると一つおかしな点がある。彼女の姉、ティファーヌ様の髪色は、水色ではなくて夜空のような黒だ。
俺は疑問をディアにぶつける。
「シャルトゥーナちゃんは混血児だろ?」
「はい」
「なんでわかるの?」
「最初に言ったろ?ここは『魔統の領域』だ、と。封魔と魔統。この二つの種族は相反するモノ同士だから、産まれてくる子供は、どちらかの力しか受け継がないのさ。だから髪の色や力なんかが違うのは当たり前なんだ」
「どっちも受け継ぐなんて事はないの?」
「そいつはない。封魔族は魔を封じる一族で、反対に魔統族は魔を統べる一族だ。この一族は、敵対関係にある。光と闇で属性も正反対。だから両方受け継がれることはない。この力は互いに打ち消し合うんだ」
「属性?」
「相性みたいなもんかな。ま、術師以外は気にしなくても平気さ」
「ねえ、『言葉の継承』っていうのは?」
「封魔族は、生まれてくる時に『魂に言葉が刻まれて』生まれるらしい。その言葉は一人一人違うもので、その言葉を唱える事で、魔を封じる力が発動するらしい。詳しい事はオレも知らないけどな」
「そうなんだ…。じゃあ、シャルトゥーナ様の両親は『まとう』と『ふうま』なの?」
敵対している一族が両親だなんて信じられないけれど、敵対していても好きになる事ってあるのだろうか。
俺の質問に軽く頷いてシャルトゥーナ様は答える。
「はい。父は魔統族で国王の、タクトウィズ・ダル・コーツ・ヤークティ。母は封魔族でリィリュン」
…え?
今、なんて?
ドクン、と一際大きく心臓が鳴った気がした。
急激に喉が渇いてきた。
真っ白になってしまった頭の中で、今の言葉を反芻する。
「リィリュン?なんか、女統族みたいな名前だな」
「ええ。以前滞在していた事があるそうです。本名は教えてはもらえませんでしたわ」
リィリュン。
女統族にいた。
本名じゃない。
もしかしてその人…。
「あの…。その人、姉と兄がいない?」
声が震えているのがわかる。
拳をギュッと握り締める。
「いますけど…」
「名前、お姉さんはリュリュンで、お兄さんはシド?」
たらり、と汗が頬を伝う。
握り締めている拳にも、うっすらと汗をかく。
「よく知っていますね」
肯定された。
確定した。
「知り合いか?ソルト」
「…その人、リィリュンさんは……。俺の両親の妹なんだ」
その三 家族の絆
リィリュン。
血は繋がっていないらしいけれど父さんと母さんの妹で、15年前から行方不明になっている人。
二人がずっと探している人。
肯定されて確信した瞬間、俺は身を乗り出して聞いていた。
「その人、今ドコにいるの?父さんと母さんがずっと探しているんだ!」
「あ…ええと…彼女は…」
歯切れが悪い。
いつもきっぱりはっきり言うシャルトゥーナ様が、言葉を濁している。
嫌な、予感がした。
『リィリュンならとっくに死んでるよ』
「え…」
「『シルフ!』」
シャルトゥーナ様とウンディーネさんが同時に叱咤する。
『すぐにバレるんだから、いいじゃんさ』
悪びれるでもなく言いのける。
「…死ん…で…る…?」
言われた事の意味が分からず、シルフの言葉を無意識に呟く。
じわりじわりと、水が紙に染みるように、俺の頭に入ってくる。
ゆっくりと、意味を理解する。
「そんな…どうして?」
『イケニエだよ。イケニエ』
『国王が魔王を呼び出し、その対価としてリィリュンの命が捧げられた、そう聞いています』
「相変わらず、悪趣味な奴」
それくらいわかれ、そんな口調のシルフに続き、悲しみに瞳を伏せながらウンディーネさんは話す。
それを聞いて、ディアは忌々しげに呟いた。その顔は嫌悪と憎悪に満ちている。
俺と目が合うと、なぜか申し訳なさそうな顔をした。
