パズル
注:20世紀初頭の英国の上流階級の「恋愛」事情に言及していますが、この時代の彼らの「恋愛」といえば基本的に婚姻外の関係です。結婚相手が家同士の都合で決まることがほとんどであり、どんなに不仲でも事実上離婚が不可能だったからこその習慣であり、既婚者同士の関係であっても現代の不倫とは位置づけが異なります。
問い:1912年の英国上流階級において、パーティーを主催する女主人の最も重要な仕事は?
メラヴェル男爵家の家政婦長ミセス・フィリップスの答え:
僭越ながらお答えしますと、「配置」です。
正餐会をなさるなら、テーブルでの席次はもちろん、食後の応接間でどなたにどのソファや椅子を勧めるべきかにも気を遣わねばなりません。
また、ハウスパーティーをなさるのであれば、ゲストルームの割り当て方で全てが決まると言っても過言ではありません。
そして、主催の女主人としてお悩みになる奥様をお支えすることこそ、家政婦長である私の最も重要な仕事なのです。
***
1912年9月――。
その日の午後、<メラヴェリー・マナー>の図書室の書き物机に向かっていたメラヴェル男爵家の女主人、メラヴェル女男爵ことアメリア・モントローズ=ハーコートは深く悩んでいた。
最近ごく一部で“探偵女男爵”として知られている彼女は、犯罪に関して悩むことも多かったが、今回は貴族の家の女主人としての典型的な悩み――社交に関する悩みだった。
アメリアと彼女の夫であるアルバート・モントローズ=ハーコート卿は、半年ほど前に結婚したばかりの新婚の夫婦なので、基本的には男爵家の本拠であるバークシャーのカントリーハウス<メラヴェリー・マナー>で暮らしていた。
結婚後数年はできるだけ領地に留まって後継者作りに専念するというのは、当代英国の上流階級の夫婦によくあることだった。
しかし、田舎に籠っているからといって、社交が完全に避けられるわけではなく――。
「ああ……」
アメリアは思わず声に出して嘆いた。
さすがに机に臥せることまではしなかった。
なぜなら、今彼女の近くには夫のアルバートがいるからだ。
「一体、どうしたっていうんだい?マイ・ディア。この世の終わりのような顔じゃないか」
更紗の一人掛けソファで「ニコマコス倫理学」を読んでいた彼は、眉を上げて言った。
その傍らにいた彼の愛犬ベドリントン・テリアのペネロープも心なしか心配そうにアメリアを見上げた。
アメリアは「そんなに酷い顔をしていたかしら?」と思わず両手で頬を覆ったが、そんな彼女を見てアルバートが微笑んだので、彼女もまた微笑みを返した。
しかし、彼女の思考はすぐに目の前の悩みに戻ってしまう。
「今度、私たちが主催するハウスパーティーのゲストルームの配置のことなのよ。ほら、ハネムーン中にニースで新しく知り合った……少し“華やかな”方々をお招きしようとしているでしょう?」
「ああ、そうだったね」
アメリアは、そう言って肩を竦めるアルバートをつい羨ましく思ってしまった。
彼は少し前から、とある月刊教養雑誌で古典学に関するコラムを連載しているため、毎月締め切りに追われる身ではある。
しかし、直近の分は数日前に編集者に提出したと言っていたので、今の彼は一時的に悩みごとから解放されているはずだ。
アメリアは彼が間もなく読書に戻ると思った。
しかし、意外なことに、彼は本を置いて立ち上がると、書き物机の傍まで来て彼女の手元を覗き込んだ。
そこには、<メラヴェリー・マナー>の部屋の間取り図とハウスパーティーの招待客それぞれの名前が書かれたネームカードが広げられていた。
アメリアはこれらを使って、再来週メラヴェル女男爵夫妻がこの屋敷で主催するハウスパーティーの完璧な部屋割りを探っていた。
ネームカードの内いくつかは間取り図上のゲストルームの上に置かれているが、他のいくつかは迷子のように散らばっていた。
というのも、アメリアが手に持っている一枚の紙――そこに書かれている「注意事項」が問題なのだ。
「『注意事項』か……」
アルバートは彼女から「注意事項」の紙を受け取りながら呟いた。
彼に付いてきたペネロープもその紙を覗き込もうと前足を伸ばした。
そこには次のことが書かれていた。
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注意事項
1.部屋割りが決まり次第、この紙は跡形もなく燃やすこと。
2.以下の人々は「引き離す」こと。
トレヴェリアン卿夫妻(半年前の鉢合わせ事件)
レディ・エリザベスとミス・セジウィック(3年前の二重婚約事件)
テンベリー卿とトレヴェリアン卿とミスター・ロバート・ルイス(2年前の某伯爵家乱闘事件)
