婚約者に「愛することはない」と言って、真実の愛に溺れた二人の男の対比
連載作品、「身代わりで島送りにされた令嬢、危険地帯のドラゴンを手懐ける」も、興味があれば読んでくれると幸いです。
王政ではなく、複数の貴族による議決制で成り立っている、とある公国。その国の中でも有数の権力を誇るレグニール公爵家の娘、アーティアは、養子として公爵家に迎え入れた義妹の婚約発表パーティに参加していた。
義妹と結婚する相手は、バニングス公爵家の長男、テオドール……本来ならば、二年前にアーティアと結婚するはずだった、社交界でも指折りの美貌を持つ貴公子である。
(何も知らない人間がこの場にいる私を見れば、さぞ惨めに見えるでしょうね)
かつて婚約者になるはずだった男と、その男と結ばれようとしている義妹を主役とした婚約発表。そしてその場に出席している、テオドールと結婚するはずだった自分。
もし表面上だけしか事の経緯を知らない人間が、この場にいるアーティアを見れば、義妹に結婚相手を奪われた惨めな女に見えたことだろう。
しかし、実際にはそのような声は会場からは一切上がっていない。最初の方こそ一悶着あったが、レグニール公爵家とバニングス公爵家の両家は、当主を含め全員が義妹を歓迎して徹底的に情報の操作と封鎖を行い、何も知らない招待客たちは呑気に接待を受けている。
(良かったわね、ベルベット……私の可愛い義妹)
そして何よりも、アーティア自身がベルベットとテオドールの仲を祝福していたのだ。
そもそもの話、アーティアは別にテオドールに好意を抱いていたから婚約話が持ち上がったとか、そういう経緯も一切ない。だから婚約の話が立ち消えになったとしても痛くも痒くもないというのが本音だが……それでも二年前、成り行きからベルベットとテオドールの恋路に手を貸してきた身としては、目の前の光景は何とも感慨深いものだった。
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アーティア・レグニールは離婚経験者……バツイチである。
彼女は初めて結婚をしたのは十六歳の時。貴族としては、結婚してもさほど珍しくも無い年齢の時に、五歳年上の侯爵家跡取りに嫁いだ。
恋愛結婚とかではなく、純然たる政略結婚である。結婚相手とは顔を合わせたことすらないが、元々貴族の結婚などそういうパターンも多いし、アーティアは気にしなかった。
むしろ彼女として、自分のプライベート……小説の執筆を邪魔されなければ、誰が結婚相手でも文句はなかった。
アーティアの趣味は読書なのだが、その趣味が高じて自分でも小説を執筆し、いずれはベストセラーを出すことを夢見ている。紙とペンと出版社が近くにあれば、割とどこででも暮らしていける……そういうタイプの人間だ。
だから夫となる人物に対しても、多くのことは望まなかった。
出来れば互いを尊重し合える関係を築ける人間性。最低でも、互いに無関心ながらに生活の保障をしてくれる義務感を持っている……これさえ満たせれば、好色の老貴族だろうが、平民から成り上がった騎士爵だろうが、本気で誰でも良かったのだが……何事にも限度と言うものはある。
『結婚したからと言って、私の寵愛を受けられると思うな。私には真実の愛を誓った女がいるのだ』
それがアーティアの元夫である、デモルト・ティンバー侯爵令息である。