まるで、その場にいる全員に謝っているような、そんな感じがした。
なぜディアがそんな顔をしたのか分からないが、もう一つ気になる事がある。
「……聞いているって事は、ウンディーネさんは死んだ所を見てないの?」
『はい。私もシルフも知りません。彼女のその後を知っているのは、シャルトゥーナだけです』
「…本当に、死んだの?」
「はい、亡くなりました。けれど、生贄になった訳ではありません」
「じゃあ、何で?」
「詳しい事は話せません。ただ、魔王を封ずるために命を賭けた、とだけ言っておきます」
ベールを被っているため、表情が分からない。
この事が、これほど憎たらしく思ったのは初めてだ。
声の調子から判断すれば、嘘を言ってはいないように感じる。
けど、見えないから、シャルトゥーナ様の本当の気持がわからない。
「そのベール、いい加減に外したら?」
全員の視線が、集まる。はっとして、手で口を覆った。
無意識の内に、声に出てしまった。
疑うような、トゲのある声。
やばい。
「ご、ごめんなさい」
「表情が見えないと、疑いたくなりますよね」
シャルトゥーナ様は笑いながら言う。気遣ってくれているようだ。
「うぁ…えと…あ、あの。魔王を封印するために亡くなったんだよね?何で倒すためじゃないの?」
無理矢理、話題を変える。
これしか思い付かなかったし、疑問でもあった。
「人に魔は倒せない」
答えは別の方向から返ってきた。
ディアは、俺から視線をそらし、目を伏せる。
「なんで?」
「魔を倒すのは魔のみ。人に魔は倒せない。魔は負の感情を産み出すものだ。世界から負の感情が消えれば、バランスが崩れて世界は滅ぶ」
「神様でも?」
「神は正の感情を産み出すものだ。相反する。魔の代わりにはならない。だから倒せない」
難しい。
言っている事は簡単な様な気がする。
人が魔を倒せないのは魔が強いから、それならば分かりやすいのに。
神と魔が相反するなら倒せそうな気もする。
でも駄目。ますます分からない。
「人に魔は倒せない。だから封印にとどまる。……そろそろ行こう。シャルトゥーナちゃんのケガも治ったみたいだし」
ディアは立ち上がる。言われて思い出した。
そうだ、彼女怪我していたんだ。
「わわわ忘れてた。ごめんなさい怪我させて。大丈夫なんですか!?」
「今更よ?とっくに治っているわ」
身を乗り出して聞いたけど、笑いながら答えられた。
だって、鏡魔倒しちゃうし、不機嫌だったし、その後もいろいろあったし。
いや、忘れていた俺が悪いのだけどさ。
「ソルトさん、いつまでそうしているつもり?置いて行くわよ」
「あ、待って」
顔を上げると既に四人(精霊達は浮いてるけど)は歩き出していた。
俺は慌てて後を追う。
こんな薄暗い所に一人でいたら、今度こそ本物が出てきそうな、そんな感じがした。
※ ※ ※
「ちょ、どうなってんの?」
三人が入って行った鏡を見ながら、パインは呟く。
別に答えを待っていた訳ではないだろう。ここにいるのは、術などとは無縁の生活を送っていたティファーヌ、コルレッタ、レティアなのだ。
パインの呟きに、やはり三人は答えられない。
「あまり近寄らない方がいいですよ」
鏡を覗き込むパインに、戻ってきたエルドラードが答える。
周囲の様子を見回ってきたのだ。
「この鏡って、移動用の譜陣とか敷かれてんの?」
「おそらくは」
ソルトがシャルトゥーナを追いかけて入って行った鏡は、周囲の鏡より少しだけ大きい。
また大きいだけではない。他の鏡よりも少しだけ青みがかっているのだ。
ただし、注意して見なければ分からない程、色は薄い。
「『ふじん』とはどういう意味なのですか?」
ティファーヌがパインに問う。
「えーと、魔法陣みたいなもんよ。普通の魔法陣と違うんだけど、あたしそうゆーのって、詳しくないのよね」