3.以下の人々には「都合の良い部屋を割り当てる」こと。
レディ・トレヴェリアンとテンベリー卿
レディ・ヴィタとサー・ヒューバート
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「なるほど」
「注意事項」を読み終えたアルバートは顎に手を当てながら言った。
「これは難易度の高いパズルだ」
「ええ、そうなの」
アメリアは今日何度目かのため息をついた。
通常、ゲストルームの割り当ては、独身男性たちを一つの棟にまとめ、その他の人々を序列に従って配置していくことで決まる。
その過程で招待客のごく私的な事情を考慮すべき場面が出てくるのが厄介なのだ。
まず、わかりやすいのは「引き離す」べき人々――何らかの禍根がある人々だ。
過去に何があろうと公の場では良好な関係を装うのが社交界のマナーだが、裏ではそうはいかない。
滞在型のハウスパーティーで、うっかり敵同士を近くの部屋に配置してしまい、彼らが何度も廊下ですれ違う内にトラブルに発展する……なんてことは主催者として絶対に避けねばならない。
次に考慮しなければならないのは「都合の良い部屋を割り当てる」べき人々――つまり、秘密の恋人たちだ。
彼らもまた表向きはただの友人を装い、決して特別な関係であることを認めたりはしない。
しかし、友人たちの間では、彼らが恋愛関係にあることは“公然の秘密”だ。
もし、アメリアの社交界での立場が盤石であれば、わざと彼らの部屋を離して「醜聞お断り」という意思表示をすることも可能ではあるが、若年かつ中産階級出身の女男爵の立場ではそうもいかない。
わざとでなくても部屋を離されれば恋人たちはひどく怒るだろうし、彼らが部屋の距離を気にせずに無理に逢引をして誰かに目撃されでもしたら、それこそ主催者としての配慮のなさを批判されかねない――彼らの関係はあくまで“公然の秘密”に留めることが大事なのだ。
もちろん、アメリアは未婚のレディを巻き込んだ恋愛沙汰だけは絶対に避けたいと思っているが、今回は幸い既婚の男女、そして、未亡人と未婚男性の関係で収まりそうではある。
「こうしてまず、引き離すべき人々を引き離すでしょう?そうすると、恋人たちが離れてしまうの。この二人を入れ替えたとしても、ここがこうなって……」
「おや、本当だ」
アメリアが机の上で間取り図とカードを使って実演すると、アルバートは興味深そうに目を細めた。
彼は暫く思案していたが、やがて――。
「私が挑戦しても良いだろうか?」
彼が真剣な顔で言ったので、アメリアは思わずゆっくりと瞬きをした。
「あら、そんなのあなたに悪いわ。これは女主人の仕事だし、社交に関することは私が責任もって――」
「もちろんそうさ。でも、今日に限っては少し違ったアプローチを試しても悪くはないだろう?君は少し寝不足だろうし」
アルバートは何でもないことのように言った。
実際、彼の言う通りではあった。
昨夜アメリアは遅くまでロンドン警視庁からの事件の相談への返信を書いていたので、ベッドに入るのが遅くなってしまった。
「それはそうだけど……」
「まあ、君は好きな本でも読んでいるといいよ。――ペネロープ、君も奥方の側でいい子にしていておくれよ」
そう言ったアルバートの灰色の瞳はどこか楽しげに輝いていた。
彼はアメリアの手を取ると、彼女を座り心地の良いアームチェアまで連れて行った。
愛犬ペネロープも主人の指示通り、大人しくアメリアの足元に伏せた。
――ああ、わかったわ。
――彼はパズルを解きたいのね。
アメリアは内心で微笑み、パズルに取り組む彼を眺めることにした。
***
最初は良かった。
間取り図に向かうアルバートは珍しく目に見えて上機嫌だった。
しかし、段々と雲行きが怪しくなり――5分後、彼は乱れてもいないシャツの襟を何度か直した。
そして、10分後、彼は腕を組んで目を閉じた。
遂に15分後――。
「……お手上げだ」
図書室にアルバートの声が力なく響き、アメリアの足元で微睡んでいたペネロープが微かに耳を動かした。
サッフォーの詩集を読むふりをしていたアメリアもそっと本から顔を上げた。
「あら、あなたでも?」
「ああ……思い切ってテンベリー卿に<象牙の間>ではなく、<翡翠の間>を割り当てることも試したがだめだった」
天を仰いだアルバートの手から招待客の名前が書かれたカードが机の上に滑り落ちた。
こうなると、もう“最終手段”を使うしかない。
アメリアは立ち上がると、迷わず部屋の隅にある呼び出しボタン――使用人が待機している階下の呼び出しベルを鳴らすボタンだ――へと向かった。
