「跡取りも婚約者も譲ってあげたい」とお姉様がおっしゃったので、喜んで全部奪って差し上げたのに、どうしてそんなに怒るのかしら?
わたしのお姉様は学園で誰もが知っているほど有名だ。それは彼女の美しい容姿や華やかな性格が理由なわけではなくて。
「エミル様とアーノルド様はとってもお似合いね」
「愛し合っているお二人が結ばれないなんて、運命の神様も意地悪だわ」
姉のエミルは悲劇のヒロインとして、学園中から同情されているのだ。
淡い金髪に細身のお姉さまは守ってあげたくなるような儚げ美人で、お相手のアーノルド様は整ったお顔で背が高く馬術が得意な騎士様のようなお方。二人が並ぶと絵画のように美しい。
この国は原則として長子が跡継ぎになる。
法で決められているわけではないけれど、王族や爵位の高い貴族の間では不文律のようなもので、第一子とそれ以降では家の中での扱いは全然違う。
第一子として産まれた者は、性別問わず跡取り教育を施され大切に育てられる。第二子以降は良い嫁ぎ先婿入り先を探すべく根回しをし、それに向けての教育となる。
学園で出会った姉のエミルとアーノルド様は、一目で恋に落ち、愛を育んだ。
しかし、残念なことに姉は我がリモンチェッタ侯爵家の後継者。アーノルド様も伝統ある伯爵家のご長男。
将来は実家の爵位を継がなければならない二人は、結婚というゴールに向かえない。絶対に結ばれない『運命の恋人』として、学園では有名だった。
「マニラは自由でいいわね」
趣味の刺繡を刺しているわたしに、ため息をつきながら姉は言った。
「まだ婚約もしていないし、将来が何も決まっていない。羨ましいわ」
わたしは半年後に学園を卒業する姉とは一歳違い。十六歳の貴族令嬢で婚約者がいないのはかなり珍しいことだ。
我が家は借金があるわけでも、社交界の評判が悪いわけでもない。むしろ旧家として歴史も信頼もあり、我が家と縁を繋ぎたいと願ってくれる貴族は多い。
そんな我が家なので時折縁談は舞い込み、父のお眼鏡に適った方とお見合いすることはある。しかし、その度にわたしは選ばれない。
お姉様にとってわたしは何も持たない可哀そうな妹。
「出来ることなら、この家も婚約者も、すべてあなたに譲ってあげたいわ」
わたしは思わず手元の針を落とす。
姉は諦めたように悲しそうに微笑んでいた。
「いいの? わたしがお姉様の代わりになっても?」
「出来るものなら、そうしてほしいわ」
叶わぬ願いだと嘆くお姉様の手を取る。
「じゃあ、そうしましょう!」
声を弾ませるわたしに、姉は驚き不思議そうな顔をした。
お姉様がわたしと交代していいと思っていたなんて、早く言ってくれたらよかったのに。これまで考えては打ち消してきた夢物語のような計画を、わたしは実行に移すことにした。
「では、お姉様は今すぐ荷物をまとめて旅行にでも行ってちょうだい」
「学園はどうするの?」
「体調を崩したことにして休学届を出しておくわ。学園に通えないほどであれば、後継者変更になったとしても周囲は変に思わないでしょ」
「それは名案ね! わたしは領地で療養していることにすればいいものね。行きたかった海辺の街に大好きなお洋服のブランド直営店にも行こうかしら」
三年生のお姉様は半年後には学園を卒業する予定だ。学園を卒業することがこの国では一人前になった証とされる。そのため特別な理由がなければ学園に通っている間に結婚する者はいない。卒業後に結婚ラッシュが始まるのだ。
未婚でいられる残り僅かな時間を有意義に楽しもうと、お姉様はこれまでに行ってみたいと思っていたあちこちの場所を思いつくまま口にする。それらは国も方向もバラバラで半年かけても回りきれるかわからない。
「最初は一番行ってみたかったところにしたら?」
「そうね、そうするわ!」
最近噂で聞いたばかりのリゾート地を、姉は思い浮かべたことだろう。お姉様は暑い日差しを思い浮かべて、白い日傘に白いレースのキャミソールドレスを準備するよう侍女に命じている。
「これから忙しくなるわね」
わたしはやらなければいけないことを頭の中でリストアップしていく。
半年後の卒業式の日まで急ピッチで進めなければならないことが多すぎるけれど、これまで諦めていた多くのことを思うと、文句など言っていられない。
