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隣の席の須藤くんが気になる。

作者: 橘さつき


 隣の席の須藤くんは、変だ。


「おはよう、須藤くん」

「おはよう、鈴木さん」


 朝、いつものように教室の左下隅の席に着く。ガラス窓から大量に日光が降り注ぐ席だ。そんな私の左隣、いわゆる『主人公席』に着くのが彼、須藤くんである。


 大きな球体の身体。黒い毛に覆われた体表。身体を支える手足はひょろ長くアンバランスだ。そして他とは明らかに違う、100円ショップで売っている裁縫用目玉のようにコミカルな瞳。


 私の隣の席の須藤くんは、人間とはかけ離れた見た目をしている。






 彼がこのクラスにやってきたのは5月半ば、転校と言うには些か微妙なタイミングの頃だった。


 そのときまで私は須藤くんに対して微塵も興味を覚えていなかった。朝から廊下でちらほら噂が聞こえたりしていたが、全く気にしていなかった。


 別に、他のことに夢中になっていて噂がどうでもよかったわけではない。ハマっていたゲームの限定イベントのクリアに奔走していたわけではない。断じてない。


 そんなこんなで何の感情も抱いていなかった私がその認識をかえるのは、彼が教室に入ってきたときのこと。


「転校生だ。須藤、入ってきなさい」


 先生が呼びかけると同時に、ガラリと扉が開く。イケメンか、美少女か。クラス全員が祈るように自らの願いを口にしていたが、生憎、彼はそのどれにも当てはまらなかった。


 まんまるく、もけもけとした黒い身体。街中で見たことがある、大きな白目とちょんと点を打ったような黒目。

 彼はドアを破り倒す勢いで転がって来た。



 …クラス全員の時が止まったと思う。



「須藤 (かける)くんだ。お前ら、仲良くしてやれよ〜」


 担任、何故そんなに呑気に言えるんだ。おかしいと思わないのか。大玉転がしみたいに突っ込んできた須藤くん、何者。人間?人外?


 そんなツッコミが頭の中をぐるぐると駆け巡った。その間にも須藤くんはその巨大な体躯に見合わない丁寧なお辞儀をして、空いている席ーー私の隣に座った。


 えっ。

 なんなんだろう、このいきもの。


 この時点で私の脳は考えることを放棄していた。もうどうだっていいや、である。


 だが、思考を放棄し続けられないのも人間ならではだと思う。





 あれから、須藤くんはすぐにクラスに溶け込んだ。クラスのみんなも今では普通に須藤くんに喋りかけたりボディタッチしたりしている。適応能力高いね、君たち。


 かくいう私も今では須藤くんと他愛無い世間話ができるようになった。大きな進歩である。最近は須藤くんと流行りの漫画の話で盛り上がっていた。今度最新刊を貸してもらう約束をしている。すっかり友達の距離である。


 が、謎は尽きない。


「あー、このページの8行目から、須藤。読んでくれ」


 現文の授業。今日は夏目漱石の『こころ』だ。

 指名された須藤くんがすぐそばで立ち上がるのがわかる。ふと、疑問が浮かんだ。



 須藤くんの口って、どこ。



 須藤くんは目以外全て黒い毛に覆われている、マスコットキャラクターのような出で立ちだ。口がどこにあるかわからない。声も転入してから1ヶ月経つが、一回も聞いたことはなかった。


 喋れるのか…?須藤くんはそんな私の心配など知らず、教科書を片手にすらすらと読み始める。


「『あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。』」


 …須藤くんは、とてもいい声だった。


 低く優しく、まろやかで角がない。同級生と言うより寧ろ年上の人が読んでいるようなずっしりした重みと安心感。でもその見た目と死ぬほど合ってない。いっそ白昼夢でも見ているのではないかというくらいの現実味のなさ。


