第三章 魔物の棲む塔
その一 助っ人は罠と共に現れる?
「誰!?」
真っ先に反応したのはコルレッタだった。振り向くと同時に、弓を構える。
「武器を下ろしてください。怪しい者ではありませんから」
そう言って、柱の陰から一人の少年が現れた。俺と同じくらいの歳の、美少年だ。
金色の髪に、宝石のような青い瞳。目が大きくて、肌も白い。女の子にも見えるが、着ているのは濃い青色の軍服のような服だ。腰には剣がさしてある。
「そんなに怖い顔をしないで下さい。皆さんに危害を加えたりはしませんから」
「そんなこと言われたって、信じらんないわ」
「それもそうですよね」
睨みをきかせるコルレッタの言葉に、少年は頷いた。
納得するんかい。
「…でも困りました、皆さんに助けてもらいたい事があるのですが…」
少年の口調は話の内容とは違い、友達と話しているかのように軽いものだ。本当に困っているのだろうか。
案の定、パインが疑わしそうな目で見ている。
「助けてもらいたい事?」
「ええ。実は、僕の相方が罠に捕らわれてしまいまして、その罠を解除するには人手が足りないのです」
少年の言葉を聞くと、コルレッタは部屋を見回した。
「ホントなの?」
パインが聞く。
「本当ですよ」
少年はにこりと笑う。
俺には、嘘をついているようには見えない。だが、場所が場所なだけに迂濶に信じるわけにはいかない。
「──どうやらホントみたいだよ。彼の言う通り罠が発動しているし、もう一人いる」
「よろしければ、助けていただけますか?──勿論、断ってくださっても結構ですよ」
少年は嘘をついてはいない。
罠が発動している、とコルレッタは言った。
しかし、罠にかかっているとは一言も言わなかった。
そう、もう一人いる、としか。
「助けてあげませんか?」
みんなが考え込んでいると、シャルトゥーナ様は言った。献立でも決めるようなノリで。
「味方だとは限らないのよ」
「敵だとも限りませんよ」
ティファーヌ様の問掛けにも、さらりと答えてみせる。
「敵か味方かも分からないのに…」
「なら、見に行きましょう」
「見に行くって?」
ティファーヌ様の不安げな声を遮って、シャルトゥーナ様が提案した。その意味が分からず、俺は無意識に聞き返していた。
「そのままの意味ですよ。相方さんの捕まっている場所を見に行くのです。あとはコルレッタさんに見てもらえば、嘘かどうか分かりますでしょう?」
「なるほど…」
確にコルレッタの言葉なら信用できる。罠にかかっているかどうか、コルレッタなら少し調べれば直ぐに分かるだろう。
「それはいい考えですね」
賛成したのは、少年だった。
「このような場所で、出会ったばかりの人を直ぐに信用など出来ませんしね。コルレッタさん、貴女はどう思います?」
「へ?あ、そ、そうね……見てみないことにはなんとも…」
少年はコルレッタに視線を向ける。突然話を振られたコルレッタは、なんとも微妙な答えを返した。
それにしても、なんで彼女がコルレッタだってわかったのだろう…。
「すぐそこですから、嘘だと思われたらそのまま出口に直行してくださいね」
少年は、なんとも薄情なことを笑顔で言う。
自分の相方がどうなってもいいのだろうか?
