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管理官と問題児  作者: 二ノ宮芝桜
第二章
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2-38 おやおや、就職管理官のお出ましだ

 人の匂いが濃くなり、建物の気配も多くなる。音と匂いから、俺はベルさん達が近くなっている事に確信を持っていた。

 少しだけ速度を落とし、慎重さを含みながら走ってはいるが、フィラさんはそれに息を激しく乱す事はなくついてくる。これは彼女の身体能力が、意外にも高い事を示していた。

「――見つけました」

 そうして暫くした頃。俺はそいつの背中をとらえた。

 一人はひょろりと背が高い金髪の男。おそらく彼がグロリオーサさん。どうもこちらがベルさんを抱えているようだ。背後からだと、丁度彼の肘があるであろう場所から人間の足が生えているように見える。

 もう一人は赤い猫耳フードと尻尾のついたコートと、目を疑うようなひらひらとしたズボンの男。先日の一件での報告から察するに、こっちがサフランさん……さんはいらないな。彼の場合、グロリオーサさんとは違って既に指名手配犯なのだから。

 とにかくそいつは、背後からでも凄まじいセンスが見え隠れ……隠れては、ないな。見え見えになっている。

 蛇の匂いはしない。これは、ルースが言ったようにグロリオーサさんの中に入り込んでいるからなのか、はたまたシュヴェルツェという存在に匂いはないのか。

 考えるまでも無く、後者か。シュヴェルツェは精霊なのだから、蛇の匂いなどするはずがない。

 見えないが、ツークフォーゲルやヴニヴェルズムには匂いが無いのだから、シュヴェルツェも同じだろう。

 サフランと思しきそいつは、笑いながらそこかしこに魔法を放っている。

 魔法により破壊されているのは、今のところは街灯のみ。だが、大きな音を立てている事と、サフランの珍妙な格好のせいで野次馬が集まっているのが、難しい状況であるのを俺に訴えていた。

「お、お止めになって下さいまし!」

 先に耐え切れずに飛び出したのは、フィラさんだった。彼女は俺をぴょんと追い抜き、目立つ二つの背中に大きな声をぶつける。

 俺はといえば、こちらを振り向いた二人から庇う為に、結局彼女の前に出て、フィラさんの盾のようになった。

 振り向いた姿は、やはり俺が想像したその人達だった。サフランも、グロリオーサさんも、どちらも資料で調べたとおりの姿。ベルさんも、グロリオーサさんに抱き上げられている。

 フィラさんが、ベルさんを見て息をのんだのが、気配で分かった。

「おやおや、就職管理官のお出ましだ」

 サフランが、大げさに肩を竦めた。同時にコートについてある尻尾が揺れて、若干イラっとするが……落ち着け。帰ってこい、平常心。

「敵討ちじゃない? ほら、さっき投げてきちゃった……」

「ああ、1枚君のお友達かぁ」

 グロリオーサさんに言われた事で、サフランは納得したようだ。いや、そっちはどうでもいい。

 問題はグロリオーサさんの腕の中で、ベルさんが泣きじゃくっている事だ。

 ただでさえ暗所恐怖症である事も加わり、ルースが怪我をしているのを見てからはぎこちなくなっていた。それが今はどうだろうか。もはや子供だ。

 状況が見えているのかも分からない。ただただ、恐怖に支配されているかのようなあの顔には、普段の面影は一切見られなかった。

「サフラン・ツヴェルフ・ガイスラーですね?」

 俺は睨み付けながら、確認する。

「そうだよ。この世で一番美しい、サフラン・ツヴェルフ・ガイスラーだ」

「……う、美しい?」

「疑問に思うのも無理はないと思うよ。彼は、オンリーワン界のナンバーワンだから」

 背後から、フィラさんのひきつった声が聞こえたかと思うと、推定グロリオーサさんは大きな声で笑った。同時に、腕の中のベルさんが縮こまる。

「貴方は、グロリオーサ・エルフ・アーレルスマイアーですか?」

「うん、大体そうだよー」

 こちらに対しても確認をすれば、彼はその細い腕でどうしているのか、ベルさんを片腕に抱きなおしてから、わざわざ胸元をはだけてこちらに痣を見せつけた。痣の枚数は11枚。

 情報と相違はなさそうだ。

 気になるのは「大体」という部分か。いや、それもわかっているといえば、わかっている内に入るか。

 正確にはわかっていないが、グロリオーサさんにはシュヴェルツェが入ったという情報があるのだ。おそらくはその関係での「大体」だろう。

「ベルさんをお返し頂けますか?」

「駄目だよ。絶対駄目。僕はそいつに復讐してるんだから」

「ガイスラー先輩にダメって言われちゃったら、お返し出来ないなー」

 グロリオーサさんは、再度ベルさんを抱き直すと、へらへらと笑ってわざと揺らした。

 本当に、あの細い腕の、腰の、足の、どこにそんな力があるのだろうか。

 見たところ、彼には筋肉らしい筋肉は見当たらない。

 グロリオーサさんは、小食の一般男性を無理やり縦に引き伸ばしたような体つきなのだ。そんな人が、背丈も筋肉もそれなりにある男性を両手で、時には片手でへらへらと笑いながら抱き上げて動けるようには到底思えない。

 俺の頭の中で警鐘が鳴る。

 何かがおかしい。いや、おかしいのはわかりきっている。わかりきっていてもなお、おかしいとは思わずにはいられないのだ。

「ま、言われなかったら死体をお返ししたんだろうけど!」

「ああ、死体をお返しはいいアイディアだね」

 なんとも不穏な言葉だ。胃のあたりがざわざわする。

「ただし、そいつに一生消えない心の傷を付けて、ぼろ雑巾みたいにして、それから少しだけ前向きになれそうになったところを折って殺す。その頃には死体を返してあげるよ」

「やーん、ガイスラー先輩ったらゲスーい」

 ……サフランが、こんな調子なのはわかる。だが、やはりグロリオーサさんがおかしい。

 資料では、どちらかといえば大人しい方だ、といった事が書いてあったはず。シュヴェルツェが入り込むと、精神面や肉体面にも大きな影響を及ぼすのだろうか?

「……今は、返しては頂けないのですね?」

「そうだよ」

 サフランはニヤニヤと笑ったまま頷く。

「念の為もう一度。これは警告です。返しては頂けないのですね?」

 返して貰えないのなら、やる事は一つだ。

「そうだよ。しつこいな」

 彼の返答を聞くや否や、俺は腰のサーベルに手をかけながら飛び出した。

 が、突然サフランの前に、ベルさんを抱き上げたままのグロリオーサさんが立ちはだかる。

「斬りつけても殴りつけてもいいけど、当たるようにしちゃうよ。大事な大事なベル君に」

 俺は舌打ちを一つ。慌てて足を止めた。


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