♦️泣き顔の少女と私
自室の扉を開け放ち、応急手当てに必要なものを手早く集めていく。そうした中、不意に視界の端に映り込んだ鏡を見つけ手を止める。
鏡に映った少女は、濃藍色の頭髪を肩口まで伸ばし、白のブラウスにデニムのショートパンツという服装。その顔は血の気がなく、今にも泣きだしてしまうのではないかと思えるほどに、酷く不安げで――どこか母に似ていた。
その少女は何をするでもなく、ただただ不安そうな瞳でこちらを見つめていた。そんな少女に声をかけるべく手を伸ばすと、それに呼応するかのように少女も手を伸ばしてきた。手が触れ合う寸前、冷たい鏡が、その手を遮った。半ば手を突き合わせるような格好で、見つめ合う形になってしまった。
そこでふと気が付く。
自分は今までこんなにも酷い顔で母の前に立っていたのか。
……ふっと乾いた笑いが漏れた。情けない。もっとも辛いのは母のはずなのに。私はいつまでもうじうじと考え込んでいる。母も私以上の痛みを抱えているはずなのに、本当に情けない。ふつふつと湧き上がる怒りに任せて、自分を叱咤するかのように両手で頬を打った。
鏡の前で立ち尽くしたまま、しばらく動けなかったけれど、母の痛みを思い出した瞬間、足が自然と動き出した。
よし、大丈夫、私はやれる。家族を、母を支えるのだ。頭のスイッチを切り替えるがごとく、必要なものをかき集めていく。
机の上に置いていた携帯電話をポケットに突っ込み、手当てに必要なものを持ち、母の下に戻る。
先程とは打って変わって、神妙な面持ちでしきりに謝ってくる。私が情けない顔を見せてしまっていたから、不安になったのだろう。両の手首をそれぞれハンカチで縛り、柔らかく微笑んで見せる。
「こうやって結ぶとシュシュみたいで可愛いね」
その言葉に母も顔をほころばせてくれた。これからどうするのかを手短に説明して、ポケットに入れておいた携帯電話を取り出し電話をかける。コールが鳴っているあいだ焦らされているような感覚を覚えながらも、ようやく相手方の声が聞こえた。
『はい。お電話ありがとうござ――』
「すみません。急ぎで迎えの車をお願いします」
相手の言葉を遮り何事かをまくし立てるように話す。その間、黙ってこちらの話を聴いていてくれたであろう相手は、『10分程でそちらに迎えを行かせます』とだけ静かに言うと通話を切ってしまった。
そこでまだ時間があること確認して、次なる相手に電話をかけるべく電話帳をスライドさせて、父の名前を見つけると、指が自然に動いていた。幸い今回の相手はそれほど時間をかけずに出てきてくれた。
「もしもし、お父さん、菜月だけど……。仕事中にごめんね」
『こんな時間にかけてくるのは珍しいね。どうかしたの?』
その声に思わず込み上げてくるものを感じ、上ずりそうになる声を抑えながらも、状況を説明し始める。両手からの出血が止まらないこと。そのことで病院に連れて行くということ。荒れてしまった部屋のこと。その話の合間合間の相槌にすら込み上げてくるものがある。
『……うん。うん。大変だったね。父さんもできるだけ早く病院に行くから、もう少しだけお母さんのそばについていてあげてくれる?』
優しく語りかけてくる父の声が脳に木霊して、思わず一筋の涙をこぼしてしまった。いけない、まだ泣いてはダメだ。一番つらいのは母なんだから、私が泣くことなんて許されない。
鼻をすすり明るく「任せて! 私はお母さんとお父さんの娘なんだから」と空元気を装って言ってみせる。
「それじゃあ、任せたよ、菜月」
力強く言う父に背中を押されるように母に向き直る。




