2-43 いいのー? この身体に、傷をつけて
おかしい。絶対におかしい。普通の人間ではないと思っているが、肉体は人間だというのに。
俺が驚きで目を見開くと、彼は魔法を放つのをやめ、俺を蹴り上げた。
「ぐっ、う……」
どこにそんな力があるというのか。とっさに身構えたはずが、しっかりと圧迫感と痛みを感じる攻撃だった。
仕方がない。少し距離を取ろう。
ここで武器を手放すのは不安ではあったが、背に腹は変えられない。強引にサーベルを自らの方へと引けば、グロリオーサさんの指が落ちる可能性もあり、それは避けなければいけなかったのだ。
俺はサーベルから手を離すと、じりじりと後退した。
「ふむ」
シュヴェルツェは、握っていたサーベルを放り捨てる。
「い、痛くないのか!?」
「ん? あぁ、そっか。いたーい! 凄く痛いよー。手がもげちゃうー」
「ぜ、絶対痛いって思ってないだろ!」
シュヴェルツェの手からは、夥しい量の血が流れている。むしろクルトさんの方が顔を青くしてしまうくらいに。
だが彼は、「んー」と考え事をすると、ニコリと笑ってサフランの方へと向き直った。
「ねぇ、ガイスラー先輩。説明してあげてもいい?」
「はいはい、好きにして。さっきからペラペラ喋ってるじゃん」
「まーね!」
シュヴェルツェは笑ったまま、なぜかその場で一度ターンをした。明らかに、異質だ。
「はいはーい、特別サービスで教えちゃいまーす! サービスだから、心して聞いてね! 痛いとか、苦しいとか、どこでセーブしてるか知ってる?」
「脳、ですね」
「そうなのか!」
……クルトさん……。
俺の答えに目を真ん丸くしている彼が、ひどく不憫だ。
「そうなんだよー。ジス君せいかーい」
「プフッ、この子バカじゃないの?」
シュヴェルツェの傍で、サフランが噴き出した。
「僕が身体に乗り移っている間は、この身体の支配権は僕に移る。身体全ての支配権は、僕にある。どういう事か、わかるね?」
「……脳をも支配し、痛覚をコントロールしている、という事ですね」
「痛みだけじゃないよ」
シュヴェルツェの口元は、へらへらと緩む。
「僕はこの細腕で、よく君と対等に戦えたよね?」
「脳を支配する、という事はそうなる、と」
「え、なに、どういう事だ!?」
……クルトさん……。
「わっかんないかー。えーっとね、人の脳みそっていうのは、力を自動的にセーブしちゃうんだよ。例えば、力いっぱい殴る。これをセーブ無しでやったら、色んな筋がブチっと切れちゃったり、伸びきっちゃって戻らなくなったりする。それじゃあ困るでしょ?」
「おう、困る」
困るかどうか、だけか。いや、クルトさんが理解してくれるのなら、それでいいのだが。
「でも、セーブしなかったら、セーブしている時よりも強い力は出せるよね」
「何だそれ、ズルい!」
「ねー、ズルいよね。だから今の僕は強いんだよーっていう話をしたんだ。わかったかな?」
小馬鹿にされたのは感じたのだろう。彼は一瞬ムッとした顔をし、今にも飛び出しそうになったが……なんとか堪えた。
「でも、ファッションセンスは僕の足元に及ばないんだね」
「ごめんね、僕は精霊だから服を着る概念が無いんだ」
サフランがクルトさんに魔陣符を向ける。そうか、こいつ魔陣符も持っていたのか。
「クルトさん、避けて下さい!」
クルトさんは弾かれた様に横に跳んだ。
話はふざけているのに、状況は緊迫している。彼の横スレスレを矢が通り過ぎ、俺はそれを残った一本のサーベルで叩き落す。その先に誘導をしていた管理官がいたのだ。俺が落とさなければ、矢は彼に当たっていただろう。
「んじゃ、もう一回倒しにかかるぞー! おー!」
「おー、は良いけど、なんで説明したのさ」
「え、なんとなく?」
「そう」
仕切り直しだ。
対峙する二人の視線は、俺に向かっている。俺はサフランを無視し、真っ直ぐにシュヴェルツェに斬りかかる。
「いいのー? この身体に、傷をつけて」
「致し方ありません」
「やーん、怖い!」
多少の傷は、勘弁してもらおう。あんな話を聞かされては、さすがに無傷というのは無理だと理解出来た。
サフランは俺に魔法を打ち込もうと魔法陣を描いていたが、それはクルトさんが槍を持って向かったおかげで免れた。変わりに、サフランのポケットから取り出された魔陣符が、クルトさんに向けられる。
「まだまだいけるよ」
「オレだってまだまだ行けるし! 元気だしー!?」
元気は関係ない。
サフランはどんどん魔陣符を弾いて、俺達の方へとどんどん放つ。俺はクルトさんが槍や精術でしのぐのを横目に、それらを避けた。
周りの人への被害が落ち着いている。どうやら、誘導は成功し、ここからはそれなりに離れたようだ。
しかし、いつまでもこのままというわけには行くまい。
ひたすらに戦っていても、終わりが見えないのだ。いや、このまま行けば、疲れというものがないシュヴェルツェが勝利するのは目に見えている。
戦いは続き、どんどん俺やクルトさんには傷もつく。微々たる物でも、蓄積するダメージは俺達に牙を剥くだろう。
せめて……せめてもう一本サーベルがあれば……。
ああ、無事この場を切り抜けられたら、一本でももっと戦えるように鍛え直さなければ。
「ジギタリス!」
「はい」
「オレはどうすればいい?」
俺は身を屈めて魔法をやり過ごしながら、指示を瞬時に考える。いや、考えるまでもない。
俺は今、もう一本欲しいと思ったところだったではないか。
「クルトさんは、俺が調書を取りに行った時、何に拘っていましたか?」
「へ?」
「まぁ、それでお願いします」
相手にはバレたくないので濁したが、ちゃんとわかって貰えただろうか。
必死に攻撃を避け、いなし、時には反撃に出る。




