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魔導生活譚  作者: mikotoROID


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13/21

♣️そうめんは雨の向こう

 尚理のうちを出たら、まるで黒い消しゴムのカスみたいな雲が空を覆っていた。強い風がヒュウッと鳴ったみたいで、僕はちょっと心が躍った。


 こりゃムリだな……。そう思って、空を飛んで帰るのはあきらめた。


 ちょっと遠くでは雨が降り始めていることだろう。僕は攻め立てられるように雲とは逆の、家の方向に向かって走った。


 風が背中を押し、いつもよりも速く走れている気がする。風を切って走るのは楽しい。僕は家までの道のりをぐんぐんと進んでいった。


 10分も走ったところで、わき腹が痛くなり息が上がる。水を飲んで呼吸を整えようと思い、近くの公園に立ち寄ることにした。そこで、木下で足を抱えて蹲る郵便配達員の人がいた。近くによって顔を確認する。その顔に僕は驚いた。


「照木さん?」


「……やあ、優くん。――いっず!」


「――だ、大丈夫!? どうしたの?」


 痛がる照木さんに問いかける。


「どうも、使った箒の魔術回路が切れかけてたらしくてね……。見ての通り落っこちて足を怪我したってわけさ。幸い落ちた先がこの公園の木だったからよかったけど、もし木みたいなクッションになるものがなかったらと思うとぞっとするよ」


 そう言う目の前の照木さんは、いつもの軽い笑顔じゃなかった。汗がこめかみにじっとりと浮かんでいて、吐き出す息も少し荒い。


「……ぼ、僕にできることはある?」


 そう言いながらも、何をどうすればいいのか頭が真っ白だった。それでも、何かしないと、と思った。


「優くん、携帯電話はまだ持ってなかったよね」


 こくりと頷く。


「それじゃあ、大人の人を呼んできてくれるか、怖くなかったらでいいんだけど、あそこに引っかかってるかばんを、飛んで取ってきてもらえないかな? そこに携帯電話が入ってるんだ」


 指をさされた先は木の天辺。葉っぱに隠れて見えにくいが、葉っぱの隙間から赤い郵便マークがちらっと見えた。


 見上げた首の後ろに、ざわざわと葉が触れる音が落ちてくる。風が枝を揺らすたび、郵便マークがちらり、ちらりと顔を出していた。


「……行くよ」


 照木さんは足を痛めている。骨折だってしているかもしれない。このままここへは置いて帰れない。僕は意を決してそう言ってみせる。


 ほんの一瞬、あの日の光景がよみがえる。目の前が真っ白になり、耳の奥で血の音がどくんと鳴った。足がすくみかけたが、照木さんの痛がる顔がその感覚を押しのける。


 深く息を吸い込み、肺の奥まで冷たい空気で一杯にする。耳の奥で風の唸りが低く響き、鼓動と重なってリズムを刻む。指先に力を込め、柄を握り直す。


 箒にまたがって、バックパックから魔力チューブ引っ張り出し、箒に繋ぐ。ようやく体に染みついてきた作業。緊張で手が少し震えてたけど、ちゃんと繋がった。飛ぶ準備はできた。