早急性が求められる事業提携を両家で結ぶ必要があったため、婚約期間を挟まずに出会ったその日に教会での結婚式を済まし、いざ初夜となった時、寝室で待っていたアーティアにデモルトは見知らぬ女性の肩を抱いて現れたかと思ったら、屋敷中の人間に聞こえそうな声量で声高々にそう宣言した。
『私が愛しているのは、ここにいるシャロット男爵令嬢ただ一人。如何にお前が実家の権力を笠に着て私からの寵愛と、ティンバー侯爵家の権力を求めようとも……私がお前を愛することはない』
『ごめんなさい、アーティア様ぁ。私とデモルト様はぁ、運命の赤い糸で結ばれてるのぉ。結婚は特別に許してあげるけどぉ、お邪魔虫はそっちなんで引っ込んでてくださぁい』
高慢さと冷酷さを隠そうともしない声で馬鹿な発言を連発するデモルトと、そのデモルトの腕を抱き、自分の胸を押し付けながら間延びした頭の悪そうな声と共に、アーティアを見下したような眼で見てくるシャロット。
そんな真実の愛で結ばれていると主張する二人を見て、アーティアは頭を抱えたくなるような気持ちになった。
(色々とツッコミたいところがあるわね)
大前提として、アーティアがデモルトと顔を合わせたのは今日が初めてである。そんな初対面同然の相手から愛を期待するほど、アーティアも愚かではない。好きか嫌いか以前の話であるし、現在進行形で嫌いの方に評価が傾いているデモルトから愛されたって、薄気味悪いだけだ。
アーティアがティンバー家の権力を求めているかのような言葉も的外れ。そもそも権力や財力、地位を見れば、レグニール公爵家の方が上なのである。
(そんな男に正妻より愛されてると、優越感に満ちた目で見られたところでねぇ)
こうして顔を合わせて声を聴くだけでも性悪な本性が滲み出ているシャロットから見下した視線を向けられても、正直反応に困るというのが本音だ。
『お話は分かりましたが……ではどうして私と結婚をしたのです? そこまで愛されている女性が居るのであれば、私との結婚を回避する方法はあったはずでしょう』
大抵の貴族の家では、跡取り教育は複数人の子供に受けさせる。長男に問題が発生した時、次男三男がスペアになれるようにして、お家断絶を防ぐためだ。
それはティンバー侯爵家も同様であり、デモルトがシャロットとの愛を何よりも優先し、勘当覚悟でアーティアとの結婚に反抗すれば、貴族としての地位と引き換えにシャロットと市井で穏やかに暮らすことだってできたはずだ。
……しかし。
『バ、バカなことを言うな。言うに事欠いて市井に降りろなどと、私は問題ないが、シャロットにそのような惨めな生活を強いることなど出来るわけがないだろう。私は問題ないがな、うむ』
『そ、そうですぅ。庶民の貧乏暮らしなんて、私たちに相応しくありませぇん。アーティア様は私のことが嫌いだから貧乏になれって言うんですね……酷いですぅ』
アーティアがそのことを指摘すると、デモルトとシャロットは明らかに狼狽えた様子で弁明と拒否を繰り返した。
デモルトは念入りに「自分はそれでもいい」と分かりやすいくらいに誤魔化しているし、シャロットにいたっては贅沢な暮らしを手放したくないという意思を隠そうともしていない。
(あぁ……この人たちは、何かを得るために何かを犠牲にする、そんな覚悟も無いのね)
お互いに別れるのは嫌。しかし家の意向に背いて勘当され、贅沢が出来なくなるのも嫌。だからアーティアを蔑ろにして、自分たちが求めているものを総取りにしようというわけだ。
(なんとまぁ都合の良い事を……愛の為なら、お互いに身一つで手と手を取り合い、ゼロから人生をやり直すという気概くらいなかったのかしら?)
