2-45 あいつは本気です
屋根から白い服の男が降って来て、クルトさんがいた場所を、身の丈を超える大きな黒い鎌で斬り裂いたのだ。
「よう」
そいつは鎌を握っているのとは逆の手を軽く上げた。
光の加減で何色にでも見える様な白髪と、褐色の肌。顔には13枚の痣の模様の入れ墨。
初めて会ったこの人物を、俺は他の媒体で知っていた。
平たく言えば、情報という形で。
こいつは――アイゼア・カタストローフェだ。
五年前に両親と隣家の夫妻を殺害し、先日サフランとブッドレアを逃がしたと思われる人物。厄介だ。
「あー、あっちで誘導してるお姫様風に謂うのなら、御機嫌ようってか?」
『あーん、怖かったよぅ、アイゼアー』
やはりアイゼア・カタストローフェで間違いはなさそうだ。
「おいおい、この程度で哭くなよ。子猫ちゃん」
『子猫じゃないよ、蛇だよ』
「理解ってる、理解ってる」
『ねぇねぇ、この子、精術師なんだよー』
「みたいだな」
蛇はクネクネとアイゼアにすり寄ると、彼はクルトさんとその周りに視線を巡らせた。
「んじゃ、精術師風に挨拶でもしてやるよ。俺はカタストローフェ。アイゼア・シュヴェルツェ・カタストローフェ」
『ちょっとー、何で枚数みたいに私の名前を使っちゃうんだよー』
「そんなの、格好良いからに決まってるだろ?」
『……人間の感覚って、面白いよね』
アイゼアは精術師の家系の人間だ。おそらく、先程はクルトさんの周りにいるであろうツークフォーゲルを見ていたのだろう。
「オレはツークフォーゲル。クルト・ツークフォーゲルだ」
「ん? あぁ、識ってるよ。お前の雑魚っぽい戦いぶりは、前回も今回も視てたからさ」
クルトさんは精術師の決まりに乗っ取り、名乗り返したうえで槍を構えた。
「あー、面倒臭ぇ……」
アイゼアはクルトさんを一瞥すると、近くに転がっていた管理官に鎌を向ける。この管理官は、俺達の間に飛び出して倒れ、クルトさんが俺に渡したサーベルの持ち主だ。
事実上、これは脅しだ。
恐らくではあるが、シュヴェルツェが近くにいる事により、彼の気性も幾分荒くなっている。あまり苛立たせれば、あの管理官は真っ二つになりそうだ。
「クルトさん、動かないで下さい」
「はぁ!?」
「絶対に、動かないで下さい」
「お、話が理解るじゃん」
クルトさんは状況を上手く理解出来ていない上、戦う対象が変わってしまった事により、再びシュヴェルツェの負の感情を増幅させる洗礼にあっているのだろう。かくいう俺も、胃のあたりの不快感は拭い去れない。
「あいつは本気です」
ジロリ、と睨むが、クルトさんの厳しい表情は変わらなかった。これは不味いかもしれない。
俺の背中を、嫌な汗が流れる。
「本気だとか、知らねーよ! あいつは――」
「面倒臭ぇの、変わんねーじゃん」
クルトさんの口は止まらない。そして、アイゼアの不機嫌も。
「止めろ!」
俺の静止など、一切の効力を持たなかった。
声を掛けた瞬間には既に鎌は振り上げられ、彼は一切の躊躇いも見せずに斬ったのだ。何の抵抗も無く、倒れ伏していた管理官は、上半身と下半身に別けられる。
粘着質な赤はじわじわと範囲を広げ、軽々しく散らされた重苦しい命の匂いを充満させた。
かなり少数になったとはいえ、遠巻きながらもこちらを見ていた民間人、誘導していたフィラさん、それから応援に来ていた管理官はまだいる。
誰かの悲鳴――あるいは全員かもしれない。その悲鳴が、どこか遠くの出来事のように聞こえた。
『お、良い顔! うん、じゃ、帰ろうか』
「はいはい。じゃあな、お二人さん」
俺は目の前の敵を、みすみす見逃す。
ここで手を出せば、次は誰が犠牲になるのか分からなかったのだ。つまり、俺一人では対処しきれないと判断した。
恐れていた。
目の前で仲間が死ぬ事を。先日、模倣の悪魔の一件があったばかりだと言うのに、どうしてまた、目の前で仲間の死を見なくてはいけなかったのだろうか。
俺はどうするべきか。ああ、決まってるじゃないか。
ここで呆然としている民間人がいるんだ。彼を、家に帰して、それから……それから、全てを片づけなければ。
「……クルトさん、もう、何でも屋に帰って頂けませんか?」
「あ、れ?」
クルトさんは、呆然自失と言った様子だ。当たり前だ。
彼は精術師であっても、管理官ではない。この歳で、人が殺される様を何度も見ている方が異常なのだ。
「帰って下さい。お願いします」
知らず知らずの内に、俺の頬を冷たい物が流れる。どうやら俺は、泣いているらしい。
クルトさんは、ぼんやりと一歩踏み出した。
「あ……」
ぴちゃり、と、赤い液体を踏み、粘着質な音を響かせる。
「あ、あ……」
クルトさんは震えているが、俺はそれを余所にサフランをしっかりと捕まえた。せめてこいつだけでも、逃すわけにはいかない。
「あ、ああ、あああああああああ!」
クルトさんは、耐え切れずに膝をついた。やはり普通の少年には耐えがたい光景だったのだろう。
「あとの処理はこちらで。どうか、お帰り下さい」
俺はサフランを掴みながら声を掛けるが、どうにも聞こえていないようだ。
「フィラさん」
「は、はい!」
彼女を呼べば、慌てて走ってくる。出来るだけ血だまりからは目を逸らしているが、どうしても視界には入っているだろう。
「彼を頼みます」
俺はサフランを懐に携帯している、魔法使いが魔法を使えないように後ろ手に拘束する道具を使い、逃げられないようにした上でフィラさんに任せた。
「難しければ他の管理官にお願いして下さい」
「ジ、ジス先輩はどうしますの?」
「……私はクルトさんを送り届けてきます。直ぐに帰りますので、少しだけこの場をお任せしても宜しいですか?」
俺が早口に問えば、彼女はぎこちなくだが首を縦に振った。
本当は、彼女にクルトさんを任せ、俺がこの場を収めた方がいいのかもしれない。けれども、この状態のクルトさんをフィラさんに任せるのは不安だったのだ。
なんにせよ、この場を頼む事は出来た。
俺はクルトさんを連れて、何でも屋へと向かったのだった。
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