共犯者
吐き気がした。
月曜日。
向かった先は学校ではなく病院。いつも遅刻していくから、大しておかしいとは思われないだろう。
「おはよ」
約束の場所にすでにいた彼。寒いのかマフラーに顔をうずめていた。
彼は返事せずに無言で歩き始めた。
いつもそうだから私は動じない、初めてあったときは怖かったけど。
病院に着くまでずっと無言。いや、病院の中に入ってからも一言もしゃべらなかった。
やっと口を開いたとき、私は手術用の台に乗せられていた。
怖い、なんてことは思わない。これが初めてではないから。何回目だろう、確か三回目かな。我ながらのんきだと思う。でも、それ位なんとも思わなかったんだ、このお腹の重さに対して。
「何て顔してんの」
鼻で笑った私に、彼はまたしても返事をしなかった。
ただ、眉間にしわを寄せて私を、いや私のお腹を見ていた。
彼だって初めてではないはずなのに、何でそんな顔をする必要があるんだろう。
そこで私は重くなってきたまぶたを、されるがままに閉じた。
次に目を開けたとき、私は白い部屋の、白いカーテンがついた、白いベットで寝ていた。
ベットの横にある椅子に、彼は座っていた。
まだ、難しい顔をしている。
「何て顔してんの」
再度、同じ言葉を投げかける。
彼は返事をしない。これは当たり前のこと。
体を起こしてみて、私は柄にもなく罪悪感に襲われた。いや、罪悪感という言葉は適切でないかもしれない。だがそれ位、ショックだったのだ。
お腹の重みが、消えていた。
涙は出てこない。これも当たり前。
慣れというのは怖い。一回目は少しだけれども恐怖はあった。
しかしそれは、お腹の中のものに対してでなく、自分の事で。手術が初めてだった私にとって、これまでに無い恐怖だったのだ。
だがそれがどうだ、もはや恐怖の"き"の字も無い。
しょっぱい。いきなり口の中がしょっぱくなった。訳が分からない私を、彼が無言で抱きしめた。そこで初めて気付く。私は泣いていたのだと。
いつから泣いていたのだろうか。
「はじめから」
「え?」
「病院に着いたときから泣いてた」
ああ、だから彼が難しい顔をしていたのか。
妙に納得した私は、涙をぬぐってなめてみた。
「すっぱい……」
「当たり前だろ」
当たり前、彼はそう言った。そうだ、すっぱいなんてことは当たり前。
なのに、あの子はその当たり前のことも知らずに死んでった。
誰が殺した? 紛れもなく、私。
罪悪感? 違う、これは、それより激しい後悔と懺悔。
何回命を作った? そして何回殺した? 三回…たった三回じゃない、三回も。
私は、人殺しなんだ。
自分の手でなくても、間接的に殺した。私だけじゃない、今までの男たちも、医者も、そして目の前にいる彼も。みんなみんな、人殺し。
いや何よりも、今日殺した命は私と彼の子供だった。
「…ごめん」
「何で謝るんだよ」
「ごめん…」
「だから謝るな」
「ごめん」
「しょうがねーんだよ、俺たちはまだ、子供なんだ」
「…あんたとの子供だったのに…なんで、なんでまだ子供なんだろ、なんで」
彼の声は聞こえるけど、私の口からは後悔しか出てこない。
私を抱きしめる彼の手は震えてた。彼もきっと自分の過ちに気付いたんだ。そして、私の大きな気持ちにも。
でも、もう遅い。もう遅いんだ。
綺麗で無知な私に戻りたい。汚れた上に無知な私なんて最悪だ。
でも、今気付いてしまったからといってどうにもならない。
汚さないように、汚さないようにと必死に保ってきた手でさえ、汚く見える。
その手を一生懸命隠すように、私は彼を抱きしめた。
きっともう私たちは離れることなんか出来ない。
それは好きだからなんて、生易しい理由じゃないんだ。
私たちは、人殺し同士。
もう、遅い。
取り返しなんて、付かないんだ。