2-21 俺はそっと彼を降ろした
クルトさんを運びながら病院に向かっている途中。
「……んあ?」
偶然にも何でも屋の直ぐ近くで、クルトさんが目を覚ました。驚いて俺が歩みを止めると、全員の視線が一斉にクルトさんへと向けられる。
「んあー……ふわぁぁぁ……」
心配していた俺達を余所に、彼は大きなあくび一つ。それからパチパチと瞬きをした。
無事、だったのか。
「クルト、無事なのか!?」
「んー?」
スティアさんの確認の声に、彼は俺の腕の中でマイペースに目を擦っている。
「クルト、大丈夫か? 大丈夫なのか?」
今度はベルさんの確認。
クルトさんは「んー?」と間の抜けた声を出したが、直ぐ上の俺の顔を見て驚いた顔をした。そして、周りの人の顔を順に見ていく。
「オレ、状況、飲み込めない」
……それもそうか。
クルトさんは森で意識を失った。ところが今は森を抜けており、まして俺の腕の中。
スティアさんやベルさんは心配そうにしているし、知らない人は二人いる、という状況なのだ。
「スティア、どうしよう。クルトの言語感覚が吹っ飛んでる」
「安心しろ、ベル。それは元々だ」
元々なのか。子供っぽいとは思っていたが、まさかそんなところまで子供だったとは。
目を覚まして話し始めた事で、余裕が生まれてきた。それはスティアさんとベルさんも同様だったようで、軽口が飛び出す。
「つーか、状況!」
自分の欲しい情報を求め、クルトさんは頬を膨らませた。
つやつやと血色のいい頬になっていて、それにも安堵する。
「降ろせ! おーろーせー! オレ元気だから! ピンピンしてるから! 健康優良児だからー!」
彼の真っ直ぐな性格からすると、口だけでぎゃーぎゃーと騒ぐのは大人しすぎる。抱き上げられて騒いだ結果、落とされた事でもあるのだろうか。
俺はそっと彼を降ろした。
「あの、お身体の調子は?」
「え? 全然。むしろ軽いくらい。何かすっきりしたー!」
クルトさんはその場で何度かジャンプした後、ついでとばかりにその辺をキョロキョロしている。
「おお、何でも屋のあたりか。もしかして瞬間移動……あ、違う。ジギタリスが何でだか抱っこしてくれたのか!」
マイペースな状況の確認っぷりは、元気そのもの。
よかった。本当に何ともなさそうだ。
「もしかして、寝てただけ、なんじゃねーッスか?」
フルゲンスさんがため息交じりに溢す。これも、安堵の表れなのだろう。
何しろ彼は、クルトさんが意識を失っている間は軽薄な口を叩かなかったのだ。
「……あー! 思い出した!」
フルゲンスさんの、ともすれば不謹慎とも取れる態度を完全に無視して、クルトさんは手を打つ。
「オレ、なんかグロリオーサに、魔法向けられたんだよ。そしたら、意識プッツリ切れてたんだよな」
グロリオーサ? どこかで聞いた……いや、見た事のある名だ。
「……他に、何か情報は?」
「えーと、えーと」
俺の問いに、彼は必死に考えを巡らせているらしい。両手を頭の上に乗せて、その場でぐるっと回って見せる。
「あー! ガイスラー! ガイスラー先輩が、あいつだったんだよ!」
「サフラン・ツヴェルフ・ガイスラーですか?」
「そう! それ! サフラン!」
クルトさん達にベルンシュタイン姉弟の調書を取ってきてもらった時に対峙した男の名だ。
彼は恩師であるブッドレア・ツヴェルフ・ドナートと手を組み、ベルンシュタイン姉弟の姉であるフルールさんと、何故かネメシアさんを誘拐しようとしていた。この件の根本に人類の敵であるシュヴェルツェが絡んでいるとの事で、現在捜査中だ。
その事件の中で一度は捕縛されたサフランとブッドレアは、家族殺しの罪などで指名手配中のアイゼア・カタストローフェと思しき人物の手を借りて、逃走。
ここまでつながった事で、グロリオーサの名をどこで見たのかを思い出した。
犯罪者の身辺を確認している時に、学生時代にサフランに憧れていた下級生がいたという情報を見たのだ。それが、グロリオーサ・エルフ・アーレルスマイアーだった筈。
「あいつ、探してる人がサフランなのに、サフランが親玉で、サフランだったんだ!」
「落ち着いて下さい。良いですか、息を吸って」
必死に状況を伝えようとしてくれるのはありがたいが、一度落ち着いて貰おう。
「すぅぅぅぅ」
クルトさんは思いきり吸い込む。驚きの吸引力だ。
「吐いて」
「はぁぁぁぁ」
かと思うと、全力で吐き出す。吐き出し過ぎて若干咽ていたが……見なかった事にしよう。
「何がどうなったのですか?」
「人探しの依頼をした奴が、サフランと繋がってたみたいなんだよ。それで、オレ、何か魔法をかけられて、意識が無くなったっぽい」
咽たのが落ち着いてから尋ねれば、アマリネさんは嘘をついていなかった事が証明された。
こうしてクルトさんは元気そうにしているのだから、魔法は眠らせる効果があるだけだったのではないだろうか。……後程、医者には診て貰った方が良いとは思うが。
「そうでしたか。調子は、全く問題ありませんか?」
「何にも問題は無いぞ」
少なくとも今は全く問題ないらしい。
「……全く、心配させやがって。馬鹿クルト」
「お、おう、悪かったな」
「俺も心配した。今、近くの病院に行く途中だったんだぞ」
「わ、悪かったって」
スティアさんもベルさんも、安心しているようだ。
「チョーダセー。マジ使えねーッス」
「あぁ?」
フルゲンスさんの、どう考えても不敬に当たる言葉にクルトさんは眉間に皺を寄せたが、言った相手を確認すると皺を取り去った。
クルトさんは気にしていないとしても、これはたった今までどうなっているのか分からなくなっていた相手に言う言葉ではない。勿論、安心したからこそ出た言葉だとは思うのだが……。
それでも、許してはいけない。
「お気を付け下さいまし。貴方は精術師ですのよ。ただでさえ魔法使いに比べて劣るのですから、しっかりと自衛をしなくてはなりませんわ」
「んなっ!?」
まだそんな事を言うのか。俺がどんなに言っても、聞けないのか。
何とか保とうとした肯定的な感情は、一瞬にして抜け落ちた。
「お二人は、管理官として、いえ、人間として最低です」
自分から出た声とはいえ、随分と冷たい声が出てしまったものだ。
視線は知らず知らずのうちに鋭くなり、二人をジロリと睨み付ける形になる。
「ど……どうして、どうしてですの! わたくし、悪い事は言っていませんわ!」
「これで言っていない、と?」
一体何を、どう伝えたら、理解してもらえるのだ。フォローをしようが、指導をしようが、変わらないのか。
胸の内が冷えていくようだ。
「申し訳ないが、内輪揉めなら後にして貰えないか? 病院に行かないにせよ、所長にクルトの無事な姿を見せたいんだ。何しろ私は、クルトが魔法をかけられて倒れたと精霊に知らされて、その事も所長に伝えてから出て来たのだから、な」
「申し訳ありません」
そうだ。彼らに対する感情は一度しまわなければ。とにかくクルトさんだ。俺はスティアさんに頭を下げてから、彼女に合わせて何でも屋へと向かう。