むしろそのくらいの覚悟があったのなら、アーティアだって感動した。喜んで二人の恋路に手を貸すくらいのことだってしたかもしれない。
なのにこの二人ときたら、そういった覚悟は一切ない上に、自分たちの貴族生活には未練タラタラ。困難に立ち向かう勇気すらないときた。
恋物語で例えるなら、間違いなく三流以下。アーティア的には評価はゼロポイント、批判コメントを送ることすらしないだろう。
『とにかく! お前とは仕方なく結婚をしたが、愛してもいない閨を共にするつもりはない。侯爵家の跡取りもシャロットに産んでもらうし、お前は何もせずに屋敷で大人しくしていろ。分かったな?』
そんな呆れの視線を送るアーティアから逃げるように、シャロットの肩を抱いたまま寝室から逃げていくデモルト。
何とも前途多難な結婚生活の始まりで溜息を吐きそうになったが、正直アーティア的にはまだ許容できる範囲であった。
夫が愛人を囲っているなど貴族間では珍しくない。生活を保障し、執筆活動が邪魔されないのであれば、白い結婚だろうが何だろうが問題はないのだ。
しかし、主人が主人なら使用人も使用人と言うべきか……デモルトのアーティアに対する態度を見た侯爵家の使用人たちは、アーティアの事をあからさまに見下すような事態にまで発展することとなった。
食事は運ばない、身支度は手伝わない、掃除はしない、言葉遣いには明らかな侮蔑が混じっている……普段の仕事でたまったストレスでも発散したいのか、次期当主であるデモルトに嫌われている人間相手なら何をしても良いと言わんばかりに、曲がりなりにも仕える相手であるはずのアーティアへ嫌がらせをし始めたのだ。
これには当然、アーティアもデモルトに抗議した。給金を貰って貴族の世話をする使用人としてはあり得ない言動の数々だし、その原因はデモルトが表面上だけでも妻となったアーティアを尊重していないことが原因であるのは明らか。
故に雇い主であるデモルトの口から使用人たちに命じ、待遇改善をするように訴えかけたのだが、その訴えをデモルトは鼻で嗤い、「そのような些事を私に頼るな」と切り捨てたのだ。
当然だが、アーティアはブチ切れた。
そして実家に包み隠さず事の経緯を説明し、報復に走ることにした。
不当な扱いを受けて黙っていられるほど、公爵家の血は軽くないのである。
不倫をするまでならともかく、他家から嫁いできた花嫁を冷遇するのは貴族間でも大きなタブーだ。この禁忌を犯した貴族は、周囲からの信頼を損ない、事業に多大な悪影響を及ぼす。
そしてアーティアの父である、レグニール公爵家の当主もこの事には怒り心頭であり、積極的にデモルトを追い詰めにかかった。
デモルトのようなろくでなしと結婚させるような父だが、決して娘を愛していないわけではない。ただ政略結婚は貴族の仕事の一環であり、父は家族が相手でも公私を分けて接しているだけだ。
デモルトへの報復にも見える、事業の撤退や慰謝料や離婚の請求にしてもそう。信用が無い相手との取引はリスクでしかなく、事業を安心して進められなくなった原因を作った有責者側であるデモルトに責任をとって貰おうとしているだけだ。
結果として、ティンバー侯爵家は多額の負債を背負った上に貴族間での信用を損ねた。
その責任を取る形でデモルトとシャロットはそれぞれの実家から廃嫡され、二人が拒絶していた庶民生活を強制的に送る羽目になった。
しかし、日頃から贅沢三昧を繰り返していた二人が、いきなり生活レベルを大きく下げて真面に生活できるはずもない。
満足に物も買えないストレスから喧嘩をすることが増え、最後には公衆の面前で聞くに堪えない罵詈雑言を叫び合いながら、互いに真実の愛で結ばれていると豪語していた二人は破局し、今ではお互いに貧しい独り暮らしをしているらしい。
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はてさて、そんな離婚劇を実体験し、結果的に小説のネタができて結果オーライとばかりに執筆に励んでいたアーティアだったが、離婚からほどなくして父が新たな婚約話を持ってきた。