ボタンを押す前にアルバートを振り返ると、彼も神妙に頷いた。
そして、アメリアがボタンを押した後、程なくして廊下からジャラジャラという金属音が聞こえてきた。
彼女がいつも腰に付けている鍵束の鍵同士が触れ合っているのだ。
その音が好きなペネロープが図書室の入り口に駆け寄って行った。
「お呼びでしょうか、奥様、旦那様」
鍵の音が止むのと同時に、その落ち着いた声が図書室に響いた。
それは彼らの“最終手段”――メラヴェル男爵家の経験豊富な家政婦長ミセス・フィリップスだった。
***
「はい、これにて解決でございます」
ミセス・フィリップスの手にかかるとゲストルームの配置パズルはものの5分で片付いた。
完成したパズルを前にしたメラヴェル女男爵夫妻は、ただただ瞠目するばかりだった。
ミセス・フィリップスの見事な手腕により、「引き離す」べき人々は廊下を共有せずに済み、逆に「都合の良い部屋を割り当てる」べき人々は同じ導線上に収まった。
「なるほど……まさか<メラヴェリー・マナー>の最上級の客室<象牙の間>を空室――いや、緩衝地帯とでも言うべきかな――にするとは……」
アルバートがほとんど独り言のように呟いた。
ミセス・フィリップスは眉一つ動かさずに言った。
「ええ、<象牙の間>を空けるのは少々もったいなくはございますが、事が起こってパーティー二日目のヤマウズラ猟が台無しになるよりは良うございましょうから」
「さすがミセス・フィリップスね」
アメリアも感心して深く頷いた。
そして、ミセス・フィリップスは決定したゲストルームの配置をしっかりメモすると、最後に「注意事項」の紙を取り上げて「こちらは早急に燃やします」と言って退室していった。
呼び出されて来たときと同じように鍵束の音を厳かに響かせながら。
***
「やれやれ、ミセス・フィリップスのお蔭で助かったが、“華やかな”人々と付き合うのは、なかなかに厄介だ。まあ、興味深くはあるのだが」
アルバートは花柄の二人掛けソファに座り直し、背もたれに体を預けながら言った。
主人が一仕事終えたことを察したペネロープが彼の膝にじゃれついていた。
「そうね……せめて当家の屋根の下では『喧嘩禁止』『恋愛禁止』にできないかしら?ああ、でも、『喧嘩禁止』はともかく『恋愛禁止』は現実的ではないわね」
アメリアも彼と同じソファに腰を下ろし、ペネロープの耳の後ろを撫でながら言った。
「そうだろうね。私たちの階級では『恋愛』と『家庭愛』を分けなければならないが、人間らしく生きるためにはやはり『恋愛』が欠かせないと言う人もいる」
彼の言葉を受けたアメリアはいたずらっぽく笑って尋ねた。
「あら、私たちの階級にはどうしても『恋愛』が必要なのかしら?」
「いや、あくまで人それぞれさ……。君には正直に言うが、例えば、私は『恋愛』の必要性がよくわからない。人間らしい生活のためには多少の刺激があるべきだとしても、私にとっては君との議論で得られる刺激の方がずっと好ましいし、間違いなく必要だ」
彼はいつも通りの皮肉な笑みを浮かべていたが、その青みがかった灰色の瞳は温かだった。
アメリアもつい口元に笑みを滲ませながらも、厳かに宣言した。
「では、今後は同じような方々との社交グループを作ることを目指しましょう」
「ああ、それがいい。しかし、『恋愛』が不要な人々のグループとなれば……きっと社交界一地味で退屈なグループになるだろうね」
「それでいいのよ。地味でも退屈でも心地よく過ごせることが重要なんだから」
穏やかにそう言ったアメリアのヘーゼルの瞳は午後の光に輝いていた。
アルバートはその輝きに引き寄せられるように、隣に座る彼女の手を握った。
何となく、そうしたくなったのだ。
「ともかく、これでパズルは片付いた。明日の午後は予定通り一緒にヤマウズラ猟に来てくれるね?」
「ええ、射撃を教わるのが楽しみだわ」
アメリアも微笑みながらアルバートの手をそっと握り返した。
すると、アルバートはまだ膝にじゃれついていた愛犬ペネロープに向かって眉を上げた。
彼はペネロープが気を利かせて明後日の方向を向いたのを確認し、素早くアメリアの頬に口づけた。
二人とも明日の午後が待ち遠しかった。
明日が予定通りにいくかはわからない。
でも、メラヴェル女男爵夫妻ならきっと最後には良い日にするだろう――。
ロマンス番外編3.5部はここまでです。
残念ながら、この話の「明日」にあたる日に本編次作の事件が起こり、二人のヤマウズラ猟はお預けになってしまいます……。
来年度辺り本編次作を投稿できればと思っておりますので、ご縁があればよろしくお願いいたします。




