表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の声で終わる夜  作者: 廻野 久彩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

第5話 ハガキじゃ足りない夜

深夜二時。


スタジオの赤いランプが灯る。


ON AIR。


瀬川澪はヘッドフォンを整え、静かにマイクへ向かった。


「こんばんは。深夜二時のラジオ『ミッドナイト・レター』。パーソナリティの朝倉ナオです」


時計は2:00。スタジオの空気は、いつもの深夜と同じだった。静かで、少しだけ孤独で、けれどどこかやさしい。


「今夜も、眠れないあなたと少しだけお話しできたら嬉しいです」


ジングルが流れる。澪は机の上のハガキの束を整えた。一番上の差出人は、夜更けのリスナー。その名前は、もう見慣れてきていた。三通目のハガキ。澪はそれを指先でなぞる。今夜は、何が書いてあるだろう。


夜更けのリスナー。短い言葉しか書かない人だった。それでも不思議と、その文章は胸に残る。


「ラジオネーム、夜更けのリスナーさん」


澪は読み始める。


「『先週の放送、聴きました』」


短い。


「『言葉って、便利ですよね』」


澪の呼吸が少しだけ止まる。それは、先週自分が言った言葉だった。


「『その場をやり過ごすこともできるし、きれいにも聞こえる。でも、ときどき』」


一拍。


「『いちばん大事なものから先に、こぼれていく』」


そこまで読んで、澪は小さく息を吐いた。まるで、誰かに会話を返されたみたいだった。


「夜更けのリスナーさん、先週の放送、聴いてくださっていたんですね。……ありがとうございます」


ほんの少しだけ笑う。


「私、あのとき、ちょっと喋りすぎたなと思ってたんです。この番組は、誰かの話を聞く場所なのに、つい、自分の話をしてしまったので」


少しだけ沈黙が落ち、澪はハガキを見つめる。紙の文字は静かなのに、そこに確かな温度がある気がした。


「でも、ちゃんと聴いてくれていた人がいるなら、それだけで、少しだけ救われますね」


曲が流れる。静かなピアノの旋律。澪はハガキを机に戻した。


夜更けのリスナー。短い文章。余白の多い言葉。それなのに、なぜかいつも返事をしたくなる。まるで、そこに誰かが座っているみたいに。


そのころ。


街の別の場所で、男は机の前に座っていた。


ラジオから澪の声が流れている。デスクの上にはノートパソコン、書きかけの五線譜、冷めたコーヒーのカップ。そして、端に無造作に重なった、書きかけのまま没にしたハガキが何枚か。書いては止まり、書いては捨てた言葉たちだった。


颯はその束を指先で軽く叩いた。


「……だよな」


小さく呟く。澪は言葉を覚えていた。あの放送の言葉を、自分の言葉みたいに返してくれた。颯は椅子にもたれ、天井を見上げる。


七年。何も言えなかった時間。それでも、声は届く。ラジオという、顔の見えない場所で。そしてハガキという、少しだけ時間のかかる場所で。


颯は机の上のスマートフォンを手に取った。画面を開き、FM局公式サイトのメールフォームで指が止まる。


今までは、ハガキだった。時間をかけて書いて、投函して、数日後に届く。それくらいの距離が、ちょうどよかった。近すぎない距離。声を聴くだけの距離。でも今夜、その距離が少しだけ窮屈に感じた。


颯はラジオを見た。そこから澪の声が流れてくる。


もし、会いに行ったら。


そんな考えが、ふと頭をよぎる。会いに行く理由なんて、いくらでも作れる。でも、それは違う。声の向こうにいる澪に、自分の存在を今すぐ押しつけたくはなかった。それだけははっきりしていた。


でも、あの没ハガキの束を見ていると分かる。ハガキでは何度書き直しても、言葉はいつも途中で止まる。メールなら、少しだけ違うかもしれない。


「……ハガキじゃ足りない、か」


小さく呟く。それは、ほとんど独り言だった。


指が動く。メールフォームに文字を打つ。夜更けのリスナー。本文は、短く書くつもりだった。でも、少しだけ迷う。それから、こう打った。


『ハガキより、距離が近づく気がします』


少しだけ、指が止まる。そして続ける。


『もう少しだけ話したいです』


颯は一瞬だけ画面を見つめて、送信ボタンを押した。スマートフォンの画面が暗くなる。ラジオでは、曲が終わろうとしていた。


曲が終わったスタジオでは、澪が次のメッセージを読もうとしていた。


そのとき、スタッフ用のモニターに小さな通知が出る。メールの着信。澪は少し首をかしげた。局の公式メールフォームはあるが、この番組に届くメッセージのほとんどは今でもハガキだった。メールはまだ、珍しい。


画面を確認する。差出人、夜更けのリスナー。


澪は思わず瞬きをした。ハガキじゃなくて、メール。ほんの少しだけ、距離が近くなる。


澪はその文章を読んだ。


『ハガキより、距離が近づく気がします』


自分が感じたことがそのまま書かれていたことに、胸がわずかに揺れる。


『もう少しだけ話したいです』


澪はそのまま、一瞬動けなかった。


ラジオの赤いランプが光っている。


今は生放送中だ。


澪は深く息を吸い、静かにマイクへ向かった。


「……夜更けのリスナーさん、メール、ありがとうございます」


その声は、いつもよりほんの少しだけ柔らかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