第一章 好奇心は出会いを呼ぶ
その一 看板娘(?)と喧嘩人
ガッシャーン
食器の割れる音がした。
バキッ
男が一人殴られた。
「うおぉ」
バゴーン
殴られた弾みで近くにあったテーブルに倒れ込む。
「てめぇなにしやがる」
そのテーブルには先客がいた。
ドカッ
「うひぃ」
ドガッシャーン
殴られ、またしても別のテーブルに突っ込む。
えーと…。
なぜこんなことになっているのか、俺にはさっぱり分からない。
ここはヤークティ共和国南部地区。女統族が治める地区である。
最大といっていい広さを誇る南大陸――スタアト大陸の東側に位置し、国自体を円く塀で囲っている。
俺達が住む『地の世界』では、魔物が普通に存在する為、ほとんどの国は領地を高い塀で囲い、魔物の侵入を防いでいるのだ。
この国は城を中心に城下地区、北部地区、東部地区、西部地区、南部地区の、五つの地区に分かれている。
この分かれている地区それぞれに、様々な民族が暮らしているのである。
この南部地区の一角にある宿屋兼食堂『猫風館』──実は俺の家なのだが──で乱闘が起きていた。
否、現在進行形で起きている。
くどいようだが、何故こんなことになったのか、俺にはさっぱり分からない。
買い物から帰ってきたらこの状態。食器は割れるしテーブルは壊れるし…。
うーむ…いつになったら終るのだろうか。このままでは中に入るに入れない。
「あら、ソルトちゃんおかえりなさい」
俺が裏口の戸を開けっ放しにして突っ立っていたら、カウンターの中から母さんが声を掛けてきた。裏口はカウンターのすぐ近くだから、気付かないわけがない。
母さんの名前は、ツェン・リュリュン。
母さんは灰色の髪を赤い羽根飾りの付いた紐で結い上げ、赤系統で統一された裾と袖が長く、ゆったりとした女統族の民族衣装『姫踊』を身に纏っている。
いつもにこにこと微笑んでいて、みんなから『微笑みの天使』などと呼ばれていたりする。
外見は20代前半にしか見えず、若くて美人と評判だ。俺も南部地区で一番の美人だと思う。
実際、母さんはモテる。いい歳したおじさんから若いお兄さんまで、母さんにデートを申し込む人は数知れずだ。
母さんのファンクラブまであるんだから。
「……ただいま」
「驚いたろう、ソルト」
母さんの隣に立っていた父さんが声を掛ける。
二人ともいつもと変わらない声。……少しは焦ろよ、あんたら。
父さんの名前は、シド・ディヴィナトーレ。
父さんは茶色の髪で、白いシャツに灰青色のズボンをはき、赤いエプロンを身につけている。
この赤いエプロンは、母さんの趣味みたいなものだ。母さんは赤い色が好きなんだ。自分の服は赤系統の物が多いし、俺の服だって赤い色の物もが多い。俺が今着ている女統族の民族衣装『蝶舞』も赤だ。
父さんも母さんと同じで、いつも微笑みを絶やさない。年配のおばさんから若いお姉さんまで、父さん目当てで食事に来る。
母さんと同じで外見は20代前半。若くて美形でカッコイイと評判だ。
もちろん、父さんのファンクラブも存在する。
そうそう、名前からも分かる通り、二人は夫婦ではない。
だからこそ母さんには男性客のファンが、父さんには女性客のファンが大勢いる。
でも、俺から見れば無駄な努力なんだけどね。
二人は、見ているこっちが恥ずかしいくらいに仲がいい。いわゆる『バカップル』というヤツだ。
なぜ、俺が二人と一緒に暮らしているのかは、後で説明しよう。
今はこんな事をしている場合ではない。なぜ、店内で乱闘騒ぎが起きているのか、事情を聞かなくちゃ。
「えっと…何がどうなっているの?」
「いやぁ、それが父さんにも分からないんだなぁ、これが。いやぁ、まいった、まいった、はっはっは」
「いや、笑っている場合じゃないから。ねぇ、母さん…」
「それがねぇソルトちゃん、お母さんもよく分からないのよ。気がついたらドカーン、ボゴーンって」
「気づかなかったの!?」
「ぜぇんぜん気がつかなかったわ」
なぜ、乱闘が起きたのか二人に尋ねてみた。
