第1話 始まり
はじまりの街ミール。
すべての冒険者がここから冒険を始めることから付いた名前だ。
かっては死者の群れに襲われ壊滅状態に追い込まれたものの、今ではかっての盛況を取り戻している。
しかしその名残は地下墓地に残され、今はそこから魔物たちが出てこないように封印がされている状態となっている。
冒険者たちは幾階層とも知れぬその地下墓地から冒険を始め世界へと旅立っていく。
地下墓地がどこまであるのかは分かっていないが、地下3階から明らかに敵が強くなるため、それ以下には潜らないのが冒険者の決まりごとになっていた。
そして魔物が出るのはミールだけではなく他の街近くでも出現するため、冒険者たちはある程度まで地下墓地で修行すると各地へと旅立っていくのが常だった。
その街の南東にある宿屋の一室。
そこにひとりの女性が寝ていた。
部屋には紫色の甲冑-ラビリンスメイル-が飾られていた。
ラビリンスメイルは女性戦士のみに着ることが許される鎧だ。しかもかなりの重さがありとてつもない上級者しか着ることができないとされる。
ただ所持することは誰でもできるためその格好良さから購入するものもいるためその女性が戦士であるとは限らない。
だがかなり汚れ、傷ついていることから実際に使用しているのではないかと考えられる。
その部屋の中でその女性が目を覚ました。
「なんだこれは…………」
それが女性の第一声だった。
女性は紫色の髪、高い声、メリハリのある肉体、その全てに対して驚いていた。
それもそのはず、その女性の元の名は高橋透という男性だったからだ。
日本人であり、大学生。
夜にはネットゲームに興ずる一般的とは言えないかも知れないが、普通の男だったからだ。
透は体をまさぐり、それが明らかに女性の体だと知ると部屋にある姿見で自分の姿を写見た。
「エルシア……?」
それは透がネットゲームで使っていたキャラクタの一つだった。
透はネットゲームでキャラクタを作る際に男性と女性の二つのキャラクタを作るようにしていた。
男性の魔法使い系と女性の戦士系。
男性にしか装備できないアイテムや女性しか装備できない服装などがあるため両方作るようにしていた。そうすることでどちらでも対応できる。
透はそのキャラクタの一つ「エルシア」になっていた。
「嘘だろ?こんなことありえない」
そう言いつつ周りを見渡す。
その目にラビリンスメイルが映り、ここがネットゲーム「混沌の覇王」だと悟る。
しかしそれを簡単に受け入れるまでには至らない。
それは当然のことだ。
家で寝ていて、起きたらネットゲームの中にいたなんて小説などでしかありえない話だからだ。
透は後ろずさり、尻餅をつく。
頭を両手で抱え「嘘だ……嘘だ……」と繰り返す。
その声がもとの太く低い声ではなく、可愛い高い声であることがさらに透を混乱させる。
小一時間もその混乱が続いたが、コンコンと扉を叩く音で我に帰った。
「お客さん、朝ですよ。そろそろ起きていただかないと」
若い女性の声だった。
「はい……」
透はそう答え、ラビリンスメイルを手に取りアイテムボックスに仕舞い込んだ。
無意識の行動だった。
ゲームではアイテム枠と力の許す限りアイテムを所持することができる。
ラビリンスメイルは透にとって十分軽く、一枠ですむ鎧だった。
扉を開け宿屋の女将に謝りつつ階下に降りる。
「食事はどうするね?」
「頂きます……」
未だ混乱する頭を抱えつつもなんとか受け答えする。
ここは「混沌の覇王」。
それは間違いない……透は考えていた。
いくつかオンラインゲームには手を出したが、あんなに特徴ある形のラビリンスメイルは「混沌の覇王」しかない。
やがて食事が運ばれてきて、それを上の空で食べながら思考の渦に入っていく。
(なぜ俺はここにいるんだ?)
それだけの事柄が何度も何度も繰り返される。
「もう少し味わって食べてくれないもんかね」
透は女将の声でまた我に返り思考の渦をとりあえずは後回しにして食事をすることにした。
(今は考えても仕方がない。食事のあとで調べてみよう)
出された食事はパンとスープにサラダ、それだけのものだったがかなり美味しかった。
ゲームではアイテムの味など関係ないものだったが、今のエルシアにはそれが現実のものだと認識させるには十分だった。
女将は食事を終えたことを確認すると、透のテーブルを片付け始める。
「すみません、ここはどこですか?」
片付けている女将に透はそう尋ねる。
「なにいってんだい。ミールに決まってんだろう?」
「そうでしたね、ちょっと寝起きが悪いもので……つい……」
そう言って透はごまかした。
ミール。
「混沌の覇王」で作ったキャラクタが最初に訪れる街。
街の中には地下墓地があり、時々イベントとして死者の群れが襲ってくる街だったはずだと思い出す。
透も最初はここから始め、各地をめぐった記憶がある。
そして最後にログアウトしたのがこの街だった。
(とりあえず街を回ってみるか……何かわかるかも知れないし)
「女将さん、勘定をお願いします」
「あいよ、宿賃も含めて銀貨1枚だね」
透は懐を探るが、金貨しか見当たらない。
ベータ版だった頃は確か銀貨も敵が落としていたがそれ以降は金貨しか落としていなかったので金貨しか持っていなかった。
「これでもいいですか?」
と透は金貨を数枚取り出した。
「そんなにいらないよ」
笑いながら女将さんは透の手から金貨を一枚取ると、銀貨を9枚渡してきた。
金貨1枚=銀貨10枚だと透は理解する。
透は勘定を済ませると宿の外に出た。
しかしでたところで行く宛はない。