◇◇◇
「わたしの名前がないとは、どういうことなの!?」
学園の卒業式という晴れやかな日に、懐かしい金切り声が響き渡る。
「お姉様、どうなさったの?」
正直、関わりたくないと思ってしまったけれどそうも言っていられない。
卒業生の受付テーブルの前で騒ぎ立てているお姉様に声を掛ける。
「マニラ! いいところに来てくれたわ。卒業生名簿にわたしの名前が載ってないというのよ。ちゃんと休学届は出してくれていたんでしょう!?」
「もちろん、出したわ」
わたしが学園に提出したのは休学届。もちろん復学届は出していないので、姉は現在も休学中ということだ。
「じゃあ、今日の卒業名簿にわたしの名前が載っていないのはおかしいわよ。何かのミスだから確認してちょうだい」
「お姉様、半年も学園を休んでいたのよ。卒業試験も受けていないのだから、今日の卒業は無理だわ」
わたしに反論しようとこちらを振り向いたお姉様は、ツカツカと速足で向かってきた。
「どうしてマニラがこれをつけているのよ!?」
姉が指差したのは、わたしの胸元につけられた花飾り。
卒業生の受付を済ませると、在校生が胸につけてくれるものだ。
「どうしてって、わたしも今日卒業するんだもの。お姉様がいなくなった後、わたし頑張ったのよ。わたしがお姉様の代わりに後継者と認めてもらえるように、猛勉強して二年生だったけれど学園の卒業試験を受けさせてもらって、今年で学園を卒業させてもらえることになったの」
本来は一年の在学期間があり、素行に問題がなく卒業試験に合格すれば学園の卒業証書はもらえるのだ。しかし、学園は学び舎でありプレ社交界でもあるため、ほとんどの学生は三年間通うので、その制度を知らない者がいてもおかしくはない。
「久しぶりだね。エミル嬢」
わたしの隣に立つサディグがお姉様に声を掛ける。
「まぁ、サディグ! お久しぶりね」
お姉様はその時初めてサディグの存在に気が付いたようで、気まずそうに笑う。
彼と姉は学園に入学する一年程前に婚約した仲なのだ。
公爵家三男であるサディグの婿入り先として我がリモンチェッタ侯爵家は同じ派閥で経済面での利害も一致しており、ちょうど良かった。
派手さはないが整った顔立ちで、学園での成績も優秀な彼と姉の仲は良好だった。お姉様がアーノルド様と恋に落ちるまでは。
政略での婚約。学園の間だけの恋愛。そんな人たちは学園の中にも多くいた。けれど、お姉様たちのように誰がみても恋人同士とわかるように振舞う者は稀だった。
「アーノルド様!!」
お姉様は通り過ぎようとしたかつての恋人を見つけ、華やいだ声をあげる。
ギクリとした表情で、アーノルド様はゆっくりと振り向いた。
「アーノルド様、お久しぶりですわ! 離れている間、寂しくって寂しくって……」
甘えるようにアーノルド様にしなだれかかろうとしたお姉様だけれど、彼の横に他の女生徒がいることに気が付き、言葉が詰まる。
「こちらの方は?」
お姉様の冷たい声に、アーノルド様は引きつった笑みを浮かべた。
「カトリーナ嬢だよ」
「アーノルド様の婚約者のカトリーナですわ」
カトリーナ様は学園の誰もが知っているであろう事実を、満面の笑みで告げる。
まさかお姉様は自分の恋人が同じ学園に婚約者がいたことをご存じなかったのかしら。それはお姉様においても同じだけれど。お姉様と同じ年のサディグは、二人が恋に溺れていた三年間を近くで見てきたのだ。
「あなた、まだアーノルド様の婚約者のつもりなの?」
お姉様はカトリーナ様を馬鹿にしたように笑った。とても淑女とは思えない下品なお顔で。
「ええ。来月、正式に結婚をするまではまだ婚約者ですけど?」
「結婚!? どういうことなの!? アーノルド様が愛しているのはわたしだけよ」
冷静なカトリーナ様と違って、お姉様はヒステリックな声をあげる。
「アーノルド様はわたしを抱きしめて、愛しているのはエミルだけだ。俺の一番の理解者で魂の片割れだと言ってくださったわ」
「な、なにを言っているんだ!? そんなの学園にいる間だけの恋人ごっこの戯言だとわかっているはずだろう!?」
カトリーナ様の顔色を窺いながら、アーノルド様が慌てて間に入ってくる。
