5 早朝の喧騒
翌日の朝早く、俺とアルはレオナルド先生によってたたき起こされた。時刻は午前五時。いつも起きるのは六時だから、一時間近く睡眠時間を絞り取られたことになる。欠伸を噛みつぶしながら、壁から木刀を取り外してベルトの鞘に収めた。
「別に武具は必要ないが」
「もう癖になってるんですよ。外す時は言ってください。外しますんで」
アルも同じようにして、大剣を背中に吊った。咎められるかと思ったが、レオナルド先生は目を細めて黙認してくれた。珍しいことは二度続くと恐ろしくなる。
「朝言った通り、きちんと正装に着替えたようだな」
満足そうに頷くレオナルド先生。言われたとおり、今日はいつも着ている準制服ではなくて、きちんとした制服だ。動きにくい訳ではないが、落ち着かない。
人気のない廊下に出ると、先生は先導して歩き始めた。教室がある本棟を通り過ぎ、実験棟を通り過ぎて、普段あまり立ち寄ることのない事務棟で足を止める。
目を白黒させる俺達の前に、キャロライン先生が現れた。
「アリス。それにエリーも……なんで」
「お前等もつれてこられたっぽいな」
「ああ。おはよう」
「おはようございます」
眠いのか、目をこすってそう言ったエリーはアリスの服の裾を握る。制服にフードは含まれていないので、今日はバンダナに似たヘアバンドをつけている。ゆったりとした作りで、フードをかぶっている時のようだったが、あくまでアクセサリーだと主張しているらしい。
「で、こんな朝から何の用ですか。俺もうめちゃくちゃ眠くて眠くて腹減ってきたんですけど」
「眠いと空腹の関係が分からないけど、眠いだけに関しては同意だね」
ふああ、と大きな欠伸をするアルがそう言った。朝日も完全に昇りきっていない時間だ。こんな時間に説教でもするのだろうか。
「とりあえず顔でも洗ってこい、と言いたいところだが、他の生徒が起きると厄介なことなんだ。眠いだろうが我慢してくれ。こっちだ」
そう言って、レオナルド先生はある部屋の扉に手をかける。ほとんどの生徒は学校案内でしか寄り付かないところ。そして俺達には何度も御厄介になっているところ。校長室だった。
「朝から説教ですか」
「違う。とにかく入ってくれ」
何故かとても急いでいるレオナルド先生に、押しこまれるようにして中に入ると、そこには当然だが校長がいた。隣には教頭がいる。そして、向かい合うように据えられた長椅子の、東側の方には十二人の生徒が座っていた。
「生徒会連中だな」
アリスが言って、俺はげ、と声を漏らした。この間の一件の所為で、今会いたくない集団ベストテン入りを果たしている奴らが何故ここに。
「座りなさい」
レオナルド先生がそう言って、俺達はしぶしぶながら向かいあう椅子に腰をおろす。隣に座ったアリスがぼそりと呟いた。
「凄まじい説教が始まるのか……今のうちに詠唱を進めておくか」
影でこっそりと動く右手を抑えつけた。一人逃げなんてさせるか。睨まれるが気にしない。
「こいつ……」
「あら、いつぞやの無礼少女じゃありませんかおはようございます。あれから少しは礼節を学びましたか?学んでないみたいですね。朝会って一発目の言葉が“こいつ……”ですもんね。優しい私が教えてあげましょう。朝の挨拶はおはようございます、と言うんですよ?はい復唱」
眠たそうだったエリーだが、アマリアとの遭遇で一気に覚醒したらしい。普段と変わらないスピードで言葉を次々並べ立てると、天使スマイルで指を振る。
「エリー。流石に校長先生の前でこれ以上の毒は駄目だよ。いつもより抑え目でね?」
「どれくらい抑えればいいでしょうか。普段の私がシガトキシンくらいなら、今はパリトキシンくらいまでレベル下げればいいですか?」
「それ、あんまり意味ない……パリトキシン、シガトキシン、どっちも同じくらい、とっても強い毒、だから」
よくわからない例えで質問してきたエリーに、前に座っていた女子生徒が反応する。俯き気味に声を震わせながらのか弱いツッコミに、ほう、とアリスが唸った。
「エリーと肩を並べられる毒キャラがいたとはな」
「なんか意味違うけどな。毒に対して詳しいキャラと、毒に詳しくて性格も毒々しいキャラあいたぁ!」
無言でエリーに殴られた。アリスを隔てて結構距離があるにも関わらず、わざわざ立ってこっちを殴りに来た。そんなに俺が憎かったか。
「さて、話を始めてもいいだろうか」
そこで俺達は、校長達を無視して漫才を繰り広げていたことに気付いた。