ゲームと同じならば狩りの場所はいろいろ覚えているが、まずは現状の確認が必要だった。
女性の体になっていることで体の確認をと思ったところで、透の目の前に見覚えのあるステータスが表示された。
レベルやSTR(力)などが表示されている。
レベルはMaxの99……。
アイテム、と考えたところでアイテム画面が表示される。
その中には何も考えずに仕舞ったラビリンスメイルもあった。
それどころか戦士の最後に手に入れるソウルメイルもあった。
それは間違いなく自分が作ったエルシアのキャラクタステータスであり、キャラクタが持っていたアイテムだった。
フルポーションも53個。
それ以外に転移スクロールがいくつか。
スキルを思い浮かべるとスキル欄も表示される。
完全な戦士として育てたため、戦士系のスキルがすべて揃い、熟練度もMaxになっていた。
このゲームでは一度の転職と一度の昇格ができるようになっている。
転職では戦士から魔法使い、僧侶から盗賊など完全に別の職業に転職できるようになっている。別の職業に転職した場合には以前のスキルは熟練度に制限がつき完全には使いこなせない仕様となっていた。
しかし戦士から戦士というような同じ職業へという選択も認められており、その場合には転職ではなく上級化となり専門スキルが新しく追加されることになっている。
昇格は最後の職業をさらに昇華させたものであり、初期ステータスが最初から高いものとなっている。またスキルがさらに一つ追加され、専用の武器と防具が神から与えられる。
転職(上級化)にせよ昇格にせよ再び1レベルから始めることとなるため結構大変といえば大変な作業であった。
透のキャラクタであるエルシアは戦士から戦士へ上級化し、さらに昇格も済ませている。
その証の一つがソウルメイルだった。
ただ透自身がラビリンスメイルの形が好きだったため最前線での戦い以外ではラビリンスメイルを使用していた。
紫の髪の色に合わせた紫のラビリンスメイル。胸の中央に緑色の宝石がついたそれは装備後のエルシアを引き立たせていたため、エルシアはその姿で結構目立っていた。
そしてさらに重要なのがステータス欄。
「混沌の覇王」ではステータスはSTR(力)、INT(知識)、WIS(知恵)、CON(耐久)、DEX(敏捷)の5種があり、レベルが1上がるごとに2の数値を割り振ることができる。
最初のキャラクタ作成時には全てが3の状態から始まり、スキルを覚えるために色々と割り振っていく。昇格を済ませた場合には全てが5の状態からとなる。
エルシアは戦士から戦士へと上級化し、全てのスキルを覚えていたため昇格の際には攻撃力を上げるために全てをSTRに割り振っていた。すなわちMaxである201となっていたのである。
Maxレベルが99なので98回の割り振り+5。それがエルシアであった。
昇格後も神に経験値とお金を捧げることでHPやMPをほぼ無限に増やすことができる。 その結果出来上がったのが上級魔法にすら耐えうるキャラクタ「エルシア」であった。
とは言ってもそのゲーム内では最強でもなくそんなキャラクタがごろごろしていたため廃人仕様とは程遠い。
キャラクタの操作に関しては一流どころに名を連ねていたが、廃人達は半年もたたずにそんなキャラクタを作り上げるところを透は2年以上かけて作り上げただけだったりする。
透は自分自身がそのエルシアになっていることを実感してしまい、目の前が暗くなるような気がしてきた。
倉庫用のキャラクタではなかっただけましだと思うべきか……。
それ以前になぜ自分がこの世界にきてしまったのかということである。
ゲーム内ではNPCの数が少なかったように思えるが、透の目の前には多数の人が行き交っている。
その人達に聞きたいことは多数あるものの何をどう聞いたらいいのかわからない。
このようにこの世界に来た人が自分だけなのかそうでないのか。
NPC出会ったはずの人が話しかけてわかるように受け答えしてくれるのかどうか。
精神的には男であるはずの自分が女の体になっていることへの葛藤。
それら全てが疑問として湧き上がり、答えが出てこない。
「どうした、嬢ちゃん。そんなところで突っ立って」
思いの外、立ったままでいた事を不思議に思った中年の男性が透に声をかけてきた。
透は一瞬、自分のことだと気づかなかったが、今の体が女だということを思い出しそちらを振り向いた。
声をかけてきた中年男性は宿屋の近くで焼き鳥屋のようなで店を開いている人だった。
「いえ……その……」
「冒険者の初心者かい?だったらまずはギルドに登録だね。そして最低限の装備を整えて町の東にある地下墓地へ行くといい。ただし巨大ムカデには気をつけるんだよ。あいつは危険だから、見かけたらすぐに逃げることだね」
透が口ごもっていると冒険初心者と思われたようで説明してくれる。
(ギルド? このゲームにそんなモノがあったか?)
「ギルドってどこにあるんですか?」
透はまずそこへ行ってみることにした。
ゲームとの差異。それが手がかりのような気がしたからだ。
「あぁ、ギルドはすぐそこの橋をわたってすぐのところにあるよ」
「ありがとうございます」
「いいって気にするな。最初は誰だってそんなもんさ。金を稼いだらうちの品物を贔屓にしてくれればありがたいってことさ」
店主に透は笑顔で礼を言う。
橋。
ゲームでは宿屋のすぐ近くに橋もなかった気がする。
だがそちらを見てみると確かに橋がある。
その向こうには竜のマークの看板が出ている建物があった。
透は再び店主に頭を下げるとそちらへと歩いて行った。