001
そりゃあそうだ。上手く行くはずが無い。
誰だって急に言われたら困る。おれだってそうだ。仕事だろうと何だろうと、いきなり地球に行こうと言われて「ああ、行こうか」なんて言えるやつはいない。
わかっていた。
おれは女の背中を見送って、ゆっくりと立ち上がった。ポケットの中で小型艇のキーが鳴る。
「そうだな。お前がいたよ」
とても地球までは一緒に行けないが……。
駐艇場に着くと、おれのやったことに気づいたボスが部下たちを連れて来たところだった。柱に身を隠して様子を伺っていると、ボスの声が聞こえた。
「あれは……あの野郎の船だな。まだここにいやがる。探せ」
バタバタとした足音が遠ざかる。
おれはそこから慎重に10まで数えて、自分の船に乗り込んだ。
女と来られなかった残念さと、入れ違いで助かったと言う思いが交互に顔を出す。
「まぁ、そんなもんだ」
エンジンをかけて船を動かす。
駐艇場を出ると、外に張っていた部下の船があった。
「まぁ、そんなもんだよな」
女がいなくて良かった。
「じゃあな」
警器類がうるさい。
空は黒い。光が────
青い空の下、腐りかけたような臭いがする水の上を小さなボートたちが走っていく。
宙艇レースとは違ってガラスを挟まないそれは、力強いエンジン音がダイレクトに響き水飛沫が宝石みたいに光って飛び散る美しい景色だった。
まばらな客席は宙艇レースと変わらないし客層も似たようなものだったが、おれはその景色に満足して立ち上がった。
客のひとりに賭け事の好きな女がいるが、もしかしたらあの女も景色が好きなだけなのかも知れない。
闇医者と警察で回収した書類をジェット便で送る。印鑑とサインと指紋、IDの数々がひとつに纏められて飛んでいく。
これで借り逃げした野郎の分は保険金が降りるだろう。死体から剥いだパーツや臓器の売却も含めたら穴埋めしてもかなりのお釣りがくる。
取り立てが上手くいって良かった。危うく自分が補填する羽目になるところだ。
「やれやれ……」
肩の荷が降りたが、背負っていた疲労感はむしろ明確に強まった気がする。
しかし何だって地球まで逃げるのか。どうせ死ぬのに。
捕まえて処分する面倒臭さはともかく、逃亡先に地球を選んだ理由がわからない。
調べたところ実家だとか親族が地球にいる訳でも無いし、馴染みの情婦がいたわけでも無い。
「まぁ、なんでもいいわな」
独り言が煙のように宙を舞って、消えた。
そう。何だっていい。死んだ男の話はこれで終わりだ。
地球の湿っぽい重力に足を取られながら歩くのにも少し慣れてきたが、仕事が終われば地球に用は無い。早く帰りたいと思っている自分が少し面白かった。
やはり平面しか移動できないのは不便だし、何事もローテクが過ぎて笑ってしまうことも多い。
いまだに運転席がある車なんて存在しているなんて信じられないが、そう言う文化もあるんだろう。
慣れたらクセになるんだろうか?果たしておれに馴染むだろうか。
しかし帰るにしてもまたあの長い航路を行くのかと思うとうんざりする。
移動はカプセルで寝ているだけとは言え、狭いところで暇しているのに代わりは無い。出入星審査も税関も面倒だ。テクノロジーが進み過ぎると防犯はアナログになっていく。
そう言う意味では地球の塩梅はちょうど良い気がする。
外星から来た身としては地球の奴らが向ける羨望と蔑み、警戒と媚びなんかの混ざった視線に嫌気が差していたところだった。
いくら身なりを地球に合わせたところで、重心の置き方も歩き方も視線もよそ者のそれなんだろう。
そこから解放されると考えると幾分マシな気持ちになる。