結局、俺達は少年に案内されて、彼の相方が捕まっている場所に行くことになった。
広間の先──ちょうど俺達がいた辺りからは彫像の陰になり死角となっていた場所に、それはあった。
空中にふわふわと浮かぶ巨大なしゃぼん玉、そう言えば分かりやすいかもしれない。その中に、人が入っていた。
歳の頃なら18歳ぐらい。長く後ろでみつ編みにした黒い髪に、炎のような紅い瞳の青年だ。黒地に銀の縁取りを施した服を身に付け、赤く短めのマントを襟元に巻き付けている。
彼は、しゃぼん玉の中であぐらをかいていた。槍のような武器を肩に担いでいる。
槍のように柄は長いけど、刃の部分は突きよりも切りに向いている。おそらく長刀だろう。
青年の眉間には皺が寄っていて、見るからにとても不機嫌そうだ。
「エル!お前、どこ行ってたんだよ」
青年は相方の少年──どうやらエルという名前らしい──を見付けると、態度と同じく、不機嫌そうに言った。
「ごめんごめん。この罠、一人じゃ解除できなくてね。人を探してきたんだ」
「…だったら、いなくなる前に一言いえよ」
青年は溜め息をつきながら言った。
どうやらエルは、彼に何も言わずに俺達の所にきたらしい。
「罠が発動しているのは、窓のすぐ下ですね」
シャルトゥーナ様の言葉に、辺りを見回してみる。確に、しゃぼん玉は壁の上の方にある窓の下側で発動している。
「…どうやら、この罠は一人じゃ解除できないみたいだね」
罠を調べていたコルレッタが言う。
「なら助けよう」
「そうね」
「では、コルレッタさん。解除を手伝ってください」
「わかったわ」
二人は罠とは反対側にある柱に近付いていく。
ガコン
音がして、
パン
しゃぼん玉が弾けた。
青年は綺麗に着地した。
「ふー、助かったぜ。サンキューな」
「どういたしまして」
「ヒドイ目にあったぜ、まったく」
コルレッタに向かって礼を述べると、青年は胸をなでおろした。
「助かってよかったね、お兄さん」
「ああ」
俺が言うと、青年は持っていた長刀を担ぎ直しながら答えた。
「…と、まずは自己紹介だな。オレはディアだ。よろしくな」
ディアの言葉に、俺達と少年は互いの名前を知らなかったのを思い出す。
「そういえば、僕もまだでしたね。僕はエルドラード。気軽にエルと呼んでください」
二人ともにこりと笑う。
エルの笑顔は爽やかだけど、ディアの笑顔は太陽みたいな感じだ。
金と黒、青と赤。どうみても対照的な二人だ。
「俺はツェン・ソルト。よろしく」
「シャルトゥーナです。よろしくお願いいたしますね」
「あたし、パイン・リクルート。よろしく~」
「アタシはコルレッタ・グルーソル」
「私はレティア・バーナーンです」
「ティファーヌ・ディア・ディ・ヤークティですわ」
俺達が名のり終ると、ディアが俺を見た。
「それにしても、お前珍しいな。その目、オッドアイって言うんだっけか?」
「うん」
そう、ディアの言う通りで、俺の眼はオッドアイ。つまり、左右の目の色が違う。右が青で、左が緑だ。
「いろんなトコ旅してきたけど、初めて見たぜ」
「とても綺麗な色だよね」
ディアは俺の目をまじまじと覗き込み、エルは柔らかく微笑んだ。
そ、そんなに見つめられても…。
「ホントよねぇ」
俺が困惑していると、パインもディアに同意して俺の目を覗き込んできた。
「でもさ、ソルトくんってヤークティ出身らしいし、ここってほら、いろんな種族いるじゃない?だからフツーにありなんじゃない?」
「そんな事ないですよ。いくら多民族国家とはいえ、オッドアイになる確率はそう高くありません」
「へー」
エルの説明に、パインは何度も頷いた。
「それにお前、封魔だろ?魔統の領域に封魔がいること事態珍しいってのに」
「ふうま?」
ディアが言った『ふうま』という意味が分からず、俺は尋ね返す。
おそらく、種族の事だとは思うけど…。
「違うのか?」
「俺、女統族だよ」
「そうなのですか?僕はてっきり封魔かと…」
「オレも。その水晶みたいな水色の髪は、封魔の特徴なんだぜ?」
