♠️特捜1係、父の顔
過去の事件録を読んでいると、ポケットに入れていた携帯電話が振動した。携帯電話を開き相手の名前を確認する。
……菜月? 何かあったのだろうか?
握る手に自然と力が入る。胸騒ぎを覚え電話に出る。
『もしもし、お父さん、菜月だけど……。仕事中にごめんね』
その声は普段と違い震えていた。やはり何かあったのだろう。……もしかしたら葵に何かあったのだろうか?
「こんな時間にかけてくるのは珍しいね。どうかしたの?」
できうる限り柔らかい声で告げる。
『お母さんの両手の怪我がまた開いて血が止まらないの』
呼吸音には震えがまざり、強まる声には不安や焦りが滲んでいた。
――やはり、葵に何かが起きたのだ。でなければ娘が仕事中に電話をかけてくるはずがない。
「うん」
胸の鼓動をひとつ数え、呼吸を意図的に深くする。――逸る感情を沈み込ませていく。
『近くの病院に連れて行こうと思ってるんだけど、私どうしたらいいかわかんなくって……』
まだだ、菜月を安心させるためにもっと沈めなければ。
「うん」
『それに、お母さんがまた魔導具作りで失敗して部屋がめちゃくちゃなの』
――整った。感情の波を沈め、冷静な声を保つ。
娘を落ち着かせる声音で優しく語り掛ける。
「大変だったね。父さんもできるだけ早く病院に行くから、もう少しだけお母さんのそばについていてあげてくれる?」
『任せて! 私はお母さんとお父さんの娘なんだから』
涙声でそういう娘を誇らしく思う。その言葉が胸の奥でゆっくりと反響し、ひと呼吸の間、頭の中で何度も繰り返された。
――そうだ、お前は確かに俺と葵の娘だ。
それと同時に沈み込ませていた感情が浮上してきた。何か起こるのではないか、漠然とそんな気がした。焦る呼吸を落ち着かせ、その思いをまた封じ込める。
「なに、小野寺先輩、帰っちゃうんですか? 特捜1係が暇なのはわかりますけど、まだ勤務時間内ですよ? 病院がどうとか言ってましたけど、誰か怪我でもされたんです?」
「嫁がちょっとな……。両手からの出血が止まらないらしくてな、娘だけだと心配だから俺も行くことにするよ。」
「あー、奥さん凄腕の魔導具技師さんでしたっけ? そんな人でも失敗しちゃうんすね。了解っす。係長の信さんには『腹が痛くて早退しました』って報告しておきますね」
「悪いな、集。そういうことだから、後はよろしく頼むよ」
ひらひらと手を振る集を背に、特捜1係の資料室を出る。
自分のロッカーがある更衣室へと早足で駆け、扉を開くとそこには勝見係長が半裸の状態でいた。
――気まずい沈黙が流れる。
先に口を開いたのは係長だった。
「……む、小野寺か、どうした? 慌てて入ってきて、事件か?」
半裸の状態を何事もなかったかのように装ってそう聞いてくる係長。
「緊急の用事ができまして……。今は説明している時間が惜しいです。詳しい話は集から聞いてください。私は今日は帰らせていただきます。申し訳ありません」
一礼し、係長に早退する旨を伝える。
「……お前、急ぎか? なら聞かなかったことにしてやる。さっさと行っちまえ」
しっしっと手を振る係長に、改めて深々と頭を下げる。
ロッカーを開き、背広を羽織る。手早くゴーグルを装着し、パラシュート付きのエアバッグを背負う。屋上へ向かうエレベーターの昇降音とともに、沈めたはずの不安が胸の奥で静かに脈打った。
仕事を放り出すことに迷いはなかった。家族のそばにいるべきだ――今は、それだけだった。