だが、答える父さんと母さんは、何事もないかのようにニコニコ笑っている。
いつもの営業スマイル。そう言えば聞こえはいいが、実際はのん気なだけである。
このまま客が乱闘を続ければどうなるか…。想像しただけで嫌になる。
壊れたものは壊したやつに弁償してもらうが、すぐに店を開けるわけではない。早くて二日、遅くて一週間は閉まったままだ。
このままでは赤字決定。何とか止めなくてはならないのだが、のん気な両親は乱闘の様子をニコニコと笑顔のまま見守っている。
バゴーン
ガッシャーン
また一つ、テーブルが上に乗っていた料理ごと壊れた。
「ねぇシド、そろそろ止めたほうがいいのかしら?」
「うーんそうだなぁ」
とかなんとか言いつつも、この二人は動こうとしない。
ドカッ
「止めるといってもどこから止めればいいのかしら?」
「このままじゃあお店は一週間ぐらい休みかな?」
「それじゃ困るんだけど…」
ガコッ
「あら、いいわねぇ。折角だから旅行に行きましょうよ」
「それはいい考えだ」
「よくないよ!」
バキャッ
「どこに行きましょうか?」
「んーそうだなぁ」
「行く気満々!?」
ドガゴーン
とかなんとか言っている間にも、確実に被害は広がっている。
「父さん、母さん、何とかしないと…」
「んーそうだなぁ…じゃあソルト、いつもの頼んでもいいかな?」
「え?いつものってまさか…」
「ソルトちゃん、お願いね」
こ、この親は…子供になんちゅーことをさせるきだ。
けど、このままじゃ被害が広がって休業期間が延びてしまう。
……しかたない、ここは店のためにもちゃっちゃとやりますか。
俺は持っていた荷物をカウンターの上に置き、ひとつため息をついて、声を張り上げた。
「はいはい、みんな、どいてどいて」
「お、やっとソルトちゃんが出てきたぞ」
「いよ、待ってましたぁ」
「頑張れよ、ソルトちゃん」
「はいはい、声援ありがとー」
俺がどいてと言いながら店の中央、乱闘騒ぎを起こしている連中に近づくと、この乱闘の様子を遠巻きに見守っていた客たちから、待っていましたとばかりに拍手と声援が飛んでくる。俺はそれに笑顔で手を振り答える。
…実際、みんな俺が出てくるのを待っていたんだけどな。
ここ、南部地区は女統族、つまり女の人が治めている地域だけに舐められることが結構ある。
そのため、酒場、食堂、宿屋など、旅人などが集まりそうな場所では常にケンカが絶えない。男性がケンカを始めると、女性ではなかなか止める事ができないからだ。(と思われているらしい)
ではなぜ、うちは宿屋兼食堂をやっていられるかという事を、これからお見せしよう。
「はいはいお客さん方、そこまで」
「あぁ?」
「邪魔すんじゃねーよ」
「喧嘩だったら外でやってくれない?」
「んだとぅ」
「俺たちゃ客だぞ?」
「お客さんは店の中で暴れないよ」
「喧嘩売ってんのか」
「買うぞこら」
そう言いながら、5人の男達が俺を取り囲む。
全員俺よりも頭二つ分以上は背が高い。190㎝くらいだろうか。
どこからどう見ても『チンピラ』の男達は、酔いが回っているのか、みんな赤い顔をしている。ケンカして乱れた服を直すことなく、筋肉の付いた逞しい腕を見せびらかすように、袖を捲くった。
髪もボサボサだし、無精髭で、汚らしく見える。外見に気を遣うタイプではないらしい。
いくら高級料亭ではないといえ、こういう連中には来てほしくないな。うちのイメージが悪くなるよね。
睨みをきかせる男達に臆することなく、俺は真正面から対峙する。
「今なら壊した店の物の弁償代だけで勘弁してやるから、さっさと金払ってとっとと帰りな」
「んだとこの小娘がっ」
「口の利き方を知らねぇみてぇだな」
「あんたらみたいな奴に礼儀なんていらないと思うけど?」
ピキッ
俺のこの一言で、男達の額に青筋が浮いた。
「この小娘…人が下手に出てりゃ付け上がりやがって…」
「下手?いつでたのさ」
