♠️妹、そして葵と娘
屋上へ出ると、ざあざあと雨が降り始めていた。風速も10メートルは超えているだろうが、問題にはならない。
箒にまたがり、腰を落とす。魔力注入口に、箒が軋むほどの圧で魔力を叩き込む。直後、身体がふわりと浮いた。雨粒を弾きながら、風を切り裂いて、箒は一気に高度を上げていく。
特級飛行技能資格を有する俺にとって、この程度の気象はただの通過点だ。装備次第で対流圏のどこへでも行ける。速度も、箒が壊れない限り、その上限はない。
雨粒がゴーグルを叩き、頬を打つ。風圧が胸を押し戻そうとするが、腰の据わりは微動だにしない。
――一刻も早く葵の元へ行かなくてはいけない。
雨に煙る街並みがみるみる縮んでいき、雲の切れ間から一筋の光が覗いた。
南東の空、その先にある白い屋根が目的地だ。そこまで一直線に飛んでいく。
白い屋根がみるみる大きくなり、やがて全景が視界いっぱいに迫った。
速度を落としエントランスに着地する。
大きく一息つくと、湿った空気が肺を満たし、鼓動がようやく速度を落とした。
握る箒にはいくつもの亀裂が入っていた。……随分無理をさせてしまったな。そっと箒を撫でる。
エントランスでは松葉杖をついた、顔見知りの郵便配達員とばったりと会ったが、会釈程度で済ませ、その横を通り過ぎる。
空調が効いた院内は外の湿っぽい匂いとは違い、清潔で薬品の匂いが漂っていた。
ずぶ濡れの我が身を顧みるが今は時間が惜しい。そのまま受付へと向かう。
受付の事務員が驚いた顔をしていたが無理はないだろう。タオルを差し出されるがそれを拒み、葵の名前を口にする。
「申し訳ありませんが、小野寺葵様という患者様はお見えになっておりませんが……」
思考が真っ白になり――なぜ……菜月は……何があった?
髪から滴る雨水が手に落ち――箒を手放してしまった。慌てて拾い上げ事情を説明すると、事務員の人は困った顔をして「少々お待ちください」と言い残し、足音響かせながら遠ざかっていく。
しばらくの間何も考えられず呆然と立ち尽くす。頬を伝う雨粒が床に落ち、振り子時計の鐘がゆっくり鳴り――時間がゆっくりと引き延ばされるような感覚を覚える。
疑問の答えは出ず、時間だけが過ぎていく――。
その答えは、慌てた様子で駆けてくる事務員によってもたらされた。
「大変お待たせ致しました。小野寺葵様の件ですが、最上様とおっしゃる方から連絡があったそうで、どうやらご自宅で処置されるとのことでございました」
耳に届いたその名前が、胸の奥を一瞬で凍らせた。
心臓の鼓動が早くなり、耳の奥で音が反響する。視界の端が赤く滲み、喉が焼けるようだった。
背骨を焼きながら這い上がる煮え立つ熱が、握った手に魔力を込めさせた――バンッ。箒が爆ぜる衝撃音と、事務員の短い悲鳴が重なる。
「……あの糞親父。妹だけでなく、葵や菜月にまで手を出すとは……許さねえ」
力強く握りしめた木片には血が染み込み、全身を焼くような熱へと変わっていった。