 風は強いがこの高さだ。ゆっくりと慎重に飛べば大丈夫だ。自分にそう言い聞かせる。


 箒の柄をぎゅっと握る手のひらが、じんわり汗ばんでいく。


 強い風が吹き、まるで「早く行け」と背中を押してくるようだった。


 覚悟を決めて、水で満杯の器をゆっくりと傾けるように魔力を箒へと流し込む。


 地から足が浮き、内臓がふわりと浮く感覚に陥るが、それをぐっと堪え、ゆっくりと上昇していく。


 見上げた空は雲がちぎれ、白と灰が混ざり合って流れていく。地面の緑が少しずつ遠ざかっていくのが足元の隙間から見えた。


 足先を木の葉っぱが掠める。


 もうちょっとだ……。


 手を伸ばし郵便マークの入ったかばんが指先に触れる。


 そこで、風がより一層強く吹く。視界がぐらりと傾き、枝葉の影が斜めに流れていく。体が力み、右に重心が傾く。


 ――落ちる。あの時みたいに。


 喉がひりつく。背筋の奥が一気に冷たくなった。


 箒から体が落ちかけるが、緊張で冷えて固まった両手がしっかりと柄を握っていたおかげか落下は免れる。


 あの日の恐怖が頭を掠める。


 徐々に高度を落とし足先が木の枝に触れる。僕は懸垂の要領で枝を蹴り、再び箒にまたがる。ドクドクと五月蠅い心臓の鼓動を落ち着かせるため、深呼吸を何度か繰り返す。


 呼吸を整え終え、慎重に繰っていく。


 ――掴んだ。


 それと同時に魔力の注入を絞っていく。


 耳元で唸っていた風の音が少しずつやわらぎ、鼓動の音が自分の中で大きくなっていく。


 葉音が遠ざかり、徐々に地面が近づく。地に足が付き、その硬さを確かめるように足裏を地面に擦りつける。


 そうすることで、地面の熱を感じ安心感を覚えた。


 それと同時に、達成感で高揚し頬が熱くなるのを感じる。


 ――出来た、出来たぞ。


 胸の奥が熱くなる。その熱の下で、あの一瞬のぐらつきが何度もよみがえってくる。次も同じように飛べる自信は、まだなかったが、それでも今は出来たことへの達成感で胸がいっぱいだった。


「見てた? ……僕、ちゃんと取れた」


「見てたよ、優くん。凄いじゃないか! 怖かっただろうに、本当にありがとうね」


 足を庇いながらも身を起こし、笑顔で言ってくれる照木さんに、僕は溢れんばかりの笑顔で返す。


 かばんを手渡すと、頭を撫でられた。照木さんは褒めてくれるとき、いつも頭を撫でてくれる。ツボを押さえているようで、どうにも心地がいい。


 離れていく手の体温とともに、かばんを探る照木さん。携帯電話を取り出しタクシーを呼んでいるようだった。


 やがて、電話を終え声をかけられる。


「今日は本当に助かったよ。また今度お礼をさせてね。――ささ、雨も降りそうだし僕のことはいいから、優くんはお家に帰った方がいいよ」


 そう背中を押され、数歩前に出る。振り返り「バイバイ」と手を振る。


 痛みを我慢した額に汗をにじませ、照木さんはそれでも手を挙げて笑顔で僕を送り出してくれた。


 心配な気持ちを押し留め、前を向いて一歩を踏み出す。


 照木さんと別れ、家路を急ぐ。


 雨の匂いが強くなり、もうじき降るのではないかという予感を持つ。その予感は的中し、5分も走ったところで雨に追い付かれる。


 頬を打つ生温い雫が次第に数を増し、耳元で雨粒が地面を叩く音が弾む。


 僕はずぶ濡れになりながらも、なんとかマンションのエントランスにたどり着いた。


 エレベーターに乗り込み6階のボタンを押す。扉が閉まり、蒸し暑い空気から隔絶される。


 冷房の効いたエレベーターの中は寒かった。濡れた服が冷気で冷やされ、思わずくしゃみが出た。


 早く帰って、服を着替えて、ご飯を食べて、午後からまた尚理のうちに行こう。


 お昼は確かそうめんを湯掻くと姉が言っていたはずだ。そうめんならささっと食べれるし、すぐに尚理のうちに向かえるはずだ。


 やがって、エレベーターは静かに止まり、扉が開く。外気の湿った風が冷房の効いた空気を攫っていく。


 僕もそれに攫われるようにエレベーターの外へと出た。


 家の玄関のドアノブに手をかけ、手順通りに魔力を流し込む。ガチャという鍵が開く音が聞こえ、扉を開ける。


 自身が纏う雨の匂いが家の匂いで薄らいだような気持になる。


 いつもの家の匂いを胸いっぱいに吸い込み、「ただいま」と一言。


 お腹がぐうっと鳴る。そうめんのことを思い出し、自然と笑みがこぼれた。

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