♥️梳いた髪の色は
悟ちゃんとなっちゃんが部屋から出ていく。並んでいた影のうち、一つが止まり、その場でしゃがみ込んだ姿が、ガラス障子越しに透けて見える。
なっちゃんが笑顔で手を振った。
私はそれに笑顔で返し、傍らにいる沙月ちゃんは控えめに手を振り返していた。
なっちゃんは小さくうなずくと、先を行く悟ちゃんの背中を追うかのように、足音を立てて去っていった。
――残された私たち二人は顔を見合わせ、思わず笑みを交わした。
「……菜月お姉ちゃんって強くて、優しくて、素敵ですよね。私もあんなふうになりたかったな……」
「なりたかったなんて、自分にはなれないみたいな言い方はよくないわあ。沙月ちゃんは十二分に優しくて、素敵だとおばさんは思ってるわよお」
「そう、なんでしょうか……」
「眺めて眩しがってるだけじゃ、なれるものもなれないわよお。手を伸ばさなくちゃねえ」
――その後は、学校での出来事や、優ちゃんが学校でどんなふうに過ごしているのか、沙月ちゃんの好きな本の話など、話題は尽きなかった。
「――それで、東家くんが言ったんです。『ネギとニラの区別もつかないのか』って。私、違う班なのに思わずそれを聞いて笑っちゃったんですよ。荒川くんも荒川くんで、むきになって反論するものだから、東家くんの煽りもヒートアップしちゃって……それでまた板挟みになった優が四苦八苦しているのが、また可笑しくって――」
思い出して笑いが込み上げてきたのか、口を押さえて笑う沙月ちゃん。
そんな彼女を、ほほえましく思う。
「そんなことがあったのねえ。優ちゃんはあまり学校でのことを話してくれないから、こうやって学校での様子を聞けるのは嬉しいわあ」
「そうなんですね。――すみません、私ばかり話をしてしまって……」
「そんなこと気にしなくていいのよお。楽しい話を聞かせてもらって、元気をもらってるんだからあ」
――穏やかな沈黙が流れる。
ひぐらしの歌声が庭先から聞こえてくる。
日が傾き、西日がガラス障子越しに、部屋を金色に染め上げる。
沙月ちゃんの髪の色が、その色を吸い取ったかのように綺麗に染まっていた。
思わず見惚けてしまっている自分に気が付く。
――静けさを破ったのは、外部からの呼び掛けだった。
「失礼します」
たおやかで、機械人形のように一片の狂いもない所作で部屋に入ってきた人物――優香ちゃんは、早々に額を畳へと近づけた。
さらさらと、長く綺麗な濃藍色の髪が垂れ、畳を擦る。
「先ほどのご無礼をお許しください。無理やり連れてきてしまう形になり、誠に申し訳ありませんでした。――ですが、葵様の両手の魔術回路の断裂がないのは不幸中の幸いでした。お早い回復をお祈り申し上げます。菜月様におかれましてもご立派になられたと、当主の玄様が大いに喜んでおられました」
その言葉に、どこか物寒さを感じるが、悪意は一切感じられなかった。
「大丈夫よお、ありがとうねえ。優香ちゃんの言う通り、なっちゃんも本当に立派に育ってくれて嬉しいのだけれど、どこか物寂しい気もするのよねえ……小さいころから手のかからない子ではあったけど、私が頼りないばっかりに、しっかりしなくちゃって気負ってる部分もあると思うのよねえ……」
「それは……本当にご立派になられたようで、嬉しく存じます」
そこでふっと、優香ちゃんの表情が柔らかくなった。
自然とこぼれた微笑みのように見えた。
先ほどまでの無機質で、どこか冷たい印象が、そっと溶けていく。
「それで本題なのですが、こちらに療養中の間、葵様のお世話を母の葛西より仰せつかりましたので、ご挨拶に伺った次第です」
「そうだったのねえ。色々と気を回してもらってありがとうねえ。優香ちゃんも話し相手になってもらえるなんて嬉しいわあ。よろしくねえ」
「はい、何なりとお申し付けください。御夕食はもう間もなく出来上がる予定ですので、それまでお待ちください。葵様の怪我に差しさわりが出ぬよう、食事の介助をさせていただきます」
「なにからなにまで、ありがとうねえ」
何か言葉を探しているのか、正座している足を組み替えたのが、絹と畳の擦れる音で分かった。
「…………ところで、出過ぎたこととは思いますが、優様はいかがお過ごしでしょうか? 本来であれば、身の回りのお世話をはじめ、学業や魔導具などの扱いをご指導するはずだったのですが……」
優香ちゃんの視線が、私から一瞬だけ沙月ちゃんへと移り、何事もなかったかのように戻った。
その視線の誘導に、ちくりと胸が痛んだ。
「――よろしければ、療養中の間だけでも、優様のお話をお伺いできませんか?」
「もちろんいいわよお。でも今は沙月ちゃんとお話してるから、夕食のときにでもお話しましょうか」
「……わかりました。では、御夕食の時間を楽しみにしております」
恭しく礼をして「失礼しました」と、部屋を出ていく。
音立てずに去っていく影を見送る。
黙って座っていた沙月ちゃんの肩から、ふっと力が抜けるのが分かった。
「夕食まで、まだ時間があるみたいねえ。沙月ちゃんは、時間がまだあるかしらあ? 疲れてなかったら、お話の続きを聞かせてもらえないかしらあ」
俯きがちだった顔を上げて、まっすぐに私との視線を交わす。
内心を探るように見つめられる瞳に、笑顔を返す。
痛む手を持ち上げ、沙月ちゃんの髪を、指を開いたまま梳く。
「本当に綺麗な髪ねえ」
髪を梳いていた私の手を、両手で包み、膝の上へと優しく戻す沙月ちゃん。
「……大丈夫です。ありがとうございます。すみませんが、私も今日はここで失礼しようと思います。あまり長居すると、おばさんの怪我にもよくないと思いますし」
「あら、それは残念ねえ。八日間はここに居るから、またよかったら話にきてちょうだい?」
「――はい! それは、もちろん。月陽お姉ちゃんも、そろそろ帰ってくる時間だと思うので、おばさんのことを伝えておきます。きっと喜んで飛んできますよ」
「次のお客さんは月陽ちゃんかしらねえ。楽しみだわあ」
「では、私はここで失礼しますね」
笑顔でそう告げると、優香ちゃん同様に、部屋を去っていった――――