揚げ足を取る俺の一言に、さらに男達は青筋を立てる。ついでに言うなら口元もかなり引きつってきている。
「もう許さねぇ…この小娘!」
男の一人が殴りかかってきた。
「おっと」
俺はそれをワザと紙一重で交わす。
「このガキっ」
これを合図に次々と殴りかかってくる。
「頑張れソルトちゃん」
「負けんなよー」
俺が次々と攻撃をかわしていると、ほかの客から声援が飛んできた。
こんな飲んだくれの馬鹿たちに誰が負けるかっての。
「どしたの?全然当たらないよ」
「こんのぉ」
男たちは顔を真っ赤にして襲いかかってくる。
俺のような子どもにバカにされただけでなく、勝てもしないってのがよほど悔しいのだろう。
けど俺はそんじょそこらの子どもじゃない。
父さんと母さんがのん気だから、小さい頃からうちの店は柄の悪い旅人が多かった。いつも旅人同士のケンカを見てきたため、ケンカの仕方は(見よう見まねだけど)自然と覚えた。
それゆえ旅人同士がケンカした時は、俺が止めてきたのだ。
おかげで俺はケンカが強いと有名になり、いつしかうちの店には俺のケンカが見たいがためにやってくる客も現れた。
…有名といっても南部地区だけだけど。
まあ、膝丈でスリットの入ったスカート履いて、えい、やあ、と蹴りかましてりゃ有名にもなるだろうよ。
…足高く上げても、黒のスパッツ下に履いているから大丈夫だけどさ。
「この小娘…ちょこまかと逃げやがって…」
「今謝れば許すけど?」
「なんだと…」
あちゃー。ますます怒らせちゃった。(ワザとだけど)
「しょーがない、やりますか」
そういって俺は指の骨をポキポキと鳴らす……動作をする。
鳴らせないんだよね、俺。
一人の男が繰り出してきたパンチを紙一重でかわす。すぐさま懐に飛び込み下から顎を突き上げるようにして殴る。
「ぅお」
これでまず一人。
「このっ」「小娘っ」
左右同時にきた攻撃をしゃがんでかわし、そのまま体を捻り二人の男に足払いをかける。バランスを崩したところに顎を掠めるようにして蹴りを繰り出すと、脳震盪を起こしてその場に倒れた。
これで三人。
「この小娘っ」
そう言いながら一人が突っ込んでくる。
繰り出された拳をジャンプでかわし、そいつの肩に手をかけ、頭上を越えるようにして後ろに回りこむ。着地と同時に回し蹴りを顔面に繰り出し、薙ぎ倒す。
「さて、残りはあんた一人だけど?」
「むぅ…」
「どうする?降参する?」
「くっ…ふざけるな!」
男は吠え、大きく拳を振りかざす。
そこにできた隙を逃さず、懐にもぐり、みぞおちに一発、肘を打ち込む。
「ぐっ」
すぐにその場から離れ回し蹴りを一発。
「はい、おしまいっと」
「おぉ」
「さすがソルトちゃん」
五人の男達を薙ぎ倒すと、ほかの客から拍手と歓声が上がった。
…もっとも、これは相手の男達が酔っ払っていたから出来た事だけどね。
「あはは。どーもどーも」
俺は両手を振って答えた。
…もうすっかり見せ物だ。こうなったら見物料取ろうかな?
そうそう、自己紹介がまだだったよね。
俺の名前はツェン・ソルト。後二日で16歳になる、元気いっぱい好奇心旺盛な子どもだよ。
※ ※ ※
『…すげぇや』
ソルトと五人の男達との乱闘の一部始終を、少年は宿屋の上空から見ていた。
そう、上空からである。
外見は五、六歳ほどの緑色の少年だ。全体的に薄緑色をしており、うっすらと透けている。
どこから見ても人ではない。
『にしても、どっからどー見ても女だよな。何でこのボクが、コイツの調査なんかしなきゃなんないんだよ』
ぶつくさと文句を言いながらも、少年は監視を続けた。
その二 城下地区
「ひゃー今日も賑やかだなぁ」
手を目の上にかざし俺は辺りを見回す。
昨日の乱闘騒ぎのせいで今日は店が休みだ。と言っても食堂が休みなだけで、宿屋はやっているけど。
乱闘騒ぎを起こした張本人達はどうしたかと言うと、壊れた店の物を修理している。
自分で壊したのだから直すのはあたりまえだよな。
昨日の騒ぎで「体が痛い」だとかなんとか言っていたような気もしなくはない。