「す、すんませんほんと……」
「いや、いいんだよ。君達は今に始まったことじゃないからねぇ」
呆れられているのか、諦められているのか、恐らく両方共だろう。
「生徒会の諸君は知っているだろう。この学院の問題児達だ」
もはや紹介に問題児達と言って分かるほど俺達の不真面目具合は深刻らしい。照れたように頭をかくアルだが、そこは全く照れるところではない。むしろもっと恥じろお前等。
「そして君達も知っているだろう。生徒会だ」
「アル、知ってるか?」
「僕に学院のことを聞くなんて、カトリックに仏説聞きに行くようなもんだと思うよ。エリーは?」
「その言葉をバックハンドでお返しします」
「……はぁ」
流石にここまで無知だとは思わなかったのか、レオナルド先生が大きなため息をついた。アリスが咳払いをする。
「お前達。自分の所属している学院の生徒会面々の名前くらい覚えておけよ」
レオナルド先生がよく言った、と言わんばかりにガッツボーズする。
「で、アリスは知ってるのか?」
「知らない」
背後でどがしゃん、と何かが崩れる音がして、続いて何かが割れる音がした。振りかえるとレオナルド先生とキャロライン先生が地面にはいつくばっている。足元に壺の破片が散らばっている。
「新手のリアクションだな。流石教導師。私達に新しい知識を与えようとしてくれているとは」
「こんなところで授業やってどうするんだよ。普通に失望してるんだろうよ」
「い、いいかお前達、今は急いでいるから割愛するが、後で生徒指導室に来い。みっちり教えてやる」
レオナルド先生がなんとか立ちあがって腕を組んだ。口元が引きつっている。怒る前兆だ。怖い怖い。
「もう、話を始めてもいいだろうか、諸君」
「話を止めているのはぶっちゃけ俺達だけなんで良いですよ、校長。またなんか騒ぎますけど」
「そうか」
いいのか、と思うが、俺達と三年間付き合ってきたから校長のスルースキル値はかなり高い。まだ俺達とろくに絡んだことのない生徒会連中は目を白黒させているが、まあ放置でいいだろう。
「時にリトアール。君は円卓の騎士になりたいと思うか?」
いきなりの真面目な質問に、返答に困った。アリスの耳元に口を寄せる。
「なあ、これボケろってことでいいのか?それともまともに返すのが吉か?」
「私に聞かれても困るな。今までのノリからしてボケろって感じでもあるが、でもリトのボケはバナナの皮にワックス塗りたくった並みに滑るからな」
「え、なにそれ、なにそれ。俺そんなに滑ってる?」
「自覚なしか。重症だな」
「……ボケなくていいからさっさと答えんか!」
校長がいきなり怒った。こう見えて案外気は短いのだ。
「そりゃあなりたいと思いますよ。どうでもいいと思ってるならこの学校に来ませんし」
何を今更、といった気分だ。円卓の騎士にならなくていいなら、他にも騎士学校はたくさんある。授業料がもっと安いところも、平民がもっと多いところもあるのだ。それを全部捨ててここまで来た俺に対して、なりたいか?なんて愚問にもほどがある。
「けど、なりたい、となれる、は違いますよね」
俺の前に座っている奴は、全員なれる人間だ。たとえ俺達の方がテストでよくできても、俺達はなれない人間だ。理想と現実をごっちゃにできるほど俺達も現実から逃げてるわけじゃない。
校長はしばらく考えて、それから重大なことを話すように声音を変えた。全員を視界に収めていたのを、俺だけ、俺達だけしか入らないように座りなおす。
「もしなれると言ったら?」
「……どういう意味ですか」
尋ねたのは俺ではなく、アリスだった。今までのふざけ具合が嘘のように声は固い。
「実は、お前達を特別卒院させようという話がある」
校長がいうお前たちに、生徒会が入っていないのは雰囲気で分かった。
「退学ですか」
俺の質問に、校長はふるふると首を振る。
「いや、違う。卒業証書も出る、正式な卒院だ。そしてその後、君達には円卓の騎士に入ってもらう」
「どうして?」
今度はエリーが聞く。不審の目だ。
「近頃、円卓の騎士の中で、ある怪奇現象が起こっているからだ」
「と、いうと?」
「円卓の騎士の変死だよ」
ウォルケンスが立ち上がった。レオナルド先生に睨まれて、しばらく迷った後座る。
「変死?」