 そのせいで私は授業に全く集中できなかった。とても重要なシーンだった筈だが一つも頭に残らなかった。ちなみに、須藤くんの口は見つからなかった。




 昼休み。お弁当を食べ終わった私がその話をすると、友人の紀香は諦めたように笑った。


「仕方ないよ、あの須藤だもん。別にいいやつだと思うよ?」

「うーん、それはそうだけど。やっぱ気になるというか」

「そのセリフ、柚子(ゆず)恋してるみたいだよね〜」

「こ、恋…?いや絶対違うと思うけど」

「ふぅーん。じゃあ何でそんなに気になるの?」

「逆に聞くけど何でそんなに気にならないの?」


 ずるずると押し問答を続ける。にわかに窓の外が騒がしくなった。


「あ、男子がサッカーしてる」


 紀香が呟いた。


「サッカー?さっきまで食べてたのによく運動できるね」

「消化が早いんじゃない?あ、たっつんみーっけ♪」


 紀香が大きく手を振る。たっつんとは紀香の彼氏のことだ。三ヶ月前から付き合っていて、ラブラブらしい。とても羨ましい。私も彼氏が欲しい。


「あ、須藤いるよ」

「エッどこどこっ!?」


 秒速で窓に張り付く私。紀香はそんな私に苦笑している。

 幸い須藤くんはわかりやすいので、すぐに見つけることができた。


「ほんとだ」


 須藤くんは広いグラウンドを走り回っていた。周りと比べ随分浮いているように見える。ノーマークらしい。

 ーーすると、須藤くんの方にボールが飛び込んできた!


「須藤!」


 ボールを蹴っ飛ばした男子が慌てて叫ぶ。記憶が正しければあの人はサッカー部のエースだった筈だ。3人に囲まれ苦し紛れに出したボールが思わぬ方向に飛んで焦っているのだろう。


 ボールは目にも留まらぬ速さで須藤くんのほうへ。



「須藤くん、危ない!!」



 思わず叫んだ、その瞬間。



 須藤くんはそのボールを難なく受け止め、走り出していた。


「須藤、ごめん!…って足早くね!?」


 エースが謝罪するが、そんなことはお構いなし。


 ひょろひょろとした針金みたいな足なのに、自分の半身のように自由自在にボールを操っている。あっという間に敵を抜き去る須藤くん。その華麗な足捌きはまるでマジックでも見せられているかのよう。


「ここは通さない!」


 そう堂々と構える敵ゴールキーパー。須藤くんはそんな言葉など気にも留めずに走る。


 そしてーー


「終了ーーー!!」

 

