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お客様の中にハイジャック犯の方はいらっしゃいますか?

 

 高度一万メートル。

 羽田発、香港行きの便に乗るとざっと20分でこの高度に到達する。

 今日は晴れているので窓の外に一面の雲海が広がっているのがよく見えた。



 さて、旅客機に乗っているときによく聞くアナウンスはどんなものだろうか?


「離着陸の際は揺れるため、安全ベルトをご着用ください」とか、

「機内での喫煙はご遠慮ください」とか、

「ビーフ オア チキン?」とか。これはアナウンスじゃないか。


 まあとにかく、そんなものだろう。

 普段聞くことの無いものの中でよく耳にすると言うか、話に聞くフレーズとしては、

「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」が有名だろう。

 ドラマではよくある光景かもしれない。


 今回はこれについてもう少し掘り下げてみたい。

「お客様の中に〇〇はいらっしゃいませんか?」というフレーズについて。


 どういうセリフを一番聞きたくないだろう?



「お客様の中に害虫駆除の専門家の方はいらっしゃいますか?」


 Gでも大量発生したのだろうか。嫌すぎる。

 でもただのネタだ。そんなアナウンス、流れてたまるか。



「お客様の中に消防士の方はいらっしゃいますか?」


 火事だろうか?

 でもこんな上空に水は無いだろうから、消防士だけいてもしょうがないだろうな。

 でもまあ、実際こんなアナウンスを聞くことは無いだろう。

 これもただのネタだ。



「お客様の中にパイロットの方はいらっしゃいますか?」


 俺が思うダントツで聞きたくないアナウンスがこれだ。

 現実的な中で一番聞きたくないアナウンスだろう。

 そのアナウンスが流れて手が上がらなかったらどうしようかと要らない心配をしてしまう。



 俺は窓の外の雲海を眺めながらそんな意味の無い妄想をするのが割と好きだった。

 ……けれど、その日は少し空気が違っていた。

 なにせアナウンスがおかしかった。



「お客様の中にハイジャック犯の方はいらっしゃいますか?」



 ……は?

 俺は耳を疑った。だってそうだろう。意味が分からない。

 快適な空の旅にそぐわないフレーズダントツの一位だ。

 客室乗務員がハイジャック犯を探す状況ってなんだ?

 いや、そもそもいるの? いたら嫌だけど。


「ん? ああ、俺、ハイジャック犯だけど」


 いたわ。

 なんでだよ。いるなよ。

 しかもなんでそんな「俺、コンビニでバイトしてるけど」みたいな口調で言えるんだよ。


「あ、ハイジャック犯の方ですか。助かります。こちらです」


 なにも助からねえよ。どう助かるんだよ。


「えーっと……、実はまだやるかやらないか迷ってたんだけど……。できるかな?」


 お前もそんなふわふわした覚悟でハイジャックに来るな。

 そして名乗り出るな。


「大丈夫ですよ、あなたならできます」

「そ、そうですか、へへへ……。がんばります」


 あいつッ……! ハイジャック犯の分際で客室乗務員のお姉さんの笑顔をッ……!

 あんなッ……! あんないい笑顔を向けられやがってッ……!

 例えこの場の全員があいつを許しても、俺はあいつを許さない……!


「さあ、こちらです。前の方へどうぞ」



 さていきなりだが、座席について話をしよう。

 俺達が乗っているエコノミークラスがあるのは飛行機の後方だ。

 その前の方には(俺は座ったことは無いが)ビジネスクラスやファーストクラスのブロックになっている(一度は乗ってみたい)。


 前方のブロックとはそのままつながっているわけではない。

 トイレや、客室乗務員さんが作業したり休憩するためのスペースがある。

 まあ、俺達から見ると壁だ。間には壁がある。

 だから前方のブロックはよく見えないし、向こうへ行くためには通路を通る必要があるのだ。



 話を戻そう。

 ハイジャック犯を名乗り出た男が客室乗務員に褒められてヘラヘラ笑いながら通路を通っていこうとしていた。


「へへ……。ところで、俺は何をすればいいんですか?」

「ファーストクラスに別のハイジャック犯が現れたので倒してきてください」

「えっ?」


 えっ?

 俺もびっくりした。マジか、このお姉さん。


「名簿を確認したところ残念ながら当機には警官の方などはいらっしゃいませんでした。

 武器はお持ちですか?」

「ほ、包丁を一本……」


 コイツ、ひょっとしてハイジャックをコンビニ強盗と同レベルに考えてないか?

 ハイジャックはもっとこう……計画的にやらなきゃダメだろう。知らんけど。


「相手はショットガンを持っています。笑っちゃいますよね。

 そんなの撃ったら飛行機落ちちゃいますよ。ハハハ」


 笑い事じゃねえよ。


「へー……。あっ!