で、俺は今何をしているかと言うと、城下地区に買出しに来ている。いろいろと物が壊れたので、補充をしなければならない。
買出しといっても店に商品を見に行って、発注をしてくるだけだ。さすがに一人じゃテーブルやイスは持てないからね。
買い物をするならば城下地区が一番だ。物の種類が豊富だし、それぞれの地区の工芸品も取り扱っている。南部地区の工芸品を持って行くと、たまに物々交換してくれる店もある。
あ、でも南部地区で物を買うなって事じゃないからね。四方の地区には城下地区よりもそれぞれの工芸品が多いんだから。
それにしても、ここはいつ来ても賑やかだなぁ。今日もすでに市が出ているし…。
城下地区では、いつも何かしらの市が出ている。朝市なんかは毎日だし、ワインが売り出される日なんて『ワイン市』なんてものが出たりする。
通りに面した市を覗きながら歩くと、今日はアクセサリー関係の物を売っているのだということが分かった。それで今日は女性が多いのか…。
ここヤークティ共和国は、基本的に出入り自由の行き来自由である。五つの地区に分かれていても、別に検問が置かれていたり、通行書が必要、というようなこともない。
好きな時に好きなように好きな場所にいけるのである。
そんな訳でここは別名「自由の国」とも言われている。
夜の8時になると、治安維持のためと小さい子が迷子にならないために、それぞれの地区を区切っている門が閉まっちゃうんだけどね。それまでは門は開きっぱなしだ。
…まぁ、さすがに国の中から子供が勝手に出ないように、国門には見張りの兵士がいるけどね。
こう言ってしまうと、なんだか法律が緩くて犯罪者が多くいそうなイメージを持つかもしれないが、そんなことはない。人々の生活が法に縛られない反面、犯罪者にはとても厳しいのだ。
この国で犯罪をする奴は大抵の場合
①この国の犯罪者に対する怖さを知らない
②よほど自分の手口に自信がある
のどちらかだ。
大抵の場合①なのだが…。
この国で犯罪をしようものなら、国民総出で家捜し状態である。それほど人々の繋がりは大きいのだ。そんな怖い思いは普通の人ならしたくない。
それにこの国は、土地の関係かどうかは分からないが、術が一切使えないのだ。(原因は分かってないらしい…)
まあ、こんな感じで色々な条件が重なり合い、この国で犯罪が起こりにくくなっているのである。
「えっと…まずは――――ん?」
俺がどこの店から入ろうかと辺りを見回していると、武器屋と酒場の間にある路地で目が止まった。
路地のほうに曲がった女性をつけるかのようにして、黒いマントに身を包んだ男性が曲がっていくのが見えたからだ。
……怪しい…非常に怪しい………。
こういう場合、本当は関わらないほうがいいのだが、自分で言うのもなんだけど、俺は好奇心が旺盛だ。
……早い話、気になってしょうがない。
どうしようかと暫く躊躇った後、俺は好奇心に負け二人の後を付けることにした。
…なんか怪しい人になった気分。
※ ※ ※
『またかよ…』
そう呟いたのはソルトの監視役をしている緑の少年だった。
三日程ソルトの監視をしていて、非常に好奇心が旺盛だということは既に判明している。
今日は買い物に来たはずなのに、怪しい二人組みを見た瞬間、ふらふらとついていってしまった。
好奇心旺盛とか、どうでもいい事は分かったが、肝心の《言葉の継承者》かどうか、ということは未だに判明していない。
『だーもー。時間無いってのに!』
大声を出しながら少年は空中で地団太を踏んだ。
その三 出会いと危険は共にある?
暫く路地を進んでいるけど、二人には何の変化もない。
…あれ?もしかして俺の勘違い?二人ともただこっちに用事があっただけとか?
ここまで来て、俺は人通りの多い表通りを避け、近道として裏通りを使う人もいる、ということを思い出した。この二人も近道としてここに来ただけかもしれない。
うわ、もしかして超がつくほど勘違い?