 放たれたボールがゴールネットを揺らすと同時に、試合は終了した。


 その笛の音が響いた後、クラスのみんなが口々に須藤くんを称え出す。


「須藤、お前凄いんだな」

「カッコ良かったぜ!」

「あのドリブルどうやってやったの?」


「須藤!!」


 人一倍大きな声が鼓膜を震わす。見ると、さっき謝罪していたエースだった。


「ありがとな!!」


 そう言って、眩しい笑顔で背中を叩く。きらきらした、青春を切り抜いたような光景だった。


 たくさんの人に囲まれる須藤くんは、少し照れているようで、誇らしげで…


「よ、かった〜…」


 へなへなと座り込む。胸を占める感情は安堵。紀香が肩を叩いて私を立ち上がらせる。


「よかったじゃん、須藤大活躍でさ」

「そうだね。怪我しなかったし…にしても、須藤くん、何者?」

「謎」


 紀香と笑いながら私は視線を須藤くんに映す。少しだけ、不安になった。先程一瞬浮かんだ表情が、酷く寂しそうに見えたから。




「うへぇ、雨だぁ…」


 春の天気は変わりやすい。昼休みはあんなに晴れていたのに、放課後は雨になっていた。

 こんな時に限って、私は傘を忘れる。


「でも小雨だし、走ればいける…?」


 カバンを頭の上に掲げて走れば大丈夫かもしれない。酷くなったら近くのバス停とかで雨宿りすればいいし。多少濡れてもすぐ乾くから心配いらない。うん、いけるいける。


 覚悟を決めて走ろうと体制を整えると。


「鈴木さん?」


 聞きなれない声が聞こえて後ろを振り向くと、青い傘を持った須藤くんがいた。


「須藤くん」

「どうしたの?今帰り?」

「うん、傘忘れちゃって。走って行こうかなぁと」


 バッグを頭上に掲げたままヘラヘラと笑って見せる。空は重そうな灰色の雲が這いずっていて、なんとなく不安感を煽られる。須藤くんはしばらく悩んだ後、言った。


「僕の傘入ってく?結構大きいし、鈴木さんも入ると思うよ」

「えっ…いいよいいよ!悪いもん!」

「大丈夫。鈴木さんに風邪ひいてほしくない」


 グイッと傘を差し出す須藤くん。青い傘は傷も錆もなくて、高そうだなとぼんやり思った。


「僕と入るのが嫌なら、傘貸すし」

「い、いやいやいや!そうすると須藤くんが濡れちゃうでしょ!私のことは気にしなくていいから」

「気にする。それに、その…濡れちゃ、まずいと思う…」

「まずい?」


 口に出して、ああ!と思いつく。今は衣替え期間で私は白い夏服を着ていた。濡れると色々透けてしまわないか心配なのだろう。須藤くんは紳士だ。


「平気平気!どうせ濡れても誰も気にしないし。だいじょぶだから」


 いざとなったら前屈みになればいいし、と誤魔化すように笑う。パッと手を振って雨の中に飛び込もうとすると、それより先に須藤くんが私の手を掴んだ。


「『平気平気』じゃない。ダメ。大丈夫って保証がどこにあるの」


 今まで細いと思っていた手は私よりも力が強い。雨の音だけがあたりに響いている。顔を上げると、須藤くんがこちらをじっと見ていた。



「鈴木さんは女の子なんだから」



 おんなのこ。

 女の、子。

 女の子。



 理解した瞬間、ボッと顔が熱くなる。たぶん今顔赤い。須藤くんは手を離すと改めて傘を差し出す。


「どうしても受け取らないなら、僕傘置いて行くけど」

「わーっ!!ごめんごめん受け取りますー!」


 須藤くんの脅しに即行で屈する。大急ぎで傘を開こうとする私を微笑ましそうに見守る須藤くん。む、ちょっと悔しい。


 須藤くんには、頑固な一面もあるようだ。




 帰り道。須藤くんとの距離が、思ったより近い。


「須藤くんって、こっち方面だったんだ」

「うん。鈴木さんは?」

「私もこっち」


 なんだか変な気分になる。妙に落ち着かない、そわそわした気分。あの須藤くんの発言のせいだろうか。



『鈴木さんは女の子なんだから』



 なんか、面と向かって言われたのが初めてというか。元々恋より友情、ゲームって感じだから経験がないというか。

 須藤くんは自覚ないだろうけど…


「ーーきさん?鈴木さん?」


「うぇあ!?ど、どうしたの?」

「いや、さっきからボーッとしてたから。大丈夫?」

「ああ、うん。平気」


 しとしとと濡れるアスファルトの地面を蹴る。ぱちゃんとひとつ雨粒が弾けた。小学校の時に友達と話していた傘の話を思い出す。



『相合い傘はー、好きな人とするものなのよー』



 そうだ。青春の憧れ、相合い傘。男女でひとつの傘に入るドキドキイベント。



 あれ?


 須藤くんと私。二人きり。おんなじ学生で、親しげに話している。



 あれ?


 これ、勘違いされない?

 だって男子と女子だよ?仲良さげに話してるんだよ?彼氏彼女と考える人がいてもおかしくないよね?



 恋人同士、とか…



 心臓の音が早くなる。さっきまで抱えていた変なもやもやに淡く色をつけているような、ぎゅっと胸を締め付けられるような、そんな。


 いや、私、落ち着け。深呼吸。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。

 これは相合い傘で須藤くんと距離が近いからだ。きっとそう。そうに、決まってる。


 心臓の音がうるさい。

 彼に聞こえてしまわないように止まれ、止まれと念を込める。甘酸っぱくて、なんだか苦しい。



 この感情はーー



「鈴木さん?」


 彼の方に目を向けて…




 あ、そういえば須藤くん、人外の見た目だったっけ。




「うぁぁぁぁああああっ!!」

「鈴木さん!?」


 がばりと私はしゃがみ込む。


 須藤くんは他の人から見たら某ジブリの謎生物だ。雨の日に私と傘を半分こして、もうそれは完全にリアルジブリ。



 つまり、恋人同士と思われることはほぼない。



「いきなりどうしたの鈴木さん?」

「気にしないで…ちょっと恋する乙女気分に浸かってただけだから……!」

「え?」

 

 バカだ。大バカだ。

 何をあんなに盛大に勘違いしていたんだろう。頭のネジが緩んでるのかもしれない。怖い。


 須藤くんは意味がわからないと言いたげに目をパチパチさせるが、わからないでいい。むしろわからないでいてくれ。


 そうしてしばらく、須藤くんと駄弁っていた。



「あ、雨止んだね」


 フッとかざされていた青い傘が外れる。


「ほんとだ」


 灰色の雲の隙間から滲むように光が漏れている。通り雨だったようだ。あたりが薄ぼんやりと明るくなり、じっとりと残る鬱陶しい湿気に苦笑する。


 気づけば駅近くの踏切前だった。少し都市中心部から離れたところ。踏切の黄色い看板の下にはさわさわと名前も知らない雑草が揺れ、退廃的な空気がある。


 ーーなんだか、落ち着かない。


「あ、もう雨止んだし、大丈夫だよ。ありがとう須藤くん」

「ううん。どうせなら家まで送って行こうか?」

「あはは、さすがにそれは遠慮しときます」


 まず色んな意味でアウトだと思うし。そう続けると、須藤くんは納得したように頷いた。


「確かに、それもそうだね」

「でしょ?」

 


