少女
半分ほど空白の解答用紙を机において、満足だと一人頷く。
これで、とりあえず赤点は免れるだろう。結局今日は遅刻もしなかったし、俺のスクールライフはしばらく安泰だといえそうだ。
周りのクラスメイトよりも低い基準なのは重々承知の上。けれど、この位の点数はさほど努力もせずに赤点を免れて、返却時にはちょっとした笑いのタネにもなる。頭が決して良いわけではない俺にとっては一石二鳥だった。
カラン、と半ば転がすようにシャーペンを机に転がす。その音で「諦めたのか」と言わんばかりの苦笑いを向けてくる数学担当の教師にこっちも苦笑いを返す。そしてすぐに机に突っ伏す。すると不思議なことに昨晩あれほど寝たというのにすぐに微睡みがおとずれた。
―――どこかで見たような、ドーム状の建物の中。いわゆるデジャビュというような感覚ではない。俺は確かに、夢にまで見た(?)異世界の中にいた。
ここが夢であることが分かる。明晰夢とかいうやつだろう。ここまで意識がはっきりしていると、まるで現実世界のようだった。しかしこの状態は、今の俺にとっては大変都合が良かった。例の少女をもう一度拝んでやる、と強く念じるとその期待に答えるかのように眼前に霧のようなものが浮かび上がる。さすがは俺の夢、やれば出来るじゃあないかと他でもない自分に感心していると、突然突風が吹き荒れた。目を開けていられないほどの突風に、思わず手で顔を隠した。さっきの感覚で止め、止め……と念じてみるが、一向に止む気配は無い。
体感時間で5分ほどそうしていただろうか、突風はみるみる弱くなっていき、あっけなく消えていった。まだ恐る恐るといった感じで目を開いてみる。開けていく視界の中で、最初に目に飛び込んできたのは、自分の姿だった。
いや、正確には誰かの瞳に映りこんだ自分の姿だった。そしてその誰かとはもちろんさっき自分で呼び出した人であり、俺が由紀と呼んだ少女だった。
しっとりとした黒髪は肩の辺りの高さで切りそろえられていて瞳は茶色く、着物を着ている彼女はまさに大和撫子といった様子で、自分と同じ位の年に見えるが、どことなく悪魔的で妖艶な雰囲気も醸し出していた。
彼女はその無邪気でありながら、妖しいという形容詞が似合いそうなその微笑を浮かべて、口を開いた。
「いきなり帰っちゃうなんて酷いなぁ……今回はどれくらいこっちにいれるのかな?」
酷い、と言っておきながら全く責める様子の無い彼女の言葉は温かく、彼女の口からほのかに香るアーモンドの香りは俺の心に染み込んでいくようだった。
「あ、あぁ………」
声を出すことで精一杯だった。少し前に傾けば触れてしまいそうな唇や妙に深みのある瞳、彼女を構成する一つ一つがとても美しく、この距離で相対すること自体が俺にとっては刺激的すぎた。
――――――キーンコーンカーンコーン………
10年近く聞いてきた、無機質な音が少しずつ耳に近づいてくる。それはこの世界との別れを告げていた。
目の前の彼女は一瞬驚いたような顔をすると、ふっと微笑んだ。さっきまでの妖しい微笑ではなく、何故か懐かしさがこみ上げてくるような、年相応の少女の表情だった。
そんな彼女の笑顔にほっとしたような気分になると同時、頭をバットで殴られたような衝撃が全身を伝い、徐々に意識がフェードアウトしていった。