 だ、だから俺も銃はやめようと思って、これにしたんですよ」


 ダウトォ!!

 一回「へー」って言ったらもうダメだよ!

 諦めろよ!

 お前、銃を用意できなかっただけだろ!


「ホントですかぁ? すごいですねー!」

「へへ……。そうですかぁ……。参ったなあ、へへ……」


 大学生サークルの飲み会か!

 お世辞だよ! 気づけ!


「じゃ、どうぞ!」

「よし! 行ってきます!」

ってらっしゃ~い」


 お姉さんにノせられたハイジャック犯はまんまと前方のブロックへ行った。


 直後。

 銃声とハイジャック犯の情けない悲鳴が機内に響いた。

 そして意気揚々と前方のブロックへ行ったはずのハイジャック犯がしっぽを巻いて逃げ帰ってくる姿が見えた。

 包丁を持ったまま、泣きながら、腕を振って通路をランニングして通り過ぎていく。


「Hey! Freeze, boy!」


 真の(?)ハイジャック犯がエコノミークラスの通路入り口でショットガンを構えた。

 逃げていくハイジャック犯の背中に照準を向けている。

 その背後に忍び寄った客室乗務員のお姉さんがフライパンを振り上げた。



 ハイジャック犯がハイジャック犯を撃つのが先か。

 客室乗務員のお姉さんがハイジャック犯を打つのが先か。

 俺は断然お姉さんを応援したが、残念ながら勝敗の天秤はどちらにも傾かなかった。


 代わりに傾いたのは飛行機だった。

 ハイジャック犯とハイジャック犯とお姉さんは全員転んで姿が見えなくなった。

 席が邪魔で見えないのだ。

 かと言って立って確認するのは怖いし、っていうか立てない。揺れが激しくて。それどころじゃない。


 緊急アナウンスが入った。


「乗客のみなさん、乗り心地はどうでしょうか?

 最悪ですか? そうですよね。知ってます。

 えー……。ちょっと原因はわかんないのですが、当機はコントロールを失いました」


 ひょっとしてさっきの銃声が原因だろうか。

 窓に穴が空いたとか、機体の制御に必要な何かが壊れたとか。


「操縦桿が言うことを聞かないので、文字通りお手上げです。

 見えないと思いますが、いま私、手を上げてるんですよ。ははは……」


 ……笑い事じゃねーよ……。


「ちなみに副操縦士は隣でアワ吹いて気絶してます。私も気絶したい……。

 冗談です。……嘘です。半分冗談です。

 じゃあ、半分本気じゃないか! ってね! ははは! はは……。はぁ……」


 ダメだ。機長のメンタルが限界を迎えてやがる……。


「えー……という訳ですので、皆さん、心の準備をしてください。

 くれぐれもパニックなど起こさないように。

 上手くいくよう、祈っててください。……グッドラック」


 おっ、最後のグッドラックはよかったかも。なんか渋くて。



 死の宣告のようなアナウンスの後の機内は意外と静かだった。

 あちこちから深いため息が聞こえてくる。

 遠くの方で怒鳴り声が聞こえるが、内容までは聞き取れない。

 急いでスマホをタップする音やペンで何かを書く音が聞こえる。

 多分、最後の言葉を残しているのだろう。


 俺は何もしなかった。

 特に何かを伝えたいような友人も恋人もいないからだ。

 はあ……。来週発売のゲーム、楽しみにしてたのになあ……。


 ハイジャック犯とハイジャック犯とお姉さんはどうなったのかな……。



 窓の外を見る。

 雲海は見えない。高度が二千メートルを切ったのだろう。

 遙か遠くにかすんだ水平線が見える。


 水平線までの距離は視点の高さによって決まる。

 2000メートルなら約170キロメートル。

 1.5メートルなら約4キロメートル。これが普段の水平線までの距離だ。

 そして0メートルからなら当然0メートルだ。


 ……水平線までの距離が0メートルになるまであと何秒残っているだろう?



 水面に叩きつけられた衝撃。

 あちこちから恐怖に満ちた悲鳴が上がる。

 静けさが騒がしさに裏返る。

 停電した機内に侵入してくる水。

 肺の中を満たす冷たい死。


 裏返った騒がしさも、結局は静けさに帰着した。

 全てが死に至ったのだ。





 ……そして、生命も裏返った。


「異世界へようこそ! みなさん!」


 目の前に背中に白い翼を生やした女性が立っていた。

 安っぽいクラッカーを鳴らしている。

 俺たちは全員バカみたいに目を丸くして突っ立っていた。


 そういうわけで、あの飛行機に乗り合わせた乗員乗客は丸ごと異世界に召喚された。

 そんな俺達が世界を救うことになるのだが……。

 まあ、それは別の話だろう。


 今回は奇妙な機内アナウンスの話でしかないのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まさかのハイジャック犯の指名! 笑 話の続きが気になりました!
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