二人とも驚いた顔をする。
俺ってそんなに珍しいのだろうか?オッドアイだったり、水色の髪だったり…。
それに『ふうま』ってどういう種族なんだろう。
「でも、お陰でどうしてソルト君の一人称が『俺』なのか分かりましたよ」
「女統族といや、男も女みたいに育てるからな」
二人は納得したようだ。俺は逆に訳が分からなくなったけど。
女統族の変わった風習を知っているなんて、二人とも結構博識みたいだ。
「まあまあ、細かい事はいいじゃないですか。それよりも、どうしてディアさんは罠にかかったのですか?」
混乱する俺と、納得する二人の間に、シャルトゥーナ様がやんわりと入ってきた。
「しらねーよ。オレは、エルと一緒にそこの窓から入ってきただけだ」
びしっ、とディアは窓を指差した。
その窓は、ディアがかかってしまった罠の上にある窓だった。
「じゃあ侵入して第一歩で罠にかかったワケ?」
パインは呆れたように言う。その言葉を聞いて、ディアはムッとしたように言い返した。
「オレはなにもしてねぇよ。着地して辺りを見回していただけだ」
「だから、その一歩がさぁ…」
「それはないよ」
コルレッタはパインの言葉を遮って否定した。
「なんで?」
「この罠、発動スイッチは別のとこにあるもん」
「そうなんだ」
コルレッタの言葉に俺は納得したが、逆にディアは不機嫌そうになった。そして、疑わしそうな目でエルを見る。
「……エル」
「なに?」
「お前、何もしてないだろうな?」
ディアの一言でパインは盛大に溜め息をついた。
「あっきれた。罠にはまったの、エルのせいにするき?」
「人のせいにするのはよくないわ」
俺とシャルトゥーナ様以外は、ディアを呆れた目で見る。
でも、俺にはなぜか、エルが怪しくて仕方がなかった。
この部屋には人の気配がないと、コルレッタは言っていた。なら一体誰がディアを罠にはめたのか。
けど、まさか、ねえ。
「いやだなぁ、僕が罠にはめたって言うの?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
エルは相変わらず爽やかに笑っている。
「僕はただ、壁についていた怪しげなボタンを、おもいっきり押しただけだよ」
「「「「「え?」」」」」
エルのさりげない一言に、俺達は目を点にした。
……は?
今、何て言った?
「やっぱり」
いつものことなのか、ディアは小さな溜め息をつく。
え?ちょっと待って。つまり、どういう事?
エルが罠を発動させて、ディアがそれにかかったって事?
「おい、いつまで固まっているきだ?」
「そうですわ。早く逃げましょうよ」
ディアとシャルトゥーナ様が、目を点にしている俺達に声をかける。
どうやらシャルトゥーナ様は驚かなかったようだ。やっぱり神経が図太いのかもしれない。
「ま、まぁいいじゃん。エルも相方であるディアの心配していたみたいだし…」
「相方?」
俺は場の雰囲気を和らげようとして、何とか言葉を搾り出す。
だが、ディアは眉をひそめて聞き返してきた。
「え?ディアってエルの相方なんでしょ?違うの?」
「相方じゃなくて恋人だ」
「「「「「は?」」」」」
ディアの爆弾発言に、俺達は凍りついた。
「…なんだよ、その顔」
「ディア!その説明は駄目だって…」
エルは慌てて否定しようとしたが、シャルトゥーナ様がその言葉をさえぎってしまった。
「まあ。お二人は恋人同士でしたの?エルさんはディアさんを『相方』とお呼びしていましたから…。それならそうと仰って下さればよろしいのに」
やはり彼女は動じていないらしい。
…って、ちょっと待って。何か、おかしくない?
「い、いや、あの、シャルトゥーナ様?そういう問題じゃ…」
「あら。愛があれば性別なんて関係ありませんわよ?」
俺が言いかけると、シャルトゥーナ様は即行で断言した。
「お、シャルトゥーナちゃん良い事言うな」
ディアがその言葉に、にこりと笑う。
感心しているし。
「ち、違うんです。ディアが言う『恋人』とは、方言のようなもので…」
エルが必死になる。
方言?
