多少の変化で
踏み台に乗ったとき、最初に思ったのは怖さでも後悔でもなく、拍子抜けだった。
あれ、こんなに低かったっけ。
手を伸ばせば、もう天井に触れそうだった。
白いクロスの継ぎ目。小さなシミ。照明の縁に溜まった埃。
ずっとここに住んでいたのに、こんな近さで見たことはなかった。
この家、思っていたより天井が低い。
今まで天井なんて、寝るときにぼんやり見上げるだけだった。
スマホの光を顔に落としながら、意味もなくスクロールして、目が疲れたら横を向く。
天井はただの背景で、感情を持たない白い面だった。
でも今は違う。
視界いっぱいに広がる白。
指先に触れそうな距離。
呼吸のたびに、天井が少しだけ迫ってくるような錯覚。
低いな。
こんなにも、世界は近かったのか。
首にかけたロープがやけに現実的で、指で撫でると繊維のざらつきが皮膚に引っかかった。
なのに、頭の中は妙に冷静だった。
天井が低い。
それだけの事実が、
なぜか可笑しくて、少しだけ息が漏れた。
今まで、気づかなかった。
この部屋の狭さも、壁紙の色も、床の軋む音も。
全部知っているつもりで、何も見ていなかった。
視点を変えるだけで、こんなにも景色は違う。
踏み台の上から見る世界は、いつもの高さより数十センチ高いだけなのに、まるで別の場所みたいだった。
もし、もう少しだけ。
ほんの少しだけ、別の高さから物事を見ていたら。
ほんの少しだけ、立つ場所を変えていたら。
違う選択肢が、見えたのだろうか。
ロープを持つ手が、わずかに震える。
天井は低い。
でも、もう十分だった。
白い面を見上げながら、思う。
世界は、思っていたよりも狭い。
そして、自分の居場所は、その中に見つからなかった。
踏み台を蹴る直前、
最後に見えたのは、継ぎ目の線だった。
ああ、本当に低いな。
その感想だけが、やけに鮮明だった。
そして視界は揺れ、
白は、ゆっくりと暗くなった。