うひゃー、なんかバカみたいだ…。こうなったら、早く買い物済ましてとっとと帰ろう。
そう思い、元来た方へ戻ろうと後ろを向いた。
「ちょっとなにすんのよ!」
女性の甲高い声が後ろから――つい先程まで俺が向いていた方から聞こえてきた。
間違いなく俺がつけていた女性の声だ。(と思う)
慌てて声のした方を見ると、案の定黒マントが抵抗する女性を押さえつけようとしている。どっから見ても知り合いには見えない。
「ちょっと離しなさいよ!」
「いいから黙って従え」
女性の甲高い声とは正反対に、黒マントは低く冷たい声を出す。その声を聞いたとたん、それまで強気だった女性の顔に怯えの色が浮かんだ。
ここまで見てしまったからには放ってはおけない。俺はすぐさま走り出した。
女性は怯えつつも抵抗する。
「いやっ放して!」
「黙っていろ」
「ちょぉぉぉぉっと待ったぁぁぁぁぁ」
「へ?」
「!?」
俺の大声に二人は、はっとしてこっちを向く。と、
ミシッ
振り向いた黒マントの顔面に、俺の跳び蹴りが見事に決まった。
ナイス俺。
「――っ」
黒マントは声を押し殺しつつその場から少し後ずさる。
「今のうちに!早く!」
「え、えぇ…」
俺はまだポカンとした顔をしたままの女性の手を引っ張って走り出す。
裏通りをあっちへこっちへと、ぐにゃぐにゃに走る。もうどこをどう走ったのかさえ分からない。
「ち、ちょっと…休憩…しない?」
そう女性に言われて、俺達はようやく止まった。
「はぁ…はぁ…つ、疲れたぁ」
「ホントねぇ…」
止まってしまうとなんだかドッと疲れが出てしまい、二人してその場に座り込んだ。
うー、暑い。体中がほてっているよ。汗もどっと噴き出してきた。
流れ落ちる汗を手の甲で拭うけど、拭った先からまた流れてくる。
「あ…あはは…ありがとー…おかげで助かったわ…」
あははー、と笑いながら女の人は言った。
声が枯れているのは、俺と同じで喉が渇いているからだろう。彼女も俺と同じで汗だくだ。ここまで全力疾走すれば、当たり前だけど。
年齢は19もしくは20歳。肩で切り揃えた茶色い髪に藍色の瞳の女性だ。
橙色をした胸元が大きく開いた半袖ワンピース、その下に桃色の服を着ている。腰の部分には桃色の布が巻かれ、左側で大きなリボン結びにして留めてある。結び目には大小二つの赤い球状の宝石が付いていた。太股までくるクリーム色のニーソックスに、膝下の茶色いロングブーツを履いている。
格好からして、城下地区の住人か、旅人だろう。
「お礼なんていいよー…あー…でも無事でよかったよ…」
息も切れ切れに俺は言う。
「んーホントありがとー。キミが偶然通りかかってくれなかったら、助からなかったかも…」
そういう女の人に、俺は頬をポリポリと掻きながら言った。
「あー…実を言うと、偶然通りかかったわけじゃないんだ…」
「へ?」
女の人がポカンと口を開く。
「えっとね…路地に入っていくお姉さんをつけるかのように入っていった黒マントを見て、なんか怪しいなーと思って後つけたんだ…その…後つけてごめんね」
「あー。そーなんだ。いいよ、謝んなくて。おかげで助かったんだから。結果よければ全てよし、って言うじゃん」
そういって女の人は、あははと笑って、手をパタパタと振った。
よかった、怒ってないみたいだ。心の広い人なんだな。それともただ、変なだけ?
「そーいえば、キミの名前聞いてないや。あたしパインっていうんだ」
「あ、俺はソルト」
「ソルトちゃんね。ホント助かっちゃった。後でお礼させて」
「いいよ、お礼なんて…」
そういいながら俺は両手をブンブンと振った。ついでに首も横に振る。
「遠慮しないでいいのに…」
「本当にいらないよ」
「欲無いねー、キミ」
「そ、そうかな…」
「そーだよー。キミみたいな年頃なら、大抵なんかねだるっしょ?ふつー」
普通とか言われても、何か欲しくて助けたわけじゃない。
それに…。
「なんかそれってただの偏見じゃ…」
「あはは、気にしない気にしない」
そういってまた、あははと笑いパタパタと手を振った。
それにしてもよく笑う人だ。
「そういえば、何でパインは襲われていたの?」
「たぶん、例のアレだと思うわ」
「あれ?」
「へ?…もしかしてソルト知らないの?」
「知らないって何が?」
「今、城下地区じゃ女性ばかりを狙った誘拐事件が起きてんのよ?」
「誘拐事件!?」
パインの爆弾発言に、俺はただ目を丸くして驚いた。
「そーよ。もー城下地区じゃこの話で持ちきりなのよ!」
「へー、そうなんだ…」
このヤークティで誘拐なんぞしようとは…なんて勇気のある犯人なんだ。