ああ、なるほどね。
その言葉に、俺はようやく納得した。
おそらくディアは、エルの事を『親友』と言ったのだろう。
この世界は、ほとんどの国で標準語が使われている。けれど、ごく一部ではその地域独特の言語が今も使われているのだ。
南部地区に住む、女統族もそうだ。標準語で言う『親友』は『恋人』、『妻』や『恋人』の事は『愛人』っていうんだ。
おそらく、ディアの出身地は、女統族に近い言語をもった国なのだろう。
俺はディアが言った意味を理解したけど、みんなは理解できないだろうなぁ。
案の定、パインとコルレッタは頬を引き攣らせているし、ティファーヌ様とレティアはカチコチに固まっている。
…普通、そのままの意味でとるよね。
「さあ皆さん。固まっている場合ではありませんよ。急いでここから脱出しましょう」
シャルトゥーナ様が、元気良く俺達に声をかける。
「はぁ…まあいいや。そんな事よりも、僕達も手伝います」
誤解を解くのが難しいと分かり、エルは盛大にため息をついた。
俺はちゃんと理解したからね。
「助けてもらったしな。借りは返すぜ」
ディアが、エルの心境を気にせずに元気良く告げる。
「さあ!張り切って参りましょう!」
そう言うシャルトゥーナ様は、何だかとても楽しそうだ。
その二 赤い月は何を見る?
俺達はエルとディアの二人を加え、城から脱出するために階段を上っていた。
二人と出会った場所はまだ地上ではなかったようで、今もこうして螺旋階段を上っているのだ。だいたい地下二階くらいの場所だったと思う。
窓を登ろうにも高すぎて、螺旋階段以外に通路は見当たらなかった。
先頭にディアとエル。その後ろをパイン、コルレッタ、レティア、シャルトゥーナ様、ティファーヌ様。そして俺がしんがりだ。
誰もいなかったのだから、後ろから襲われるなんて事はないだろうけれど、念の為である。
城の中は暗く、唯一の明かりはようやく現れた窓から差し込む日の光だけだった。やっと地上まで出てきたらしい。かなり長い間、階段を登っていたような気がする。
今ではすっかり太陽は沈み、淡く薄暗い月の光だけが差し込んでいる。
もともとエルとディアに出会った時には、既に夕方だったんだけどね。日が沈むのは早いなぁ。
今日の月は、青白い光でも、金の光でもない。
赤い光だ。
「大分暗くなりましたね…」
「なーんか、赤い月ってブキミよね…」
エルが言い、パインが窓の外を見て呟いた。
「それにしても妙ですね」
「ああ…」
「妙ってなにが?」
エルが呟き、ディアが頷く。パインは月から視線をはずして、二人に尋ねた。
「いくらなんでも、警備が薄すぎます」
先程から、エルもディアも辺りを警戒している。
「俺達が逃げ出したことに気付いてないんじゃないの?」
そう言いつつも、確に妙だと思った。
脱獄に気付いていないから兵士が追って来ない。それはわかるのだが、これだけうろついているのに兵士の一人も見ないなんておかしすぎる。
「いなくて当然です。ここは立ち入り禁止区域ですから」
不思議がる俺達に、シャルトゥーナ様はきっぱりと言った。
「「「立ち入り禁止区域?」」」
「まさか、ここは北塔の中なの?」
俺とパイン、コルレッタが同時に聞き返す。ティファーヌ様の声は少し震えているようだ。
「はい」
シャルトゥーナ様が頷く。
ヤークティ城には東西南北に一棟ずつ、塔が建っている。何のために建っているのかは知らないけどね。
「北塔は、何かマズイ事でもあるの?」
パインが聞いた。すでに敬語じゃなくなっている。いくらなんでもまずいと思うけど、ティファーヌ様もシャルトゥーナ様も気にした様子はない。
まあ、今はそれどころじゃないもんね。
「…魔物が住み着いていると、お父様から聞きました」
ティファーヌ様が言う。
俺からは顔を見る事が出来ないけれど、声の調子からして青ざめているのではないだろうか。
「ま…魔物?」
ごくり、と俺は無意識のうちに唾を飲み込んでいた。
「魔物だったら倒しちゃえばいいんじゃ…」
パインの問いに、ティファーヌ様はゆっくりと首を横に振る。
「誰も、その魔物を倒せなかったそうです。それで、昔からこの北塔は立ち入り禁止区域とされてきたそうです。今では鍵も失われてしまい、開かずの塔とされている、そう聞かされています」
「だから、ティファーヌ様は見覚えがなかったのですね」
「ええ」
レティアの言葉に、ティファーヌ様は頷いた。
それきり、みんな、黙り込んでしまった。重苦しい空気が辺りを包み込む。
立ち入り禁止とされた塔。今では鍵も失われている。
ではなぜ、俺達はここにいるのか?どうして、シャルトゥーナ様はここが城で、しかも北塔だと分かったのか?
