♦️格式座敷の声
連れてこられたのは病院ではなく父の実家、最上家だった。立派な門構えに大きな庭園。その中心には家を貫くように伸びる樹齢何百年かもわからないほど太い松がそびえていた。
母を支えて歩きながら、改めて圧倒される。玄関への道のりは長く、およそ30メートルはありそうだった。
そこへ侍女の優香ちゃんが、車椅子を押して足早に駆けてきた。
「葵様に菜月様ですね。ささ、菜月様こちらへ葵様を――」
手慣れた様子で母を車いすに座らせる優香ちゃん。整った顔立ちは、幼い頃よりもはっきりとしていて、同性の私から見ても、見惚れてしまうほど美しかった。長い濃藍色の髪は気品を感じさせた。
「葵様は私共にお任せください。最善を持って処置いたしますのでご安心ください。菜月様は本邸へ向かわれてください。当主の玄様がお待ちになっておいでです」
少しの名残惜しさを胸にしまい、母を優香ちゃんに預け本邸へと向かう。
玄関をくぐるとすでに別の侍女さんが待機していた。
「お待ちしておりました、菜月様。玄様が今か今かとお待ちになっておられますので、どうぞこちらへ……」
長い廊下――玄関のすりガラスから入り込む光が艶のある床を照らしていた。
これから、私一人でおじい様と対峙しなくてはならない。その事実が歩みを遅くする。
中庭の大きな一本松を横目に、当時のことを振り返る。幼い私はよくこの庭で遊んでいた。二つ上の従姉の月陽ちゃんによく遊んでもらっていた。今思えば、随分とのんきな話だ。最上家という大きな家の事情も知らずに好き勝手に振る舞っていた。足の裏を真っ黒にし、その足で廊下や畳の上を走り回っていた。その後処理を、私の遊び相手の一人だった優香ちゃんがしてくれていたのだ。
通されたのは60畳はあろうかという大きな座敷だった。真新しい畳のにおいが鼻に付く。調度品も一級品が揃っている。幼い私は汚れた手で、あれらをべたべたと触っていたものだ。そわそわとした感覚とともに、みしみしという足音が近づいてくる。空気が一段と重くなる。
来た。……おじい様だわ。
心を静めようと、生唾を飲み込む。
障子が開き侍女さんを伴い入ってくる。
私の前に小さな座卓が置かれ、お茶と茶菓子が差し出される。恭しく一礼し退室する侍女さん。――いかないでほしい。そう言いかけた言葉を飲み込む。若干の心もとなさを覚えながらも祖父と向き合う。祖父は脇息を指で叩き私の言葉を待っていた。
「ご無沙汰しております、おじい様。この度は手厚いご配慮、感謝に堪えません」
頭を下げ挨拶をする。大丈夫。私ならうまく立ち回れる。
「うむ、菜月も立派になったようで嬉しいぞ。息災とはいえる状況ではあるまいが、菜月に怪我がないのは何よりだ」
「度々のご配慮、痛み入ります」
「まあ、そう硬いことを申すな。久しぶりの孫との対話なのだ、もっと儂を喜ばせてくれ。優はどうしておる? 健やかに育っておるか?」
「はい、弟の優ともども健康に過ごしております」
大丈夫……大丈夫。お父さん、私、やれるから。
「ははは! それは良い! 今度は優も一緒に連れてくるといい。そうだ、優に箒を買ってやろう。知り合いの職人に作らせて送れば、優も喜ぶであろうな」
「はい、優も喜ぶかと存じます。今年初めには初等飛行技能資格も取得し、拙くはありますが、着実に成長しております」
「はは! ははは! それは良いことを聞いた、大変結構」
祖父は一度、お茶をすすり、視線をゆっくりと私の瞳に合わせる。
その眼光は私の内心を見透かそうとするようで、私は思わず視線をそらしかけた。
――ここで怖気づいてはいけない。何か重要なことを言われる。そう確信した。私は五月蠅い心臓の音を落ち着かせるために、呼吸を浅くする。
「……さて、話は変わるが、菜月、お前もそろそろ結婚できる歳だろう? 相手がおらなんだら儂がよい人物を紹介するぞ? んん?」
結婚――その言葉に、指先がわずかに震えた。大丈夫、大丈夫。うまくやれる。私ならできる。
「いえいえ、おじい様。私はまだ学生の身分ですので結婚は出来かねます。それに生涯の伴侶となる殿方は私自身で選びたく思います」
「そうですよ、あなた。菜月ちゃんはまだ学生、結婚はできません。それに無理強いするのもよくありませんよ。今時お見合い結婚だなんて若い子たちには抵抗があるでしょう」