離婚騒動で疲れ気味だった娘をも巻き込む父の切り替えの早さに呆れながらも、これも貴族の義務と思ってアーティアはとりあえず婚約話を受け入れることに。
次の相手はバニングス公爵家の長男、テオドール。貴族としての手腕だけでなく人格、容姿共に優れていると評判の貴公子だ。
現在は十年以上前に、外国勢力による侵略と暗殺によって王家や貴族が根絶やしにされ、亡国となって治安と経済が崩壊した、旧シルヴァース王国領を公国に併合しようとして他国を牽制、手厚い支援活動を通じた地域難民の懐柔に勤しんでいるらしい。
ここまでのスペックを聞けば、間違いなく優良物件と言える婚約相手だが……その件のテオドールから、婚約前の初顔合わせの一月ほど前に、呼び出しの手紙が家を介さずに秘密裏にアーティアの元へ届けられた。
その内容を読み、テオドールの事情を知ったアーティアは、父にも何も告げずにテオドールとの待ち合わせ場所へ向かうと……。
『本当に申し訳ない……! 私には既に、生涯唯一と決めた真実の愛の相手がいる。たとえ君と結婚をしたとしても、君を愛することはない……出来ないのだ……!』
会って早々、その真実の愛のお相手とやらと並んで土下座をしてくるテオドールに、アーティアは度肝を抜かれた。
手紙には生涯を誓った恋人がいて、今回の婚約を無かったことにするために協力してほしい旨が記されていたので、事情だけは知っていたが、まさか自分と同格である公爵家の令息に土下座をされる事になるとは思わなかったのである。
『お二人とも、顔を上げてください。そのような姿勢では、お話をすることもままなりませんわ』
そう言うと、二人はようやく顔を上げたので、アーティアはテオドールと、その恋人という小柄な少女の顔を見る。
どこか人形のように整った無機質な表情が印象的な娘だが、それ以上にアーティアの目を引いたのは、銀色の髪と赤い目と褐色肌という体色の組み合わせ。
熱帯地域である旧シルヴァース領の人間によく見られる特徴だ。
『まずは手紙の内容の補足がてらに、事情を説明して貰えますか? 分かりやすく、端的に』
そう催促すると、テオドールは頭の中で話す内容を整理しながら、アーティアに事の経緯を説明する。
テオドールの真実の愛の相手……ベルベットはお察しの通り、物心つく前から公国に流れてきた、旧シルヴァース領出身の難民だ。
親と呼べる人間の顔も、生まれた時に付けられた名前も憶えておらず、壊れた鐘の塔に住み付いているからベルベットと、そう周囲から付けられたあだ名を名乗っていた彼女は、ある日知り合った魔法使いに魔法を学び、それで傭兵として身を立てて暮らしていたのだが、ある日テオドールの妹が暴漢に襲われているところを救出し、その腕前を見込んでテオドールの護衛として雇われることになったらしい。
初めは単なる雇用関係と、家族を救ってくれた恩義から発展した友人関係を結んでいたのだが、長く共に過ごしていくうちに男女の愛が芽生えたのだという。
身分の差が大きすぎるため、最初はお互いに自分の気持ちを隠してきていたのだが、そんな時にアーティアとの婚約話が持ち上がったことで、これまで抑圧していた感情が我慢の限界を迎え、テオドールの方から告白。生涯を共にする伴侶になってほしいとプロポーズしたのだとか。
『それはまぁ……随分と情熱的で結構なことですけれど、バニングス公爵家の当主である、テオドール様のお父様はその事をご存じなのですか?』
デモルトは父からの怒りと勘当宣告を恐れ、シャロットの事を皆に秘密にしたままアーティアと結婚までした。恐らく、成り行きに身を任せて、結婚をしたら後は全てなぁなぁで済ませる算段だったのだろう。
そういう意味では、婚約が正式に結ばれる前に、ベルベットをアーティアに紹介したのは潔いと言えるが……。
『あぁ。父を始め、家族全員にベルベットとの関係を話した。その上で、私は公爵家令息としての立場を返上するつもりだ』
どうやらテオドールは、アーティアが思っていたよりも潔かったらしい。
そんなことをすれば当然と言うべきか、バニングス公爵家の当主は怒り心頭になり、勘当されるかベルベットと関係を断つことの二択を迫られたらしいが……。