「ああ。今までに死んだ円卓の騎士は四人。軽騎士長と魔術師長、魔術騎士長、盾騎士長だ。ちょうど君たちと役割が合致する。現在、その四つの席は空席になっていて、代理が座っているが、やはり長が四人も消えたことによる戦力低下に、円卓の騎士本部も悩んでいてね。普段は卒業時に円卓の騎士に、各学科の首席十二人を配属させるのだがそれでは間に合わないらしいんだ。そこで、君たち学科首席四人を特別卒院させ、緊急配属させようと職員会議で決まった。後は、生徒会の承認だったのだが」
そこでようやく、生徒会が来ていた理由がわかった。今度こそ、というようにウォルケンスが立ち上がる。
「私達、聖アーサリアン学院生徒会は、この特別卒院を、生徒内最高権力を行使し、不当なものだと提訴します」
はっきりとした声で、ウォルケンスが告げた。
∽
うまい話があるわけがない、というのが話を聞いて最初の俺達の思いだった。そんな話があったとして、一般生徒が黙っているわけがないのだ。
組織の規律を乱す俺達を円卓の騎士にしたくない、という立派な大義名分を掲げているが、実際のところは落ちこぼれの俺達が円卓の騎士になるのが許せない、という貴族様特有のプライドだろう。
「じゃあどうするんですか。俺達の代わりに生徒会の皆サマが円卓の騎士になって万事解決ですか?」
皮肉ったような言葉に、キャロライン先生が咎めるが、撤回するつもりはない。
「否」
その場にいる全員が、息をのんだ。
否定すると思っていなかった俺達も、否定されると思っていなかった生徒会も、一瞬状況が飲み込めないというように目を見開く。
「話が違います、校長!」
「何の話かね」
「私は、リトアール達が円卓の騎士にふさわしくないと言ったはずです!」
「だからどうしたというんだね。リトアール達は円卓の騎士にふさわしくない。そちらの意見は分かった。だが、その意見のどこにも、ウォルケンスは円卓の騎士にふさわしい、なんていう言葉がないだろう」
当然のことを言うように肩をすくめた校長に、俺達は絶句する。校長が俺達の味方をするとは思っていなかった。
「それは、確かにそうですが……」
「しかし、リトアール達の卒院が退けられた時、この学内で最も優秀なのは私達のはずでは?」
次ぐようにして言ったアマリアに、エリーがふん、と鼻で笑った。
「アマリアが最優秀なんて、世も末ですね」
全く同感だが、今は反応している余裕もない。
「私はリトアール達が円卓の騎士にふさわしいと思っている」
今度は、教導師達も含めて大きくどよめいた。
学院校則には、教導師は常に中立である、の記述がある。教導師のトップが、その規約を率先して破った。大問題だ。
「故に、君達の意見を受け入れるつもりはない」
「何故ですか!リトアール達に比べて、私達の方が成績優秀なのは明白!」
「その成績が、本物ではないなら?」
キャロライン先生が止めようとする。それを校長は手で制した。
「ウォルケンス。君の中間テストの合計点は何点だ?」
「九百二十点です」
十科目あり、一科目百点だから千点だ。いちいち点数を覚えているなんて、まめな奴だなと思いつつ、俺は何点だったか思い出そうとする。
「アリス、俺何点だった?」
「何で私が知っているんだ。と、いうか、私達のテストには点数が書いてなかっただろう」
それもそうだった。
「キャロライン君。リトアールの点数は?」
「九百六十五点です」
「アリスは」
「九百七十五点」
「エリーズは」
「九百七十点」
「アルフレドは」
「九百六十八点」
読み上げられていく自分の知らない事実に、どうしようか迷った挙句、俺はあることに気付く。
「くっそエリーに負けただと!?」
「リトさん私達の中で最下位ですね!おめでとうございます!」
「だって今回錬金術地味に難しかったじゃんか!アリスに有利だろあれは!」
「そうか?私は今回座学戦術が結構難しかったと思うが」
「座戦担当の教導師と錬金術担当の教導師がそこで腕組んで睨んでるけど、どうする皆?」
アルの言葉に姿勢をただした。エリーに負けた理由は間違いなく、魔術選択者が錬金術に有利なことだと思う。
「絶対に錬金術もうちょい簡単だったら勝てた」
「そもそも、私達授業受けてないですし」
「それ言うなよ。あれ、天性の才能って言うか」
「実技科目違うからじゃないかな。僕とリトは実技剣術だけど、アリスは実技槍術、エリーは破壊魔術だろ?」
「成程」
「……お前達、そろそろ良いか?」
急いで口を閉じた。
生徒会連中が口をあんぐり開けたまま機能を停止しているが、さてどうしたものかと首をひねる。