「それに何も言わずに学園を休学して、そんな姿で帰ってきて今さら恋人面されても困るよ」
そんな姿と言われたお姉様は、とても淑女とは思えないほどこんがり日焼けした肌に、強く抱きしめれば折れてしまいそうだと言われていた細腰にはたっぷりとお肉をつけていた。
お姉様が噂に聞いて向かった常夏のリゾート地で、自堕落な生活を楽しんだ結果だろう。我儘で自制心のないお姉様についていく侍女はいなくて、しょうがなく平民のメイドを一人連れて旅立ったお姉様。メイドになって一か月程度の彼女ではとても侯爵令嬢へのお世話は行き届くはずがなく、最低限の身支度を手伝うのがやっとだったことだろう。
頭に血が上ったお姉様は、再びわたしに向き直る。
「マニラ、いったいどういうことなの!?」
「お姉様もアーノルド様も貴族家の長子ですもの。お二人が結ばれることがないのはわかっていたでしょう?」
わたしはしょうがなく当たり前のことを言ってあげる。
お互いに婚約者が同じ学園にいるというのに、人目もはばからずに悲劇の恋人ごっこをするお姉様とアーノルド様はおバカな二人だと笑われていた。
リモンチェッタ侯爵家もアーノルド様の伯爵家も将来が心配だと同情されていたのはご存知じゃなかったのかしら?
カトリーナ様もサディグも、学園の間だけのお遊びの恋人だと、理解して二人のことは静観していた。それは誰もがわかっていたけれど、婚約者から見向きもされないという事実を学園中に知られている二人の気持ちは思い図ることはできない。
お姉様が学園の卒業後にサディグと結婚して子供を成したとしても、誰の子だと笑われ続けるだろうほど、学園での二人は濃密だった。
そんな非常識な二人がどんな障害を乗り越えたとしても、家の繁栄を第一に考える貴族社会で結ばれるわけがない。
「で、でもわたしが後継者でなくなればアーノルド様と結婚できるって、あなた言ったじゃない!!」
わたしは姉の言葉に首を傾げる。
「わたしはお姉様の望み通り、リモンチェッタ家の後継者と婚約者を代わってあげただけよ? 学園を卒業できてもいない貴族として一人前にすらなれていないお姉様がカトリーナ様からアーノルド様を奪って結婚できるとは、一度も言っていないわ」
「そんな……」
お姉様はチラリとアーノルド様を見る。
彼はあんなにないがしろにしていたカトリーナ様を大切そうに野蛮な女から守るように抱きしめている。
「サディグ、しょうがないからあなたと結婚してあげるわ」
なんと立ち直りの早いことか。お姉様は脈が無さそうなアーノルド様から一瞬でサディグに標的を移した。
「僕は昨日、マニラと婚姻届を出したから無理だよ。結婚式は三か月後だけどね」
そう言ってサディグはわたしの手を取り、愛おしそうに甲に唇をつける。
「え?」
呆然とするお姉様にわたしは言った。
「お姉様が家を出てから両親と相談して後継者をわたしに変更して、婚約者もお姉様からわたしに代えてもらったの。もう婚約者ではなく夫だけどね」
わたしはサディグに甘えるようにすり寄って、お姉様に視線を移す。
「ぜーんぶ、お姉様のお望み通りよ」
お姉様はわたしにお見合いの話が来る度、なぜか同席してお相手のご子息に愛想を振りまいた。可憐なお姉様に惚れてしまい、その妹とは婚約できないと言われるか、妹の婚約者候補に色目を使う姉がいるような家と縁を結びたくないと辞退されるかのどちらかだった。
家の跡継ぎの座も優秀な婚約者も素敵な恋人もいて、学園の注目も集めて満たされているはずのお姉様だったけれど、ほしがりな気持ちに底はなくて、何ももたない妹のわたしからも貪欲に奪っていった。
経済的にも恵まれた侯爵家だというのに、なぜかわたしの勉強道具もドレスもアクセサリーもお姉様のお下がりばかり。一緒に新しいドレスを仕立ててもらうこともあったけれど、お姉様が「マニラにはこれが似合うわ」とくすんだ色の流行おくれのものを選ばれた。
婚約者がいないわたしが近しく出来た異性は家族と家の使用人。そしてお姉様の婚約者のサディグだけだった。
お姉様に約束をすっぽかされた彼と一緒にお茶を飲んで、お姉様への贈り物を一緒に選んで、節度ある付き合いの中でも、サディグに惹かれていく気持ちが育っていく。