それは、以前にも彼女はここに来たことがある、ということになる。
「安心してください。すぐ近くに、地上への出口がありますわ」
みんなの不安を感じ取ったのか、シャルトゥーナ様は断言した。
やはり彼女はここに来たことがあるのだろう。
「どれぐらい近いのぉ?」
疲れた声を出して、パインが尋ねる。
だから、敬語くらい使おうよ。
「この螺旋階段をもう少し進むと、扉が見えてきます。扉を開けると、『鏡の間』と呼ばれる場所に出ます。そこが玄関口、この塔の出口になります」
遠いのか近いのか、聞いただけでは分からない。まあ、シャルトゥーナ様が言うからには近いのだろう。
「なら、今のうちに、さっさと出ようぜ」
ディアの言葉に俺達は頷いた。
警備の兵はいないみたいだし、魔物は本当かどうか疑わしいけど、とにかく、邪魔が入らないうちに脱出しなくっちゃ。
※ ※ ※
「リュリュン。まだ、起きていたのかい?」
部屋の窓から南部地区と城下地区を仕切っている塀を見つめていたリュリュンの背に、声が掛けられる。
「シド…」
リュリュンが振り返ると、そこにはエプロンを外しただけの姿をしたシドが立っていた。
「帰ってきてくれるかしら」
「大丈夫。無事に帰ってくるさ」
「……」
不安げな表情で問うリュリュンに、シドは微笑を浮かべながら答えた。
だが、それでもまだ不安は拭えないようだ。
「『絶対』に、大丈夫だよ」
「この世に、絶対なんて無いわ」
せっかくシドが断言したというのに、リュリュンは頭を小さく振って否定してしまった。
まるで『絶対』という言葉を、この世から消し去ってしまおうとしているかのようだ。
それを見てシドは小さくため息をついた。そして、リュリュンの肩に手を置く。
「私達の子供だよ?信じてあげなきゃ」
その言葉に、リュリュンは驚いて目を見開いた。
シドの瞳を真っ直ぐに見つめ、そして逸らす。
「…私のじゃないわ。だって…」
「それでも、私達の子だよ」
シドは、今にも泣き出しそうなリュリュンの頭をそっと抱き寄せ、優しく言う。リュリュンの頭がシドの胸に押しつけられるかのような格好だ。
「信じよう。あの子の無事を」
「…珍しい事もあるのね」
「私達が信じなくて、誰が信じるんだい?」
「そうね」
シドの言葉で、リュリュンに微かだが笑みが戻った。
肩を寄せあい、ここからは決して見えないはずの城を、二人は見つめた。
無事を信じて。
負けないことを信じて。
帰ってきてくれると信じて。
どちらからともなく呟いた言葉は、重なり合い夜の闇に溶けていった。
「「頑張って、ソルト」」
※ ※ ※
『……』
『どうです?感じますか?』
ウンディーネの問いに、シルフは首を振る。
昨日、代理者が捕まったため、一刻も早く《言葉の継承者》を探し出す必要があった。
いくら彼女が優秀な契約者──代理者であっても、言葉がなければ勝ち目は、ない。
『どうしよう…このままじゃ…』
『大丈夫です。彼女の事ですから、きっと何か策があるはず』
今にも泣き出しそうなシルフに、柔らかく微笑み言う。
(彼女ならばきっと…)
ウンディーネは、そう願わずにはいられなかった。
その三 鏡の中の脅威
ギィィィ─…
今にも壊れてしまいそうな音のする木製の扉を押し開ける。蝶番が錆びているのだろうか。
ゆっくりと周囲を確認しつつ、俺達は中に入る。
シャルトゥーナ様の言う通り、その部屋は鏡だらけだった。
鏡だらけと言っても、飾ってあるわけではない。床こそ普通だが、壁も天井も全てが鏡で出来ていた。
まさしく『鏡の間』と呼ぶのにふさわしい部屋だ。
しかも、部屋の中が迷路のように鏡で仕切られている。少し見ただけでは、どこが通路なのか分からない。
「すごい…」