「学年主席の私より、最低で四十五点上……」
「信じられないというなら、解答用紙を持ってくるが」
レオナルド先生がウォルケンスを見据えながら言う。キャロライン先生がファイルをあさり始めた。止めてくれそんなはずかしい。
「彼らは、一年のころから常に試験の点数だけでは成績は常に首席だった。だが、陰湿な嫌がらせを受け、授業に参加できなかった彼らが首席に立っていると聞いたら君たちはどう思う?授業に出ていない彼らが首席だと知ったら?おそらく君たちは怒り、不正をしたとわめきたて、彼らを本当に退学に追い込むだろう。私はそんな生徒を今までに一人、見た」
ウォルケンスの目が見開かれる。この表情を俺は見たことがある。怒りと嫉妬だ。今まで不動の地位を作っていた首席という事実が偽物だった。その悔しさと、何故落ちこぼれの俺達が校長の支持を受けているのか、という嫉妬。同情はできないが、気持ちは理解できる。
「っていうか、だけを強調するの止めてくんないかな……」
「事実だから仕方あるまい」
確かに、平常点を入れたらウォルケンス達には抜かされるだろうが。
「しかし、生徒会はリトアールたちを円卓の騎士に相応しくないと思っている。ならば、君たちはその実力を持って、生徒会を認めさせればいい」
「学生同士の戦争をしろ、というのですか!」
レオナルド先生が叫んだ。事態についていけない俺達はぽかんと口を開けたまま話を聞いている。それは生徒会側も同じのようだ。
「戦争ではない。模擬戦だ。校則にもこう書いてあるな。学年首席が決定しなかった場合、教導師の立ち会いの元模擬戦を行い、勝者を学年首席とする、と。
ルールは防衛戦。持ち時間までに相手の大将の首を取った方が勝ちだ。無論、本当に首を取るわけではない。首にあるスカーフが破られた時、首を取ったと判断することにする。
生徒会側が勝利の場合、この提案は無かったものとし、円卓の騎士本部の要請を蹴る。リトアール達が勝利の場合、特別卒院は確定させてもらう」
「そんな、無茶苦茶です!」
レオナルド先生が訴えるが、校長は平然と座っていた。
「私の決定は変わらない。教師の最大決定権を行使し、明日、模擬戦を行うものとする。棄権は敗北とみなすが、リトアールくん」
「はい」
「君たちの意志を私は尊重しようと思っている。ここまでことを進めておいてなんだが、君は、君たちはどう思っている?」
「俺達は……」
周りの皆を見やった。
下級貴族出身で、学内でもいじめられていたアル。
女だからと家に騎士であることを認められなかったアリス。
少数民族の出で差別を受けていたエリー。
全員が頷いた。
「やります」
「うむ。では生徒会諸君は」
「やらせてください」
「場所は学校中庭の円形闘技場。時刻は午前九時から十二時までとする。持ち時間は三時間。生徒会とリトアール達は誰をリーダーとし、誰を参加させるか決めておくこと。以上で解散とする」
それだけ言うと、校長は奥に消える。残された俺達はこの微妙な空気の中、どう過ごせばいいか分からない。
「リトさん、リトさん。とりあえず凍った空気なんとかしませんか?」
「なんとかって……どうなんとかするんだよ」
「一発滑ったら和むんじゃない?」
「嫌だよ!」
何で滑るの分かりながらボケなきゃなんないんだよ!
「臆病者め。何度も滑って人は成長するというのに」
「どこの賢人だよお前は!スキーか!」
「さて帰るか」
「スルーされた!渾身のツッコミをスルーされたよ今!」
生徒会が三白眼で見てくるが気にしない。何人か肩を震わせてることから、受けていると判断してぐっと拳を握った。
「とりあえず、俺達は帰ります。これからのことも考えたいし、まだ今一つ心の整理がついていないので」
「そうか。今日は特別に公欠扱いにしておいてやる。寮の部屋に閉じこもっていてもかまわないぞ」
地味にひきこもりを承認してくれたレオナルド先生が、俺達の部屋の鍵を放った。
「リトアール」
「なんだよ?」
引き留められ、振り向くとウォルケンスが立ち上がって、こちらを睨んでいた。
「私は、お前を認めない」
「別に認めてもらわなくてもいいよ。慣れてるし」
簡単に返されると思っていなかったウォルケンスは、悔しそうに歯を食いしばる。行こうぜ、と声をかけると、三人ともこれ以上は用は無いと言うように背を向けた。
認められない。認められたい。認められなくてもいい。
自らを認めさせたいのならば、剣を取れ。