それはサディグも同じで、わたし達はけして言葉にはせず、距離を保ちながら、自分の内側だけに恋という獣を飼い始めた。
学園での成績は底辺で領地への興味もなく、オシャレと恋にしか関心のないお姉様が後継者に向いていないことは誰の目にも明らかだった。
しかし、婚約者であるサディグが優秀だったことからお姉様の後継者の地位は守られていた。
それが突然、学園を休学してどこに行くとも告げずに家を出てしまったことで両親は考えることになる。
わたしは旅に出ると言っていたが、明確な行先は聞いていないこと、跡継ぎも婚約も嫌がっていたことを正直に話した。
お姉様を探し出して無理やり跡継ぎの座に戻すことをしなかったのは、両親なりの愛情でもあった。自由奔放なお姉様には後継者の任は重過ぎる。本人の意思で飛びだしたのであれば、それを受け入れようと。
お姉様のことがあったので、すぐにわたしに後継者権が移されることはなかった。なんなら親戚から養子を迎えてもいいと両親は言ってくれたけれど、わたしが幼い頃から考え続けていたリモンチェッタ侯爵家の将来展望をレポート用紙三百枚にして提出したこと、早々に学園の卒業試験に合格したこと、サディグが全力でサポートすると言ってくれたことで、わたしは後継者に指名してもらえた。
後継者交代と同時にお互いの同意のもと婚約も引き継ぐことになった。普段は冷静沈着なサディグが早口で二人の婚約の必要性を熱意たっぷりに伝えてくれたことは絶対に忘れない。婚約が認められると、次は早く結婚したいと卒業式前日に婚姻届けを提出するという行動の早さに周囲は驚いていた。
賢い彼のことだから、卒業式に合わせて姉が戻ってくることを予想していたのだろう。
お姉様が思い描いていた実家の後継者権を手放し、結ばれないと思っていた悲劇の恋人と結婚する、という青い夢は、夢のままとなった。
後継者も婚約者も代わってほしいというお姉様のお願いを叶えてあげたというのに、なぜか絶望した顔のお姉様を不思議な気持ちで見る。
お姉様が家を出て最初に行っただろうリゾート地はたいそう開放的で楽しいところらしい。殿方たちが声を潜めてあんな楽園はないと笑っていた。
照りつける太陽の熱に薄い衣さえ脱ぎ、官能的な香を焚いて、日常を忘れて楽しめるそうだ。婚約者がいながら公に恋人を作るお姉様にはピッタリの背徳の楽園。
不自然に膨らんだ下腹部には誰の種が入っているのやら。
すべてお姉様が望んだ未来だ。
あれだけ蔑ろにしていたサディグに冷たくされてショックを受ける資格なんて、お姉様にはない。
お姉様は旅先から何度かアーノルド様に手紙を送っていたようだが、卒業を意識するようになった彼は姉との関係をどう清算しようか考えていたようなので、その手紙はどうしたのかはわからない。彼の手元に届く前に、屋敷の家令が処分してしまっていた可能性もある。
他の女性に無邪気に恋をするアーノルド様を可愛いと微笑んでみていらしたカトリーナ様が何か手を打ったのかもしれない。
気が付いたら、アーノルド様は浮気なんてしたことがない、というような顔をして婚約者のカトリーナ様に尽くすようになっていた。
「もう卒業式が始まるよ。行こう」
サディグがわたしの腰に腕を回し、誘導する。
卒業式が終われば、夕方から始まる卒業パーティーに向けての準備もしなければならない。今日は慌ただしい一日なのだ。
生まれてからずっと付き合わされてきた姉の我儘にこれ以上付き合っている時間はない。
呆然と立ち尽くすお姉様に声を掛けず、わたし達はその場を去る。
ずっとそこにいれば、気を利かせた誰かが卒業式に来ている両親に伝えてくれるだろう。姉のことも大切に思っていた両親なので、きっと悪いようにはしないはずだ。
わたしは後継者も婚約者も譲ってしまいたいと言ったお姉様の願いは叶えてあげた。
自分のお願いを叶えてもらったというのに、わたしに礼の一つも言わない姉の気持ちなど、これから先も一生わからないだろう。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
ブックマーク、評価、リアクション、どれもとても嬉しいです。