 カラァン、カラァンと音がする。



「じゃあまた明日ね」

「あ、鈴木さん」


 踏切の音だ。

 遮断機が降りる。



 私の前に須藤くんが立っている。踏切を背にして、私と向かい合うように。その雰囲気がいつもと違って、少しだけたじろいだ。



 青い傘を差してこちらを見据える須藤くんはさっきとまるで変わっていない筈なのに、何故だか酷く恐く思えた。



 カラァン、カラァン。

 あたりが暗く感じた。草の擦れる音が聞こえる。

 湿った土の匂い。曇天。黄と黒の遮断機。目に焼き付くような、警報機の鮮烈な赤。



 赤。



 赤。




 紅。




 須藤くんの姿が僅かに揺らいだようにぼやけーー彼が一瞬『人』であるように見えた。



 刹那、轟音が走り去る。

 逆光になって、須藤くんの表情は見えない。



「帰り、気をつけてね」



 鈍色に光る電車が須藤くんの背後を通過する。




 そう言い放った須藤くんはまるで本当に別の人のように思えて、でも、寂しそうに笑んだ瞳は紛れもなく須藤くんのものだった。


 



「おはよう、須藤くん」


 朝、もけもけとした謎の生物の彼に話しかけるのが日課になってきた。ほぼ抵抗はない。


 昨日の発言が気になりすぎて、よく眠れなかった。あの何かを強引に押し込めて言ったような言葉。自らの感情と問題を覆い隠すようなあの笑顔。


 ーー教室には私と須藤くん以外誰もいなかった。今日もかなり早い時間にきた筈なのに、それより早いなんて須藤くんはいつ学校に来ているんだろう。謎だ。


「おはよう、鈴木さん。眠れた?」

「ちょっと眠れなかった。あ、漫画貸してくれてありがと。面白かったよ!」

「そう?よかった!あれね、三巻では主人公がーー」


 興奮したように話す須藤くん。なんだか、やっと年相応の無邪気さが見れた気がする。



 私のクラスメイト。外見はどこをどう見ても人間じゃないし、黒くて球体で毛で覆われてる。それなのに勉強もできるし運動もできる。おまけに声もいい。変わったところばっかりで、変で、優しい。



 そんな彼は、時々、とても寂しそうに笑う。



 笑うというのはあくまで私の主観だけど、たぶん大きなものを抱えている。それが何なのかはわからない。ただふとした瞬間に遠くを見て、どこかへ消えてしまいそうな。最初からいなかったみたいに消失してしまうのではないか、とかいう予感。


「須藤くん」


 彼が抱えているものは、私では負い切れない。それ以前に私はただのクラスメイトだ。友達、とも言えるのかもしれないけど。



 けれど、須藤くんがここから立ち去っていく姿は、見たくない…と思う。



 陰のある寂しげな笑顔より、パッと思い切り楽しそうに笑ってくれたほうがいい。ぎゅっと気持ちを押し込めて無理にお手本みたいな言葉を言われるより、飾り気のない正直な言葉がほしい。完全に私のわがままだけど、あながち間違った答えでもないと思う。


 須藤くんは周りに頼らなさすぎだ。自分で解決してしまうから。きっと今までそうやって生きてきたんだろう。ひとりで、誰にも頼らず。

 別に悪いことではない。でも、良いこととも言い切れない。



 だから私はこう言う。



「また漫画、貸してよ」



 こうやって、須藤くんを縛り付ける。

 約束という形で。


 須藤くんは律儀だからこんな幼稚な口約束でも守ろうとしてくれる。それでいい。こうやって約束して、もっとたくさんの人と接して、そして知ってくれればいい。


 頼ることの大切性を。

 絆とかいうものの繋がりを。

 他人の優しさを、暖かさを。



「うん、いいよ。あ、明日で良ければ持ってくるよ?」

「いいの?やったぁ!私も何か貸すよ。最近面白い漫画見つけたんだ〜」

「えっ、なになに?」


 身振り手振りを交えて大袈裟に壮大におすすめの漫画について説明していると、続々とクラスメイトたちが教室に入ってきた。みんなワイワイと喋りながら須藤くんの周りに集まっていく。


「はよー、須藤。なぁ聞いてよ、こいつがさー…」

「ちょ、お前よせよ!言うなってば!」

「うるさいな。ケンカなら他所でやってくんない?」

「おぅ、はよー須藤ー」

「あ、須藤数学IIの宿題うつさして!今日出さなかったらマジで怒られる!」

「おはよー須藤くん」

「おっはー」


「おはよう」


 やっぱり。


 大勢に囲まれて、須藤くんは笑ってる。


「おー、お前元気そうだな」

「そうかな?そこまで変わってないと思うけど」

「ふぅ〜ん…?」


 クラスメイトもみんないい人だから、だんだん須藤くんも絆されると思う。絆されて、みんなに話して。彼が抱えているものの大きさも重さも知らないけど、みんなでならきっと背負える。支え合える。