俺なら絶対にやらないのに。
「あれ?ってコトは、さっきの黒マント、誘拐事件の犯人なの…?」
「多分ね」
ふと思い出したように言った俺の一言に、パインも同意する。
「…もしかして、もしかしなくても俺達って凄くヤバいのと関わったんじゃ…」
「そ、そうかも…」
今更にして、自分がどれだけ危ない事をしたのかが分かった。俺の顔はきっと青ざめているに違いない。
「ご、ごめんソルト。あたしったら巻き込んじゃったね」
「何いってるのさ!これは俺が勝手に首突っ込んだだけなんだから。パインが気にすることないよ!」
申し訳なさそうに言うパインに、あわてて両手を振りながら言った。
「でも…」
「今はそんなことよりも、ここから早く出ようよ!ぐずぐずしていたら黒マントに追いつかれちゃうよ!」
「そ、そうね…」
そういって俺達は、疲れた体に鞭を打つようにして立ち上がった。
本当はもう少し休憩していたかったけど…。
「大通りに出ればきっと大丈夫だよ」
「だといいケド」
「それでは困るのだよ」
今まさに歩き出そうとした俺たちの背に、聞き覚えのある声が掛けられた。
この低く冷たい声。間違うはずはない。
アイツだ。
あわてて振り向くと、そこには俺の想像していた通り、パインを襲った黒マントがいた。
「…!いつの間に!?」
「残念だったな。…まったく、手こずらせてくれたな」
「そ、それほどでもないですけどね」
「何変なこと言ってンのよ」
パインがつっこんだ。つっこまなくていいのに。
「ふ、まあいい…お前達はもう逃げられんのだからな」
「くっ……どうせなら、もう少し休んでいてくれてもよかったんじゃないですか?」
「そーよ、そーよ」
「悪いがこちらも仕事なのでね」
言いながら黒マントはこっちに近づいてくる。
俺はパインを庇う様にして立ちながら、逃げ出す隙を窺う。
あの時黒マントが攻撃をうけたのは、突然の不意打ち攻撃に油断していただけだ。今度も同じ手が通じるとは限らない。
それに、こいつの実力も何一つ分かっていない。パインを守りながら戦うよりは、逃げたほうが賢明だろう。大通りに出さえすれば、奴もおおっぴらには動けまい。
「まさか、娘が二人に増えるとはな。集める手間が省けたか」
独り言のように言いながら、こちらに近づいてくる。
俺はパインを庇いつつ、じりじりと後ろに下がる。
「さて、二人とも大人しくしてもらおうか」
「冗談じゃない!捕まってたまるか!」
こういう場合、下手に背中を見せれば、あっという間もなく勝負はつく。ここはなんとしてでもパインだけでも逃がしたい。
けど…。
じりじり、じりじり……ドンッ。
「きゃ!?」
後ろに下がりつつけていると、パインが小さく声を上げた。
「ど、どうしよう。壁にぶつかっちゃった」
そういうパインの声は微かに震えていた。
まずい、このままじゃ二人とも捕まってしまう。
「ふん、どうやらもう逃げられんようだな」
俺達の状況に気づいた黒マントは、言いながらこちらに手を伸ばす。
そこに少しだけ隙ができた。
いまだ!
「てぇい!」
できた隙をついて懐に飛び込み、おもいっきり顎を突き上げる。
「ちっ」
が、寸前の所でかわされた。
それでもその隙は大事な隙だった。
「パイン!走って!」
「え!?」
そう言って俺はパインの手を思いっきり引っ張って壁から離れさせ、背中を押して走らせた。
「早く走って!」
「わ、分かったわ」
俺の言葉にパインは全力で走り出した。
「逃がすか!」
黒マントの手がパインに伸びる。その手を俺が蹴り飛ばす。
パインにはなんとしてでも逃げてもらわないと。
「この…小娘!」
「おっと」
黒マントはこちらに注意を向ける。その隙に、パインは一気に反対側の路地に走った。
これでパインはもう、大丈夫だ。
パインが逃げ切ったのを見届けた、それがいけなかった。
「ぅわあ」
俺にできてしまった一瞬の隙。
たとえ一瞬でも、相手にとっては十分だった。
黒マントは俺の首をつかむと、足が届かないほど高く上げた。
「…っ…は…」
「一瞬の隙が命取りだったな」
黒マントは、唇の端を吊り上げてニヤリと笑う。
このままじゃ、殺られる。
何とか首に掛かった手を解こうとするが、上手くいかない。
足をバタつかせてみたところで、効果は得られなかった。
「ソルト!」
パインの声が聞こえる。
「そこの娘、こいつの命が惜しければこっちに来い」
「だ…だめ…だ…パ…イン…」
「ほら、早くしろ」
「うぐっ」
黒マントの、首を絞める力が強くなる。
やばい…息が…。
「わかったから、早く放しなさいよ!」
そう言うパインの声を聞きながら、俺は意識を手放した。