悪夢の契約
……どれくらい経っただろう。
なぜか陽射しが弱くなった気がした。曇ってきたのかな、と思って顔を上げる。
その真上が、黒いなにかで覆われていた。黒いこうもり傘だ。
どうしてこんなものがと、少しだけ考える。
よく見れば、それは誰かがかざした代物だった。傘に遮られて上半身は見えないが、ひょろっと長い足と腕が見える。
それでも頭が混乱していて、声を掛けることはできない。しばらくその態勢が続いた。
それでもその態勢が続いていると、徐々にだが息苦しさも収まってくる。心なし暑さも和らいだ。
「あのー」恐る恐る声をかける。
しかし返事はない。ゆらりゆらりと傘がうごめくだけ。
仕方なく立ち上がり、傘の向こうに回り込んだ。
傘を持っているのはひょろっとした人物だった。着込むのはオークの制服。襟についた校章が示すのは2年生。
2メートルはあろう細身の身体。すらっと長い手足。七三にした黒髪で、分厚い眼鏡をしてる。
異様なのは、何故かゆらゆらと頭を揺らしていること。覚束ない目つき。おそらく気絶してる。
「ねぇ!」必死に身体を揺さぶった。
それで男はようやく我に返る。「おっと、立ち眩みが」
まるでコントみたいな切り返しだ。
エリの胸中、懐かしい感情が込み上げていた。
それは知った人物だった。
「宅ちゃん」
「エリ、元気だったかい?」
宅ちゃんは傘をかざしたまま、にっこりと微笑んで、しゃがんでエリに視線を合わす。
宅ちゃんはエリの遠い遠い親戚で、いくつか年上の男だった。
幾度かエリの家に遊びに来ていたから、顔は知っていた。
「こんなとこで座り込んでたら危ないだろ」
「うん」
「お前、靴は?」
「うん」
「足、ケガしてないか?」
「うん」
「仕方ないな。おんぶしてやるよ」
こうしてエリは、宅ちゃんに背負われて帰途に就いた。
宅ちゃん、正式名称霧隠宅の実家は、代々続く忍びの家系だ。
現在はオーク学園2年生。
だが大半は授業に出てない。寒いのが苦手なため冬は冬眠してるからだ。故に1年ほど落第している。
そのうえ暑いのも苦手。だから普段は日傘を愛用している。
それでも忍びの末裔だという血はごまかせないない。だから変化自在の忍術に長けていて、武芸にも特化している。
だが所詮は影に生きる忍びの者。学園において知名度はゼロに等しかった。
「エリ、お前、本当の自由が欲しいのか?」
「自由?」
「生徒会なんかに縛られない。自由な生き方。学園に張り巡らされた、鎖を引きちぎるってこと」
「そうだね。自由は欲しいな」
「だったらおいらと契約しないか? 生徒会を叩き潰すんだ」
「契約?」
「“メヒストフェレスとファウスト”みたいなものさ」
「悪魔の契約だね」
「エリが満足するまでの契約さ。『時よ止まれ、世界は美しい』ってね」
「舞台みたいで面白そう。だけどそんなことできるの?」
「もちろん、すぐには無理だ。オーク学園生徒会は、代々続く武家社会。それを崩すのは困難だから」
「そうだよね」
「だけど無理じゃないんだ。時を待てば、エリの為に多くの仲間が集まるから」
「仲間?」
「もちろんいま現在も、多くの仲間はいるんだ。エリ、お前が気づかないだけなんだよ」
「だって誰も私の存在なんて気づいていないよ」
「それはエリが黙ってるからさ。地味に生きて、この現状を甘んじて受け入れてるから」
「だけど……」
「エリ自身が強くなれば、世界は変わるんだよ。一度きりの人生、誰だって主役なんだから」
「そうなのかな」
「そうさ。まずは仲間を作ろうか」
「仲間?」
「そう仲間。なれ合いの仲間じゃない。一生付き合っていける仲間。いわば同士」
「そんな人たち居るのかな?」
「いるんだよ。少なくとも3人、同じクラスのイソノ、ノハラ、それからウエハラ。あいつらは生徒会を嫌う同士だからさ」
「生徒会が嫌いなの?」
「ああ。イソノとノハラは元ヤンだ。そのうえ内面を見る力がある。さらに言えば美的センス、演劇なんかにも長けてる。あいつらはお前と同じ、“芸能志望”だから」
「宅ちゃん、そんなこと覚えてたの?」
「うん。エリの夢は女優になること。それと……」
「それ、言っちゃだめ!」
「こう考えてみるんだ。オーク学園ってのは単なる舞台。エリはそこで華やかに演じる女優。沢山の魅力を振りまいて、多くの観客……つまり生徒を魅了するって」
「演じるのか……」
「さしずめエリはクレオパトラさ。多くの生徒を魅了して、沢山の仲間を作る。そうすれば生徒会のイジメなんて跳ね返せる」