その感想は一体誰のものだったのか分からないが、みんな同じ気持だろう。
それだけこの部屋は綺麗で、不思議で、恐ろしかった。
「この部屋を抜ければ出口です」
告げながらシャルトゥーナ様は歩き出す。
出口と聞いて、今おかれている状態を思い出した。
そうだ、こんな所で呆気にとられている場合じゃない。一刻も早くここを出ないと。
シャルトゥーナ様に続いて歩き出す。俺達以外の姿は、鏡には写っていない。
「ここには、敵はいないようね」
安堵の息と共に呟いたティファーヌ様の言葉を、無情にもシャルトゥーナ様が打ち砕く。
「いいえ、そろそろ出てくると思いますよ」
「でてくる?」
言い回しが気になった。『現れる』でも『やって来る』でもなく、彼女は出てくる、と言った。
しかも、そろそろ、と。
「ええ。ほら、ソルトさんの後ろの鏡…」
「後ろ!?」
俺は慌てて振り向いた。
みんなの視線も、一斉に俺の背後の鏡へと向けられる。
写っているのは俺。
警戒している顔。
身構えている体。
どこからどう見ても俺が写っているだけだ。おかしな点はどこにもない。
「どこもおかしくないですよ?」
安堵のため息と共に、シャルトゥーナ様へ顔を向ける。
だが、なぜか女性軍の顔がこわばっている。
「ソ、ソ、ソルト…」
コルレッタが、上擦った声をあげながら指をさす。
その指は微かに震えていた。
「うし、うし、うし…」
「牛?」
パインも同じようにしている。
「後ろ…」
言われて俺はようやく振り向いた。
止まる思考。
固まる体。
開いた口が塞がらない。
たっぷり15秒はそうしていたと思う。
「ど、どっしぇぇぇぇ!!」
おもわず、おもいっきり叫んで後ろに飛び退いた。
動いたのだ。
鏡の中の俺が。
鏡なのだから、俺が動けば動くのは当たり前だ。
俺と同じ動きをしなければならないはずだ。
なのに…。
なのにそいつは手を振っていた。
にこりと楽しそうに笑いながら手を振っていたのだ。
ありえない。
飛び退いたまま固まっていると、そいつは両手を前につきだした。
ずずず…
う、嘘だ。
そいつの両手が鏡の中からゆっくりと出てくる。
「なるほど。鏡魔ですね」
エルが感心したように呟く。
「き、きょうまって?」
俺の声はおもいっきり上擦っていた。
「そのままの意味ですよ。鏡から出てくる魔物です」
なんとも簡単な回答である。
まあ、単純で分かりやすいけどさ。
「大丈夫だよ。意外と弱いから」
つまらなそうにディアは言う。
けれど、鏡の中から俺が出てくるなんて、なんとも奇妙な光景だ。
「ちょ、ちょっと…アタシのも出てきた」
悲鳴にも近いコルレッタの台詞に、俺は辺りを見回す。
俺やコルレッタだけではない。この場にいる全員分の偽物が鏡から出てきていた。
一人ずつではない。その数、何十人。
鏡だから、左右が逆になっているはずだが、ぱっと見ただけでは分からない。
「弱っちいから簡単に片付くはずだぜ」
つまらなそうに言うディアの横で、エルは剣を構える。
「あのさ、こいつら鏡なんでしょ?攻撃なんてしたら割れてケガするんじゃ…」
「そんな事はありませんよ。粉になって消えるだけです」
パインの質問に、エルは鏡魔を見据えながら答えた。
「なるほどね」
怪我をしないと分かって安心したのか、コルレッタは弓を、
「手加減は必要ありませんね」
ティファーヌ様は長剣を、
「ここで使わなきゃ、愛用のイミないわね」
パインはトンファーを構える。
「こいつを使いな」
ディアは自分の長刀をレティアに渡す。
「鏡魔程度なら、ただ突くだけで倒せるから」
「ありがとうございます」
ディアは一体何で戦うのだろう、そう考えた時、ふと疑問が沸き上がった。
「でもさ、このままじゃ、相撃ちになるよ?」