パインは助けを求めるようにエルドラードに視線を向けた。
だがエルドラードは鏡を調べていて、パインの視線には気付いていない。
「ね、早いとこソルト達を助けに行こうよ」
コルレッタが鏡とエルドラードを見比べながら言う。
エルドラードは首を横に振った。
「そうしたいのは山々ですが、この鏡には特殊な細工がしてあります。一度入ったら、出られません」
「え?それでは三人はどうなるのですか?」
レティアが不安げに尋ねる。
「大丈夫です。必ず別の場所に出口がありますから」
エルドラードの言葉に、ティファーヌは胸を撫で下ろした。
よほどシャルトゥーナの事が心配だったのだろう。
「とにかく、僕達はディアが言っていたように出口を目指しましょう」
「えー。そりゃムリでしょー」
エルドラードに答えたのは、三人ではなかった。
別の鏡から黒い外套に身を包んだ人物が二人、現れたのだ。
一人は無表情の男性。もう一人は、瞳に狂気の光を宿した男性。
振り向きざま、エルドラードは剣の柄に手をかける。そのままティファーヌを庇う位置へと移動した。
またコルレッタも矢筒から矢を抜き、弓へとあてがいながらレティアを庇う位置へと移動する。
「ぬーん。なっつかしーい気配がしてきてみたのに…。あっれ~?」
「ふむ。どうやら行き違いだったようだな」
「ええ~。ツマンネ~」
「そう言うな、サヅリ。陛下の意思に背くつもりか?」
サヅリと呼ばれた男は少々口を尖らせながらも、無表情の男に従った。
「ご用はなんでしょう」
エルドラードが二人に問う。
口調は柔らかいものの、その瞳は油断なく二人を見ている。
「陛下のご意思により、御同行願いまーす」
「断る、と言ったらどうします?」
ふざけた口調のサヅリと無表情の男を油断なく見据え、エルドラードは会話を続ける。
「その場合は、引きずってでも連れて行く」
「成程」
「しつっこい男は嫌われるわよ」
トンファーを隠したパインが、二人を睨みつけながら言う。
挑発のつもりだったのだろうが、二人は冷静に受け流したようだ。
「さて、一緒に来てもらおうか」
「お断りします」「じょーだんぢゃないわよ」
エルドラードとパインが同時に答えた。
「ならば、仕方ない」
「ゾナ、金の奴は殺ってもいーだろ?」
サヅリが唇をぺろりと嘗める。
それを横目で見て、無表情の男――ゾナは「ああ」と肯定した。
サヅリが腰を低く落とす。両手の爪が伸びた。指を閉じれば肘から爪先までがひと振りの剣の様だ。先端がかなり鋭い。爪だからと言って侮るのは良くないだろう。
ゾナも刀身の黒い短剣を取り出した。投擲用に特化した形だ。飛刀として使われたら、素人に避けるのは難しいだろう。
ましてやここは『鏡の間』。場所が悪すぎる。
「ティファーヌさん、レティアさんは下がっていてください。コルレッタさん、援護をお願いします。パインさんは…」
「あたしならだいじょーぶよ。ヤークティの人間じゃないから」
エルドラードの指示に従ってティファーヌとレティアが後退する。
コルレッタは二人を庇うようにしながら距離を取り始めた。
パインはエルドラードの隣に移動すると、武器を構える。
なぜか持っているのは愛用のトンファーではなく、先程までティファーヌが持っていた長剣だ。何か考えがあるのだろう。
「ばっかだなぁ。オレ達に勝てるワケないじゃん。素直に従えばいーのに」
サヅリの瞳がギラギラと輝く。
「もしかしたら、僕達が勝つかもしれませんよ?」
エルドラードが切っ先を二人に向けた。
「では、こちらもそれ相応のお相手をしよう」
ゾナの瞳が細められる。
「いくわよ。やられる準備しなさい!」
パインの言葉が、開戦の合図になった。