2-41 ツークフォーゲル、私に従え
「頼む、ツークフォーゲル」
彼は精霊石を取り出し……ややあってから槍へと姿を変えさせた。
……俺が調書を取った時や、先程での場面からの印象では、頼めば直ぐに槍になっていた気がするが、状況が違うせいでそう思っただけか? それともこのタイムラグには、何か意味があるのだろうか。
俺は疑問に思いながらも、シュヴェルツェへの手を緩めない。
フィラさんが野次馬に向かって一喝入れたのを耳にしつつ、ルースの様子を少しだけ見た。ベルさんを抱き上げたまま、何とか何でも屋の方へと向かっているようだ。
そしてそのための道は、フィラさんが作ってくれている。
人を従わせる一種の「カリスマ性」のようなものは、一応あったのだろうか。彼女は、うまく野次馬を後退させていっているようだった。
おそらく俺が言うよりも、ずっと効果がある。いつ発揮出来るのかは、よくわからないが。
「逃がしてたまるか!」
サフランは魔法陣を描き始める。
止めたいが、こいつをこのままにしたらどうなるか……!
「行かせるか!」
「そうだそうだー。行かせるかー♪」
吼えたサフランの後を、シュヴェルツェの不快かつ軽快な声が追いかけた。
「ツークフォーゲル、私に従え」
ツークフォーゲルだと? 俺の目の前で、彼はニヤニヤとありえない言葉を吐く。
「あいつらの動きを止めろ」
俺のサーベルをひょいっと避けると、彼はルースとベルさんを指差した。
すると、大きな風が吹き、土ぼこりが立ち上る。これは、スティアさんと模擬戦をしたときに、彼女が使った精術のようだ。
石畳の間に入り込んだわずかな砂粒が巻き上げられ、不意にそれを食らったルースとベルさんはもちろん、近くにいたフィラさんや民間人も一様に咳き込む。
……何故だ。何故、精術を使える。
「お前、何だよそれ……」
「んー?」
驚愕したのは俺だけではない。風の精術師であるクルトさんは、「何なんだよ!」と、感情を抑えられないように叫んだ。
「ツークフォーゲルに何をした! おい、ツークフォーゲル、戻って来い! 戻って来てくれ!」
戻って来い、という事は、彼に見えている精霊に何らかの変化、あるいはどこかに行ってしまっているらしい。
「クルトさん、落ち着いて下さい」
「うるせぇ!」
俺の声は届かない。ああ、また胃の辺りが気持ち悪い。徐々に気持ちの悪さが全身に回っていくようだ。
同時に、サフランの魔法が完成しそうになり、俺は慌てて相手をシュヴェルツェからサフランに変えた。
走って近くまで行きサーベルを振るうと、彼は「おっと」と口にしながら魔法を使うのをやめて下がる。
「よーしよし、よくやってくれたね」
「あったりまえじゃーん。ガイスラー先輩の為だもん!」
うまく足止めをしたシュヴェルツェを、サフランは嬉しそうに褒めた。
「おっと、びっくりしてるね? クルトちゃん」
「何なんだ、今のは! ツークフォーゲルに何をした!」
「クルトさん!」
クルトさんに俺の声は聞こえていない。
「んー、空気の汚い所に居たら汚染されるよね」
「それと何の関係があるんだよ!」
俺は目の前のサフランがまたしても魔法陣を描き始めたのを、一歩踏み込んで止める。近くでフィラさんの「慌てずに進んで下さいまし」という声が聞こえた。あの場で問題はあったもの、彼女は建て直し、少しずつ整理しているようだ。
「僕に近づいたから、汚染されたんだよ。人間の汚い心、欲望、シュヴェルツェという存在。弱い精霊は、この通り僕の手駒に変わっちゃうわけだ」
まるでツークフォーゲルはシュヴェルツェに汚染されたが為に、彼の手伝いをしてしまっているような話しぶり。同じ精霊という存在であっても、そんな事があり得るのだろうか。
「なんでお前の存在は、ルース達に見えたんだよ!」
「聞いてないの? シュヴェルツェは、人間に最も近い存在だからだよ。それにしても、レヴィンは酷いなぁ。もっともっと、僕について息子に語ってくれればよかったのに」
話を聞きながら、何度もサフランの方へと詰めていくのだが、その度に彼は民間人の群れの中に姿を隠す。そして建物や人を盾にするのだ。
それでも怪我人が最小限に留まっているのは、フィラさんの誘導の賜物だろう。彼女は野次馬達を落ち着かせると、怪我をしないように誘導しながら家に帰そうとしていた。
「まぁいい。教えてあげよう。僕は心優しく醜い蛇だからね。何故僕が精霊に嫌われているか。それは、こうして無理やり、強制的に、理不尽に支配出来るからだよ」
「こんの……」
クルトさんは引く唸る。
「お前を許さねぇ! 絶対に倒す!」
彼は叫びながら、大きく槍を振りかぶった。対してシュヴェルツェはといえば、腕を広げて「おいで」と微笑んでいた。
まずい、駄目だ! 止めなくては!
「クルトさん!」
止まらないか!
と、なれば、こちらのサフランの動きは気になるが、強制的に止めに行かなくては。
「止まれ、馬鹿!」
俺は走ってクルトさんの元へと行くと、彼の制服の襟をつかんで強制的に止めた。そして解放すると。左頬を殴ってしまった。
彼はよろよろとその場に倒れる。
「何を考えているんだ。グロリオーサを殺すつもりか!」
「……っ! お、オレが! オレが倒そうとしたのは!」
「グロリオーサの身体に入っているシュヴェルツェ、だろう」
言いたい事は分かるが、どうにも俺の言葉は止まらない。胃の辺りのもやもやが、お世辞にも綺麗とは言えない言葉で吐き出される。
「どうやって倒すつもりだった? 俺がグロリオーサを始末出来ない理由は何だった? 覚えてないのか? 鳥頭か? それとも自分の感情に引きずられて、どうにも出来ないのか? どうにも出来ないなら帰れ。その為の道くらい、作ってやる。あいつから離れればその馬鹿みたいに熱くなった頭も、多少は冷えるだろう」
もはやこれは、暴言だ。
内心でどう思おうが関係ない。人を傷つける言葉を吐いている。
ああ、最低だ。俺は最低な物言いで、まるで当り散らすかのように……。
「……」
「おお!」
ぐっと口を噤んだクルトさんに代わり、シュヴェルツェが嬉しそうな声を上げた。
「管理官君も、一応僕の悪意にあてられているのかな? それ、素? 素だよね? ちょいちょい出してるそれの事だよ。それそれそれ」
「……少し、黙って頂けますか?」
ああ、なるほど。悪意に当てられるというのはそういう事か。
自らの醜い本性をさらけ出し、人を傷つけるようになってしまうという事。言葉を選べないという事。
だからこそ、野次馬の中で喧嘩が起こった。ちょっとした不満が大きな不満へと姿を変え、堪える事が出来なくなっていたのだ。それをフィラさんが仲裁している。彼女は、よくやってくれていた。
ルースとベルさんは、サフランからの魔法を逃れつつ、着実に何でも屋へと向かっているようだ。このまま逃げ切ってほしい。
違う。今はそんな事よりも……いや、違わない。ただ、俺が一番前を向かなきゃいけない相手は、この場の強敵は……。
クルトさんは無言で俯いている。俺のせいだ。
「落ち込むのは後にして下さい。この場で落ち込めば、どん底ですよ」
「……分かってる」
負の感情を引き出すのが上手い奴が敵なのだ。けれど、奴を退けねば、事態は収束しない。