何しろ相手は鏡だ。髪も服も背格好も、何から何までも同じだ。左右が逆だといえ、間違えて攻撃してしまう可能性が高い。
「自分だけ倒しゃいいんだよ」
「あ、なるほど」
それならば相撃ちになることはない。
そうこうしているうちに、俺達はあっという間に囲まれてしまった。一人につき二〇人くらいいるだろう。
これ以上は出てこないようで、増える気配はない。
「なら、ちゃっちゃと片付けよう」
言って俺は身構えた。
※ ※ ※
鏡魔ねぇ…。
随分とセコイ手を使うな、と思いつつ向かってきた一体に蹴りを入れる。体術を戦闘で使うなんて、何年ぶりだろうか。
レティアが戦えるかどうか気掛かりだったが、長刀を貸したので問題ないだろう。
奴の領域とはいえ、何しろ相手は鏡魔だ。あの長刀ならば、軽く突いただけでも粉になる。
ここから無事に出られるなら良し。最悪の場合は…。
その事を考えると気が重くなった。
出来れば会いたくない。会わずにすむならばそれが一番だ。
ふと、エルと目があう。
(大丈夫?)
そう語りかけてくれている気がした。
お前の方が辛いはずなのに……助けられてばかりだな、俺は。
大丈夫だと、軽く頷く。
次の一体が向かってくる。思考を切り替え戦いに専念する。拳を握り、腰を沈める。
勢いをつけて繰り出した拳は、鏡魔を簡単に砕いた。
※ ※ ※
くるりと回したトンファーの一撃で、あっさりと鏡魔は砕けた。
彼らの言うとおり、たいした事は無いみたい。この調子ならば何とかなるはず。
ただ、鏡魔と言うだけあって倒しづらいわね。
自分で自分を倒すなんて最悪な気分よ。
「だーもー、何で鏡なのよ!」
あたしの不満の声に答えてくれる人はいなかった。
ツッコミでもいいから、答えてよ。
哀しいじゃない。
※ ※ ※
「えい」
思い切って長刀を前に突き出す。
パキン、と簡単に貫くことができた。
その場所から全体にヒビが入り、砕けてしまった。床に落ちる前に粉になって消えていく。
これならば大丈夫かもしれない。
長刀を貸してくれたディアさんに感謝をしなければ。
私は足手まといになるわけにはいかない。
怖くないといえば嘘になるけれど、今できる事を精一杯頑張らなければ。
心に誓い、私は長刀を構え直した。
※ ※ ※
「やあっ」
掛け声と共に矢を放つ。
一体の鏡魔を貫きそのまま後方の鏡魔も粉に変える。
意外と簡単で助かるわ。
レティアが心配だったけど、借りた長刀のお陰で何とかなっているみたい。早く倒して、加勢しなくっちゃ。
狩猟民族でよかった…。
内心で長老達に感謝しつつ、アタシは弓を引き絞る。
次の獲物に狙いを定める。
アタシの放った矢は三体の鏡魔を葬った。
※ ※ ※
「はっ」
幼い頃から習っていた剣術。まさかこのような場所で役に立つとは思いもしなかったわね。
国を支える為に、そう思い始めた事でしたけど、途中で止めなくて良かったわ。
向かってくる鏡魔を、手にした長剣で斜めに切りつける。小さなヒビは全身に広がり、やがて粉になる。
肉を切る感触は無いけれど、人を、自分を斬ったといういやな感じが残る。
これで肉を切る感触があったならば、私は人斬りの何かを知ってしまっていたかもしれないわ。
感触が無いことに感謝をし、私は目の前の敵を葬る。
悔しい事に、今の私には、皆の様子を見る余裕は無かった。
※ ※ ※
進入した場所よりも闇の気配が濃くなっている。いやな感じが拭えない。じっとりと絡みつくようだ。
気分が悪い。
気持ちが悪い。
ディアを見ると、表情が沈んでいた。
《最悪の場合は…》
声が聞こえる。
ああ、やはり考えていた。ディアのそんな顔は見たくない。
ふと、ディアがこちらを見た。不安な気持ちが伝わってくる。
僕はあえて問い返す。
(大丈夫?)