『迷う必要はない。私はベルベットとの愛を選ぶと、父の前で宣言した』
『……まぁ』
テオドールの表情と声には、微塵の後悔も滲んでいなかった。それだけベルベットとの関係が本気だという事だろう。
その事に感心しつつも、アーティアは冷静な声で問いかける。
『しかし、口で言うのは簡単ですが、貴族が生活レベルを平民並みに落とすのは、きっと想像以上に大変ですよ? 私の知人も平民になったのですが、早晩に生活に耐えれなくなっていました』
『それに関しても問題ないと考えている。私はここ一年以上、旧シルヴァース領の難民たちの復興を手伝いながら、彼らと同じ生活をしていたからな』
身綺麗な格好で上から指示を出すよりも、彼らと対等な視線に立った方が懐柔も上手くいく……そう考えたテオドールは、難民たちと同じ服を着て、同じ仕事をし、泥川や痩せた畑から採れた、同じ食材を口にし続けてきたのだという。
『最初こそ大変だったが、今では畑仕事も中々板についてきたのだ。今更平民として暮らしても、大して変わらないだろう』
これにはアーティアも驚いた。確かにこれなら平民になっても上手く暮らしていけるだろう。
(まさか真実の愛の為に、ここまで覚悟を決めた方がいらっしゃるなんて)
アーティアは感動した。
愛の為に貴族の義務を放棄するなど無責任という意見もあるだろう。しかし、アーティアとしては勘当という形で罰を受けることで責任は果たせたと思うし、バニングス公爵家も次男三男が居て、跡取りはテオドールでなくても構わない家だ。
『母や妹は私たちの関係を応援してくれているし、弟たちも協力してくれると言っていてな。勘当後は、旧シルヴァース領の現地復興員として私たちを雇い、これまで私が担当していた業務や築いてきた現地住民とのコネクションを引き継ぐように手を回している。後は渋る父上を説得するだけなのだ』
その上、そこまで手回しも済んでいるとなると、アーティアから言える事は何もない。
婚約が正式に成立する前に、全面的な非を引き受けてでも白紙撤回に向けて動き出したのも、アーティアに瑕疵を作らないためと思えば、悪い気もしない。
一度結婚が駄目になって普通の令嬢なら再婚に焦りそうなものだから、その点に関しては本当に申し訳ないと、テオドールとベルベットは再び頭を下げたが、アーティアとしては別に結婚そのものに拘りはない。ただ気兼ねなく執筆活動が出来ればそれでいいのだ。
『バニングス公爵も、そんな貴方だからこそ、勘当を脅しに使いながらも手放したくないのでしょうね』
『あぁ。私は本当に不出来な息子だ。あれだけ目を掛けられておきながら、父上には本当に申し訳ないと、恥じ入るばかりだ』
ただ能力や実績が優れているだけではない。人格面もまた聞きしに勝るほど優れているからこそ、息子には余計な苦労をさせたくないのだろう。
それでも貴族としての義務を放棄し、真実の愛に生きようとする息子に勘当という罰を与えて周囲に示しをつけなくてはいけないのも、当主としての責務だ。
『……よいでしょう。そこまでの姿勢を見せられたとなれば、私も協力するのは吝かではありません。しかしどうせなら、出来得る限りの事をしてみませんか? バニングス公爵や父を始めとした他の貴族たちもお二人を祝福してくれる、そんな方法を』
そう言って、アーティアはベルベットに視線を向けると、彼女も真っすぐに見つめ返してくる。
『……そんな事できるの? テオドールも、テオドールのお父さんも悲しまなくても済む?』
どことなく子供のように純真な眼で、貴族としては相応しくない雑な言葉遣いで問いかけるベルベットだったが、アーティアは特に不快に思うことなく頷く。
真っ先にそう聞いてくるという事は、ベルベットもまた自分の為に親子と縁を切ろうとしているテオドールたちに、心を痛めている証拠だろう。
それでもテオドールからの愛を拒めなかったのは、それだけ彼に対する愛情が深かったからか。
『可能ですわ。ただし、その為には尋常ではない苦難を体験してもらうことになりますが――――』
『じゃあやる』
言い切るより先に、ベルベットは食い気味で即答した。