 須藤くんはひとりじゃない。


「須藤くん、須藤くん」


 授業が始まる直前、こそっと須藤くんに話しかける。


「昨日、気をつけて帰ったよ」

「えっ…あ、そう」


 若干戸惑ったように瞳を揺らす彼。そんな迷いを吹き飛ばすかのように私はニパッと笑うと、カバンから袋を取り出した。


「これ、お礼のクッキー。送ってくれてありがとね」

「えっいいの?」 

「是非貰って。手作りだからちょっと形は不格好だけど…」

「ううん、作ってくれてありがとう!」


 うおぉ…好意100%の笑顔、ご馳走様です。あんまり違いわかんないけど。それでも嬉しそうに、須藤くんは私のラッピングしたクッキーの袋を撫でる。


「お。須藤なに持ってんの?クッキー」

「あ、ちょ取らないでよ!?」

「一枚食べていい?」

「絶対嫌。お前にあげるくらいなら持って帰って家宝にする」

「須藤…目がマジだったぞ、今」


 賑やかな教室。春の陽気に包まれて平和な気分になったところでーー私ははたと気づいた。



 …須藤くん、どうやって物食べるの?



 前回の現代文の授業で口はあるけど見つからなかったという結果を手に入れた。が、物を食べる時は食べ物を口に運ばなければならない。たとえ須藤くんの口が毛に覆われてわからなかったとしても、大幅な位置くらいはわかるのではないか!?


 ガタン!と椅子を揺らして私は立ち上がる。


「わっ!!鈴木どした?」

「い、いや。何でもないよ」


 どうしよう、考えたら気になって仕方ない。須藤くんはどうやって食べるんだろう。そういえば今まで須藤くんがお弁当を食べているシーンを見たことがない。いつも昼休みと同時に屋上へ行くから。屋上でひとり小さな弁当をつまむ黒いもけもけの謎生物…シュールだ。


「鈴木さん、ありがと。大切に食べるね」


 そうはにかんだような須藤くん。



「そんじゃあ、始めるぞー」


 先生のやる気のない声で授業が始まる。響くチャイムの音。一限目は苦手な数学II。


 でも、さっきの疑問が気になりすぎて、全く頭に入ってこない。


 こういう症状はたぶん恋とは違うと思う。『その人のことしか考えられなくなる』っていうと誤解されそうだけど。うーん、強いて言うなら…知識欲?好奇心?


 ちらりと須藤くんのほうを見ると…クッキー食べてるぅ!?袋が空っぽだ。当の本人は何食わぬ顔で黒板の数式を写している。

 え、いつ食べたの?私隣なのに音全然聞こえなかったよ?どうやって食べたの?


 私の心の叫びをスルーして無情に授業は進む。元々苦手な教科と言うこともあり頭がパーだ。先生が何を仰っているのか全くわからない。


 その間にも須藤くんは不可解な行動をとりまくる。


 毛の中からシャーペン取り出した?

 もう板書見ずに写してる?

 あ、落書きし始めた!

 落書きのチョイスがモナ・リザ!?なぜそれを選んだ?そしてうまっ!!


「おい鈴木、聞いてるかー?」

「あ…」


 やばい、先生の授業聞いてなかった。


「次からはちゃんと聞けよー」

「は、はいっ!」


 声が裏返る。クラスのみんなが笑っていた。須藤くんも控えめに笑ってる。うぅ…何か言いたいけど何も言葉が出てこない!


 授業が再開する。須藤くんがまた落書きを始めた。今度は真珠の耳飾りの少女らしい。ご丁寧に机に36色セットの色鉛筆まで用意してあった。本気ぶりが窺える。


 授業に集中したいのについつい意識がそちらに向いてしまう。横からではあまり表情は見えないが楽しそうだ。気のせいか黒い身体も揺れているような。



 ーーああもう!


 今日も隣の席の須藤くんが気になる!!



須藤くんの見た目は墨を被ったス○モか、巨大化して手足の生えたまっくろく○すけをイメージしてもらえるとわかりやすいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 須藤くんの正体が気になりつつ恋の始まりの感じや須藤くんの影の部分にドキドキしながらあっという間に読み終えてしまいました。 素敵なお話しをありがとうございました。
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