♦️風に揺れる日常
窓をたたく風が強さを増していた。迫りくる大きな雨雲が、空の色を鈍色へ染めていく。窓の外では、風の煽りを受けた郵便配達員が、ふらふらと危なげに飛んでいた。
今日の天気予報を確認していなかったのだろうか。それこそ、空を飛ぶ仕事をしている人なら、天気くらい見ておくべきだ――そんなことを思いながら、その背中を見送っていた。
そんな彼の小さくなっていく背中を眺めていると、あることに気が付いた。彼は風の影響以前に不安定だった。左右に揺れる動きもひどいが、それ以上に上下に浮き沈みを繰り返す様子はまるで魔力の流し方にムラがあるようだ。でも、あれはひどすぎる飛行技能資格者の飛び方ではない。あんな飛び方じゃ配達どころか事故になりかねない。
他人事ながら心配をしていると、不意に彼の姿が大きく揺らいだ。気になって身を乗り出すが、すでに遠く離れてしまった彼の姿はもはや見えづらかった。辛うじて見えたのは、彼の周りをひらひらと舞うものがある、ということだけだった。どうやら配達物を散らしてしまったらしい。
小学生の弟でも、もう少し上手に飛べるのではないだろうか。優は下手でももう少しまっすぐ飛べるし魔力の流し方も粗削りだが伸びしろはまだまだあるように感じられる。
……そこまで考えていたところで、気づけば、また教科書に目を落としていた。
……どこまで読んでたかな。
すると、遠くの雷鳴に混じって、もう聞き慣れてしまった音がした。
――またか。
本日、二度目のため息をこぼしつつ、急いで部屋を出る。廊下を抜け客間へ向かう途中でつい声に出してしまう。
「また、なんていわれるかな」
ここ最近は特に増えている。母の仕事の都合上、大きな音が出るのは時折あることなので、ご近所の方も初めは笑って許してくれていた。だが、近頃は頻度が増えたせいか、頭を下げに訪ねて行くと煩わしそうな表情をされるようになってしまった。
そしてリビングを通り客間の前まで来たところで目を剥く。襖に湾曲した薄い金属らしきものが突き刺さっていた。震えだす手を抑えながらも、意を決して襖を開けると、目に入ってきた光景に息をのんだ。
部屋中に散らかる金属片。壁には飛散したと思われるそれらがあちこちに刺さっている。ベランダへ続くガラス戸にはひびが走り――そして、その中央でペタンと座り、宙を見つめている母の姿があった。
露出している肌には赤い線がいくつも入っている。今朝がた巻いてあげたばかりの両手の包帯は真っ赤に染まっていた。
我に返り、慌てて駆け寄り声をかけたところで、ようやくこちらを見た。はにかんだような表情を作りながら、「お母さんまた失敗しちゃった。なっちゃん、悪いけどまた後片付け手伝ってくれないかしらあ」と痛みを隠すような、冗談めいた口調に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「後片付けなんかいいから。それより傷の方は大丈夫なの? あちこちに出来てるけど……」
近くで見ると、傷のほとんどは血が止まり乾き始めているのがわかる。ただ、両手からは今もなおぽたぽたと鮮血が滴り、小さな血だまりを床に広げている。額には汗が浮かび上がっており、見るからに痛むのを我慢しているという様子だ。
まずは止血だ。うろ覚えの知識を必死に探り、「両手を上げておいてね」と告げ、急いで部屋を飛び出す。
襖を閉める際に一瞬、思い詰めた表情をしていた気がしたが、今は気にしている場合ではない。一刻も早く手当てをしなくてはいけない。それが私の役目なんだから。