いじめられっ子の人生
こうして永遠とも思われた悪夢の時間は終わった。
初めての高校生活の教室内。
多くの席がぼっかりと空席で、生徒の姿は疎らだ。
あの惨劇で、多くの生徒は入院や通院を余儀なくされていたから。
事件首謀者である葛城誠と東雲斗馬、その他諸々の生徒は、停学処分を下されていた。
しかもあの惨劇を恐れて、自ら退学届けを提出するものも続出していた。
「ハァー疲れたなー」
1年B組の教室内で、あの時の少年がホッと安堵のため息を吐いて椅子に腰掛けていた。
おかっぱ頭に穏やかな視線。まるで小学生のような雰囲気を醸し出す。
「おい“斉藤”! メシの時間だ、パン買ってこい!」
不意に恫喝するような声が響いた。
それでビクリと身をもたげる少年。
「ハ、ハマジくん?」
愕然と声の方向に視線を向ける。
「よかったじゃん、こうして一緒のクラスになるなんて。俺たち気が合うよな」
声を掛けたのは教室後方に座り込む生徒。ボーズ頭の目付きの鋭い男だ。
へらへらと笑う口からボロボロの歯がのぞかせる。シンナーにでも冒されたような、痩せた歯茎だ。
「へへ、そうだね」
ヘラッと笑う少年。すかさず立ち上がり、ハマジの元に歩み寄る。
「ハマジ、こいつがお前の手下な訳?」
そのハマジの傍らには別の生徒の姿があった。
ひどく痩せ型で、唇の薄い三角形の目つきの男。
「ああ、そうさ。こいつが斉藤太助。ウチの中学で、パシリやってた男さ」
躊躇いもなく言い放つハマジ。
少年の名は“斉藤太助”。
中屋中学の卒業生で、ヘラヘラと笑ってばかりのお調子者。完全平和主義の少年だった。
その太助の姿を、頭の先から爪先までマジマジと見つめる痩せ型。
「……それじゃボク、焼きソバパンね」
躊躇いもなく言い放った。
「えっ?」
愕然と視線を向ける太助。
この痩せ型の男、初対面で名前すら知らない。いきなりのその台詞には戸惑うばかり。
しかし当の痩せ型はすかした態度。
視線も合わせずモゾモゾするだけ。
「俺はカレーパン。ソッコーだぜ」
そんな太助の思いも余所にハマジが言った。
こちらは昔からの知り合いだから堂々たる態度。太助のことを完全なるパシリと認識してる。
「お金は……ないよね」
渋々立ち上がる太助。
卑下たように頷くハマジ。
その後方では痩せ型が、視線も向けずモゾモゾしてる。
おそらくこの痩せ型、人にモノを頼めるような大胆な性格ではないだろう。ただ単に、ハマジの態度に便乗しただけ。
だから視線を合わせられずにモゾモゾしてる。
それでも太助は、深くは追求しない。いや、出来ないといった方が正解だ。
「じゃあ、行って来るね」
与えられた使命を全うしようと、全力疾走で駆け出した。
この斉藤太助、その穏やかな性格が災いして中学時代から多くの生徒に使いパシリさせられることが多かった。
少しでも反論すると小突かれる。いわゆるいじめられっ子という立ち位置。
こうして、パンを買いに来た太助だが、そもそもオーク学園は今日が初めて。
販売している場所も知らなければ、自分の置かれた場所さえ判らない。
やっと売り場に辿り着いた頃には、ほとんどのパンは売り切れていた。
「あは、焼きソバは売り切れだ。かろうじてカレーパンだけだ」
少しだけ憂いの籠もったため息と共に、それに手を伸ばす。
「あっ?」
そして別の生徒と手が接触した。
「なんだ小僧、そいつを買うつもりか?」
それはモヒカン頭の剣呑な表情の上級生らしき生徒。
「いえっ。俺はいいですから」
その迫力にたじろぎ、すげすげと後ずさりした。
「馬鹿、お前新入生だろ? 遠慮するなって」
しかしモヒカンの対応は、意外なものだった。
「えっ、いいんですか?」
オドオドと上目遣いで見据える太助。
「当然だろ」
それは思わぬ優しさだった。こんな恐怖なガッコーでも、優しさってあるんだなーと、つくづく感じていた。
こうしてなんとかカレーパンだけを購入した太助。
「急いで帰らなきゃ、ハマジくんにいじめられる」
それでも痩せ型に頼まれた焼きソバパンの件は心配だった。
それでも初対面の人間を殴りはしないだろうという、少しだけ安易な気持ちに包まれていた。
「おい小僧」
不意に先ほどのモヒカンが声を掛けてきた。
「なんですか、先輩?」
ゆっくりと振り返る太助。
「わりいな、俺の為にカレーパンを買ってくれるとは、めでたい新入生だ」
その手から、パンがひったくられた。
「えっ?」
愕然となる太助。
どうやらこれはモヒカンの作戦だったらしい。
太助にパンの代金を支払わせて、それを奪い取る為の。
「ギャハハ、まったくちょろいガキ。オークなめんなよ」
そしてモヒカンは、可笑しそうに吹き出して去っていく。
それが彼の、お決まりなパターンだった。
見た目だけで差別を受けて、その負の連鎖で幾多の人々に馬鹿にされる。
もちろんこの後彼は、ハマジと痩せ型によって、ボコボコにされる。
入学当初からの、決められた棘の道だったのだ。