ディアは驚いて、それから頷いてくれた。
大丈夫だ、と。
※ ※ ※
もはや何体倒したか分からない。ディアの言う通りで、鏡魔は簡単に倒せた。
けど、自分と戦うという奇妙な感覚のせいで、なかなか数は減らない。
他のみんなは、と周囲に目を向ける。
エルとディアは倒し終わったらしい。部屋の端でのんびりしている。と思いきや、加勢に加わる。
どれが偽物か分かるようだ。のんびりしていたのは、見極めるためだったのだろう。
彼女は戦えているのだろうか。
ふと疑問が頭をよぎり、無意識に姿を探していた。
シャルトゥーナ様は部屋の隅にいた。何十体もの鏡魔に囲まれている。
しかし、襲われている様子はない。無抵抗な人は襲わないのだろうか。
だが、何かがおかしい。
奇妙な違和感。
「キィイィイ」
俺の思考は、鏡魔の叫び声で引き戻される。
「俺はそんな声出さないよ!」
長く伸びた爪を横にかわし、後頭部に蹴りを入れる。
「ギッ…」
鏡魔はそのまま前に倒れると、床にぶつかった衝撃で粉々に砕けた。
もう一度、シャルトゥーナ様へ視線を戻す。
いくら襲われる気配がないとはいえ、放っておくわけにはいかない。
俺は鏡魔の攻撃をかわしつつ、距離を詰める。
と、シャルトゥーナ様はティアラ付近から何かを取り出す。髪を止めるピンのように見える。
一体何を?
くるり、と手の中でピンを回す。
すると、ヘアピンサイズの棒が、あっというまに彼女の背と同じくらいの杖に変わってしまった。
「なっ」
なんで?
杖を一振りする。
すると、あんなにも沢山いた鏡魔は、ほんの一瞬で全て砕けてしまった。
シャルトゥーナ様の力が強いわけではない。
なぜなら、彼女は鏡魔に指一本触れていないのだ。もちろん杖も触れていない。
まるで、術でも使ったかのようだ。
「すごい…」
割れた鏡の破片が宙を舞い、光を反射して輝いている。
それが何とも幻想的だった。
俺はその場に立ち尽くし、みとれてしまっていたのだ。
だから、反応が遅れた。
「キィイィィ」
「しまっ…」
俺の背後から鏡魔が飛びかかる。
だめだ、避けられない。
おもわず目を瞑り、来るべき衝撃に身構えた。
「ソルトさん!」
シャルトゥーナ様の悲鳴にも近い声。
同時にくる衝撃。
だがそれは、鏡魔の鋭い爪からの痛みではない。突き飛ばされたような感じだ。
目を開けた俺がみたのは、俺の代わりに攻撃を受けたシャルトゥーナ様の姿だった。
目の前に、赤い血の華が咲く。
「シャルトゥーナ様!?」
俺を突き飛ばしたシャルトゥーナ様の背中を、鏡魔の鋭い爪が切り裂いた。
そして、そのままシャルトゥーナ様を抱えて走り出した。
鏡に向かって。
連れ去られた。
その考えに至った時、俺の体はやっと動いた。
「待て!」
慌てて追う。
だが鏡魔は、シャルトゥーナ様を抱えたまま鏡へと飛込んだ。
「来ては駄目!」
シャルトゥーナ様は叫ぶが、だんだんと鏡の中へと消えていく姿を見ては、放っておくわけにはいかない。
「よせ、ソルト!その鏡は…」
ディアが何かを叫んでいたが、俺は迷わず鏡の中へ飛込んだ。