その眼差しに宿るのは、確固たる覚悟。これまで難民として、傭兵として生きてきた経験がそうさせるのか、何物にも屈さないという静かだが強い意志が見て取れた。
(シャロット様の目とは、まるで違うのね)
アーティアは欲望と悪意に塗れていたシャロットの目をふと思い出しながら思う。
デモルトたちのものとは比較にならない、この二人はまさに通すべき筋を全て通して貫く、正真正銘真実の愛で結ばれているのだと。
『よろしい。ではテオドール様、後一年以上は婚約を結ぶのを全力で伸ばしてください。そうやって手に入れた猶予を使って……ベルベット様を亡国シルヴァースの王女に仕立て上げてみせますわ!』
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それが今から二年前の事。あの時のとんでもない宣言を、アーティアは本当に実現してみせた。
元々、シルヴァースを中心に起きている領土問題は、正統な統治者の不在によるものだった。もし王女の一人でも生き残っていれば、その王女を取り入れた勢力が領土を治める正統性を手に入れるのだから、間違いなく多くの人間が血眼になって王族の生き残りを探しただろう。
しかし今現在、シルヴァース王家の生き残りは見つかっていない。それだけ生存者の存在は絶望的だという事だ。
それでは、居ないなら作ってしまえばいいではないか。
テオドールたちの事情を聴き、ベルベットを亡国の王女にしようという無茶苦茶な発想をしたアーティアだったが、実はこのくらいの裏工作は、誇れることでは全くないが、貴族のお家芸である。
嘘も立証できる証人や証拠が無くては真実となる。利益のため、問題解決のため、平民を王侯貴族の落とし胤と偽ってきた事例は枚挙に暇がない。
必要なのは、ある程度の説得力と、周囲を納得させるだけの教養。
説得力に関しては、ベルベットは旧シルヴァース領の人間だ。人種という問題はクリアできるから、ごり押せば行ける。
そして平民ではなく王侯貴族と周囲に納得させる教養。これは当人の血を吐くような努力が必要だが……これに関しては公爵令嬢アーティア監修の、一年にも及ぶ地獄のような詰め込み教育を、ベルベットが執念一つで食らい付いた結果、ひとかどの令嬢と同レベルにまで身に付けたのでクリア。
そしてここまで条件を揃えてしまえば、両家の当主の説得に関してもクリアできる。
単純に利益が大きいからだ。シルヴァース王家の王女を偽造し、それをレグニール公爵家の養女としてバニングス公爵家に嫁入りさせれば、中々進まなかった旧シルヴァース領の併合も一気に進むし、その利益も両家で独占できる。
ベルベットが偽王女だと否定しようにも、それを証明できる人間は先の侵略戦争や暗殺騒動で全員死亡していて不可能に近い。
これらの条件が綺麗に組み合わさった結果、ベルベットは亡国の王女としてレグニール公爵家に保護され、旧領の安定のために併合に動いているバニングス公爵家に嫁入りをしたというストーリーをでっちあげることに成功。
テオドールは父公爵と袂を分かつことなく、次期公爵としての地位を保持したまま、真実の愛で結ばれた相手と結婚までこぎつけることが出来たという訳だ。
(やはり、人間と言うのは誠実さが大切よね)
過去を振り返って見て、テオドールとデモルトは正に対極の存在と言えるだろう。
かたやアーティアを蔑ろにしたことで彼女の怒りを買って破滅し、かたや誠意を尽くして頭を下げたことで全てを手に入れた。きっとお互いの対応が逆であったなら、結果もまた逆になっていたことだろう。
まるで女神が住む泉に斧を落とす童話のようだと思いながら、アーティアは大勢の人間を盛大に欺いたことを全力で棚に上げながら、勝利の美酒に酔いしれるのだった。
そしてこれは余談だが、せめてもの感謝の印にと、テオドールとベルベットをモデルにした恋愛小説を書く許可を得たアーティアは、仕上がった作品を出版社に持ち込んだところ、それが爆発的な大ヒットをし、ベストセラーに選ばれることになるのだが、それはまた別の話。
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